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春過ぎて  作者: 菊郎
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落日 前編



 俺は車のアクセルペダルを踏み込み、ヴィンセントが話した住所へと急ぐ。夕暮れに染まった黄金色の雲は、これから向かう先を導くかのように細長く伸びていた。ヴィンセントの遺言が嘘なら、俺は間違いなく、すすんで罠に飛び込む大馬鹿者だ。普通の人間なら、敵だった男の言葉など信じないに決まっている。国家の命運を託されているのならばなおさらだ。

 めぼしい情報がほかになかったというのもある。だが、それ以上に、ヴィンセント・グラッツェルという男を、俺は信じたかった。殺し合う敵だったとしても、彼は俺の“家族”であり、かつて背中を預け合った戦友だ。そんな男の最期の言葉を、裏切り者であるはずの俺に最期にかけた助言を、ろくに確かめもせず嘘だと決めつけるのは、俺には――できない。

 危険を冒す者こそ勝利する――それが俺の人生のひとつの指針だった。今回の俺の動きも予定通りなら、きっと敵は油断するはずだ。そこを突けばいい。そして、ヴィンセントはつくづく隙の無い男だったと、墓前で称えてやればいい。

 そう考えているうちに、目的の場所へついた。ルイーゼやヴィンセントのとは違い、見てくれは普通の家だった。それでも、侵入場所を選定するくらいの大きさはある。正面の窓越しに明かりがついており、誰かいるようだ。小さな門の先には庭があり、雪上には玄関に向かってひとり分の足跡が続いていた。デイビッドだろうか。それとも、俺を待ち受けているかもしれない刺客のものだろうか。

 車内で対物ライフルを組み立て、俺は背中に担いだ。その上からコートを羽織る。すべての銃器に弾が装填されていることを再度確認し、慎重に外へ出た。鍵はかけられていないようで、門を触れると、俺の来訪を歓迎するかのように自然に開く。中へ進み、ドアが施錠されているか確認しようと俺はドアノブを慎重に握ると、ゆっくり回した。引くと――開いた。

 ドアが軋む音を訊き、鼓動が早くなる。ヴィンセントの言うことは、やはり本当なのかもしれない。玄関から奥へと続く廊下を覗き込むと、俺はさらなる違和感に襲われた。生活音が一切しない。人の息遣い、声、歩行音、なにかを動かす物音、戦場と日常を行き来して身につけた、人間の存在を知らしめるサインが、ここからは感じ取れなかった。俺は拳銃を取り出し、クリアリングをしながら玄関、廊下を慎重に歩いていく。左に開け放たれた空間があることを見つけ、ゆっくりと確認した。どうやら、外から明かりが見えた場所のようだ。窓の下には大きめのテレビ、手前に木製の四角いテーブル、横長の椅子が配置されている。天井に吊るされたランプがあたりを不気味に照らしていたが、とくに怪しいものはなかった。

 腰に忍ばせたナイフの留め金を外し、再び左手をグリップに添える。リビングの右にあるドアを開けると中庭に出た。花びらに雪を乗せた色とりどりの花が、隅に置かれた花壇に規則的に並んでいる。庭の中央を突っ切ると、左の奥に別のドアがあることに気づいた。近づいてドアノブを捻る――また開いた。

 細心の注意を払い、奥へと進む。室内には明かりがついておらず、目の前の四角く縁取られた窓から夕日だけが静かに差し込んでいた。角があるせいでよく見えないが、どうやら寝室のようだ。ベッドの一部がここから見える。中央が細長く盛り上がっていた。

 ――誰かが寝ている。

 拳銃を握る手に力がこもる。銃口を前に向けながら、少しずつ前に歩いていく。掛け布団がかけられた体は、こちらからでは後頭部しか見えなかった。髪の色はデイビッドと同じ黒色だった。

 左手に持った銃を頭部へ向けたまま、俺はゆっくりと相手の枕元まで近づいた。右手で掛け布団をずらす。露になった横顔は、紛れもないデイビッドのものだった。幼さの残る輪郭、端正な顔つき。美男という言葉がふさわしい外見だった。だが、俺は瞬時に表情を強張らせる。肌は蒼白で、息をしていない。

