凱旋
あらかじめ空からすべてを見渡していたかのように、その男が描いた作戦はほとんどが見事に成功する。その冴えわたる戦術眼を、誰かが猛禽類の鷹に例えた。いつしかその名はイーリスのみならず、周囲国にも轟き、エルキュール大将は“イーリスの鷹”と呼ばれるようになっていた。本人はあまりいい顔をしなかったが。
『俺とセレーヌを最初に襲撃した件だが、あれは情報が漏れる前に起きた。つまり、作戦の概要を知る者に限られる。アデライード家は今回の作戦を把握していたんだよな?』
『そうだな。前に無線で話した通りだ』
『そして、今カニアで起こっているイーリス陸軍本隊の分散も説明が付く。博士は途中で言いそびれていたが、大将はセレーヌが犯人だと一度確定した段階で、軍に呼ばれて作戦の補助を担っていたと。アルバーン中将やエルディー大佐にとって、エルキュール大将は上司であり尊敬の対象だ。百戦錬磨の彼の助言を訊けば、ふたりも言うことを訊くだろう。たとえそこに戦術的な違和感があったとしても』
エルキュール大将が黒幕だとすれば、今回の作戦自体の形にも納得がいく。
『よく考えてみろ。なぜセレーヌがラスト・コート作戦に参加することになった? 当時はまだろくに実戦を経験していない新兵だったというのに、だ。大将がわざわざ俺の足を引っ張るような愚を犯すと思うか?』
博士は黙っていた。
エルキュール大将と一般人の女性とのあいだにできた不義の子だと、セレーヌは言った。大将は、自らの過ちだと。そうではなかったのだろう。彼女という存在をもうけることも、彼にとっては計画の一部だったのだ。セレーヌをラスト・コート作戦に参加させたのは、経験を積ませるためでも、アデライード家の暗部を葬り去ることもでもない。大将自身に嫌疑が向けられることを防ぐための囮として利用したのだ。
いずれにせよ、真偽の程は本人から直接訊きだす。
『大将はまだ家か?』
『……おそらくな。今回のクーデターを受けて連絡をしたが、返事がない。ウェントも、ほかの上層部のメンバーも同様だ。電波障害が発生しているのかもしれん』
上層部の複数のメンバーがクーデターに手を貸している――あり得ない話ではないが、いまは裏切り者を大将に絞って考えるべきだ。
『俺たちはこれからカニアの大将の自宅へ向かう』
『頼んだ』
そうだ。ひとつ訊きたいことがあった。
『ルーカス・リーは、カニアにひとつ販売ルートを設けていたらしい。心当たりはあるか?』
『それ自体初耳だな。ひとまず軍に知らせておこう』
◆◆
俺が運転する軍用車両を筆頭に、兵士や志願した警官たちを乗せた輸送車が三両、装甲車が三両、戦車が二両、快晴の下を走る。留置所の前で男が言っていた通り、すでにロントの街からは敵の姿が無くなっていた。警察、軍の無線連絡では、カスラからの撤退が確認されたらしい。同時に、カニア、および北へ戦力を分散し、進路を取っていることも。おかげで味方から戦力を割いてもらったが、間違いなく状況は劣勢だ。首都に残っている部隊と味方を合流させなければならない。
「ロイさん。すでにほかの州からも兵力がカニアに集結しつつあるようです」
助手席で無線機で連絡を取っていたセレーヌが言った。
「カニアではすでに戦闘が始まっているはず。俺たちは味方と合流した後、兵士たちと分かれ、クーデターを首謀した疑いがあるエルキュール大将の家へ向かう」
運転の最中、俺はセレーヌを横目で見た。本人に訊かずとも、俯いた顔からは彼女の心情が嫌でも汲み取れる。実の父に一連の出来事で容疑をかけられるのは衝撃だろう。
「君はロントに残ってもいいんだぞ?」
「いえ。アデライード家の者として、知らないふりをすることなんてできません。それに、もし本当にクーデターを首謀していたのだとしたら、父に訊きたいのです。なぜこんなことをしたのか」
