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春過ぎて  作者: 菊郎
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平和の紡ぎ手 前編



「敵前逃亡したお前たちを味方が撃ち殺そうとしたんじゃないのか」

 

 俺はいまにも銃を撃ちそうな味方を右手で制した。


「そんなわけない。ロンバイル要塞には、いまじゃ戦闘部隊はあまり配備されていないんだ。あれだけの反撃は到底できない」


 銃声や砲撃音が激しくなるのを耳で感じつつ、


「じゃあ誰がいるんだ?」


「わからない」


「だが、要塞にいるのはガリム軍の制服を着た戦闘員なんだろう」


「だから、こっちの政府も大慌てだ。平和条約締結を控えているのにイーリスを攻撃する理由がない。タカ派の連中は、このまま本格的な開戦に踏み切るべきだと叫ぶ始末さ。そこで、イーリス軍と協力し、ロンバイル要塞の所属不明勢力を掃討するという案が政府から上がったんだ」

 

 俺は心の中で舌打ちした。身勝手な考えかもしれないが、ガリム側が恫喝したせいで今回の作戦は始まったのだ。その連中の指示で手を取り合うのは気が進まない。

 側に置かれていた無線機が鳴った。近くにいた味方が受話器を手に取り、何かを訊いている。彼は訊き終えると俺の方を向き、


「少佐。ウェント首相が、ガリムのハインツ大統領の共同作戦案を承諾したようです」


ふたりのガリム兵は、安堵したようにゆっくりと息を吐いた。



◆◆



 まさか今一度国境を越えることになるとは思わなかった。ロンバイル要塞へ安全に近づくため、あまり多くの兵員は割けない。反政府勢力との戦闘もある。ウェントからの指示で、イーリス側の救援は<五つ子>()ひとりとなった。<五つ子>の威力を示すのか、ガリム上層部に向けた皮肉なのか、はたまた俺の想像も及ばない外交的な意味合いがあるのか。


『お久しぶりです。首相』


 再び戦闘が始まったトリアノン市を背に、ガリム軍の軍用車に乗り込む。五分も経たずして、国境検問所が数百メートルさきまで迫った。後部座席に座っていた俺は横の無線機から受話器を取り、話しかけた。


『変にかしこまらないでくれ。以前の通りでいい』


『……ラスト・コート作戦、元大将にいいように利用されたな。おかげで、兄妹殺しの旅がこれ以上ないほどに最悪なものになった』


 受話器を持って話す俺の口調に自然と力が入っていた。助手席に座っている通訳の男――車に乗り込む前にジョシュアと名乗った――がときおりこちらを心配そうに見ている。この男の声はどこかで訊き覚えがあったが、いまは思い出探りをしている場合ではない。


『作戦の不祥事があった上、お前をまだ駒として利用しようとする私を憎んでくれて構わない』


『憎んじゃいない。お前はこの国のトップなんだ。感情論で動く方が問題だろう』


 エルキュール大将の自宅に軟禁されていると知ったとき、一目でもいいから会っておくべきだっただろうか。いや、きっと会えば彼を殴っていた。

 怒りはあれど、憎しみはない。その命令に私情など挟まっていないことは明らかだったからだ。


『お前が納得できるよう、理由を話しておく。共同作戦案に乗ったのは、ガリムに恩を売るためだ。ロンバイル要塞のガリム軍(・・・)がこちらに攻撃していることは、私たちにとって大きな交渉材料となる。ハインツ大統領もそれをわかった上で、イーリス軍との共同作戦を取り、後々国内から出てくるであろう責任追及を少しでも軽くするつもりだろうな』


 国境検問所の門をくぐる。車は左に大きく遠回りし、地形が障害物代わりになるよう走っているようだ。


『だが、あそこにいるのが本当にガリム軍なのかは、私も疑っている。エルディー大佐たちがエルキュール元大将の自宅をくまなく探っているから、何か判明すればその無線に連絡する』


『わかった。<五つ子>のコピーについては何かわかったか?』


 受話器を手に取りつつ、コンクリートの塊であるロンバイル要塞を見上げる。左右四キロに渡って造られた巨大な砦と、中央に鎮座している長方形の建造物。まだ一キロほど離れているだろうが、それでもかなりの大きさだ。当時を思えば、よく攻略できたものだ。


