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春過ぎて  作者: 菊郎
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裏切り者



 カニア中央公園の噴水広場から見下ろす夜の街並みは、何度見ても飽きない。窓から光をのぞかせる家々は星のように煌びやかに輝き、生命の営みを示している。

 夜風とともにコートをなびかせながら、公式の祝勝会を抜け出したエルキュール大将と俺は、噴水の前で眼下を望んでいた。勝利の興奮はすっかりなりを潜めていたが、酔いは健在だった。大将の口に加えたパイプからはかすかな煙が立ち、ときおり風が吹いては消えていった。


「大将、用とはいったい?」


「ひとつの時代が終わった」


 大将がつぶやいた。

 一九三五年十二月二五日。イーリス陣営とガリムによる戦争は、ガリムの無条件降伏の受け入れにより幕を閉じた。苛烈な戦いによって二千万人の死者を出した戦いが、ようやく終わったのだ。戦争終結後、正式な条約の調印式を執り行うため、イーリスとガリムの国境付近にあるロンバイル草原が式典の場に選ばれた。大将はもちろん、アルバーン大佐、エルディー大佐など、晴れ晴れしい活躍をみせた軍人たちは軒並み招集され、豪奢な礼服に身を包むとともに、新たな時代の到来を祝福した。だが――


「私たちは表舞台を去る。いつか始まるであろう戦いのときまでな。その期間は長くなるかもしれないが、弛まず英気を養ってくれ」


「はい」


 つぎにいつ戦いがあるかはわからない。これだけの大規模な戦争が起これば、反動は相当なものになるだろう。死の危険を冒す必要がないことは、うれしくもあり、どこか悲しくもあった。


「私は、一線から身を引いて士官学校で教鞭をとろうと思っている」


 周囲から英雄と持てはやされていた彼の言葉に、俺は驚いた。


「……なぜですか?」


「これから軍縮の時代が始まる。政府がそう決定したわけではないが、わかるのだ。この戦争で戦った誰もが、かつての自分ではいられなくなる。その時代にあっても、私は危機感をつねに持っていたい。若者たちを教え諭し、来る戦争に備える」


 イーリスに厭戦ムードが漂っているのは確実だ。休暇を使ってさまざまな地を歩き、俺自身も肌で感じている。夏が来れば冬を、冬が来れば夏を恋しくなるように、俺たち()はないものをねだりたがる。


「ご立派な志だと思います」


 嘘偽りない本心だった。


「銃声や砲撃が鳴り響くときは、俺たちがこの国を守る。そのときはよろしく頼むぞ。お前たちが必要だ」


 差し出された右手を力強く握る。老齢とは思えない、力強い手だ。そこにはひたむきな情熱が迸っているに違いない。

 俺と大将は互いに革命戦争を振り返った。開戦時のこと、俺の兵士としての初陣、<五つ子>としての初陣、兄妹たちとのやり取り、ロンバイル要塞攻略時のこと。二年という年月を戦い続けていたのに、思い返してみるとあっという間だった。ルヴィアとの話で大将の話題が出たことを告げると、彼は声を上げて笑った。その笑みは、単に軍関係者に向けるものとは違う。心許した者に向ける、屈託のない笑顔だった。この二年、大将の交流を重ねるうちに、いつの間にか気付いたことだ。


「晩冬の夜は冷えます。そろそろ戻りましょう」


 再びカニアの街並みを見ていた大将の目は悲しさを湛えているようだった。まるで今生の別れであるかのように。


「……そうだな。戻ろう」


 俺たちは基地へ戻るため、踵を返した。夜の暗がりの中、月の明かりで薄っすらと光る石畳の道を辿っていく。


『鷹を追え』


 その低い声に俺は振り返った。軍服を着ているため、軍人であることはわかる。だが、肝心の顔は抜け落ちていて、誰だかわからない。懐から拳銃(リボルバー)を取り出し、不気味な存在(ゴースト)に突き出した。


