恩返し
月明かりが、銃を手にした者、地に伏す者を等しく照らす。俺はテオを人質に取り、少しずつ寝室へと近づいていった。対物ライフルがなくては、あの人数と真っ向から戦うことはできない。だが、まだ筋力は戻っていないし、得物は自分とは反対の位置にあった。周囲の部下は、銃こそこちらに向けてはいるが、発砲するのをためらっている。
「ロイ。あんたは俺たちを侮ってる。こんな方法が通じると思うか?」
膝の銃創に顔を歪ませながらも、テオは顔を俺に向ける。
「黙ってろ。この男が殺されたくなければ、全員武器を捨てるんだ」
「“ゲオルグ”」
ミレイユは彼を見てつぶやいた。ゲオルグという名がこいつの本名か。
「ロイさんは本気よ。私たちが要求に従わなければ、彼はあなたを撃つ」
羽交い締めにされているゲオルグは、大きく息を吸い込んだ。それが呼吸する最後の機会であるかのように、空気を味わい、そして吐き出していく。
「さすが英雄さんだ。まだ諦めてなかったとはな」
「いっしょに戦えてよかったわ」
「……俺もだ」
彼女が拳銃をこちらに向けた。頭を隠すが、その弾道は最初からゲオルグの頭部を捉えていた。一発の銃声とともに、彼の頭に小さなが穴が開き、同時に無数の銃弾が俺に向かって降りかかる。糸が切れたように崩れ落ちるゲオルグを捨て、俺は背後の窓を突き破って寝室へ入った。腹部に鈍痛が走ったので確認すると、防弾チョッキが弾を受け止めていた。
拳銃で反撃しながら、寝室に置いていた手榴弾を片っ端からかき集める。クローゼットの中にあった巾着から口を閉めるための紐を取り出し、手榴弾の安全ピンを通していった。まるで大きなネックレスのようだった。不意に銃撃が止み、辺りに静寂が立ち込めた。
「ロイさん。そこで自殺しなさい。目的は達成したでしょう?」
「お前たちの言う“先生”に会いたくなってな。まだ死ぬわけにはいかない」
“手榴弾のネックレス”を巾着の中に詰めていく。七個の手榴弾がつめられた巾着の口を左手で、ネックレスの両端を外に出し、右手で力強く握った。
「デイビッドの側で死ねる最後の機会よ。拒否するなら、引きずりだしてとことん痛めつけて、どこかの道端に捨て――」
ミレイユが言い終わるのを待たずして、俺はネックレスを勢いよく引っ張った。中のピンが抜ける手ごたえが腕に伝わってくる。そのまま巾着を窓から外へ投げると、少しの間をおいて、退避、という怒号が訊こえてきた。それも、手榴弾の炸裂音によって瞬時にかき消される。大小さまざまな破片が凄まじい速度で全方位に飛び散り、寝室の奥まで飛来してきた。
直後、俺の身体が宙に浮いた。
予期せぬ強烈な爆風が、寝室の入口を一瞬にして吹き飛ばした。オレンジ色の爆炎が洪水のごとくなだれ込んできた。衝撃で、クローゼット側に隠れていた俺も、デイビッドの遺体も、破片もろとも壁を突き破って外へ投げ出される。地面に叩きつけられた衝撃に息ができず、視界がぼやける。俺は必死で起こった出来事を推察した。手榴弾にこれほどの威力があるとは到底思えない。ミレイユがなにか仕込んでいたか。
周りを見渡すと、そこは路地だった。燃え盛る木片や鉄の破片があちこちに散乱し、街灯や家屋を、デイビッドの顔を明るく照らしている。どうやら、俺のいた寝室と周囲がまるごと爆発で吹き飛んだようだ。俺は仰向けの状態で側にあった布の切れ端を手に取り、火によって溶けた雪水に浸して口に当てる。外傷はいいが、肺を焼かれるのは防がなければならない。
まるで常夏の島にでもいるような気分だった。戦闘服越しに、体中から汗がにじみ出てくるのがわかる。不意に腹部から痛みが走り、どうにかして顔を向けると、一本の細い木片が突き刺さっていた。身体を横に向けて腕をつくが、力が入らない。便利なんだか、不便なんだか、よくわからない身体だ。
