落日 中編
死体から立ち込める血の匂いなど気にもかけず、俺たちは睨みあう。ミレイユの薄茶色のコートが、風で揺れている。さきほどの口ぶりからして、ミレイユは、デイビッドの四肢を自分に移植している可能性が高い。一般人に<五つ子>の身体を移植した場合の反応など、博士には一度も訊いたことがなかった。しかし、もしある程度の施術やリハビリによって俺たちのような身体能力を獲得できるのなら、フリジア高原の森中で彼女に投げ飛ばされたのも納得がいく。
互いの目を見つめ合ったまま、数十秒が過ぎた。俺は前へ一気に踏み込むと、左手に構えた対物ライフルを彼女の左肩目掛けて突き出す。月の光を受けて鋭く光る銃剣を、ミレイユは右に跳んで避けた。続けざまに右の得物を振るう俺の動きを予測していたかのように、彼女の拳銃から俺の額目掛けて弾丸が発射される。追撃をやめ、左足で思い切り地面を蹴った俺は、そのまま後ろへ退き、右の対物ライフルの引き金を引いた。重力に身を任せていた彼女はそのまま状上体を反って弾を回避し、半回転しながら地面に着地する。再び睨みあいとなった。
「英雄と呼ばれたあなたとこうして互角に戦えるなんて、うれしい限りだわ」
顔を紅潮させたミレイユが、息ひとつ乱さずに興奮気味に話す。
「その手足はデイビッドのものだ。お前の力じゃない」
彼女の目つきが一段と鋭さを増した。
「自分の意志で動かしているんだから、これは私の力よ」
ミレイユは両手に持った拳銃から銃撃を行う。俺は前方へ走りながら左手の対物ライフルを一閃し、飛来する弾を弾く。ひとつは後方の屋根に、ひとつは雪が積もる地面に当たった。スライディングをしながら腕を交差させ、ミレイユの足元から上に向けて二本の得物を振りぬく。両腕を切り落とさんと振るった銃剣は、腕ではなくミレイユの拳銃に付けられた銃剣によって阻まれた。鍔迫り合いの、脳を突き刺すような甲高い金属音が中庭に響き渡る。俺は思い切り力を込め、鍔迫り合いを制した。銃剣を弾かれ、大きく腕を開かせたミレイユの腹部を目掛けてもう一度渾身の蹴りを加える。肋骨が折れる、確かな手ごたえを感じた。脚を斬ろうと振り上げられたミレイユの腕から逃れるように、俺は蹴った反動で後ろへ跳ぶ。だが、今度は睨みあいには持ち込ませない。それはミレイユも同じだった。
高速で近づいてきた彼女は俺の額に頭突きをかました。反動でのけぞった俺は両足に力を込めながら左腕を思い切り振るうが、ミレイユは身をかがめて避ける。銃剣が虚しく空を裂く。同時に、俺の右の太ももに鈍い痛みが走った。銃弾が当たったのだ。だが、運のいいことに、弾道は皮膚の上を通過し、いくらか肉を抉っただけだった。痛みなどお構いなしに、俺は右での得物を前に突き出す。回避が遅れたミレイユの右の二の腕に銃剣が刺さった。だが浅い。彼女が退くと、腕から引かれた銃剣から血が滴り、一瞬だけ細い線を描いたかと思うと、すぐに消え去った。ミレイユの表情には焦燥は見えず、依然として冷静だった。
「あなたがこの状況を引き起こした」
不意にミレイユは告げた。
「お前たちのせいでな」
「そのことじゃないわ」
録音機による情報漏洩のことではないのか。
「なら、なんのことだ」
「ヴィンセントを狙撃しようとした夜、フリッツを攻撃したのは私」
驚くべき事実だが、俺にとっては、いまの状況を受け入れるだけで精一杯だった。
「なぜ俺を殺さなかった」
「殺すつもりはなかったわ。ただ、あなたを退かせられれば、それでよかった」
