何のために 前編
「そのまま走り続けろ!」
吹き付ける風を背に、俺は敵に向かって引き金を引く。が、弾が中々当たらない。彼我の距離はあと百メートル以内ほどだろうか。俺たちの左斜め下についてきている。
「ジョシュア、エトムントに思い切りブレーキを踏むよう言ってくれ!」
彼の顔が強張る。
「正気か! 化け物の懐に飛び込むのか!」
「頼む!」
数秒後、エトムントがブレーキを思い切り踏み込んだ。殺しきれない勢いでみな身体が前に持っていかれる。衝撃に耐え、俺は右腕の対物ライフルを構えた。いきなりの行動の真意を理解できないのか、敵の運転手は唖然とした表情でこちらを見ていた。急速に距離が縮まる。二両が再びすれ違う瞬間、対物ライフルをもう一度振りぬく。男の対応が一瞬遅れた。空を切り裂く銃剣が、空気もろとも男の右前腕を吹き飛ばす。男はうめき声を上げながら屋根に座り込んだ。遠ざかっていく車両。エトムントはもう一度エンジンをかけ、車を前へ走らせた。
「大したもんだな!」
宙を舞って地面へと落ちた男の右前腕を見ながら、クリストフが言った。
「だが、国家機密がこうも派手に暴れたら、もう機密の意味がないんじゃねえか?」
「トリアノン市ではさっきのような奴がいくらでも戦ってる。もう隠し通せないだろう」
追いかけていく途中、敵車両にもっとも近かった味方の車一両が右に横転した。叫び声と車が、俺たちの側を通り過ぎていく。エトムントに頼み、速度を上げてもらう。隻腕となった男はなお左手の銃を振るい、戦い続けていた。国境検問所まであと少しだ。
「おい!」
声を張り上げると、男は振り向いた。圧倒的不利な状況だと言うのに、まったく怯んでいない。車を敵の側まで近づける。右手の得物を突き出し心臓を穿とうとするも、男はギリギリのところで躱した。
「裏切り者め!」
ベレー帽を被った男は俺に罵声を浴びせた。同時に左腕の銃剣付きのアサルトライフルを振るう。俺は弾き返し、
「国を裏切ったのはお前たちだ」
「お前は未来が見えていない。ガリムの連中と手を組んだようだが、それも一時の夢に過ぎない。時期が来れば、再び敵対関係に逆戻りだ」
「かもな」
俺は対物ライフルを背中にしまい、座席を蹴って敵のいる屋根に飛び乗った。ふたつの身体が打ち付けられる。
「わかっているなら、なぜ……!」
「だが、うまくいくかもしれない」
「そんな分の悪い賭けに乗るというのか、お前は」
男は銃を投げ捨てたかと思うと殴りかかって来た。身体を回転させて避け、胴体に正拳突きを食らわせる。
「いままで俺は賭けに乗って、実力と運で勝ち続けてきた。だからここにいる。お前だってそのはずだ」
男はたじろいだ。
車が二列にきれいに並ぶ。
「夢を見ることを望み、泡沫の理想にすがるか――」
「時代に合わせられない者は片っ端から消えていくんだ」
俺は男の首をつかみ、そのまま上に投げつけた。筋肉質の体が宙を舞う。鈍い音がしたかと思うと、検閲所とともに一瞬で後方へと消えていく。時速百キロほどでコンクリートの塊に激突すれば、間違いなく即死だろう。
「街の西にある赤い屋根の建物を目指せ! そこに司令官のアルバーン中将がいる。合流し、指揮を仰ごう」
「了解した!」
「俺たちはこのまま直進して広場を抜ける!」
声を訊いたクリストフが無線を近づけ、仲間に伝達する。
俺は対物ライフルを取り出した。運転席に向かって引き金を引く。一発の銃弾が屋根に穴をつくると、すぐに車は制御を失いふらつき始めた。検閲所の門を通り抜け、距離を取ろうとするジョシュアたちの車に飛び乗る。敵の車は横滑りしながら一回転した。助手席にいる奴は、運が良ければ生きているかもしれない。