頭がもうろうとし、まともな思考もできなくなりつつあった。ミレイユはどこにいった。先生とは誰だ。カニアの街は。シオンとレアールは、セレーヌは、ほかのみんなは無事なのか――。
視界が黒く塗りつぶされる。遠ざかっていくエンジン音だけが、脳内にこだましていた。
誰かが身体をゆすっていることに気づき、俺は目を覚ました。どれほど意識を失っていたのか、まるでわからない。視界が少しずつ開けると、眩しさに思わず目を閉じた。朝だ。ということは、半日以上ここで倒れていたのか。手をゆっくりと顔まで持ってきて太陽の光を遮り、目を開ける。
「ロイさん!」
金髪の髪に、前に見たコートを着た女性だ。腹に力を入れ、俺は懸命に声を出した。
「……セレーヌか?」
「よかった! ご無事で……!」
セレーヌは涙ぐんだ声でそう話すと、俺の汚れた戦闘服などお構いなしに強く抱きしめる。
「どうしてここに?」
「私が作戦から外されると知った後、急いでカスラ州に戻りました。フィリップとブルーノさんに頼み込んで、ラスペン州まで来たのです」
ということは、あのふたりもここに来ているのか。
「住人から話を訊いたら、昨晩に銃声と大きな爆発音があったと。夜明け前から必死で捜索し、やっと見つけたんです」
俺は身体を起こし、辺りを見回した。すでに消火がすんでおり、デイビッドの家の一部が黒々しい炭と化していた。耳を澄ますと、何人かの声が訊こえてくる。ぼっかりと開いた穴から、ブルーノが顔を覗かせた。
「ブルーノさん! ロイさんが目を覚ましました!」
ブルーノは拳銃をホルスターにしまいながらこちらに歩いてきた。寒さに耐えているからか、前に見たときよりも顔のしわが強調されていた。
「目撃情報を訊く限りじゃ、大した戦闘だったらしいじゃないか。それでも生き残るとは、大したもんだ」
差し出された腕をつかみ、俺は立ち上がる。
「まだ、俺にはやるべきことが残ってるからな」
両脚で立つと、体中にまだ痛みが残っていることに気づいた。昨日の戦闘でミレイユにやられた部分だ。基地まで戻って治療を受けなくてはならない。今後に備えるためにも。
「すまないが、基地まで連れて行ってくれないか?」
「もちろんだ。お前のために来たんだからな」
ブルーノの言葉を訊いて彼女を見た。
「お節介なんだな。君は」
俺は笑いながら言った。セレーヌは変わらぬ笑顔を浮かべる。
「あなたのために戦うと、そう決めてますから」
デイビッドの遺体を毛布に包んで運ぶようブルーノに話し、俺とセレーヌは庭へと歩いて行った。放置されていた二丁の対物ライフルを両手でしっかりと握る。寝室の玄関を中心とした強烈な爆発は、リビングのドアにまで届いていた。寝室ほどではないがあちこちが炭化している。中途半端に開いた状態で、風に合わせて軋んだ音を出しながらスライドをくり返していた。
「ロイさん、無事でよかったぜ」
寝室の右でしゃがんでいたフィリップに近づく。彼の手には、なにかの破片のようなものが乗せられている。
「人並以上にタフだからな。そこになにかあるのか?」
「旧式の爆発物に使われるような導火線の破片があったんだ。きっと、昨晩の爆発に関係してるんじゃないかと思ったんだけど」
ダイナマイトに使われる導火線だ。俺はフィリップの手の平にある残骸を見て確信した。俺とミレイユたちが撃ち合っている最中に、部下に仕込ませたのだろう。手榴弾の破片が熱を持ったままダイナマイトを引き裂いたか、摩擦で発生した火花で誘爆した可能性が高い。
「フィリップ。ロイさんを基地に連れていくのだけど、運転を頼める?」
「わかった」
セレーヌの頼みを、フィリップは快諾した。心なしか、いまのふたりのやり取りは、遠慮のない素の状態で交わしたような印象を受ける。
