伝承
医療室へ行き、体中の外傷を診察・治療をしてもらった後、俺はベッドに横たわっていた。常用程度の薬なら倒れるようなことはまずない。だが、ミレイユに盛られた量は、俺を一時的に行動不能に追い込むには十分だった。仰向けの状態で両手を顔に近づけ、開閉をくり返したが、とくに問題はなかった。あとは回復を待つだけだ。
式典などに使われる講堂は、いまは巨大な病室になっていた。老若男女を問わず、さまざまな人でごった返している。患者だけではない、彼らの関係者もいるからだ。
「それでは、六時間後に戻ってきますね」
そういってセレーヌは講堂を出た。フィリップとブルーノは、情報収集のため、さきにカスラへ戻っている。睡眠薬を飲み、そのまま目を閉じた。周囲は相変わらずざわついているが、眠気は構わず押し寄せてくる。数分と経たずして、俺は眠りについた。
晴れた日の午後、俺は外国にいた。<五つ子>のリーダー・ロヴァンスではなく、イーリス軍の一兵士・ロイとして、憎き敵国・ガリムの地を踏んでいるのだ。ガリムの人々は、意外なことに俺たちを素直に受け入れた。約二年にも渡ってくり広げられた戦争は、イーリスだけでなくガリムにも暗い影を落としていた。ゆえに、支援物資をもって現れたイーリスを歓迎するのは当然なのかもしれない。
ロンバイル要塞を突破し、ガリムの首都・ルーンを目指す戦いは、決して容易なものではなかった。敵の進軍を遅らせることを目的とした縦深防御戦術によって、イーリス軍側にも多大な被害が出ていた。国から敵を追い出すという最大の目的を達成した俺たちイーリス軍の士気は、確実に揺らいでいる。そこを補うのが<五つ子>の役割の一部でもあった。その証拠に、出撃頻度がここ数週間で著しく増えていた。
俺は木箱の上で開かれた地図をもとに、仲間たちと進軍ルートについて話し合っていた。その中にはリックもいる。学校時代からの親友であり、いまもなお生き残っている数少ない存在だった。
「ちょいと休憩するか」
リックはそう言ってタバコを取り出した。
俺はふと空を見上げる。暗雲が立ち込めているせいで、いまは昼だと言うのにまるで深夜だと錯覚してしまいそうだ。異様な光景が、戦争という究極の国家行為に臨んでいる俺たちの不安を煽っていた。
「デイビッド、お前も熱心だな」
俺の横でパイプ椅子に腰かけていたデイビッドは、ガリムで発行されている情報誌を読みふけっていた。彼は情報誌を閉じると
「世界のことを知るのは大切だからね。敵国ならなおさらだよ」
「で? 本にはどんなことが書かれていたんだ?」
「ガリムの軍備増強路線は、現政権が誕生してから。六日間戦争でイーリスに手痛い敗北を喫して以来、主戦論が国内に少なくなかったみたい。その声をまとめあげて、ガリムの大統領は今回の戦争を始めたと」
「無論、反対派もいたんだろう?」
リックが言った。
「半々くらいだね。だから、イーリスの進駐は、少なからずガリムの人たちの目には良く映っているはず」
戦いが長引くほど、兵士は体力と精神を消耗する。一般市民といざこざを起こしてしまえば、作戦に深刻な影響が出るだろう。
「好印象から敵対関係になるのは最悪だな」
俺の思考を代弁するかのようにリックが言った。
「ああ。兵士を適度に休ませないと」
「そういえば、最近あいつらを見る機会が増えたな」
タバコの煙を空に向けて吐きながらリックがつぶやく。
「あいつら?」
「あのテンガロンハットを被った連中だよ。単騎で戦車を破壊したところを見たときは興奮したぜ。あんなの映画とか漫画の世界だけかと思ってたが」
確かにそうだ。その力を振るっている本人がいちばん驚いている。
「大した力だよな。あいつらのことなにか知ってるか?」
「味方だってこと以外わからねえな。フルフェイスのマスクとテンガロンハットのせいでまったく人相がわからん。ロンバイル要塞を攻略した後、みんなで集まってあれこれ推理してみたが、なにせ手がかりが戦場での戦いぶりしかない。けっきょく、くっちゃべって酒飲んでお開きだ」
エルキュール大将や博士の情報封鎖はうまく行っているようだ。
「お前も要塞攻略のときにいればなあ」
正体はバレでいない。だが、リックの何気ない一言を訊いて、俺は冷や汗が出た。
「戦闘終了直後も、みんなあいつらの話題で持ち切りだ。サインをねだろうとした奴もいたが、気づいたらもうどこかに行っちまったらしい。報道では噂の域は出ないって一蹴していたが、国内での子供たちの人気は大したもんだ。休暇で戻って来た父親たちから話を訊くや否や『あんなヒーローになりたい!』っていう子もいるとか」
「今ごろも引っ張りだこなんだろう。俺は別の戦線に行っていたから知らないが」
「本当、お前はタイミングが悪い」
リックは短くなったタバコを地面に落とした。靴底でこすり付けて火を消す。
「さて、そろそろ宿に戻るか。ロイ、デイビッド、また明日」
俺たちが返事をすると、リックはポケットに両手を突っ込んでそさくさと去っていった。タバコのかすかな臭いが鼻を突く。
彼の背を見送った後、デイビッドを見ると、手の平サイズの紙になにかを書いていた。
「なにを書いてるんだ?」
「さっきリックが言ってたことだよ。加えて、僕自身の思いも」
俺は眉をひそめる。
「どうしてそんなことを?」
「理由はいろいろあるけど、この戦争を忘れないためかな」
イーリス国内から“革命戦争”と言われているこの戦いも、もう終盤だ。首都を制圧して強制的に敗北させるか、その前に相手がこちらの降伏勧告を承諾するか。
「記録を取らなくても、これだけ濃い経験をすれば忘れないだろう」
デイビッドは笑った。
「そうだね。でも、僕は文字に起こしておきたい。何十年、何百年経っても、資料があれば当時の出来事を知ることができる。僕たちが死んで、長い年月が経ったとき、このメモを取った誰かがイーリスとガリムのあいだで起こった大戦争を広めてくれるかもしれない。戦争は、こうも残酷で悲しいものなんだって」
自分の死後など、真剣に考えたこともなかった。少なくとも、<五つ子>としての自分は抹消され、イーリス軍人のロイ・トルステンとして墓標に名を刻むことになるだろう。兵器として生まれ変わり、戦場に投入された者の人生など、当事者以外には、未来永劫誰も知り得ないのだ。
「その記録をもっと取るためにも、これからの戦いは気を引き締めていかないとな」
彼はメモを書いていた指を止め、顔を上げた。
「そうだね。頼りにしてるよ」
俺たちは話を切り上げ、近くにとっている宿へと戻った。




