戦士
俺は大きくあくびをしながら、会議室の椅子に座っていた。今日は日曜日だが、戦士に安息日はない。フリッツが言うに、週末は多くの者が、ヴィンセントの経営する孤児院に集まるのだという。反政府勢力の面々は、多くが兵士ではない。平時にはそれぞれの営みがある。だからこそ、休日のほうが都合がいいのだ。
「少佐。おはようございます」
裂傷が残る右目に眼帯をしたフリッツは部屋に入ると、口を開いた。金曜日の作戦から一夜明け、土曜日の新聞は、予想通りヴィンセントへの狙撃に関することだった。反政府勢力の陰謀だの、暗殺者の仕業だの、各紙がこぞってさまざまな憶測を立てていたが、肝心の本人の生死は明確に書かれていなかった。事件発生から十数時間しか経っていなかったのだから、今思えば仕方がない。いや、上層部が徹底した情報封鎖を行う以上、メディアに頼らず、自分の目で確かめるしか方法はないのかもしれない。あの反撃を考えれば、奴が生きているのは確実だが。
「おはよう。目は大丈夫か?」
「はい。ただ、激しい運動はまだ控えろと軍医に言われました」
医師による診断でも、フリッツの右目は無事だと言われたらしい。だが、視界の一部を塞がれてしまっている者を、戦いに連れ出すことはできない。今更、ほかの兵士に、ラスト・コート作戦の経緯や、互いの自己紹介、練度の確認などする余裕もなく、今回は俺ひとりで向かうことになった。
「予定通りなら、ヴィンセントは十時に孤児院に現れるんだな」
「はい。間違いありません」
「孤児院は、基地から南西へ五キロメートルほど行ったさきにある、街はずれの針葉樹林の中にあります。道は整備されていていますので、見ればすぐにわかるはずです」
反政府勢力の隠れ蓑ではあるが、孤児院に子どもたちがいるのは事実だ。近づきすぎて感づかれては元も子もない。金曜日のときと同様、奴に気づかれる前に先制攻撃をしかける。被害を最小限にし、最大の戦果を得るのだ。
「よし。森林地帯の前まで車で移動し、そこから徒歩で進入しよう。木々に紛れて道を監視し、孤児院に入ろうとする奴を撃つ」
フリッツと短い会話を終え、俺は白色の殺風景な自室へと戻った。今回は、“対物”ライフルは一丁あればいい。細長い一方のアタッシュケースをしり目に、戦闘服へと着替える。隠密性を重視するため、装備は最低限だ。手榴弾と閃光手榴弾をひとつずつ。リボルバーの装填に使用するスピードローダーと、ライフルのマガジンをポケットに詰めていく。静まり返った部屋の中で、ただ武装する音だけが響いていた。
準備を終えると、これから待つ戦いのため、頬を両手で軽く叩いて自分を鼓舞した。勝利は、目指さぬものには絶対に訪れない。作戦が佳境に差し掛かっているからこそ、気を引き締めなくては。
俺は基地の入口へと向かうべく、部屋を後にした。
兵士のひとりが運転する車に揺られ、俺とフリッツは目的地へ向かう。暖かな陽射しが差し込む午前のフスレは、美しく輝いて見えた。数分ほど走ると、少しずつ家の密度が低くなっていく。後部座席から前方を見ると、針葉樹が生い茂る地帯が見えてきた。整備された道が、中央から奥へと伸びている。
「目的地です」
車が止まると、フリッツはさきに外へ出て、丁寧に俺の方のドアを開けた。俺は外に出て、自然の空気を吸い込む。
「少佐。ご武運を」
「ああ。また後で会おう」
偽装を施した対物ライフルを背中に背負い直し、鬱蒼と生い茂る針葉樹林へ一歩を踏み出した。静寂を突き破るエンジン音が遠ざかっていくのを、背中越しに訊きながら、待ち伏せの可能性を考慮しつつ、俺は目的地へと進んでいく。
寒冷地の厳しい気候にも負けず、オレンジ色の針葉樹たちはその身に蓄えた無数の葉を、雄々しく張り巡らせていた。枝の多くには雪が残り、地面は土と雪が不規則に入り乱れていて、ブーツによる足跡をうまく隠してくれている。全身を覆っている迷彩の技巧も見事なものだった。こんなものは革命戦争当時にはなかった。短冊状の糸や紐はが全身に縫い付けられ、どれも真っ白に染められている。これでは視認は困難だろう。
だが、大自然の一部へ愚かにも侵入しようとする俺は“新参者”であり、明らかに異質な存在だった。ときおり吹く向かい風は、まるで俺を拒んでいるかのように思える。自然の一部でありながら、その身を人の手によってつくり変えられた兵器を。
五百メートルほど進むと、レンガと木でできた大きめの家屋が見えてきた。垂直に伸びた煙突からは、煙は立ち上っていない。おそらく従業員はいるのだろうが、想定通り、ヴィンセントは来ていないのだろう。近づくうちに、段々と地形が上り坂になってきた。俺は孤児院へと至る道に対して撃ち下ろす形になるよう、フスレ方面から道に対して北西の位置に陣取った。東側からの待ち伏せに備えて、側にあった岩を盾にするよう身を潜めつつ、伏射姿勢をとる。
ここからは、時間との勝負だ。十時まではまだ四時間以上ある。もしも奴が推定時刻前に来た場合に備えて速く来たため、ここで監視を続けるのだ。