「行きましょう、ロイさん」
ぼろぼろになったドアを開け、リビングを通って玄関まで出る。通りでは、ブルーノが警察車両の運転席で待機していた。セレーヌが駆け寄る。
「フィリップが運転してくれるそうです」
「おおっそうか。あいつも少しは気遣いを覚えたようだな」
荷台にデイビッドの遺体を乗せた車が白い街を駆け抜け、基地へと走る。沈黙が続く空気を破るため、俺はもっとも気にしていたことを口にした。
「反政府勢力がクーデターを起こしたというのは本当か?」
俺とともに後部座席に座っていたセレーヌは沈痛な表情でこちらを見た。
「はい。私たちがラスペン州へ向かう途中に起こったようです。ラスペン州では、いくつかの行政機関が爆破されました。ただ、敵の勢力はそこまで大きくはなく、夜明け前には軍と警察によって鎮圧されています。イーリスにある二十三の州のうち、クルスやカスラ、それにフスレが深刻です。ただ、ほかの州と比べて軍の投入規模が大きかったので、状況の悪化は避けられると思います」
軍の投入規模が大きい――カニアが手薄なのもどうやら本当のようだ。アルバーン中将とエルディー大佐になにがあったのだ。
車窓から外を見ると、あちこちから黒煙が立ち上り、警察や軍人が歩いていた。
「カニアは?」
「どの州よりもひどい状況だと、ラジオで言っていました。イーリス公営放送局が破壊されたようで、テレビが映りません」
平和条約どころの話ではない。このままクーデターが長引けば、同じ思いを心に秘めていたが行動に移せなかった人というたちも、武器を手に取る可能性がある――内戦になってしまうかもしれない。
大通りに入ると、前方に基地への入口が見えてきた。最初に来たときとは比べ物にならないほどに厳重な警備体制だ。両端に装甲車が一両ずつ停車している。二十名ほどの兵士が、銃を下げながら哨戒していた。俺たちの車に気づいた装甲車両の射手が、重機関銃の銃口をこちらへ向けた。蜂の巣にされないよう、俺は窓を開けて身体を乗り出し、あばら骨に走る痛みを押さえながら力の限り叫ぶ。
「敵ではない! イーリス軍のロイ・トルステン少佐だ!」
門の十メートル前で車を止め、ほかの三人はゆっくりと歩いていく。俺はデイビッドの遺体を担ぎ、赤いベレー帽を被った男に駆け寄ると、互いに敬礼を交わす。
「少佐、アスマン少尉です。ご無事で何よりです」
「タフさが取柄でな。イーリス陸軍の国内における配備状況は、どこまで把握している?」
「具体的なことはわかりません。ただ、ラスペンと、クルスやカスラ、それにフスレ州に集中して部隊を配備しているとのことです。ここには、五日ほど前から歩兵一個中隊と機械化部隊が投入されました」
セレーヌから訊いた内容とほとんど同じだ。やはり、有益な情報はないか。
「作戦の総指揮を取っているのは誰だ?」
「エルディー大佐です。アルバーン中将が担当される予定でしたが、不測の事態とのことで、より経験が豊富な大佐が抜擢されたと」
「そうか……ありがとう。医療施設は空いてるか?」
「はい。一般市民にも開放していますが、あと数個、ベッドに空きがあります」
もう一度礼を述べた後、三人が基地へ入る許可を取り付け、俺たちは基地内へと向かう。すれ違いざま、アスマンが口を開いた。
「このようなことを言うのは無礼ですが……」
俺は彼の方を振り返る。
「革命戦争を生き抜いた方が、首都を無防備にするという愚策を起こすなんて考えられません」
同感だ。俺は心の中で肯定した。
直後、北西から爆発音が響き渡った。まるでそれが合図かのように、周囲の兵士は顔を一層引き締める。
「少佐。我々は音のした方角へ出動します。それでは」
十数人の兵士と一両の装甲車が走っていく。戦場へと向かう者たちの背中を、俺は少しのあいだ見送り続けた。




