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春過ぎて  作者: 菊郎
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別れの門出



「……寒いな」


 博士と話し合った後、俺はリックに事の詳細を電話で伝えた。その際、久しぶりに会って話すこととなり、彼とカニアにある中央公園で待ち合わせる約束を交わした。現地でそのときを待っているのだが、季節は秋なうえ、日も落ちている。加えて十月ともなるとうすら寒い。

 リックを待っているあいだにも、博士と交わした言葉が鮮明に呼び起される。あれは遠回しに自殺しろと言っているようなものだ。死ねと言われて衝撃を受けない者などいないだろう。自分で言うのも変だが、革命戦争の功労者に死の宣告を出すとは、さすがに想像できなかった。

 革命戦争は、その名の通り戦争の革命とも言えるほどに、戦いに大きな変化をもたらした。銃と呼ばれる強烈な運動エネルギーを持った悪魔の武器。戦車と名付けられた、巨大な砲塔と重厚な装甲を併せ持つ、鋼鉄の巨象。ガリム帝国はいち早くこれらの実用化、生産に成功し、他国への圧力をより一層強化した。銃は昔から存在していたが、短時間に連続発射が可能な自動小銃(オートマチック)の登場は、世界を驚愕させた。

 ガリムを深刻な脅威と改めて認識したイーリス共和国は、他国との同盟締結を急ぎ、包囲網の構築に成功。これに対し、ガリムは我が国を侵略しようとする周辺諸国への正当防衛を謳い、機械化部隊を総動員して侵攻を開始した。

 侵略への防衛は、ただの口実に過ぎない。国家の生命線でもある石油を、ガリムはイーリスに求めたのだ。俺たちの国を選んだのは、戦争が起こる数年前から、イーリスの東で石油が噴き出したためだろう。機械化部隊という未知の部隊の出現に、イーリスを含めた周辺諸国は戦々恐々。士気の低下は著しく、たった一国に対して為す術がないという状況は、イーリスのみならずほかの国にも暗い影を落としたことだろう。

 イーリスが、手に入れた石油を背景に機械化部隊を増設していった頃、すでに戦況はガリム側に完全に傾いていた。イーリス国土の三分の一を占領され、多くの国民が絶望に打ちひしがれてたとき、≪五つ子≫が投入された。先頭に立って味方を鼓舞しつつ、圧倒的な身体能力で敵を薙ぎ倒していくその様に、多くの兵士が心を打たれ、自分たちも奮起せんと息を吹き返した。高度化された戦争で、古代のように高い技量を持った個人が最前線で率先して暴れるなど荒唐無稽な話だが、ドラマチックだからこそ効果があったのだろう。


「悪い。待ったか?」


 かつての戦いを思い返していると、左からリックが声をかけながら歩いてくる。栗色の短髪が、風を受けてかすかになびいていた。


「電話でだいたいの内容は聞いたけどよ。どうすんだ? あれを受けたら、お前は――」


「まあ待て。とりあえず乾杯といこう」


 俺は懐に隠し持っていた小さな酒瓶をふたつ取り、一方を渡す。


「“革命”か! ずいぶん高い酒を持ってきたもんだ」


「たまにはちょっとした贅沢もしないとな」


 互いの瓶で乾杯し、酒を楽しむ。


「……この場所、覚えてるか?」


 俺たちが立っている場所についてリックに問う。


「もちろん。≪五つ子≫がイーリス鳳凰勲章を受勲した場所だろ? お前がこっそり教えてくれなかったら、歴史の目撃者にはなれなかったよ」


 <五つ子>の勲章授与式は、軍内部で極秘に執り行われた。当時は外出制限令が敷かれており、政府の規定した時間外はよほどの理由がない限り一般市民は家から出られなかったのだ。それを利用し、イーリスを一望できるこの中央公園が式典の場に選ばれた。広場に至る並木や芝生は整備されており、中央の噴水は完成当時のまま時間が止まっているかのように、美しく磨き上げられている。


「お前、すげえ緊張してたよな! あの個性的なメンバーを率いていた隊長が蛇に睨まれた蛙みたいにガッチガチになってるものだから、笑いを堪えるのが大変だったぜ」


 酒を飲みながらリックは話す。


「そんなとこまで思い出さないでいい」


 俺は苦笑いしながら、呆れた口調で返す。


「そういうお前だって、お偉方に見つからないよう、並木の影でビクビクしながら見てただろ? 人のこと言えないだろう」


「気づかれてたのかよ……」


「まるで泥棒だったな。もしバレてお前が俺のことを話した場合、どう言い訳をしたものか必死で考えてたよ」


「抜かせ」


 もう慣れた誹謗中傷合戦に、俺たちは思わず声をあげて笑う。


「お前と最初に会ったときは、お堅そうな奴だと思ったが、ジョーク飛ばしたり笑いを取ろうと馬鹿やったりもして、けっこうユーモアもあって驚いたぜ。人は見かけによらないって学んだぜ」