 思い切り掛け布団を剥ぎ取り、デイビッドの肩を引いて仰向けにさせると、俺は目を見開いた。

 両腕、両足がきれいに切断されている。腕は二の腕から、足は太ももから下が抜け落ちていた。




 玄関のほうで爆音が訊こえたかと思うと、男たちの声が幾重にも重なって耳に入って来た。拳銃を握りしめ、寝室のドア付近まで近づき、身を潜ませる。リビングから中庭に出るためのドアが勢いよく開け放たれ、黒い戦闘服に身を包んだ八人の男がアサルトライフルを構えて入って来た。彼らに続くように外へ出てきた女がひとり。ミレイユだ。付近の窓から、俺は慎重に外を見た。

「さきほどの車は、イーリス軍のものでした。おそらく、ロイは来ているでしょう」

 男のひとりがミレイユに話しかけていた。窓が開けられているおかげで、どうにか訊きとれる。

「ここまで早く来るとはね。でも、どうにか間に合ってよかった。二手にわかれてロイを捜索。発見次第、合図を出して。ここで仕留めるわ」

 録音機を潰したことで、博士とのやり取りは訊かされていないのだ。彼女たちに情報を流していた人物は、さぞかし驚いているだろう。

 二手に分かれたうちの片方が、こちらへ近づいてきた。寝室は狭い。ここで四人を気取られずに一度に仕留めるのは無理だ。隠密に徹して追い込まれるよりは、派手に暴れ、確実に戦力を減らす。四人程度ならどうにでもなる。

 俺はベッドまで中腰のまま戻り、クローゼットに背を預けた。拳銃をいつでも向けられるよう、顔の付近まで持ってくる。軋む音を立てながらドアが開いた。いくつもの足音が室内に響き渡る。少しずつ音が大きくなっていく。

 視界に入って来た銃を右手でつかみ、思い切りこちらへ引き込んだ。不意を突かれた男は派手に転び、腰から抜いた俺のナイフに首を深々と貫かれる。驚いて飛び出てきた相手の頭目掛けて鉛玉をお見舞いすると、脳漿を背後の壁に散らしながら、力なく座り込んだ。俺はナイフで殺した男の死体を盾にして玄関の方向へ飛び出す。残りふたりの敵は、自身の味方の姿に一瞬躊躇した。隙を逃さず、右にいたひとりの心臓部に向けて発砲する。防弾チョッキをつけていたが、マグナム弾なら易々と貫通する。反射的にもうひとりが攻撃してきたが、死体が防いでくれた。そのまま突進し、倒れ込んだ残りの敵を銃撃する。俺は死体から手榴弾を数個拝借すると、玄関の手前に並べた。窓の縁に、バイポッドを展開した対物ライフルを構え、残りの四人が出てくるのを待つ。

 向こう側のドアから弾丸の如く飛び出してきた敵に向けて銃撃を加える。最初のひとりが倒れると、残りは散開し、外にあった棚や柱に隠れた。だが、五十口径には関係ない。そのまま遮蔽物ごと攻撃すると、木の破片とともに血しぶきが舞う。敵の反撃に注意しながら、確実に仕留めていく。遭遇してから五分と経たず、ミレイユの部下らしき者たちは全滅した。手榴弾を使うまでもなかった。

 俺は対物ライフルのマガジンを交換し、そのまま身を潜め様子をうかがった。肝心のミレイユはどこにいる。リビングか、あるいは奥の部屋か。すると、リビングのドアがゆっくりと開き、亜麻色の髪をなびかせながらミレイユが出てきた。彼女は中庭へ一歩踏み込むと、こちらを向いた。とっさに俺は身を屈ませる。