膝の上に握られた彼女の握り拳に力が入る。
「……そうか」
車を走らせてから二時間ほど。ブルクに入った。作戦が始まって最初に立ち寄った州だ。あのときと違って霧は発生しておらず、閑静な街並みと美しい自然がよく見える。あれからまだ一ヶ月も経っていないというのに、ひどく昔のことに思える。それくらい、今回はさまざまな出来事が起こりすぎた。
「あのホテル、私たちが泊まったところですよね?」
セレーヌの言葉につられて顔を向ける。過ぎ去っていく建物の中、大きな看板が目に入った。ブルクで起こった戦闘の後、休息のため泊まったホテルだった。
「そうだな。あの日はよく覚えてる」
「泊まった……? ふたりが、ホテルに?」
後部座席に座っていたフィリップが言った。
「作戦の都合上、宿を転々とする必要があったんだ」
「ああ……なるほど」
安心しましたと言わんばかりに、バックミラーの中に映っているフィリップは深く息を吐いた。すると、鏡の左からブルーノが顔を覗かせた。
「ロイ。この速度なら、あと一時間もしないうちにカニアに着くはずだ」
「もう少ししたら、一度停車して各員に武器の点検をさせよう。そうしたら首都に乗り込むぞ」
◆◆
くぐもった砲撃音を訊いて、俺はハンドルを強く握りしめた。舗装された道路が続くさきには、イーリスの“心臓部”が広がっている。さきほどまでの快晴ぶりが嘘のように、カニアの空は薄い雲がかかっていた。
「大通りは危険だ。東から入ろう」
進路を変更し、比較的人気が少ない東に向かう。武装勢力が多数入り込んでいるのが事実なら、人気のある場所は待ち伏せされているかもしれない。
目的地に着くと、戦闘車両以外の乗員は速やかに降りた。点検した武器を構え、周囲を警戒する。生き物が発する音は訊こえない。風が吹き抜ける甲高い音と、散発的な銃声と砲撃音だけだ。
「静かですね」
セレーヌが言った。
「味方と連絡を取ろう。誰か無線を」
兵士のひとりが無線機に向かって呼びかける。応答を、という言葉を言い終わるより早く、通りに“活気”が戻った。
「隠れろ!」
弾丸が横なぶりに吹き付けてくる。当たる角度によって変化する金属の音色が、不規則に激しいリズムを刻む。
車両が近くにあったおかげか、負傷者は出ていないようだった。二両の戦車が前進し、通りに横並びになると、広かった通りにあっという間に壁ができた。直後、砲塔を調整した右の戦車が吠えた。後部の隙間からもはっきりと視認できるほどの光とともに、前方に巨大な砂煙が立ち上っている。それでも、煙の中からはマズルフラッシュが絶えず光っていた。
戦車を盾にしつつ、後方には装甲車が続く中、俺たちは前へと進む。東の通りを北上すれば、近くに学校がある。そこなら、軍か警察がいるだろう。二両の戦車の砲撃回数が十を数えるころには、敵の攻撃は明らかに弱まっていた。左前方に背の高い建物が見えた。養子のレアールが通っている高校だ。
「もう少しだ! 押し込め!」
銃声でかき消されないよう、味方全員に向かって思い切り叫んだ。俺は前方の状態を確認するため、左の戦車の上に登った。鋼鉄の巨体を見てもなお戦い続ける敵のひとりに向かって対物ライフルを撃ち込む。銃を空へ乱射しながら、男は地に倒れた。不意に、ほかの敵が撤退を始めた。
代わりに訊こえてきたのは、地面を揺るがす振動音と一定の間隔で鳴る金属の音。士官学校がある通りは左にカーブしていて先は見えない。だが、何が近づいてきているかはすぐにわかった。
戦車だ。
俺は真下のキューポラを勢いよく叩いた。直後、車長が顔を出す。
「戦車が来る! 通りの先からだ!」
「わかりました! 迎撃準備を――」
装甲を貫く音とともに、右の戦車から火の手が上がった。前を向くと、今俺が乗っている戦車と瓜二つの車体が顔を出していた。つぎの装填まで時間がない。俺は両手の対物ライフルを構えなおし、車長に向かって叫ぶ。
