昔のように
青く広がる空の下、トリアノン市から変わらず鳴り続ける銃声と砲撃音を訊きながら、俺たちは再び睨みあう。
街中で戦うには武器の相性が悪い。ナイジェルの得物はナイフだ。家や通路が入り組むところではこちらが不利になる。この場で決着をつけなければ。
黒いジャケットをなびかせながらナイジェルが突っ込んでくる。右手の対物ライフルを撃ったが、彼は左に避ける。ダンスのように一回転したナイジェルが投げつけたナイフを、得物を振り切って弾く。直後、ナイジェルは目前にまで迫っていた。彼は残った左手のナイフで俺の喉を切り裂こうと、振りかぶった左腕を切り振りぬいた。
寸前のところで上体を逸らしたおかげか、空を裂く鋭利な切っ先は、喉仏のほんの先端だけを切る程度だった。それでも、患部はわずかな熱を帯びている。俺は左足を軸に姿勢を落とすと、右足でナイジェルの足の付け根を蹴り飛ばした。骨の軋む感触を感じながら、痛みに顔を歪ませる彼にすかさず右手の対物ライフルで殴りつける。左に吹き飛んだナイジェルは、残ったナイフを手放しながら、草原の上を派手に転んだ。
起き上がる隙を与えないため、俺は彼の元へ駆け出す。両手を地面に突いていまにも立とうとするナイジェルの右手目掛けて得物を振るう。手首を斬り落とされたナイジェルは痛烈なうめき声を上げた。そのまま右手で首をつかんで身体を持ち上げる。両手足を懸命に動かして抵抗するが、俺は力を緩めず、
「ロンバイル要塞にガリム軍部隊が来ているのは本当か?」
ナイジェルは答えない。
「答えろ!」
「敵に……情報を漏らすわけないだろ……」
ナイジェルは身体をばたつかせることを止めなかった。彼の着ていたジャケットが乱れ、ずれてきている。瞬間、彼の懐で何かが光った。ナイジェルは残った左手を伸ばし、取っ手をつかむ。
ナイフだった。仕込んでいたナイフを取れるよう、ジャケットをずらしていたのか――
俺は左手の対物ライフルを離し、ホルスターから拳銃を抜いた。ナイジェルが振り下ろす左腕に向けて腰だめで発砲する。マグナム弾はナイフの刃に当たり、勢いよく後方へと吹き飛ばした。
しかし、ナイジェルは落胆したような表情は微塵も見せない。俺を蹴り飛ばしたかと思うと、拘束から逃れて、トリアノン市内、ナイフが吹き飛ばされた方向へと跳んだ。
「動くな! つぎは頭を吹き飛ばすぞ」
蹴られた胸の痛みを感じながら、拳銃を構える。
「くそ……」
ナイジェルは右腕を抑え、吐き捨てるように言った。
「なぜ人体兵器になんてなった。もっとまともにこの国を変える方法があっただろう」
問われたナイジェルは、血のにじむ左手で首にぶら下がっているロケットを握った。
「……それができりゃ苦労はしねえよ。不器用な奴だっているんだ」
彼の背後で、大きな爆発が連続して起こった。思わず視線が逸れる。黒煙と炎が舞う奥の広場を凝視するのは、爆発のせいだけではない。誰かがこちらに向けて走ってきている。恐ろしく早い。太陽を反射し、小麦の穂を思わせる亜麻色の髪。茶色のコートの裾から覗く両手には、コンバットナイフが装着された大口径拳銃。
拳銃から対物ライフルに持ち替え迎撃する。そのことごとくが四方八方に弾かれるのを見た俺は、ナイジェルをよそに突っ込んだ。
「ミレイユ!」
怒号を飛ばした俺を、彼女は薄く笑う。すれ違いざまに右手に持った対物ライフルを逆手に持って斬りつけるが、ミレイユは左手の拳銃の銃剣で受け止め、通り過ぎていった。
慌てて背後を振り返ると、彼女はナイジェルに肩を貸していた。真っ二つにされた彼の右手からは血が滴り落ちている。
「隊長、すみません……」
「大丈夫、気にしないで。すぐに医療班のところへ連れていくから」