「お前と最初に会ったときは、おちゃらけた軟派野郎だと思ったが、話せば話すほどまったくその通りだと確信した。性格は顔に出るんだって学んだよ」


「えらく口が回るな。酒が入ってるからか?」


「かもな」


 リックとは公私ともに付き合いがある。気兼ねなく接してくれる彼に、俺は酒の席でつい≪五つ子≫のことの一部を口走ったこともあった。だが、歴史の暗部を知っても、リックの態度はなにひとつ変わらなかった。俺にとって戦友であり唯一無二の親友。この先も、冗談を飛ばし、愚痴をこぼしながら、酒を酌み交わしたい。だが、これからも続くと思っていた生活は、博士の一言ではるか遠くの存在になってしまった。


「お前と出会ったのもここだったな」


 リックがふとつぶやく。イーリス軍への入隊式は、同軍の伝統で中央公園でやるのが決まりだった。あのとき偶然隣の列にいたのがリックだ。開口一番に、面倒くせえな、と愚痴を垂れてきたのをよく覚えている。


「あの戦争は本当に大変だったな。ガリムの捕虜になると覚悟してた」


「ああ。でも、お前たちのおかげで助かったんだ。」


 そう言われると、兵器になることは間違っていなかったんだと、自分を勇気づけることができる。褒められるのは素直にうれしかった。


「本当、お前たちは凄かったなあ。俺は工兵だったからあまり戦闘には関われなかったが、活躍ぶりは耳に届いてた。まさに英雄にふさわしい功績だった」


「まあ、そうでないと造られた意味がないからな」


 敵兵士の殺害や捕縛、戦車の撃破や前線基地の破壊。敵の戦力を削ぐため、俺たち≪五つ子≫はそれこそ機械の如くただひたすらに戦い続けたが、苦に感じたことはない。それが国のためになると信じていたからだ。築き上げた屍の山も、鮮血広がる真紅の湖も、祖国を思ってやったこと。恐怖に染まる敵の顔を見ると心地よかった、一目散に逃げる敵を見下すと心が昂った。俺たち≪五つ子≫が強者であることの証明だったからだ。スポーツの試合で活躍して、その反応を見たくて親を見る子供のような気分だった。


「その英雄様が退役することになったとき、どうしてお前も同じ選択をしたんだ?」


 <五つ子>は、革命戦争が終わると一時的な退役を命じられた。木の葉を隠すなら森の中というジェラルド博士の助言らしい。軍の最高機密であるが故に、厳重に警備するのではなく、人々の生活に溶け込ませるほうが敵に感づかれにくいと。自分の目的を達成するためには、あの男はテレビ番組の司会の如く饒舌になれる。

 俺たちが待機すると言う情報は、無論伏せられていた。だが、戦争終結とともに、姿がまったく見えなくなると、退役を選択する兵士が増えていった。リックもそのひとりだった。戦力の縮小は、大国であるイーリスにとって痛手のはずだったが、現在に至るまでの平和な潮流が、それを許したのだ。


「刺激がない人生なんてつまらないだろ? お前たちといっしょに戦えることが俺の誇りだったんだ。子供みたいな理由だが、まるで英雄の一員になれたみたいでさ。きっとほかの奴も同じことを思っただろうよ」


「……ウェントもか」


「だろうな。あのまま行けば出世コース確実だったのに、もったいねえよなあ。でも、あいつも自分の意志で政治家の道に進んだわけだし、後悔はしてないだろう」


 リックやウェントだけでない。誰もがリスクを承知のうえで、さまざまな生き方を実践している。ならば、俺は彼らに倣わなくてはならない。戦士が戦場から逃げるわけにはいかない。“革命を成し遂げた”俺たちの全身は血に染まっている。シャワーでも、湯を張った浴槽でも、降りしきる雨でも、決して洗い流すことはできない。



 少しばかり流れる沈黙。意を決し、俺は重い口を開ける。


「リック。俺は、博士の提案を受ける」


「……んなことだろうと思ったよ」


 髪をかきむしりながらリックは落胆した様子で答える。

「お前の選択なら否定はしねえよ。だが、これだけは言わせてもらう。お前は、死ぬための任務に盲目的に従事できるほど馬鹿なのか?」


 リックは続ける。


「死の可能性が伴うだけならいい。俺たち軍人は毎日コイントスをして生きてるようなもんだからな。表なら生きて、裏なら死ぬ。だが、結果は自分の力である程度コントロールできる。だからみんなコインの表を出すために必死で戦ったんだ」


