死地
学校へ戻り、フィリップたちと合流した俺たちは、これまで辿った旅路をなぞっていた。俺たちが乗る軍用車両を先頭に、ロンバイルに向かうための兵員輸送車や装甲車が続く。カニアに来るときとほとんど同じ光景だが、ひとつだけ違う部分があった。
「ロンバイルにガリム軍が進撃してるって訊いたときは驚いたぜ。通信が回復したと思ったとたんにこれだ」
離れていた兵士たちが戻ってきたことで、リックはもはや学校にとどまっている理由がなかった。事の経緯を話すやいなや同行を申し出た彼は、家族たちと抱擁した後、俺たちが乗る車の助手席に座った。彼の話では、俺が大将の家へ向かった後も、シオンやレアールはこなかったという。エルディー大佐に連絡し、捜索を行ってもらうことが決まっても、心の中に残った不安は拭えなかった。
「お前と交代で運転するんだ、眠っておいたほうがいいぞ」
「ロイたちが来る前に睡眠は取ってるから大丈夫だって。横向いてねえで前見ろ、前」
クーデターの勃発以降、一般車とは一度も出くわしていない。少し前にブルクを抜けた後もそれは変わらず、前方に見えるのはコンクリートを点々と円形に照らす街灯だけだった。
「セレーヌちゃん。こいつになにか粗相なことされてないか?」
セレーヌは後部座席で、フィリップとブルーノに挟まれる形で座っていた。彼女はリックに問われると、
「そんなことないですよ! むしろ親切にしてもらってばかりで……ロイさんにはいくら感謝してもしきれません」
「変なこと訊くなって」
「まあまあ、いいじゃねえか!」
ロンバイルでの事が済めば、俺の仕事は終わる。その後に待っている“結末”は、リックだってもちろん知っている。こいつの性格から考えれば、軽口を叩いて俺を励まそうとしているのかもしれない。横目で見やると、リックの屈託のない笑みが視界に入った。
◆◆
クルスでの燃料補給を終えて走り続けること九時間。すでに空は白み始めていた。ラスペン州内を北上し、トリアノン市に入る。前方に小さい街が見えてきたところで、かすかな銃声が響いた。それまでハンドルを握りながら雑談に花を咲かせていたリックの表情が一瞬で引き締まる。バックミラーに反射している三人の顔も同様だった。
トリアノン市の最北端にある街・カルパチアを越えればロンバイル平原に出る。その先にあるのが、ガリム軍のロンバイル要塞。砲弾や銃弾のあとが今も鮮明に残る、十年前の戦場だ。
「セレーヌ、無線機の受話器をよこしてくれ」
席の下に手を伸ばしたセレーヌは、置いてある無線機の受話器を取り出し、俺に手渡した、事前に大佐から知らされていた周波数に合わせてもらう。
『こちら、イーリス陸軍ロイ・トルステン少佐。トリアノン市の南約五キロ地点から北上中。状況の報告を』
『こちら、第一〇歩兵大隊! 現在、トリアノン市にて反政府勢力と交戦中! 損害は少ないが、敵の戦力は依然として強力だ!』
受話器からは耳をつんざくような銃声と、鬼気迫る男の声が響いていた。運転していたリックが一瞬だけこちらを見る。この声には訊き覚えがあった。
『アルバーン中将ですか?』
『やはりロイか! お前なら話が早い。大佐にも報告するつもりだったが、さきにお前に伝えておく! 信じられないかもしれないが』
『それはいったい?』
受話器を持つ左手に力が入る。
『私たちは今、お前のように超人的な身体能力を持つ者たちと戦っている! 分かるか? <五つ子>と同じだ!』
背筋が凍った。心臓が一度大きく脈打ったかと思うと、全身の毛が一斉に逆立つ。大将が生み出した部隊とは、精鋭をかき集めたわけではなく、俺たち<五つ子>をコピーした者で構成されているのだ。だが、<五つ子>の技術は発展途上。数を揃えるには、どうしても実験体がいるはず。カニアにルーカスの人身売買ルートが確立されていたのは、このためだったのか。
