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春過ぎて  作者: 菊郎
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平和の紡ぎ手 後編



 俺は左手に握られていた拳銃を取り上げ、つかんでいた胸倉から手を離した。この男は俺たちのことを知っている。なにより、イーリスの言葉で話していた。少なくともガリム軍ではない。


「知ってるのか?」


「忘れるはずないだろうが」


 男は戦闘服の袖を肘までまくると、手首を裏返した。そこには鷲の入れ墨が彫られていた。


「風来坊か……!」


「そんな名前で呼んでんのか、うちのことを。まあ、言い得て妙だがな」


 革命戦争でガリム側に立って戦い、挙句の果てに多大な損失を出してどこかへ消えた傭兵集団、通称風来坊。エルキュール大将は、ガリム軍ではなく風来坊と手を組んでいたのだ。


「クリストフ・アンゾルゲ。アードラのリーダーだ。風来坊ってだせえ名前はもうやめてくれよな。まあ、知るにはもう手遅れかもしれねえが」


 アードラーというのが集団の名前らしい。クリストフは大きくため息をついた。


「手遅れとはどういうことだ」


「依頼内容と全然違う状況に陥ってんだ。本当ならもうこの要塞への攻撃は終わり、俺たちはさっさと脱出している頃合いだった。だが、イーリスの反政府勢力の攻撃は止まず、ガリム軍は外で臨戦態勢。参ったぜ。このままじゃ全滅だ」


 要塞の正面から大きな音が響いた。屋内がわずかに揺れる。砲弾が当たったのだろうか。隊長、という声とともに、数人の敵が近寄って来た。ジョシュアたちが銃を向け、武器を床に捨てるよう促している。

 その光景を見たクリストフは、


「お前ら、武器をしまえ! それと、要塞内にいる仲間に撤収準備に入るよう伝えろ。もうここにいる必要はねえ」


 クリストフは俺を見ると、


ロイ少佐(・・・・)、代わりに、あんたの仲間にも、うちに手出ししないよう言ってくれ。それで手打ちにしようじゃねえか」


「……ジョシュア、頼めるか?」


 ジョシュアは少しばかり考えるようなしぐさをした後、仕方がないと言わんばかりの表情でうなづくと、無線で話し始めた。


「俺たちはビジネスマンだ。約束は守る。だから、契約に関する内容は言えねえな」


「残念だが、クライアントであるエルキュール大将は捕まった。もう義務を全うする必要はない」


 クリストフは黙った。


「両国がいまさら戦争を起こすメリットなんてない。昨今の情勢を見ればなおさらだ。大将のことだから、もしかしてとも思ったが……。一連の騒ぎが落ち着けば、いずれ軍法会議が開かれる。そこで大将が証言するか、お前たちの関与を示す証拠が提出されれば、全員極刑は免れないぞ」


 ずいぶんと盛大なハッタリをかましてくれたものだ。優秀な指揮官だった大将ならではの大嘘だったというわけか。

 クリストフは相変わらず黙り続けていた。損得で考えるなら、今後のことを考え、情状酌量の余地を狙うはずだ。


「……ガリム軍にも伝手があるから、脱出の件は問題ないと、奴は言った」


「だが、そんなものはなかったと」


「今回の案件(ヤマ)がどれほど危険かは、俺たちだって百も承知だった。だが、最近は仕事も減っちまって商売あがったりだ。報酬は十分過ぎるほどだったし、情勢が緊迫すれば後の仕事も増える……眼前の利益に、すっかり目が眩んだようだ」


 クリストフは目を細める。目尻の皺がより強く浮き上がった。


「お前たちはエルキュール大将のクーデター関与を裏付けるための重要な証人となる。生きてイーリスまで来てもらうぞ。代わりに、裁判で俺が法廷に立った際は少しくらい擁護してやる」