針葉樹林の葉が擦れ合う音と、どこからともなく吹き付ける風音が、俺の吐息と混ざって響く。いまこのときだけは、スコープ越しに見える場所だけが俺の世界だった。途方もなく広い世界の中から抜き取られた、円形の小さな世界。この中心線を微調整しつつ、標的に合わせれば、対象の命を奪える。じつに簡単なことだ。専門的な技術など必要ない。マガジンを装着し、コッキングレバーを一度引けば、あとはトリガーを引くだけ。この流れさえ一通りこなせるようになれば、フリジア高原で出会った、エミールのような少年もひとりの兵士になる。むしろ、あのような年端も行かぬ子どもと敵対するということは、一般的な兵士からすれば強烈なストレスになりかねない。そのような事態を生み出した、とんでもない存在を握って平和を目指す俺は、とんだ道化だ。レチクルを覗きながらも、俺は自嘲気味に考える。目の周りにときおり当たるスコープの縁が、雪よりも冷たく感じた。
十時まで残り五分に迫ったところで、俺の忍耐力は限界に達しようとしていた。ときどき伸びはしたものの、体勢自体は変えていなかったため、体の節々が悲鳴を上げている。
すると、丸い世界に侵入者が現れた。軽装甲車両が二両、中央の道を疾走してくる。移動にかかる時間を考慮すれば、十時ぴったりに孤児院に着くだろう。俺の“心配”は杞憂だった。
太陽の光がフロントガラスに反射し、運転手の顔は見えない。俺がいる射撃地点は盛り上がっていて、孤児院と同じ高さがあった。まだだ。まだ撃つには早い。前方の車両の運転手を狙撃しても、後ろの一両が弾道を見て俺のだいたいの位置を把握するだろう。逆もしかりだ。車から降りて室内へ入るときが最大のチャンスになる。
二両の車は、俺の真横を走り去ろうとしていた。距離を十分に取っているおかげで、気付かれている気配はない。車は奥へと進み、やがて孤児院の前で止まった。黒いスーツに身を包んだ男たちが外へ出てくる。俺はゆっくりと姿勢をずらし、スコープでヴィンセントを探す。孤児院から見れば、岩は遮蔽物になっている。ギリギリまで銃身を前に出しているが、こちらの存在はまず視認されないだろう。
車の反対側から、白髪交じりの黒髪が一瞬だけ見えた。黒服の男の前にいる。奴だ。少しずつ前に進んでいくようだが、ときおり頭髪を見せる程度で、歩く速度は異様に遅い。それは、誰の目から見てもおかしかった。ヴィンセントはなぜ低い姿勢を保っているのだろう。中腰で警戒するにしても、歩いていれば多少は頭が上下するはずだ。
彼の身体がボンネットのところまで差し掛かる。俺はその姿を見て驚愕した。
――車椅子に乗っている。
頭の中で始まろうとした思考を、一発の銃弾が切り裂いた。隠れていた岩に銃弾が当たって火花を散らす。跳弾した弾が、雪に小さな穴をつくった。俺は伏せのまま急いで身体を引っ込める。いまの銃撃は東から、つまり、道を挟んで反対側の針葉樹林から撃ってきたのだ。銃声と着弾がほぼ同時だった。つまり、長距離からの狙撃ではない。想定通り、伏兵がいたのだ。
「ロイ!」
張りのある声が、岩越しに孤児院から響いた。ヴィンセントだった。
「お前がくることはわかっていた。それにしても、金曜日の狙撃は見事だった! 防弾ガラス越しの長距離狙撃。五十口径でも使ったのか?」
これに返事をするような馬鹿はいない。俺は心の中で彼に答えた。
「無愛想な奴だな……そこで少し待っていろ。左足のふくらはぎを吹き飛ばしてくれた礼をしなければな!」
車椅子姿を見る限り、俺の放った弾丸は、奴の左足を持っていったようだ。狙撃は成功したのだ。つまり、ヴィンセントは左足の一部を失くしながらも、隠していた銃を手に取って反撃してきたというのか。
「攻撃するのは構わないが、けん制程度に済ませろ! “兄貴”を仕留めるのは私の役目だ」
ここから速やかに移動したいところだが、周囲には身を隠す場所がなかった。どれだけ速く動いても、ヴィンセントなら確実に当ててくる。
俺はそっと手鏡を取り出し、反射で孤児院の様子をうかがった。六人の護衛たちは二手に分かれると、三人はヴィンセントとともに孤児院内へと入っていく。おそらく準備をするのだろう。この隙に、まずは“部外者”を排除する。得物のストックを折りたたんで背中に担ぎ、岩を背にしながら、俺は全力で走った。この角度なら、孤児院から俺は見えないはずだ。案の定、俺を狙った弾丸が東から襲ってきたが、その頻度は低い。偏差射撃の餌食にならぬよう、ときおり走るスピードを落としながら、不規則に動き続ける。
俺は窪みを見つけ、そこに飛び込んだ。銃撃が止み、対物ライフルを展開する。孤児院からさらに二百メートルほど離れてしまったが、あそこで延々と持久戦を行うよりはマシだ。俺は仰向けになって再び手鏡を取り出し、孤児院の様子を窺う。ひとりの人間が、椅子に座って銃を構えていた。ヴィンセントだ。ここからは銃とわずかな頭部しか見えないが、銃口はなぜか、味方がいるはずの東を向いていた。
「邪魔だ、部外者め!」
小さくそう訊こえると同時に銃撃音が響いた。
「どうやらさきほどのは伏兵だったようだが、“お前”がここのどこかにいるのはわかっている! 血を流しながら逃げていった味方を救いたいなら、一騎打ちで私に勝ってみせろ! それに、ラスト・コート作戦の度重なる失態の真相を知りたいだろう?」
ここからは見えないが、奴はいま、味方の伏兵を攻撃した。いや、違う。
さきほどの狙撃手は、ヴィンセントの味方ではなかったのだ。