『ルーカスが使っていたカニアの人身売買ルートは、いくつかの業者を通して、最終的にエルキュール元大将に辿りつくようになっていた。だが、肝心の本人のルーカス本人の関与は見られなかった』


 ――無差別……? ふざけるな。無関係の人間を巻き込むほど私は落ちぶれていない

 ルーカスは俺にそう言った。警察の新年度職員配属計画に関する書類が見つかったのは、彼に人身売買を円滑に進めさせることで、大将が裏で被検体を調達しやすくするためだろう。


『了解。続報を待つ』


 受話器を置き、再び要塞を見る。反政府勢力による反撃は激しさを増す一方だった。要塞の中央、長方形の建造物の壁のところどころには砲弾の大きな穴があき、黒く焼け焦げた箇所が多い。注意が反政府勢力に引かれているのか、こちらへの攻撃はなかった。


「首相との話は終わったのか?」


 ジョシュアが言った。


「ああ。少し前から厄介ごとに振り回されっぱなしだ」


「イーリスの国内情勢は知ってる。いろいろ大変みたいだな――」


 ジョシュアが言い終わるの待たずして、車の側を銃弾が通過した。運転手が何か叫んでいる。


「なんて言ったんだ?」


「ここから先は揺れる。しゃべってると舌を噛むぞ。だそうだ」


 それっきり、俺もジョシュアも口をつぐんだ。取り出した拳銃のシリンダーに六発の弾が装填されていることを確認し、ホルスターにしまう。地形のおかげなのか、銃弾が近くに当たったのはさきほどの一撃だけで、もうロンバイル要塞の砦が目の前まで迫っていた。灰色の壁の途中に四角い穴が空いている。


「もうすぐだ!」


 猛烈な風を全身に感じながら、ロンバイル要塞内部へと入った。中は軍隊の演習場かと思えるほど広く、固定式銃座や装甲車が点在している。十年前の面影はほとんどなかった。イーリスの攻略を受け、大規模な改装を施したのは想像に難くない。

 なにより気になったのは、()だった。

 出迎えたのは十数人のガリム兵たちだった。漆黒の戦闘服に身を包んでいる姿が、太陽が煌々と照り付けるている今は浮いて見える。銃こそ構えていないが、誰も俺を歓迎していないように思えた。考えが表情に出過ぎている。俺たちは車から降り、彼らに元へ歩いていく。


「少佐。時間がないが、あなたのことを彼らに簡単に紹介する。名前と階級だけでいいか?」


 きれいに隊列を組んでいる部隊の前に立つと、


「それと、これからいうことを少しずつ訳してほしい」


 いつでもいい、とジョシュアが言った。


「十年前、私たちの国は戦火を交えた。私や仲間たちは戦場に立ち、君たちの仲間を大勢殺した。そして、君たちは私たちの多くの仲間を殺した。私は君たち(ガリム)が憎いし、それは君たちも同じことだろう。しかし、それでは前に進めない。この機会が、両国の新たな関係への第一歩となることを切に願う」


 仲間の死に行く顔を思い出しながら、俺は湧き上がる感情を必死で抑え込んだ。

 ジョシュアが少しずつ文章を訳していく。言葉が伝わるにつれて、ガリム兵たちの顔の表情は多彩に変化した。笑顔を向ける者もいれば、睨む者、泣きそうな者もいる。


「これで十分か?」


 ジョシュアが問いかけた。


「ああ」


 すると、彼は俺にワッペンを手渡した。裏にはピンがつけてある。


「仲間を区別するための証だ。胸につけてくれ」



◆◆



 近くにあった扉を開けると、中は意外なほどに静かだった。要塞の本体と言える建造物は長方形をしている。幾重にも連なる階層が銃や砲の音を遮断しているのだろう。

 四つの小隊に分かれ、散開していく。俺はジョシュアと運転手の男と同じチームだ。事前にハンドサインを確認したが、イーリスとさほど変わらなかった。おかげで、こうして先頭を任されている。


「これを」


 一階の廊下を歩いていると、ジョシュアが背後から何かを差し出してきた。


「無線機だ」


「携帯型か」


 驚く反面、若干の緊張感が走った。度重なる軍拡の成果なのか、ガリムはイーリスの技術を確実に上回ってきている。

 渡された無線機は、手の平に収まるほどだった。長方形の黒い物体にはいくつものボタンが配置され、現在の周波数がモニターに表示されている。本体の左からは、アンテナが垂直に伸びていた。