『現在位置を教えてください! 街に到着次第、そちらへ向かいます!』
『私は、トリアノン市の西、赤い屋根の建物にいる!』
『承知しました! どうか持ちこたえてください――』
言い終える前に、直線を走る車の右に砲弾が着弾した。車体が一瞬ぐらついたが、リックは極めて冷静だった。砲弾は轟音とともに土の柱を空中へと上げ、大きなクレーターをつくった。
「いまのはやばかったな!」
後部座席のブルーノが言った。
「くそったれ、榴弾砲だ! 少なくとも一〇〇ミリは下らねえな! 陸軍の一〇五か、一五五かもな!」
辺りは起伏の緩い、見晴らしのいい平原だった。自然の息吹を感じられる素晴らしい光景だが、このときばかりは最悪だ。よほど腕のいい観測手と砲手がいるのか、直前の砲撃は至近弾だった。いま走っている道は直線、ならば、敵は左右のおおよそ角度をつかんだはず。あとは移動目標への着弾にかかる時差を計算すればいい。
つぎの砲撃は被弾する可能性が高い。
俺たちだけなら、草原に飛び出すか、加速すれば回避できるだろう。だが、後続の車両がいるのだ。急な方向転換はできない。ここで迎撃するしかない。
「リック! 速度はこのままだ。車の屋根に登って迎撃する!」
俺は外に出るためドアを開けた。吹きすさぶ風が車内に入り込む。
「そいつはありがたいが、大丈夫なのか! 素性を隠すためのマスクも持ってないんだろう? トリアノン市にいる奴らに戦ってる姿を見られたら――」
「問題ない! どうせ今日の夕刊に大々的に報じられるだろう!」
すでにアルバーン中将の部隊が“隠し子”と交戦しているのだから、避難民や後々駆けつけるであろうメディアの連中が目撃するはずだ。もはや素性を気にする必要はない。
俺はドアに足をかけ、屋根に登ると、後方の荷台へ移った。そこに置かれていた、黒い布にくるまれた五種類の銃器。そのうちのひとつを手に取って戻る。屋根に腰かけ、ボルトを引いて戻すと右腕、右脚を銃の支えにする射撃姿勢を取った。目に染みる風を防ぐように、スコープに右目を当てる。
スコープのさきには、レンガや石造りの昔ながらの街並みがなお残っていた。ロンバイルでの戦闘範囲にギリギリ含まれなかったため、革命戦争によるトリアノン市の被害は驚くほどに抑えられていた。人口の少なさが幸いしたのか、確認できる限りでは一般人の死体はない。
歴史的建築のひとつに目をやると、背後から閃光が走った。慌てて夜明けの空に銃を向ける。点のように小さい黒い塊が、一瞬だけ太陽光を反射したかと思うと、猛烈な速度で接近してきた。
銃口を砲弾に向ける。時速七十キロで移動中に狙撃なんてやったことはないが、やるしかない。強烈な風を受けながら、米粒ほどの目標に照準を合わせる。周りの音を脳内から排し、息を整えた。深く深呼吸し、思い切り吸い込むと、そのまま口をつぐむ。
当たってくれ――淡い思いとともに強烈なマズルフラッシュが瞬き、銃口から五十口径が発射される。排出された薬莢があっという間に後方へ流れていく。砲弾へと向かう弾丸は、小さな火花を散らせたかと思うと一瞬にして砲弾に蹴散らされた。だが、効果はあったようだ。
間髪入れずに車の左にクレーターができた。轟音を立てて舞い上がった土の一部が車に振りかかる。俺は体にかかった土を振り払った。
「助かったぜ! さすがだな!」
リックが車窓を開けて腕を出すと、握りこぶしから親指を上げた。
「油断するな! 俺はこのまま警戒を続ける!」
俺はそっと銃を撫でた。いま手にしているのは、ヴィンセントが使っていた狙撃銃だ。それだけではない。荷台には、俺の対物ライフル二丁のほか、ラインハルトの重機関銃、ルイーゼが持っていた二丁の散弾銃もおかれている。遺体とともにカニアへと送っていたが、今回の事態を考慮して武器だけを持ち出した。だが、最後のひとつはいま“トリアノン市にある”。どんどん大きくなっていくトリアノンの街並みを、俺はじっと見続けた。