「<五つ子>にしょっ引かれるなら本望さ。十年前のお前たちの活躍はこの目でしっかり見させてもらってた。ミディレルの戦いは見事だった。さっきのめちゃくちゃな突入を見る限り、衰えてはいないみたいだな」


 そう言ってクリストフは両手を前に突き出した。俺は拘束用のロープをバックパックから取り出し、彼の手首に巻き付けていく。作業を終える前に、ジョシュアに声をかけられた。


「やっぱり<五つ子>なのか」



◆◆



 拘束したクリストフのベルトを背後からつかみ上げ、ジョシュアの方を向く。彼は憎しみに満ちた顔で俺を睨みつけていた。


「ミディレルの戦いで、あんた俺たちの基地に突っ込んできただろう? ふたりのうちの片割れじゃないのか」


「そうだ」


 ジョシュアの目つきがいっそう鋭さを増す。


「なら、デニス隊長を殺した奴を知っているはずだ。金髪で、重機関銃を片手で振り回していた化け物だ」


 ようやく思い出した。ミディレルの戦いで先行したラインハルトを追いかけ、その先にいた、あの通訳の男だ。あのとき彼の死体だけがなかったが、そうか、生き残っていたのか。


「デニス隊長とは?」


「俺の通訳を交えてお前の仲間と話していた、ガリム兵だよ」


 ラインハルトに銃を向け、あっけなく殺された男だ。ジョシュアは彼の返り血を浴びていた。


「……ラインハルト。デニス隊長を殺したのは、ラインハルトという男だ」


 ジョシュアは俺の側まで近寄って来ると、


「イーリス領内まで戻ったら、そいつにすぐ合わせろ」


「それはできない」


「どうして!」


「もう死んだ」


 ジョシュアが呆気にとられたような顔になる。何回かまばたきをした後、ようやく口を開いた。


「死んだ……病気か?」


「“戦死”だ。彼だけじゃない。ルイーゼ、ヴィンセント、デイビッド、俺以外の<五つ子>はみんなもうこの世にいない。俺がみんな殺したんだ」


 こうして口にすると、その重さを改めて実感した。全身の毛穴から汗が噴き出しているかのような感覚にとらわれる。心臓の鼓動が自然と早くなっていく。

 デイビッドは厳密には違う。だが、元を辿れば原因は俺にある。間接的とは言え、彼だって俺に殺されたようなものだ。

 暗く沈んだ表情を察したのか、あれほど殺気立っていたジョシュアの顔は、元に戻っていた。かける言葉が見当たらないのだろう。視線を下に落としたまま黙りこくった。



◆◆

 


 要塞への攻撃が激しくなる中、俺たちは要塞の外へと向かう。侵入口まで戻ると、ガリム兵が増えていた。とは言っても、四つの小隊にガリム兵の戦闘服を着たアードラの連中が混ざっているせいなのだが。彼らははっきりと二手に分かれて睨み合っていた。すぐ側には、負傷兵が横たわり、駆けつけた衛生兵の治療を受けている。

 ジョシュアからの連絡を受けた大統領は、ウェントと話し合うらしい。全員、武器を手に厳戒態勢を続けていた。首筋に垂れた汗を、ときおり吹く風が冷ましていく。銃声や砲声は相変わらず続いていた。

 ジョシュアが無線機に顔を近づける。どうやら国のトップ同士の答えは決まったようだ。少しのあいだ話し続けた後、無線機を腰のバックパックにしまい込んだ。


「やっと終わったか」


 背後に立っていたクリストフが言った。ジョシュアが近づき、俺に耳打ちした。


「アードラの連中の処遇はイーリスに任せる。代わりに、イーリスはロンバイル要塞が受けた被害総額の全額提供、加えて石油取引価格を二年のあいだ三割減額することになった」


 石油は戦略物資だ。処理を施せば、日用品から兵器の製造、さらに燃料にもなる。エルキュール大将のクーデターがガリムにまで波及していることを考えれば、追及を回避し穏便に済ませられるいい結果なのかもしれない。