「いいのか?」


「念のためだ」


 そういうと、俺たちは再び黙り込む。奥へと続く廊下は丁字になっていた。俺はショットガンを一丁だけ持ち、左を確認した後、慎重に右へ曲がる。薄暗い中には、ときおり銃声や砲声がくぐもっている。奥に上へと続く階段を見つけ、銃口を水平に構えたまま進む。ここに来る際に攻撃されたのだから、侵入がバレているのは間違いない――

 階段の踊り場からガリム兵(・・・)が姿を現した。

 ワッペンはつけていない。

 相手がアサルトライフルを持ち上げるよりも早く、俺は接近した。敵の武器を持ち上げ、空いた脇腹に拳を叩きこむ。低いうめき声を上げながら、男は引き金を引いて天井を数発撃った後、うつ伏せに倒れた。

 直後、いくつもの足音が訊こえてくる。


「来るぞ! 戦闘準備!」


 ショットガンを構えつつ二階へと向かう。一直線に廊下が伸び、すぐ左は大きな空間が空いている。右にはいくつかの入口が設けられていて、敵が数人こちらに向かってきていた。すかさず引き金を引き、散弾を放つ。数メートルさきを走っていたふたりは地に伏した。

 左からもう一丁のショットガンを取り出す。味方が散開し、部屋から出てきた敵と撃ち合う。

 ジョシュアが無線に向かって慌ただしく叫んだ。「一番隊、交戦開始」という旨を伝えたらしい。

 敵の練度は非常に高かった。動きは軍隊さながらで、明らかに訓練されている。物陰に隠れながら確実に敵の数を減らしていく。六人いた味方のうちひとりが脚に被弾し、ふたりの兵士に連れられて空いている部屋に入っていった。階段を注意深く上りながら、三階を目指す。登り切ると奥に人影が見えた。

 銃口を向けると、彼らの胸にはワッペンがついているのが見えた。味方だ。先頭に立っていた男も一瞬顔が険しくなったが、すぐに安堵の表情に変わる。どうやらさきにここをたどり着いたらしい。

 ジョシュアが無線で連絡を取り、俺たちは四階へ向かう。


「四階が最上階だ。作戦指揮を取るための司令室がある」


 階段を上がり切る直前、前を見ると、広い空間が飛び込んできた。要塞の前方に当たる西側へ向かう大きめの入口が見える。銃声が相変わらず鳴り響いているが、距離は一向に変わらない。どうやら四階の敵にはまだ気づかれていないようだ。前方の奥には両開きのドアがあり、二名の歩哨がアサルトライフルを手に突っ立っている。


「奴らの司令官がいるとするならあそこだ」


「ここは俺に任せてくれ。一瞬で片を付ける」


 俺の提案に、ジョシュアはうなづいた。少しの間があって、背後のふたりもうなづく。ショットガンを左右のクリップにはめ込み、代わりに対物ライフルを背中から抜く。

 階段を上り切り、俺は正面から突っ込んだ。敵の顔が強張ったかと思うと、アサルトライフルをこちらに向け、引き金を引く。初弾を躱しながら左右の得物でふたりの敵の胴体を撃ち抜く。血しぶきを上げながら崩れゆく姿を尻目に、そのままドアへと突っ込み、交差させた対物ライフルを振りぬいた。X状に切り裂かれたドアの一部を蹴っ飛ばす。開かれた視界のさきには男が座っていた。いままさに拳銃を抜き、こちらに向けようとしている。俺は勢いを殺さずに接近し、男に体当たりをかました。俺も男もろとも壁へと叩きつけられたが、つかんだ胸倉は決して放していない。


「無事か!」


 少し遅れてジョシュアたちが入ってくる。俺は彼らの方を向き、


「問題ない! それよりここから外を警戒していてくれ。これからこいつに尋問する」


「その……銃は……」


 黒い短髪、ガリム兵の軍服に身を包んだ男は、息を切らしながら話した。口や目元にはかすかな皺が浮き出ている。おそらく四十か五十代ほどだろう。


「お前……<五つ子>か……」









  















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