「俺が囮になる! その隙に奴を仕留めろ!」
反対の声を訊くまでもなく、俺は飛び出した。敵の砲塔の向きと反対方向になるよう、左右に動き続けながら、十数メートル前方の標的目掛けて突っ込む。砲弾が俺の真横をかすめ、背後の家を大きく抉ったかと思うと、ほぼ同時に背後から味方の砲弾が飛んできた。だが、婉曲した形状の砲塔に弾かれ、敵の斜め後ろの家の屋根を吹き飛ばす。けん制程度に射撃を行うが、やはり前面の装甲には無力だった。俺は敵を飛び越えるため思い切り跳躍した。眼下には砲塔を上に上げ、右へ旋回を行おうとする砲塔が映る。だが、一瞬だけ動きを止めたかと思うと、すぐに味方の戦車へと照準を直し始めた。代わりにキューポラから敵が顔を出し、機銃で応戦する。それで十分だった。
地面に降り立つと、奥から轟いた二度目の砲撃音とともに、機関銃手が空を舞った。激しく地面に叩きつけられた男の顔は焼けただれ、すでに息絶えていた。眼前には黒煙がもうもうと立ち込める。味方の損害状況を確認するため、俺は戦車の残骸を横切って味方の元へと走った。撃破された戦車からは全員救出済みだったが、装填手が敵の砲撃によって右腕の肘から下を吹き飛ばされていた。
「……ロイさん、急ごうぜ!」
フィリップの言葉にうなづきながら、力の限り叫ぶ負傷兵を担架に乗せると、学校を目指して運んでいく。正門に警備兵がいないことに一抹の不安が横切ったが、そんなことを考えて躊躇していられるほどの余裕はない。残った装甲車両と戦車、四名の歩兵に入口を見張らせ、大きな両開きのドアを開いた。
エントランスは閑散としていた。入口の天井付近に飾られた歴代校長の肖像画と、そのガラス張りのケースに収められたトロフィーや賞状がただ寂しく佇んでいる。エントランスに残って負傷兵を看護する班、負傷兵を治療するための治療器具を探す班、避難民と味方を探す班に分かれ、俺たちは別行動を取った。学校での避難場所と言えば、校庭か講堂だ。だが、銃弾と砲弾が入り乱れる状況下で、外に集まるはずはない。
人を探す班をさらにふたつに分け、二階と三階を探索させることにした。残った俺、セレーヌ、ブルーノ、フィリップは、講堂を探して一階を探し回る。
エントランスを右に進み、最初の丁字路を左へ曲がると、職員室という札がついた部屋が目に入った。拳銃に右手に、左手でスライド式のドアをゆっくりと引く。室内は向かい合う席が十組。それらを俯瞰するための席がひとつあるだけで人はいなかった。
「こうも人気がないと不気味ですね……」
廊下へ戻ると、拳銃を両手に構えたセレーヌが声を潜めながら言った。そうだな、と返しつつ彼女を一瞥した俺は、もう一度彼女を見直した。両腕にはリボルバー式の拳銃が握られていたのだ。
「いつから武器を変えた?」
「え?……あっ、拳銃のことですね。ロントの警察署を訊ねたときに貸してもらったんです。こっちの使い方も慣れておきたくて。教わったこと、無駄にしたくないですから」
ルーカスの組織から帰還したときのことが俺の脳裏に瞬時に浮かび上がった。
「俺も驚いたよ。まさかいまどきそんな骨董品を使うだなんて」
フィリップが声だけをこちらに寄こす。
「リボルバー式は造りがシンプルだから、弾詰まりを起こしにくいの。だからオートマチックより信頼性は高いんだから」
どこかで訊いたような言葉に、俺は思わずにやけた。
ふたつ目の丁字路を右に曲がる。前方に大きめの鉄製の両開きのドアがあった。外に通じているかもしれない。近づいてドアノブを捻るとドアは軋む音を立てながら素直に開いた。だが、開ききる前に、鋭い声が俺たちの行動を制した。
「全員動くな! 武器を捨て、両手をあげて後頭部に組むんだ!」