車が速度を上げる。ガリムへ通ずるトリアノン市の北門を抜け、中央広場へと向かう。ほかの車両はそれぞれの経路を辿り、集合地点を目指していく。
「中央広場を抜けたら、最初の交差点を右折してくれ――」
前を見た俺は言葉を切った。長い髪を風になびかせた女が広場の中央に立っている。
ミレイユだ。彼女の右手に握られているのは、対戦車を想定して開発された大型の個人携行砲。片手で担ぎ上げたかと思うと、大きな発射口と目が合った。
エトムントがハンドルを右に切るが遅かった。車の前に砲弾が着弾し、石畳が砕けたかと思うと、四方八方へと散っていく。衝撃で車が前のめりになり、そのまま勢いよく前転する。視界が反転し、身を投げ出された。固い石畳の上を何回も転がり、近くの建物の壁にぶつかることでようやく止まった。うつぶせの状態で、怪我をしていないか身体をまさぐる。頭と足から多少出血しているが、骨折はしていないようだ。だが、ショットガン二丁がない。吹き飛ばされたときに落としたか。
周囲からは銃声が絶えず訊こえてくる。
衝撃でかすんだ視界を晴らすため、目をこする。広場の中央を見ると車はひっくり返っていた。側にはエトムントがうつ伏せ倒れている。出血していた。ジョシュアはすぐ側で天を仰いでいる。意識が飛んでいるのか、胸が動いていない。
「ロイ」
呼ばれて足元を見る。クリストフが頭から血を流しながらこちらを見ていた。
「無事か」
「頭を切ったらしい。出血は気にならねえが、右脚が折れたみてえだ。まったく動かねえ」
クリストフは右脚を引きずりながら這って近づいてくる。一発の銃声が鳴り響いたかと思うと、彼は苦悶の表情を浮かべた。彼の左肩から血が溢れている。
「よくもまあぬけぬけと戻って来たわね」
ミレイユが左手の拳銃をクリストフに向けたまま歩いてきた。反撃すべく背中の対物ライフルを手に取ろうとするが、即座に右手の銃を向けられる。
「契約不履行は信頼を落とすわよ、クリストフ」
「エルキュールの側にいたお嬢さんか。まさか、お前も一員だったとはな」
「大将は逮捕され、アードラの連中はみな投降した。もうお前たちに勝ち目はないぞ」
俺は言った。
「いいえ、勝ちよ」
「なぜ」
「“この状況が物語っているわ”。わかる? イーリスに住む国民は、誰もが政府を支持しているわけではないってこと。反政府勢力が残らず死んだとしても、今日までの事実と、私たちの意志は生き続ける。あなただって、前に認めたでしょう?」
デイビッドの家での会話が脳内に引き出される。
「戦いを求めるというのも道のひとつだろう。俺は数ある道の中から平和を選んだ。それだけの差だ」
「つくづく仲間にできなかったことが悔やまれるわ。あなたはどちらに転んでもおかしくなかった。いえ、本心では――」
「もしもの話なんてしても仕方がない」
「……そうね」
「現実を見ろ。例えば、すぐ後ろとかな――」
視界の片隅で、ジョシュアは拳銃を握っていた。俺が言い終わるよりも早く銃声が鳴り響く。ミレイユは寸前のところで反応し、振り向きざまに右手の銃剣で防いだ。続けざまに彼女はジョシュアに向けて引き金を引く。弾丸は彼の手を貫いた。満身創痍になりながらの悪あがき。だが、それで十分だ。
俺はうつぶせのまま背中の対物ライフルを両手に持ち、足で立ち上がると、ミレイユに向けて薙いだ。コートごと脇腹を引き裂くが、浅い。出血もわずかだ。ミレイユはそのまま後方に跳躍し、距離を取った。そのまま銃口を上げるが、その矛先はクリストフに向けられていた。俺はすぐさま走り、放たれた二発の弾丸を銃剣で弾く。大将に不利な“証拠”を消そうとしているのは明らかだった。