前方に五人の人影が見えた。街の入口を守っているのだろう。太陽を光りを受けて反射している“黒い物体”をこちらに向けているのを見る限り、歓迎していないことはわかる。俺は荷台へ戻り、狙撃銃を置くと、重機関銃と弾薬箱、三脚を手に取った。荷台に戻り、重機関銃に弾帯をセットしていく。コッキングレバーを引くと、俺は懐からコンバットナイフを取り出した。運転席と助手席のあいだに向かって振り下ろす。鋭い金属音とともに、太い刃は屋根を貫いた。左右に動かして隙間をつくり、刃を抜いて鞘に戻す。
「ロイさん、なにやってんだよ!」
フィリップが顔を出して怒鳴ってきた。茶髪が乱れ、彼自身の顔にかかっている。
「大丈夫だから、顔を出すな!」
彼が顔を引っ込めたことを確認し、俺は垂直に畳まれている三脚のうち二本を展開させ、残った一本を隙間に向かって振り下ろした。乗っている軍用車には機銃手用の穴がない。反動を抑えるためにはどこかに固定させる必要があった。両手で撃ってもいいが、固定したほうが命中率はいい。フルオートならなおさらだ。
重機関銃の後ろに足を広げて座る。トリガーに指をかけたのと同時に、一発の弾丸が俺の右を通過した。
すぐさま応戦する。強烈なマズルフラッシュとともに数え切れない薬莢が屋根に落ち、転がって地面に吸い込まれていく。五人のうち四人が倒れると、生き残りは銃を捨てて逃げだした。
街まであと五百メートルほどに迫っていた。車がわずかに減速する。
「そのまま街に進入したら、アルバーン中将のいる場所へ向かうぞ!」
俺は対物ライフルを背中に装着した後、ハンドサインで後続の味方についてくるよう命じた。
振り返ると、道路のひとりの男が立っていた。白い長髪を左右にわけた顔、屈強な身体から伸びる腕のさきにはコンバットナイフが握られている。見たところそれ以外の武装はしていない。銃火器が物を言ういまの戦場ではありえない恰好だ。
速やかに排除するため、固定した重機関銃で発砲する。しかし、相手を細切れにするはずだった数多の弾丸は、彼の持つ二本のナイフによってすべて弾かれた。
「あいつ銃弾を弾いたぞ!」
リックが叫んだ。
「<五つ子>の模造体だ! 俺は奴を始末してから行く!」
「わかった! 無理はすんなよ!」
十メートルにまで迫ったところで俺は対物ライフルを背負ったまま横に飛んだ。同時にナイフの男も車を避けるため俺と同じ方向に跳躍する。一回転して動きを止めた後、車両が西へ向かったことを確認し、男を睨みつけた。
さきに口を開いたのは男のほうだった。
「ナイジェルだ」
「礼儀正しいな。俺は――」
「ロイだろ? ミレイユ隊長から話は訊いてる」
「なら、俺がここに何をしに来たかもわかるよな?」
「ああ」
腰のホルスターから拳銃を抜く。俺が撃つよりも早く、ナイジェルは両手のナイフを順手に持ち変えると、地面を蹴り思い切り突進してきた。右に飛び、ナイフの突きを避ける。同時に背中に回し蹴りを入れ、吹き飛んだ彼に向けて発砲した。
背中にふたつの銃痕を残しながらもナイジェルは即座に跳び起きた。口の端から垂れた血を手で拭う。
「……“オリジナル”は強いな」
推測はしていたし、ほぼ結論付けていた。だが、こうしてはっきり言われると衝撃だった。この男も<五つ子>なのだ。
「止めておくか? 武器を捨て、投降するなら身の安全を保障する」
ナイジェルは右手のナイフだけを逆手に持ち替えた。両手を構え、中腰になる。
「そうか……」
俺は拳銃をホルスターに戻し、背中の二丁の対物ライフルを抜いた。




