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春過ぎて  作者: 菊郎
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何のために 後編



 ミレイユをふたつの拳銃から弾倉が落ちたのを見て、俺は左手の対物ライフルを撃ちながら前へと駆ける。

 彼女は移動しながら右手の銃でこちらの攻撃を弾く。銃を握ったままの左手で戦闘服の腰のあたりに備え付けられていたポケットを下から押し上げると、拳銃のマガジンが顔を出した。左手の銃のグリップと位置を合わせて振り下ろす。だが、どうにか右手の再装填が完了する前に懐に入った。構えた得物を右から左へ薙いだが、銃声とともに勢いは殺された。銃に衝撃が走る。俺の得物の銃身にあったサイトが跡形もなくなっていた。ミレイユの左手の銃から放たれた弾丸が当たったのだろう。

 ミレイユに向けてリボルバーの引き金を引く。弾が彼女の上の胸を穿った。肺に当たったかもしれない。そのまま彼女が持っていた左手の拳銃を得物で弾いた。乾いた音を立て、拳銃が石畳の上を転がっていく。

 ――いける

 心臓を貫くべくリボルバーを握った銃を再度持ち上げる。だが、すぐに違和感を感じた。まるで右腕が切り離され、別の人間に操作されているかのようだ。自分で動かしている気がしない。視線を一瞬だけ向けると、力なく地面へと垂れていた。視界に映る二の腕に、刃が乱入してくる。

 ミレイユの突き出した銃剣が右の二の腕に深々と刺さった。握っていた拳銃が右手から落ちていく。力が入らない。負けじとミレイユに頭突きをかますと、左手の得物を彼女の右腕に振り下ろす。この距離なら銃剣ではなく銃身が当たる。腕の骨が折れる音が訊こえながらも、彼女は右の前腕だけを曲げて俺の胸に銃口を向けたが、発砲とともに銃身は大きくずれ、弾は左肩をかすめていった。

 腹部目掛けて蹴ろうと足を上げるよりも早く、ミレイユは腰を沈めて俺に向かって体当たりをぶちかます。咄嗟に前にやった左腕が軋んだ。数メートル先へと飛ばされ、地面を転がる。うつ伏せになった俺は対物ライフルを一度手放し、片手で予備の弾倉と交換すると、コンバットナイフを取り外し、銃身の“上”に装着した。グリップを力いっぱい握る。

 鼻血を流し、満身創痍となったミレイユの息は荒い。それでも、残った拳銃の弾倉を交換し、目は俺という敵を一心に見つめていた。目が合う。互いに走り出した。弾が俺のあいだをすり抜ける。もはやミレイユには目標へ命中させるだけの気力がなかったに違いない。俺も同様だった。骨が軋む左腕で引き金を引くが、弾はいずれも見当違いの方向へ飛んでいった。距離が縮まる。不意に胴体に衝撃が襲った。右の脇腹に被弾した。だが、そんなことを気にしている場合ではない。

 時代錯誤の斬り合い。ミレイユは右手の拳銃、俺は左手の対物ライフル。銃身のさきで血に染まりながらもなお夕陽を受けて輝くコンバットナイフを振るう。さきほどまでの機敏さは、俺にも、ミレイユにもない。

 俺は構えた対物ライフルを渾身の力で振りぬく。同時に引き金を引き、伝わる銃の反動を味方につけてミレイユに斬りかかる。抜刀術のように放たれた銃剣が、彼女の胴体を斜めに斬り裂いた。血が切っ先をなぞって飛ぶ。力が抜けたミレイユの身体を蹴り飛ばした。五メートルほど背後の建物に激突した彼女は壁に力なくもたれかかった。

 俺は左手の対物ライフルを構えミレイユへ接近する。彼女が放った弾丸は見当違いの方向へ飛んでいく。

突き出した銃剣をミレイユの喉元に向けて突き出す。

 力なく顔を上げるミレイユ。彼女は右手をゆっくりと開き、拳銃を落とした。血に染まった亜麻色の髪が風に揺れる。


「……馬鹿ね」


 俺は躊躇した。ミレイユの喉元に銃剣を突き刺す瞬間に止まってしまった。こいつを殺せば、デイビッドの“敵”が討てる。反政府勢力の勢いも削げるだろう。しかし――


「あなたはここに来るまでに何人もの同胞を殺してきた。いまさら情けをかけるの?」


 戦意を喪失していないのは理解していた。語尾も強い。だが、彼女のいまの表情は、どこにでもいる二十歳の女性のものだった。フリジア平原で遭遇したとき、デイビッドの家で戦ったとき、そのどれとも似ていない。この表情を俺は知っていた。死を悟った敵が直前に見せる顔。口を一の字に結び、潤む目、震える体。

 ミレイユは死に怯えている。


「死ぬのは怖いか?」


「あなたは?」


「怖い。今まで一度たりとも死の恐怖を克服したことはない」

 