つい数日前までといまとでは、ずいぶんと扱いが違う。俺は心の中で笑った。
「最初はあなたを殺すのが目的だった。けれど、先生の命令で一時的に待ったの。ヴィンセントとの戦いにロイさんが敗れれば、ヴィンセントはあなたを介抱し、先生の元へ連れていく手はずだったから」
ここでも“先生”が出てくるのか。
「ふつうは逆だと思うがな」
もし俺を取り込みたいなら接触して説得するのがいちばんだ。なのに、反政府勢力の連中は最初から殺そうとしてきた。
「詳しくは知らないわ。でも、あなたが孤児院でヴィンセントを無力化したのを見て、もう無理だとわかった」
「針葉樹林にいた狙撃手もお前だったということか」
やはり、密かにヴィンセントを守っていたのだ。そして、状況が俺に傾いたと判明するや否や、俺たちを葬るため、刺客を差し向けた。
「ええ。やっぱり事前にヴィンセントに伝えておくべきだったわ。おかげで撃たれたし」
「そもそも、あいつは俺を明らかに殺しにかかっていた」
ミレイユは少しだけ驚いた表情を見せた。
「……そう。やっぱり、<五つ子>って個性が強いのね」
ヴィンセントも、俺と殺し合いができて満足だっただろう。死んだ後のうれし気な表情が脳裏に浮かんだ。
俺は考えを振り払い、思い切り大地を蹴り上げた。大量の雪が空中を舞い、一時的な壁をつくる。ミレイユは右手で顔に振りかかる雪を振り払いながら、片方の銃で前方を連続で撃った。だが、どれも後方の壁に当たるだけだ。自身の視界が暗くなったことに気づいた彼女は上を見上げたが、もう遅い。ミレイユの上空へと跳び上がった俺は、両手の対物ライフルを逆手に持ち、下にいる彼女の両肩を切断しようと思い切り突き立てた。常人ならその場で串刺しになっていただろう。だが、ミレイユは違った。間一髪のところで上体をわずかに逸らすと、銃剣は彼女のインナーを思い切り引き裂いた。白い肌と膨れ上がった胸が視線に入る。ミレイユは上から降って来た俺の身体に吹き飛ばされ、リビングへと続くドアの近くへと転んだ。俺はすかさず手榴弾を彼女の左に向かって投げた。案の定、彼女は起き上がるのと同時に、右へと避ける。
俺は動きを予測し、銃を向けようと止まった瞬間の彼女の左手目掛けて対物ライフルを投げつけた。左の手の平を貫通すると、その勢いで背後の壁に刺さる。彼女に近づいた俺は、右手から得物を離し、彼女の右腕をつかんでへし折った。落ちた拳銃が雪に跡をつくる。ミレイユは絶叫せず、少し唸り声をあげた程度だった。痛覚も同様に抑えられているようだ。俺は立ち上がり、懐から拳銃を取り出し、彼女の頭に突きつけた。万が一、銃をつかまれないよう、腕と同じくらいのスペースを取る。
「あの手榴弾、ピンを抜いてなかったのね」
ミレイユが視線を投げたさきには、雪上に置かれたままの手榴弾が放置されていた。
「お返しだ」
フリジア高原で、ミレイユは閃光手榴弾を使って俺から逃げた。手榴弾を使ったのは咄嗟の判断だが、うまい具合に皮肉が利いた。
「訊きたいことがあると言っただろう。これからも朝日を拝めるかどうかは、お前次第だ」
彼女は口をつぐんだ。
「先生とは誰だ」
「私たちのリーダー」
俺は壁に刺さっている対物ライフルに右足をかけて上下左右に動かした。ミレイユの左手に食い込んだ銃剣が動き回り、血が滴り落ちる。
「誰もさっき訊いたことを思い出せなんて言ってない。俺が訊きたいのは、先生、リーダーと呼ばれているその男の正体だ」
銃を構えたまま、俺は無言で立っていた。ミレイユは俺の顔をずっと見つめているが、なにかを話すような素振りは見せない。沈黙が辺りを取り巻いていた。