「そこにいるんでしょう? ロイさん」

 声は明らかに俺のいる寝室に向けられていた。

「まさか、バッジの録音機に気づくなんて思わなかった。おかげでこっちもかなり焦ったわ。定期的に辺りを巡回していて助かった」

「俺の“弟”が、死ぬ間際に教えてくれた」

「……ヴィンセントね?」

 俺は黙った。

「あのおじさん、何を考えているのかよくわからなかったけど、まさか裏切るなんてね」

お前たち(反政府勢力)のボスに伝えろ。リーダーの素質はこれっぽっちもないとな」

 これで少しでも感情を昂らせてくれれば、ミスを犯す可能性も上がるのだが。

「そんな遺言でいいなら、伝えておくよ。そうだ、もうひとりの可愛い弟の姿はもう見た?」

 挑発には乗らなかったか。彼女の言っているのは、デイビッドのことだ。

「<五つ子>があんな姿になっているなんて、思いもよらなかったでしょう? 奥手な人を騙すなんて簡単だった。あなたがラインハルトを殺したときくらいだったかしら」

 騙すと、いまあいつは言った。まさか、デイビッドはミレイユに殺されたというのか。四肢を切断されるという、身の毛もよだつような残忍な方法で。

「デイビッドは最後まで私たちの決定に従わなかった。あなた以外でただひとり、戦いを拒否したのよ」

 ベッドで永遠の眠りについているデイビッドを見た。

「こいつは頭がいい。お前たちに未来など残されていないとわかっていたんだろうな」

 ミレイユは意に介さない。

「だから、利用してやったの。ちょっと“その気”になるようなことを言っただけで、簡単に心を許してくれたわ。いっしょに食事をしたとき、隙を見計らってコップの水に睡眠薬を盛ったの。それで、眠っている最中に、彼の腕を足を拝借したというわけ。戦う意志のない兵器なんて、なんの役にも立たないからね」

 拳に自然と力が入っていた。

「目が覚めた彼は、軽くパニック状態に陥ってた。それもそうよね。気付いたら手足がないんだから。死ぬ直前、動悸で息を切らしながら、彼はいま書いている本をあなたに届けてほしいって懇願してきたわ」

 本――そうか、あいつは本好きだった。俺がシオンやレアールとともに生きる道を見出したように、あいつは作家としての生き方を見つけたのか。銃ではなく、ペンを持とうと決めたのか。

「その本はどこにある?」

「もうないわ。いまごろ畑の肥料にでもなってるんじゃない? 裏切り者の願いなんて、叶えるわけないでしょう」

「……ふざけた女だ」

 俺は力のこもった声で言った。

「私からすれば、あなたのほうこそよっぽどふざけてるわ。自分の本来の役割から外れて、むしろ否定するようなことをして」

 俺は手榴弾を片手に持ち、ピンを外そうとした。これ以上話しても無駄だ。

「そうそう“この身体”ってすごいわね」

 俺は指を止めた。

「純粋馬鹿に感謝しないと」

 直後、俺は玄関付近の窓から閃光手榴弾を投げた。強烈な光と音が炸裂し終えたのを確認し、全速力で駆ける。俺は明らかに(いか)りに打ち震えていた。それは間違いなく、デイビッドが死んだことによるものだ。だが、よく考えてみれば、手間が省けたのではないだろうか。デイビッドも<五つ子>だ。別の生き方を守ろうとして、俺に抵抗するのは想像に難くない。いずれ摘み取らねばならない存在をさきに排除してくれたのなら、それは作戦遂行上、むしろ喜ばしい事態だ。ミレイユがやらなければ、俺がやっていたことだ。

 頭ではそう理解している。だが、そうだとしても、デイビッドがあの女の手で殺されたことが――許せない。俺は対物ライフルを取り出して両手にしかと握り、ミレイユの右腕を切り飛ばすべく、右手に持った得物を思い切り斜め下から上に薙いだ。空を裂く甲高い音が耳に飛び込む。彼女は身体を横にずらして回避すると、右腕で俺の腹を殴る。銃撃されたかのような強烈な衝撃が身体に響いた。俺は踏ん張ると左足で思い切り彼女を蹴り飛ばし、距離を取った。ミレイユは蹴られた腹をはたき、俺を見つめた。同時に懐から銃剣がついた二丁の拳銃を取り出す――デイビッドの武器だった。

「ずいぶんご立腹みたいね。でも、あなたはどうせ四人を皆殺しにするはずだったのでしょう? なんでそんなに怒ってるの? デイビッドの殺害を代行してあげたようなものなのに」

 俺も彼女を見つめ返す。

「……そうだな。自分でも不思議な気分だ」

「本当、男ってよくわからないこだわりがあるけど、<五つ子(あなたたち)>は格別ね。先生の真意は図りかねるわ」

 先生――俺がヴィンセントだと誤認していた存在か。

「その先生とやらの存在は、あとでたっぷり訊きだす。まず――お前の両手足にあるものを、デイビッドに返してもらう」

 殺すべき存在だった者を弔うため、そんな滑稽な理由で、俺は自ら危険を冒している。もう、作戦は終わったというのに。

「五体満足で帰れると思うな。年など関係ない。お前は敵だ」

「私、二十歳よ。だから、気にしなくていいわ」

 夕日はすでに沈みかけている。黄昏が、ミレイユの不気味に笑う顔を薄っすらと照らしていた。

 




















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