「なら、これまでどうやって戦ってきた?」


「死よりも恐ろしいことを考えるようにしていた」


 兵士である自分が立ち上がらなければ、この国はどうなるだろう。家族は、友達は、恋人は。必要に迫られること、使命感を持つことが、死という恐怖を乗り越えるうえでの自分の武器だった。


「そうなんだ、英雄のくせに」


「伝説とか冒険譚はだいたい誇張されるものだ」


 ミレイユは目を俯かせた。


「先生は国家反逆罪で捕まるのかな」


「おそらくは。よくて終身刑。最悪、死刑だろうな」


「……“この国のために戦った”。後悔はしてないわ。先生も、私も、ほかのみんなも。死ぬのは怖くない」


 彼女の周囲に血だまりができていく。

 俺はミレイユに突きつけた銃剣をゆっくりと下ろし、背中に戻す。彼女の左に落ちていた拳銃を拾い、戦闘服の空きのポケットに無理やり押し込んだ。残りの銃を回収するため、踵を返した。銃声は周囲でいまだに響いていた。だが遠い。近辺はすでに制圧し終えたのだろう。


「どうして……私は、あなたの兄弟を殺したのよ?」


「復讐心に駆られたり、個人を憎んで戦っているわけじゃない。この国のために、そこに生きる者たちのためにここにいる」


「私だって……」


「瀕死で武器を持たない人間を攻撃するほど腐っちゃいない。いずれにせよ、その傷ではまともな治療を受けなければ二日と持たずに死ぬだろう。そして、ここに“お前を助けられる者はいない”」


 血に染まった全身を見て、俺も身の危険を感じていた。これほどの重傷の状態で眠りに落ちれば、もう目覚めないかもしれない。悲鳴を上げる体を引きずりながら、対物ライフル、ミレイユの拳銃、ショットガンを拾っていく。胸の痛みに耐えながら、俺は声を張り上げた。


「もし生き延びられたなら罪を償え。そして、改めてこの国に奉仕しろ」


 羽毛のように感じていた装備が、いまでは巨大な重りのように思える。刑務官に連れられて歩く囚人のように、足取りは重い。幸運にも残ったふたつの足を動かし、集合地点である中将のいる建物を目指す。

 広場を出る直前、出血の止まった左耳から、わずかな女性の泣き声が訊こえた。




◆◆


 

「親父!」


 途中で出会った兵士ふたりの肩を借りてアルバーン中将のいる建物へ入った俺は、戦場には場違いな第一声を訊いた。

 ぼやける視界のさきではシオンとレアールが立っている。シオンは紺のダッフルコート、レアールは俺のお下がりの茶色いライダースジャケットを着ていた。ふたりとも俺を見ると血相を変えて近寄って来た。

 俺は力なくその場に倒れ伏せる。


「……どうして、ふたりが……ここに?」


「話は後だ! ひとまず、お前を医療室に運ぶ!」


 首を左に向けるとアルバーン中将が片膝を突いて俺を見ていた。すぐに武器が外され、体が持ち上がったかと思うと、担架の上に乗せられる。


「中将……戦況は……どうなっていますか?」


「一時間ほど前にカニアの陸軍本隊が応援に駆け付けた。加えてアードラの連中も加わり、戦局はこちらに傾いている。お前は使命を成し遂げたんだ。本当に――大した男だ」


「……そうですか」


 よかった。


「中将」


「なんだ」


「中央広場に、瀕死の重傷を負った女性が倒れています」


 中将は少しばかり俺の身体を見ていた。


「……わかった」


「中将、どういうことですか? なぜロイがここにいるのですか? そもそも、この武装はいったい……?」


 シオンの声だ。


「シオン君。悪いが質問は後にしてほしい。今は彼の安全確保がいちばんだ」


「そんなことはわかっています!」


 建物を出るとシオンとレアールも続いた。太陽は地平線へと沈み、空は暗い。

 血まみれとなった俺の右手をシオンが握った。温かい。俺の手が冷たいからか。シオンの手が温かいからか。彼女の髪が風になびいている。


「嘘ついて悪い……」


 茶色の澄んだ瞳から涙が溢れ出ていた。


「訊きたいことはいっぱいあるけど、いまはそんなことどうでもいいの。お願い、死なないで」


 担架がときおり上下し、身体が痛む。


「レアール。お前も知りたいことが山ほどあるだろう。落ち着いたらちゃんと話す」


 シオンの後ろについていた彼は震える口を開く。


「絶対だぞ、今度は嘘つくんじゃねえぞ!」


 俺はできる限りふたりを安心させようと、頬をつり上げる。

 上がらない。唇が若干横に広がったくらいだ。

 二人が必死でなにかを訴えかけている。靄がかかり始めた視界では、声がこもり、内容を判別できない。目が徐々に閉じていく。失われていく五感。

 目の前が真っ暗になった。

 









  




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