ミレイユはこちらを見ると、
「さっきの爆発は訊いた?」
俺は得物の照準を彼女の眉間に合わせる。
「ああ」
「そう。先生から私たちの作戦は訊いているんでしょう? いまはあなたとふざけてる場合じゃない」
言い終わるや否やミレイユはこちらに向けて連続で発砲してきた。銃声が消えるころには、ミレイユはトリアノン市へと続く別の道まで移動し、街中に姿を消した。
◆◆
「少佐、無事で何よりだ」
無線で訊いていた赤い屋根の建物に入ると、テーブルに広げられた地図と睨みあっていたアルバーン中将が出迎えた。白髪と黒髪が混ざった、角刈りの頭髪は相変わらずだった。テーブルを囲むように、複数の兵士とセレーヌたちが立っている。木造の天井から吊るされているランプが砲撃音とともに揺れ、面々の顔を不規則に照らしていた。
「中将、<五つ子>と同じ敵と交戦しました。確かに脅威ではありますが、手が付けられないというほどではありません」
ナイジェルとの戦いはスムーズ過ぎた。ラインハルトと戦ったときのような激戦を想定していたが、部隊を編成するために、個人の調整や質をあまり気に掛けなかったのかもしれない。
「あいつらはいつから出てきたのですか?」
「反政府勢力の連中と交戦し始めてから二時間ほど経ったときだ。民家の屋根に乗っている敵を見つけてな。最初は狙撃手かと思ったんだが、味方が放った銃弾を跳躍して避けたのを見て、真っ先にお前たちを思い浮かべた。お前の言う通り、あいつらは太刀打ちできない相手ではない。銃弾を大量に浴びせれば死ぬし、砲撃が当たれば即死もさせられる。だが――」
俺を見ていた中将は、テーブルの地図に視線を落とした。
「心理的な衝撃が大きすぎる。私が手を尽くしても、味方の士気は低下する一方だ。どうにかして鼓舞しなくてはならない」
革命戦争でガリム軍の戦車を初めて見たときと同じだ。
対策案を考えようとした矢先、入口のドアが勢いよく開け放たれた。同時に息を切らしながらひとりの兵士が入ってくる。
「中将! 敵の攻撃が止みました!」
全員の視線が兵士に注がれる。
「大佐から訊いた通りだな」
俺たちがカニアを発つ前、エルディー大佐は、エルキュール大将が言っていた内容を中将に伝達していた。混乱を避けるため、兵士たちへの通知はされていないはずだ。
「……どう思う? 現状、ロンバイル要塞には、警備以外のガリム軍部隊を見かけたという話はない」
右手で顎髭を撫でながら、中将は俺に問いかけた。
「さきほどの爆発がもしかすると合図なのかもしれません。少し様子見をする必要が――」
『勇敢なイーリス軍の兵士諸君』
室内にも行き届く声が耳に入った。ミレイユのものだった。
『私たちが争う必要がどこにある? この国を守りたいという思いは共有しているはずだ』
「この声は誰だ?」
「大佐からの話にあったかと思いますが、ミレイユという女です」
『さきほどの爆発を訊いただろう。あれはロンバイル要塞からの攻撃、即ちガリム軍の侵略を意味する。すぐに反撃せねばならない。このような“同士討ち”に耽っている場合ではない! 私たちは正規軍への能動的な攻撃の一切を停止する。いまは肩を並べ、眼前の共通の敵を打ち破るときだ!』
ずいぶんと勇ましいことだ。
「どうやら、本当のようですね」
「ここでガリム軍に攻撃しては後々が厄介だ。我々はこのまま反政府勢力との交戦を続けると、各員に伝達してくれ」
中将はさきほどの兵士に伝えると、俺を見た。
「中将、俺も前線に立って戦います。もはや<五つ子>を隠すことはできないでしょう」
「……そうだな。身勝手な頼みだが、もう一度、お前の力を貸してくれ。革命戦争のときのように」
◆◆