「……わかった。それがお前の答えか」
俺は近づき、ミレイユの折れた右腕を手に取った。腰からナイフを引き抜き、コートを引き裂く。肩と腕の境目辺りに、わずかだが肌の違いが確認できる。さきほどの身のこなしからも明らかだったが、実際に確認すると、俺は動揺した。ナイフをそのまま境目にあてがった。ミレイユの表情が強張る。
「言っただろう。持ち主に返してもらうと」
デイビッドは、その腕で、その手で、自分が届かなかった世界を描きたかったのだろう。兵器として戦場に身を投じ、不特定多数の人間にとっての“普通”から遠く離れてしまった<五つ子>は、どれだけ世界に馴染もうとしても、いずれ浮かび上がってしまう。彼のペンで表現された世界がどのようなものなのか、一度でもいいから確かめたかった。四肢を失い、自らが得た希望を奪われ、絶望の淵に立たされながら死んでいったデイビッドの怒りは計り知れない。もし俺がシオンやレアールを目の前で殺されたら――そう思うだけで、彼の憤怒が身体に流れ込むような感覚に囚われた。ナイフを持つ手に力が入る。白く美しい肌に、銀色の刃が沈み込んだ――。
玄関からエンジン音が響いた。一両だけではない。俺は音のする方向に一瞬だけ気が逸れてしまった。ミレイユはその隙を見逃さず、左足を曲げて俺の背中を押し、身体を引き寄せたかと思うと、右の頬にキスをした。舌で舐められる感触が走る。俺はナイフを引き抜いてすぐさま距離をとり、舐められた部分を拭った。
「気でも違ったか?」
ミレイユは満足げだった。
「そんなことない。私は正気」
リビングへと続くドアが開け放たれると、複数人の武装した兵士が入って来た。後から続いてきたのは、テオだ。こちらへ歩いてくる。
「少佐。銃撃音が訊こえるとの通報が警察を介してこちらへ届きました。武装した者が多数いるとのことで、我々が出動した次第です」
そうだった。テオは不測の事態に備えて一個小隊を待機させていたのだった。現場で臨機応変な判断が下せるのは、優秀な指揮官の証だ。俺は拳銃をホルスターに収め、前で力なく座っているミレイユを見た。
「部下らしき者は全滅させた。あとは、あの女を頼む。それと、奥の寝室にデイビッドの遺体がある。こちらで回収するから、そのままにしておいてくれ」
「了解しました。少佐はどうされますか?」
「作戦は終了した。博士と連絡をとった後、カニアへ戻る」
作戦開始前、博士は俺にカニアへ戻って来るよう言っていた。渡したいものがあると。それに、リーダーとやらの正体も突き止めなくてはならない。条約の調印式までにはまだ二週間ほど残っているし、事情を話せば“延命”はできるだろう。俺はテオの乗ってきた車にあるという無線機を使うため、リビングへと歩き出す。
一歩を踏み出そうとしたところで身体がふらついた。倒れそうになる体を、テオが腕を伸ばして支えた。
「どうかされましたか?」
体に力が入らない。俺は嫌な予感がしてミレイユを見た。なにかをやり遂げたかのように、彼女の顔は清々しく笑っている。
「“効いてるわ”」
その言葉を訊いたテオは、俺の身体を思い切り突き飛ばした。二転三転する視界のさきで、ミレイユは壁に刺さった左手を対物ライフルとともに引き抜くと、銃を思い切りこちらへ投げつけた。回転していたおかげで直撃は免れたが、肩から肩甲骨のあたりを戦闘服ごと切り裂かれる。さきほど射殺した敵の黒くなった血の上に、俺の血が被さった。
「お返しよ」