「律儀な奴だ。さすがにガリム兵は殺さないか」
「ガリムと戦うのはまださきの話。これは私たちの問題だから」
俺はミレイユを睨んだまま、
「クリストフ! 悪いがどうにかして司令部にたどり着いてくれ。あたりにいるイーリス兵に、俺の名前を出せば連れて行ってくれるはずだ。俺はこいつの相手で忙しい」
「無茶言ってくれる! ……だが、ありがとよ。借りは必ず返す」
ジョシュアが無傷の左手でエトムントを引きずっていくのを確認し、俺はミレイユと向き合った。
◆◆
すでに日は傾き始めていた。あまねく辺りを照らすオレンジ色の光が眩しい。眼前にいる敵にいつでも対応できるよう、俺は左右の手にある得物を固く握りしめた。
「投降する気はないのか」
「愚問。勝つか、死ぬかの二択よ。あなたを殺すか、あなたに殺されるか」
ミレイユは右手の拳銃の引き金を引いた。斜め上へと飛んでいく薬莢が夕陽を反射して煌く。顔を右にずらして弾を回避すると、俺は前に走り出し、彼女に向けて左手の対物ライフルを突き出した。ミレイユは身体を翻して避ける。銃剣はコートだけを貫き、引き裂いた。追撃を行おうと右手の得物を構えた瞬間、舞うコートから銃口が顔を覗かせる。奥で時を待つ五十口径の鉛弾。とっさに頭の向きを変えるが、音とともに発射された弾は俺の左耳の下半分を吹き飛ばした。わずかな痛み。感覚の喪失。距離を取って左耳を触ると、左手には血がべっとりとついていた。
銃声はいまだ左右から訊こえる。左耳はまだ生きているようだ。
右脚で地面を蹴ってミレイユのもとへ突っ込む。放たれる銃弾を避けて腰を落とし、回し蹴りを躱す。彼女の腹部目掛けて放った左手の得物による突きは、戦闘服を貫き、白い肌を穿った。沈み込んだ刃を引き抜くと同時に、鮮血が尾を引いて地面へと垂れる。ミレイユの顔は憎悪に染まっていた。口は固く結ばれ、腹部を刺されても怯むような素振りはいっさい見せず、そのまま右手の銃をこちらに向ける。
今度は避けない。
俺は右手に持っていた対物ライフルを地面に落とし、同時にホルスターから拳銃を抜く。親指で撃鉄を起こし、ミレイユの右腕と交差させるように左腕を彼女の肩に突き出した。連続して響く銃声。一瞬早く撃ったのはミレイユだった。俺の肩にひと際大きい痛みが走る。左肩の筋肉と骨が露出するほど大きく抉れていた。弾が骨や筋肉もろとも砕いて貫通したのだろう。体内に残るような弾道なら肩ごと吹き飛ばされていたかもしれない。それでも、まだ動く。感覚を確かめるように、リボルバーのグリップを握りしめた。
リボルバーの銃撃を受けたミレイユの右の脇腹は、弾が貫通していた。<五つ子>のデイビッドから移植した部位は四肢のはずだ。胴体は中身だけをくり抜いて変えたか、あるいは薬物かなにかで補強しているのかもしれない。口紅が塗られた口からは一筋の血が流れていたが、攻撃の勢いは衰えていなかった。
ミレイユの蹴りを受け、後ろに下がる。彼女はコートを脱いだ。灰色の戦闘服が露になる。銃創と裂傷からは血が流れ、一部を赤く染め上げている。
ここで奴を逃がすつもりはない。たとえ刺し違えでも止めてみせる。
ミレイユを見た。息を荒げている彼女もまた、俺を見る。休む暇などない。彼女も俺と同じことを考えているのだろう。膠着状態となった俺たちをはやし立てる見物客のように、銃声は相変わらず街中に響いていた。




