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春過ぎて  作者: 菊郎
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落日 後編




 俺は立ち上がると、即座に一方の対物ライフルを右腕で持ち上げ、ミレイユに向かって撃つ。強烈な反動によって腕が大きく上がり、弾は屋根を越えたさきの空の彼方へと飛んでいった。やはり、身体が言うことを訊かない。彼女は呆れ顔をこちらに向けたかと思うと、俺が拳銃をホルスターから抜くよりも早く懐に飛び込む。強烈なひじ打ちを胸部に受け、肺の中の空気が一度に押し出される。そのまま左からくり出された回し蹴りに飛ばされ付近の柱に激突した。対物ライフルが地面に落ちる。テオを見ると、俺を助ける気などまったくないようで、呑気にニヤついている。ヴィンセントが言っていた、現地で誰とも協力するなとはこういうことだったのか。テオは、反政府勢力側の人間だった。

「舌に、なにか仕込んだな」

 仰向けに倒れる俺を真上から見下すミレイユを見た。彼女は屈むと、目の前で舌を出した。視界が反転しているが、その舌にはなにかに包み紙のようなものの跡が残されている。

「薬よ。と言っても、湿布に含まれてるサリチル酸メチルっていうのを常用の何倍にも濃くした水溶液。<五つ子>って、意外なところに弱点があるのね」

 ラインハルトを殺した後、病院で投薬や施術による治療を受けたときも、俺の身体は思うように動かなかった。それは、博士でもいまだ解明できない、<五つ子>の欠点だ。それよりも、なぜそんな機密を知っているのかが疑問だった。

「右腕、よくも折ってくれたわね」

 ミレイユは俺を無理やり立たせると、壁際に放り投げた。歩いてこちらに近づいてくる。壁にぶつかり、そのままもたれかかる俺の前に立ったかと思うと、拳が顔面を襲った。衝撃で俺の顔は右を向き、口の中に鉄の味が広がる。

「簡単には死なさない」

 顔を正面へ向けた俺は、ミレイユを睨む。

「借り物の力じゃ俺は殺せない」

 今度は右から殴られる。口から血が噴き出た瞬間、俺は半ば反射的にミレイユの左腕をつかんだ、自分でも信じられないほどの力で、彼女の左手を握る。骨が軋んでいく音が、自身の手を伝って耳に届いた。ミレイユが苦悶の表情を浮かべる。俺はそのまま彼女を蹴り飛ばした。テオや彼の部下が銃を構えた。

「手を出すな!」

 地べたに倒れたミレイユは即座に起き上がると、鬼のような形相で近づいてきた。今度は殴るのではなく、俺の首を壁に押し付け、肘で絞める。

「馬鹿ね。抵抗したところで自分の寿命を縮めるだけなのに」

 首を絞める力が少しずつ強くなっていく。さきほどのような力が出せるかと思い、ミレイユの肘を両手でどかそうともがいたが、ダメだった。このまま意識を失ったところで、首をへし折られるか、身体を蜂の巣にされて死ぬだけだ。だが――。

「遅かれ早かれ、俺は……死ぬ。これで<五つ子>は“皆殺し”。作戦は……達成される。俺の、勝ちだ」

 勝ち誇っているのか、怒っているのか、悔しいのか、ミレイユの表情は複雑だった。

 ラスト・コート作戦の目的は<五つ子>全員の抹殺。ここで死ねばガリムとの平和条約の締結が確定される。生き残れば、ミレイユたちがいう“先生”を暴き、クーデターを鎮圧するためのチャンスが与えられる。俺は、どちらを選ぶべきなのか。

 作戦を終えたという達成感が、俺の意識が遠のくにつれて大きくなっていく。

 ミレイユが俺を投げ飛ばした。デイビッドの寝室手前の石畳の床に頭から激突し、視界が揺らぐ。額から流れた血が鼻をつたい、地面に垂れた。ミレイユの後方、テオたちから笑い声が訊こえてきた。俺は寝室に向かおうと、這いつくばりながらドアノブに左手をかける。だが、ミレイユの手刀が左手もろともドアノブを破壊した。俺の戦闘服とコートは、雪と土で汚れきっていた。

