鷹を胸に
「ずいぶんと急なのね」
リックと話し合った日の翌朝。朝食の席で、俺はシオンとレアールのふたりに“出張”に行くことになったということを伝えた。これまでも急な仕事はあったので疑問に思われることはなかった。
「編集長から頼まれてね。悪いが、レアールのことは頼んだ。どれくらい留守にするかわからないから、リックにはうちに定期的に顔を出してくれるように言ってある。あいつがいれば、それなりには安全だろう」
「彼が来るならにぎやかになりそう」
「家族連れで来ることもあるかもな。そしたらパーティーでもやってくれるだろう」
「クルス州って、デモが激化してるところじゃん……。大丈夫なのかよ?」
「俺が元軍人だったってのは知ってるだろ? 自衛の手段くらい心得てるから心配ない。それに、そんな危険なところだからこそ、ジャーナリストという存在が必要になる。誰かが、この世に蔓延っている過酷な現実を伝えないといけないんだ」
レアールの不安を払拭するため、俺はそれらしい言い訳を口にした。この瞬間ほど、自分が記者であることに感謝したことはない。我ながら中々饒舌だ。
「それじゃあ、そろそろ行くよ。仕事仲間と待ち合わせしてるんだ」
俺は席を立ち、トレンチコートを羽織りつつ鞄を取る。
「……あなたなら心配ないと思うけど、気を付けてね」
「ああ」
シオンと抱擁を交わす。これが、おそらく最後になるだろう。
「親父――」
「俺がいないからって、怠けた日々を送るんじゃないぞ。シオンは基本的に甘いが、怒ると怖いしな」
「……わかった。本当、気を付けろよな」
「おう」
「帰ってきたら、また格闘術の稽古つけてくれよな」
レアールと拳同士を突き交わす。願掛けみたいなものだ。その後、家を出てしばらく歩いていると、博士の使いを名乗る者が車に乗ってやってきた。彼の車に乗り込み、博士の待つ中央公園へと向かう。
どんどん離れていく我が家を、俺はサイドミラーを通してしばらく見つめていた。
◆◆
「……来たか」
昨晩リックと話したところに博士は立っていた。護衛を四人連れている。
「すまないが、ふたりだけで話がしたい」
そう言うと、護衛はその場を離れて周囲の警備に向かった。
「今日はよく晴れているな」
「ああ。加えてそよ風が気持ちいい」
博士の言う通り、今日は雲ひとつないほどの快晴ぶり。頭上に広がる群青色の空を見ていると吸い込まれそうになる。数え切れないくらいに見てきたカニアの街並みが、いつも以上に美しく思えた。
「昨日の提案に対する返事を訊こうか」
少しばかりの沈黙を経て、博士が口を開く。
「受けるさ。そもそも、あんな内容の提案をされて断れるわけがないだろう?」
「……そうか。では、約束通りあのふたりに護衛を付ける。もちろん、本人たちには秘密でな」
いつもと変わらぬ、事務的な受け答えはじつに博士らしかった。
「武器は用意してくれるのか?」
駄目なら大問題だが。
「もちろんだ。今回の任務は非正規作戦。非公式とはいえ、イーリス軍上層部ならびにウェントの提案による、れっきとした軍事作戦だからな」
「“一般人”が軍事作戦に参加するのはまずいだろ?」
「その問題を踏まえ、今回特別にお前を軍に復帰させることとなった。階級は、退役したときと同じ少佐だ。当然、各地の軍の施設を利用できる。作戦遂行に役立ててくれ」
軍への復帰や作戦遂行のための支援は想定していたが、階級に関しては意外だった。少佐という名で呼ばれると、なんだかこそばゆい。
「ほら、バッジだ。身体のどこかに着けておけ。でないと現地の連中にしょっぴかれるぞ」
博士から鷹の彫刻が施されたバッジを受け取る。イーリス軍の正式なバッジだ。
「わかってると思うが、非正規作戦であるが故に、もしお前が敵に捕縛されても助けることはできない。仮に反政府勢力がお前の身柄や≪五つ子≫の情報公開をカードに交渉してこようとも、政府は要求を断固として突っぱね、関与の一切を否定する。交渉の席についてしまえば、そこで終わりだからな」
自分の立場を考えれば、そちらのほうが都合がいい。
「今回の作戦の詳細を教えてくれ」
ここからが本題だ。