「何者だ」


『天高く舞う鷹は、すべてを見透かしている』


 問いかけにはまったく耳を傾けなかった。拳銃の撃鉄を引き起こし、引き金に右手の人差し指をかけた。


「すぐにこの場から立ち去れ。さもなくば拘束する」


『天高く舞う鷹は、すべてを見透かしている。鷹は、子を産み、育て、来るべき春をただ待ち続ける』


「なにを言っている?」


 彼は途端に俺を指を差すと、そのまま動かなくなった。ふと大将の身を案じ、石畳の道の北を見る。真っ直ぐ伸びた背は、すでに小さくなっていった。いまのやり取りが訊こえていなかったのだろうか。


『鷹を逃がすな』


 耳元に囁くような声に鳥肌が立った。謎の男はすでにいなかった。足音も、息遣いも、気配も感じられない。俺は、幽霊にでも会ったとでもいうのか。

 時を置かずして、今度は耳に脳を突き刺すような鋭い電子音が鳴り始めた。音は一定で不気味だった。なにより恐ろしいのは、これが自分の頭の中から訊こえてくるということだ。まるで爆弾でも仕込まれているかのような感覚に囚われ、たちまち恐怖に支配された。節々が硬直し、その場に倒れる。いったいなんだというのだ。なにごともなかったかのように去っていく大将の背中に向けて、右腕を必死に伸ばす。届かないとわかっているのに。


「大将! 助けてください!」




◆◆





「電圧を強めてもう一度だ!」


 白一色の部屋。白い人が俺の左に集まって、忙しなく動いている。ぼやけた視界では、漠然としたことしか理解できなかった。目を開き、左を向く。初老の男がベッドに横たわり、医師たちの治療を受けていた。重低音が鳴ったかと思うと、男の上半身が大きく跳ねた。だが、心拍数を示す機械は同じ音で鳴き続けていた。不気味な音だ。だが、不快感のおかげか、徐々に意識がはっきりとしてくる。視界に色が戻った。


「ルーカス……」


 こちらを向き、なにかを必死に訴えようとする目は大きく見開かれていた。舌を出した口はだらしなく開いていて、彼がすでに世界(ここ)にいないことを告げている。


「ダメだ……。蘇生は失敗。エリィさんにそう伝えてくれ」


 背を向けて話していた男に左腕を伸ばし、そっと裾を引っ張る。彼は気づいて振り向いた。


「ロイ少佐。お目覚めでしたか。あなたの肩、腕ともに治療は済んでおります」


「……ルーカスはどうなった?」


「残念ですが、死にました。出血多量です。あなたが目覚める五分ほど前までは意識がありました」


 自然と握ったこぶしに力が入る。


「彼はなにか言っていたか?」


「少佐の方を見て、しきりに鷹のことを話していました。目は焦点が定まっておらず、おそらく思ったことを口にしただけでしょう」


 鷹。俺が見た夢に出てきた男もそう言っていた。鷹を逃すなとはいったい――


「あ――」


 冷たい手で心臓をつかまれたかのように、俺は固まった。目の前を覆う霧が途端に晴れたかのようだ。そうだ。なぜ、今まで一度も疑問に思わなかったのだ。アルバーン中将でも、エルディー大佐でもない。今回の事件、起こった出来事をすべて成し得る人物が、ほかにいるではないか。

 俺は病衣のままベッドから飛び起きた。エリィを探し、大声を出しながら辺りを走り回る。メイド服を着たエリィは俺を見つけるやいなや名前を呼んだ。


「ロイ様! ご無事で何よりです」


 彼女が微笑む。相変わらず温厚な性格だ。だが、いまは呑気におしゃべりをしている場合ではない。


「無線機はあるか? いますぐ、博士、いや、首相と連絡を取らなくてはならない!」


 鋭い剣幕に驚いたエリィは、こちらです、と俺を先導した。木製のドアを開けてもらい、中へと入る。無線機のヘッドホンを取り出し、周波数を合わせた。


『博士、まだ生きているか!』


 返事はない。最悪の結果が頭をよぎる。


『おい!』


『……いつでも素早く答えられると思わないでくれ。それで、どうしたのだ?』


 不気味なほどの冷静沈着で平坦な声が、このときばかりは嬉しく思えた。ヘッドホンからは、彼の声とともに銃声や砲撃音も混じっている。


『裏切り者がわかった』


『なに? 誰だ?』


『鷹だ』


『こんなときにつまらん冗談を飛ばすんじゃ――』


(ハービヒト)だぞ! “イーリスの鷹”エルキュール元陸軍大将だ!』















 

 




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