「そうだ、デイビッドの側で殺してあげるわ。弟の近くで死ねるなら本望でしょう?」

 これほど惨めな思いをするのはいつ以来だろう。確か、博士の孤児院に入る前だ。まだ年端もいかない子どもだった頃、当時イーリスが戦っていた敵国による迫撃砲で、両親が吹き飛ばされてからひと月も経たないころだ。ぼろきれのような服を着て、ほかの子供たちとともにゴミくずを漁って生きていた。泥にまみれるのなんて当たり前。その場にいた誰もが死んだ目をしていた。もはや生きものとは言えない。ただ、死んでいないだけだった。突然降り出した雨を逃れて廃墟で雨宿りをしていたら、周囲の環境とは明らかに浮いた白衣の男――ジェラルド博士――が、屈強な男たちを引き連れてやってきた。生活の場を提供してくれることには感謝していたが、それは実験体の選定でもあった。あの笑みに二重の意味があったなんて、当時は考えもしなかった。

 けっきょく、あのときと同じく、泥にまみれるのがお似合いか。

 そういえば、レアールを養子にしたのも、あいつが孤児だったからだ。自分の境遇とレアールを照らし合わせて、心に残ったわずかな親切心があいつを我が家に招いた。シオンもどうしているだろう。ふたりでちゃんと生活できているだろうか。レアールはシオンに迷惑をかけていないだろうか……。

 ミレイユが俺の襟をつかみ、寝室のドアを蹴破ろうとした直後、再び玄関のほうで大きな爆発音が訊こえた。だが、音はさきほどのものよりも遠い。少し間を置いて、人々の叫び声が訊こえてきた。

 玄関の方角をぼんやりと見つめていると、いつの間にかリビングへ戻っていたらしいテオがドアを開けて近づいてきた。彼女はテオに気づくと俺の襟をつかんだまま彼の方へ歩いて行った。

「ミレイユ。始まったぞ」

「なにが、始まったんだ」

 背中を向けた状態で、俺は掠れた声で訊いた。テオはこちらまで周ってくると、俺の顔を見た。顔を上げると、彼の口角はこれ以上ないくらいにつり上がっていた。その顔は狂気をはらんでいた。月の光が、それを助長する。

「クーデターだ! 反政府勢力によるクーデターが始まったんだ!」





「クーデターだと?」

 頭が混乱している俺は、オウム返しをするのがやっとだった。ミレイユはいまにも俺を殺したそうな表情でテオを見る。

「招集までにはまだ時間がある。少しくらいおしゃべりに付き合ってやってもいいだろう。英雄と話せる機会なんてそうないぞ」

「……まあ、そうね」

 テオは兵士のうちふたりに、基地へ状況報告をするよう伝えた。“これ”をありのまま話すとは到底思えない。時間稼ぎでもするのだろう。彼は俺のほうを振り向く。

「クーデターの話だったな。俺たちの先生が、この国を正しい方向へ導くための戦端を開いたんだ。今ごろ、カニアはパニック状態だろう」

「馬鹿を言うな。カニアにはイーリス陸軍本隊が常駐している。民兵など一日足らずで蹴散らされるのがオチだ」

 カニアは国の中枢と言ってもいい州だ。戦後、軍縮が進んでいるとはいえ、本隊の規模は最大、練度は依然として高い。

「そう思うだろう? だが、いま常駐している本隊は三分の一以下だ。すべて手筈通りさ」

 そんなはずはない。アルバーン中将も、エルディー大佐も、いわば心臓部の守りを薄くするという愚を犯す男ではない。戦争の時代を勇ましく生き抜いた者たちに限って、それはあり得ないことだ。

「ありえるんだよ。先生ならできる」

 俺の心を見透かすようにミレイユは返事をした後、俺の襟を離した。動こうとしたが、周囲の部下が銃を向けて取り囲んでいる。ミレイユはテオの前に歩み出ると、座っている俺の前に屈んだ。さきほどの戦いのときに彼女のインナーは真っ二つになっているため、正面に立たれると目のやり場に困った。