リックの口調がどんどん荒くなる。


「けど、てめえがやろうとしてんのは、ただの自殺だ。しかも、味方殺しとかいう大罪のおまけつき。んなふざけた任務があるかよ! 死ぬことがわかっていて、その未来に向かって走るのが怖くないのか?」


 こうなることは避けられなかったのかもしれない。博士の家に初めて招かれた、あの時から。もし博士の家に預けられなかったら? シオンともっと早く出会い、そして結婚していたら? あらゆる未来が俺の頭を駆け巡る。だが、安易な妄想は、眼前に立ちふさがる冷たい現実によって消し去られてしまう。


「怖いに決まってるだろ。それこそ、死ぬほど」


 死は永眠とも言う。きっと寝ているときの感覚が永遠に続くのだろう。つまり、何もない。なにも感じられない。と思うことすらできない。死後の世界なんて誰も知るわけがないのだから、怖いに決まっている。


「……そうだよな、悪い。……にしても度数の高い酒だ。革命っていくつだったっけ?」


「三十五度くらいだな」


「げえ。いつも炭酸割だったから、どうりできついと思ったわけだ。覚えてたら間違いなく炭酸水買ってきたところだぞ」


「たまにはストレートも悪くないだろ?」


「まあな……、なんて言うと思ったか? “消毒液”飲ませやがって」

 互いに声をあげて笑う。こうしてくだらないことができるのも、今日が最後だ。そう思っていると、リックは真面目な顔をしてこちらを向く。


「神様の前では誰だって平等に裁かれるんだろう? どれだけ言い訳を並べ立てても、人を殺しただろと言われたら言い返せねえしな。遅かれ早かれ、人を手にかけた奴らはみな地獄に落ちるんだ」


  彼は正面を向きなおして続ける。


「俺もウェントも、ほかの部隊の連中も、みんなお前んとこに行くからよ。まあ、土産話でも期待して待ってろ」


「期待してる」


 リックの声はかすかにだが震えている。涙を隠そうとして前を向いたのだろう。しかし、彼の涙は月光の反射で煌びやかに光っている。友とはいえ、他人のために涙を流してくれるような者と知り合うことができたことだけを見ても、この三十一年の人生は無駄じゃなかったと言える。

 この後、結局リックは“消毒液”のまずさに耐えかねて、近くの売店に炭酸水を買いに出かけた。瓶と紙コップをふたつ抱えて戻ってくると、一組を俺に渡す。炭酸割の革命でもう一度乾杯、そして、今日の気温は寒いだの、お気に入りの歌手が出した音楽にいちゃもんをつけるだの、この前上映された映画を語るだの、至極どうでもいいことを話し合う。他愛のない時間がこれほど惜しいと思ったことはない。もっと早く気づいていれば良かった。


「そろそろ戻らないと、レアールとシオンに心配される。」


ふと腕時計を見ると、時間はもう二十一時を越えていた。


「ふたりにはなんて説明するんだ?」


「……出張とでも言うさ。さすがに、真実を話すわけにはいかない」


「酷な話だな」


 リックはそう言うが、ふたりに真相を話して悲しませることのほうが、俺には耐えられそうになかった。長くともに暮らしてきた相手が、死ぬための任務に就くと知ったら、止めにくるにちがいない。きっとふたりに説得されたら、気持ちが揺らいでしまう。ふたりの、この国の未来のために、任務を拒否することは避けなくてはならない。


「俺が任務に出た後なんだが――」


「わかってる。お前の家は、定期的に様子を見に行くさ。シオンが仕事に行けばレアールはひとりだしな」


「ありがとう」


「シオンはこの先どうするんだろうな?」


「きっといい相手が見つかるさ。包容力があって優しくて、それでいて気が強い。きっと引く手数多だろう。お前が(めと)ってくれりゃいいんだが」


「馬鹿言うな。俺に浮気しろってのか」


「冗談だって」


「んじゃあ、これでお開きだな」


「……ああ」


 俺はリックと握手を交わす。これまでで一番、力のこもった握手だった。


「じゃあな、地獄で会おう」


「ああ」

 俺たちはそれぞれ逆の方向を歩いて帰る。さらばだ、友よ。


「ロイ!」


 不意に大声で名前を呼ばれて振り返る。リックがこちらを向いて立っている。


「!」


 敬礼だ。あいつの怠惰な性格からは想像もできないほどにしっかりと手が伸びている。未来の死者に対する敬礼は“右腕”だった。俺も精一杯の力を込めて右腕で敬礼をし返す。目を輝かせ、イーリスの未来のために尽くすと決意した入隊式の日のように。

 ほんの数秒だったが、それで十分だった。俺たちは再び踵を返して歩き始める。




 


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