「お前の標的は、ラーヴィ、ルヴィア、ヴィクス、デイヴだ。それぞれ自分の故郷に戻っているから、四つの州に向かうことになるな」
移動する時間を考えると、四人の住んでいる州がそれぞれつながっているのは救いだった。カニアから北西に40キロメートルほど向かうと、ラーヴィがいるクルス州がある。そこからまた北西へ向かえば、ルヴィアのいるカスラ州、ヴィクスのいるフスレ州、デイヴのいるラスペン州に行ける。だが、カスラ州とヴィクス州のあいだには険しい山脈が連なっており、ヴィクス州に行くには一度南へ大回りしなくてはならない。
「けっこうな騒ぎになってるみたいだが、今回の動乱による世論への影響は?」
「いまのところは、治安の不安定さに対する懸念ぐらいで、とくに大きな変化はない。お前たちの存在は、あの戦場に赴いた者しか知らん。素性ともなればほんの一握り。テレビに映ったところで、<五つ子>だと判別できる人間は皆無に等しいだろう。まあ、だからと言って目立ちたがるのは論外だが」
とはいえ、情報は油断しているとすぐ漏れるもの。この状態が長続きするとは思えない。
「移動手段は?」
「車を用意してある。まだまだ発展途上だが、軍用の最新型だ。整備されていない道もかんたんに進めるだろう。そうそう、それぞれの州に入ったときと、標的を仕留めたときに、無線で連絡してくれ。ウェントと上層部に報告しなければならなくてな。連絡をよこす場所は、とくに指定はないが、できるだけ軍施設の使ってくれ」
「任務の期間は?」
「一ヵ月半。平和条約締結直前までがタイムリミットだ。」
「……四人を殺し終えたら、俺はどうすればいい?」
聞きたくないが、自分にとって一番重要な情報だ。
「カニアへ戻ってきてくれ。渡すものがある」
「渡すもの?」
四人を殺し終えた時点で自分には死しか待っていないというのに、プレゼントとは驚きだ。
「まだ内容は明かせん。が、悪いものではない」
「……そうか。作戦決行日は?」
相手は≪五つ子≫だ。各地の関係者施設を利用できるとはいえ、丸腰で現地に向かうのは避けたい。
「明日だ。今回の作戦はかなりの困難が予想されるので、早めに動いてほしいそうだ。出発の準備はほどほどにして、目的地へ着いてから装備を整えたほうがいい」
「同感だ。重装備を運びながらの長距離移動は堪えるからな」
「ほかに聞きたいことはあるか?」
「いや。後は必要に応じて無線で連絡するさ」
兵士が死ぬことが決まっている最悪の作戦が始まろうとしている。だが、自分が死ぬときのことをいちいち考えていては任務に集中できない。とりあえず、今のことに集中するべきだ。
俺は、眼下に広がるカニアの街を見下ろしながら、孤児院でともに育った彼らのことを思い浮かべる。
北方の寒い土地に建てられた施設で、すぐそばにある庭で元気よく遊び、よく笑い、よく喧嘩した友人たちを。後にイーリスの英雄として、ガリムにとっての悪魔に生まれ変わる者たちを。本当なら、今ごろ嫌でも毎日顔を合わせ、ともに作戦に従事しているはずだったが、現実には、もう十年も会っていない。
「ロイ・トルステン少佐。お前の英断は、イーリス繁栄の礎として、私たちが語り継いでいく」
「いきなり真面目なこと言われると調子狂うな」
「お前に、この国の未来を託す」
そう言い終えた瞬間、広場に一台の車が到着した。
「それと、彼女のこともな」
「彼女?」
車から出てきたのは、碧色の瞳をした、二十歳前後くらいの女性だった。金色の長い髪は後頭部にまとめられ、身体は細めだが体格はよく、服の上からでも鍛えられているのがわかる。イーリス軍の制服を着ているが、歩き方などの動きにいちいち気品がある。明らかにまとう空気が軍人のそれではない。
「ひとつ伝え忘れていることがあってな」
わざとらしい口調で博士が話す。
「お前の任務を補助する者を付ける。男のひとり旅は退屈だろう?」
彼女は俺と博士の前まで来ると、まず博士に会釈をし、つぎに俺のほうを向く。
「セレーナ・アデライードと申します。このたび、あなたの作戦に同行させていただくこととなりました。革命戦争の英雄とともに戦えること、とても誇りに思います」