「裂いた張本人が言うのもなんだが、着替えたらどうだ? その状態でこの寒空に立っているのは厳しいだろう」

「これから自分を殺す相手の心配をするの?」

「いや、俺が目のやり場に困っているだけだ」

 ミレイユは笑う。俺は情報を訊きだすため、彼女の背後で控えているテオに視線を向けた。

「テオ。なぜ裏切った」

 彼はこちらを向くと、口を開いた。

「俺は、そもそもテオじゃない。途中ですり替わった」

 通りで同行を強く申し出たわけだ。<五つ子>を監視していた者たちとの面識はない。だが、まさか本人が偽物など、考えもしなかった。よくいままで隠し通せたものだ。

「本当は、ロイさんが“いまの”テオといっしょにここへ来たところを不意打ちするはずだった。でも、単独で、しかも想定より早く来るものだから驚いたわ」

 ヴィンセントの助言通りだ。だが、こうなってしまってはあまり意味がなかったかもしれないが。

「本物のテオはどこにいる?」

「さあ。墓の下か、どこかで野ざらしにされた骨になっているかのどちらかね」

 テオは会話中も、腕時計をしきりに確認していた。さきほど言っていた“招集時間”とやらを気にしているのだろうか。

「ロイさん。革命戦争は、あなたにとってどうだった? 最期に訊かせて」

 無垢な少女のように興味津々な表情で、ミレイユは俺の顔を覗き込んだ。警戒していないのは、俺がもう抵抗しないと考えているからか、勝利を確信しているからか。

「俺にとってあの戦争は――最悪だった」

 その一言で、空気が凍っていくのがわかった。まるで時間が止まったかのようだ。ミレイユもテオも、周りの部下も、どんな表情をしているのか、ただ月を見上げている俺にはわからない。だが、情勢を一変させたあの出来事を否定して、彼らがなにも思わないはずがなかった。

「あの戦いで、二千万人が死んだ。その結果、なにを得たと思う?」

 勝利だ、と言ったテオ――の偽物――を見て、俺は一蹴する。

「なにもない。なにも得ていない。カニアにあるイーリス国立墓地と無縁墓地は見たことあるか?」

 みながうなづいた。

「あの地平線まで続くかのような広大な敷地には、革命戦争、そして、それ以前の戦争で死んでいった兵士たちが眠っている。無論、俺の友人もな」

 さきほどまで人をからかうような態度を取っていたミレイユは、俺の言葉に黙って耳を傾けていた。テオも、ほかの者も同様だった。

「政府が勝利宣言を出し、戦場から戻った俺の眼前に映っていたのは、無残に破壊し尽された家屋と、道端の石ころのごとく転がる、兵士と一般人の亡骸だけだった。表現するなら、海だ。希望的な考えをすべて飲み込む、絶望の海。家族の上半身だけを抱いて泣き叫ぶもの、ちぎれた身体の破片を拾い集めるもの。誰もが、まるでこの世の終わりのような形相をして、打ちひしがれていた」

 俺は息を吸い込み、深く吐いた。

「戦争に、勝者などいない。負けた者と、ひどく負けた者、完膚なきまでに叩きのめされ負けた者くらいか。怨嗟は怨嗟を、憎しみは憎しみを、殺意は殺意を、戦争は戦争を呼ぶ」

「そうよ」

 ミレイユが答える。

「だからこそ、私たちはその世界を認め、歩むの。永遠に」

「そうだな。お前の言うことは正しい」

 ヴィンセントが言っていることを、俺は復唱しているようなものだった。現代の人間の祖先たちが互いのコミュニティに籠もり、覇を競い始めた瞬間から、いまの世界はすでに完成していた。

「じゃあ、私たちの考えを認めると言うの……?」

 一瞬だけ、屈んでいる彼女の顔が綻んだ。

「戦いは世の常だ。争いをこの世から消すことはできない。だからこそ――」

 俺はミレイユを睨みつける。そうだ。戦いは終わらない。戦士なら、膝を折り、地面に倒れ伏すその瞬間まで、意地汚く戦うべきだ。まだ生き残る可能性はある。ここを出て、残った真実を明らかにし、クーデターを収め、世話になった人たちに“あいさつ”をしにいこう。四人の兄妹たちに、地獄で笑われるわけにはいかない。

「俺はお前たちと徹底的に戦う。騒乱を望む者の殲滅を願う、平和を望む者たちの代表として。――そうだろう、デイビッド!」

 寝室に向かって叫ぶと、全員が声をかけた方角を向いた。俺は拳銃が落ちているミレイユの背後まで全速力で駆け抜ける。不意を突かれた彼女は俺のコートをつかむが、その場で脱ぎ捨てて逃れた。薬をつけられてから三十分以上が経過していた。体の感覚が徐々に戻りつつある。俺は拳銃を手にすると、テオの右膝を撃つ。痛みに声を荒げる彼の後ろへ回り込み銃を首に突きつけた。 














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