 俺はうなづき、クリストフを見た。


「クリストフ。これからアードラの連中全員を連れてイーリスへと向かう。道中で反政府勢力からの攻撃が予想される。その場合は応戦してもらうぞ」


「契約、と言ったたあとで殺されそうだしな。ここはサービスということにしておいてやる」


 気がつけば、要塞への攻撃が止んでいた。さきほどまでの喧噪は嘘のように静まり返り、逆に不気味なくらいだ。トリアノン市から訊こえるわずかな銃声だけが辺りに響いていた。

 軍用車を八台拝借し、さきほどの運転手とジョシュア、クリストフを連れて俺は車に乗り込む。背後にアードラの戦闘員が乗った軍用車七台が続いていることを確認し、ジョシュアは出してくれ、と運転手に言った。運転手の男・エトムントは、最初こそ嫌々だったが、ジョシュアの話では、要塞突入前の俺の言葉に共感してくれたようで、態度をだいぶ軟化させていた。

 ――ありがとう

 エンジンをかける前につぶやいた慣れないイーリス語での礼。少し笑いそうなくらい発音は下手くそだったが、その言葉に、俺は両国が手を取り合う未来の可能性を感じていた。

 勇ましいエンジン音が鳴り響き、車が走り出す。後続の七両も続く。門を抜けて、ロンバイル平原へ。あちこちに砲弾のクレーターができていたが、それでも広がる緑はきれいだった。

 感傷的になる暇もなく、一発の銃弾が俺たちの車の側を通り抜ける。前方数百メートルさきに見えたのは、イーリス製の軍用車二両。並列で走っている。そのうち右の車両の屋根には男が乗っていた。彼の右腕には一丁の銃、そのさきに光る銃剣。


「クリストフ。ロープを切るから、無線で左の車両を攻撃しろと後続の味方に伝えてくれ」


 コンバットナイフを取り出し、彼の両手を縛っているロープを切っていく。


「いいのかよ」


「背に腹は代えられない」


 ロープを切り終えてナイフを鞘にしまった後、俺は対物ライフル二丁を抜いた。座席から立ち上がり、目にかかる風に耐えながら、屋根に乗っている敵に向かって発砲する。

 排莢口から吐き出される四発の五十口径。一発は車の左のヘッドライドを砕き、ニ発は男によって弾かれた。あと四百メートルもない。

 エトムントがハンドルを左に切った。すれ違うつもりらしい。俺は銃を撃ち続け、屋根に乗る男をけん制した。ほどなくして、背後から断続的に銃声が訊こえてきた。アードラの連中の援護射撃だ。走行中にも拘わらず、射撃は正確だった。左の車両のフロントに何発かの銃痕ができたかと思うと、直後に敵の運転手の頭から血が噴き出た。力なくハンドルに上体を預ける運転手。車はそのままバランスを崩し、緑の大地を転がっていく。

 アードラの車両はみな背後からついてきてはいたが、一列ではなく、俺を中心に三角形を描くように位置を調節していた。ほどなくして、敵の残存車両が俺たちの車とすれ違う。胴体を真っ二つにするべく、振りかぶった右手の対物ライフルを敵に向かって薙いだが、反応した敵が銃剣で防いだ。迸る火花を残し、敵は遥か後ろに取り残されていく。


「あいつ何なんだよ! <五つ子>はお前以外いないんじゃないのか!」


 アサルトライフルの弾倉を交換しながらジョシュアが叫んだ。


「あいつらは俺のコピーだ。<五つ子>を作り出すための計画に使われた技術の流用だろうな」


 振り向くと、敵の車は反転して追って来た。照準を絞らせまいと、左右に変則的に動いている。アードラの連中が迎撃するが、状況が悪かった。屋根の上の男は自分に振りかかる弾だけを器用に弾いている。少しずつではあるが、確実にこちらとの距離を縮めてきていた。












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