「あいつは味方なのか!」
「さあな。少なくとも敵ではないらしい。好機だ、奴に続け!」
味方の困惑した声が周囲から訊こえる。
セレーヌたちとわかれた俺は、二丁の対物ライフル、ショットガンをまとい戦場を駆け抜ける。
急ごしらえで改造した戦闘服はお世辞にも精巧とは言えないが、複数の銃器を装備するという最低限の機能を実現していた。強化プラスチック製のU字型のクリップを左右の足の付け根に装着し、そこにショットガンの銃身を嵌めて固定している。傍から見れば軍刀でも指しているかのようだ。
広場を抜け、東の通りへ入る。積み上げられた土嚢の背後には敵が待っていた。
対物ライフルを背中に戻し、代わりに二丁のショットガンを持つ。一番手前の三人組が引き金を引くよりも早く、散弾が彼らの身体を引き裂いた。奥の敵から迎撃を受け、右に建てられていた店の隙間に隠れる。夜通し戦っているからか、曳光弾がときおり俺の側を水平に通り過ぎていった。
直後、通りの入口に動きがあった。味方の戦車だ。キャタピラを豪快に動かしながらこちらに突き進んでくる。同時に奥から銃撃が振りかかったが、鋼鉄の身体には意味を成さない。ゆっくりと回る砲塔は通りの奥へと向き、間髪入れずに砲弾を撃ち込んだ。強烈な爆風が着弾音とともに吹き荒み、俺の髪を流す。ドラム缶にでも当たったのだろうか。轟音とともに、通りは静かになった。
「助かった!」
味方のふたつの瞳が見える覗き窓に向かい、俺は握りこぶしから親指を突き上げる。戦車まで走って砲塔を飛び越え、ロンバイル要塞の状況を確かめるため北を目指す。敵を退けながら大通りを直進していくと、徐々に巨大な姿が露になっていく。
民家に入り、拳銃でクリアリングしながら屋上を目指す。晴れた日の昼は、ロンバイル要塞はもちろん、ガリムとの国境を鮮明に見せた。持ってきた双眼鏡を覗き込むと、トリアノン市東部に展開している反政府勢力は、確かにロンバイル要塞に攻撃していた。要塞からもマズルフラッシュが見えるあたり、ガリム軍がいるのは間違いない。少し手前には、緊急事態を受けて職員が待機し、閑散とした国境検問所が建っていた。
要塞全体を見るため双眼鏡の倍率を低くすると、視界の右下で何かが走っていることに気付いた。ソフトトップの屋根を取り外した軍用車がこちらに近づいてきている。ガリム軍だ。派手に土煙を立たせながら走っており、かなり焦っているようだ。倍率を上げて乗組員を確認する。数はふたり。ひとりは肩を力ませながらハンドルを握っている。となりに座っている兵士は白旗を握っていた。全滅させられることに気付き、降伏しに来たのかもしれない。
車のすぐ右に砲弾が着弾し、車体が左に大きく傾いた。要塞からの攻撃だ。敵前逃亡者を殺したいのだろう。あのふたりが戻ったところで、軍法会議にかけられるのは間違いない。
衝撃で身体が激しく上下し、身体に土煙を被っても、車が減速する気配はなかった。このまま直進するなら、車はトリアノン市の北西に到着するはずだ。俺は双眼鏡をバックパックにしまい目的地へ走った。
◆◆
国境を突破してきた車は、トリアノン市に入る北西通りの前で止まった。ドアが開くと、両手を上げたふたりが出てくる。付近にいた味方たちが一斉に銃を向けた。助手席に座っているガリム兵の判断は正しかった。白旗がなければ、自爆特攻だと思われていまごろ蜂の巣になっていただろう。
ガリムの言葉は、イーリスとは違う。どうやって話すつもりだろう。どちらかが通訳者なのだろうか。すると、白旗を握っていた方の兵士が口を開いた。
「ロンバイル要塞にいる兵士は、ガリム軍の兵士ではない! 本物のガリム軍を代表し、イーリス軍に協力を求める!」




