贖罪 後編
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「育ての親を殺すのか?」
俺は博士の眉間に、引き抜いたリボルバーの照準を合わせる。
軍を退役してから射撃を行う機会は極端に減ったが、近場の射撃場などで訓練は私的に行っていた。多少の体力の衰えはあっても、射撃の腕にはまだ自信がある。
「腐っても元軍人だからな。この国の未来のためなら、マッドサイエンティストのひとりやふたりくらい始末してやる。例えそいつが親でも」
正直、義理でも親に銃口を向けるのは抵抗があった。しかし、この男は戦友の抹殺命令に加え、“俺たち”のような存在を再び生み出そうと画策しているのだ。犠牲者を増やすわけにはいかない。
「ずいぶんと血の気が多いな、今年で三十一だろう? もう少し落ち着きを持ったらどう――」
博士の顔の左側、なにもない空間を撃ち抜く。この家は街はずれに建っているから、発砲音に気づかれることはまずない。
「つぎは真ん中だ。毎日続く研究でストレス溜まってるだろ? “ガス抜き”してやる」
「……そう焦るな。これは、イーリスの未来のためでもあるのだ」
相変わらず、どんな脅しにも屈しない博士の肝っ玉の太さには感服する。俺が何の情報も聞き出さずに殺すことはないと知っていての態度だろう。博士は何か重要なことを知っている。
「味方殺しが国の未来につながるだと? よくそんな寝言が言えるな」
「そう言わず、まずは話を聞いてくれ。それからでも判断は遅くないだろう?」
俺は渋々銃をホルスターに収めると、博士は少し安堵したような表情になった。と思うと、俺に悟られまいと考えたのか、すぐさまいつもの顔に戻る。
「……革命戦争で私たちの国がガリムを返り討ちにできたのは、お前たちの活躍によるところが大きい。銃はともかく、戦車はまだ生産も安定していなかったからな。そんな国宝とも言える機密が、今から一週間前、ガリム側に漏れてしまったんだ。図々しくも私を嗅ぎまわっていたスパイは始末したんだが、ガリムの上層部には伝わってしまった」
「最高機密が聞いて呆れる」
「返す言葉もない」
博士は続ける。
「ガリムは先の戦争で負けて以来、急速に軍備を整えている。イーリスを含め、周辺国はガリムと軍事力で倍近い差を付けられているんだ。その気になれば、人体実験によって生み出された兵器が再び自国を侵略しようとしていると叫んで、イーリスとの開戦の口実をつくるかもな」
「ガリム国内の世論はどうなってるんだ?」
「報復に出るべきだという急進派と、平和な方法をとるべきだという穏健派で二分されている。だが、ここ最近のガリムの急激な成長もあってか、急進派のほうが勢力を強めてきているようだ」
そんな状態で俺たちのことが大々的に報じられれば、再び戦争が始まる可能性が高いだろう。
「機密が漏洩してから間もなく、ガリム側からイーリスと極秘に会談を行いたいという打診があった。ウェントも私も想像していた通り、奴らはリークされた情報をネタに脅してきたんだ。お前を始めとする“ニムロデの子供たち”が人体実験の産物だということを公表されたくなければ、無条件で平和条約を締結し、かつお前たちを全員抹殺しろ、とな」
「なぜ俺なんだ?」
「お前はあいつらを知り尽くしている。十数人の部隊を送り込むくらいなら、お前ひとりのほうが効率がいいし、確実だ。最近の情勢を鑑みれば、大規模な戦力投入は避けたいしな」
戦友を手にかけるということがどれほどの苦痛になるか、少しでも想像できるはずだが、この男には無縁だった。自分の欲求を満たすためなら――研究を支援してくれる相手を除いて――あらゆる者を敵に回すだろう。
「お前のところの会社、確か国の耳と言ったか。もしこの提案を引き受けてもらえるなら、それなりの額を投資しようじゃないか」
「残念だが、うちの経営は順調だ」
「それは結構」
博士はあたかも断られることが前提だったと言わんばかりの自信たっぷりの表情で続ける。
「なら、お前の養子と、現在交際中の女性の安全を保障する。どうだ?」
「……脅しのつもりか?」
「まさか。お前たちの恐ろしさは私が一番よくわかっている」
パークス大陸の諸国間では、航空兵器の研究や開発を半永久的に禁止する、ルーベン条約が二十年前に締結されていた。あらゆる場所から見上げても、同じ空が続いている。空は万人が共有しているのだから、そこを侵すことは人類に対する宣戦布告行為であるという大義名分の下、当時のガリムとイーリスが主導で実現させたのだ。今日、空を好きに飛べるのは鳥類だけだ。
航空戦力の研究が滞っていた両国が協議し、周辺諸国から未来の脅威を生まないためという共通の利益の下に生まれた条約のおかげで、ガリムは戦車や装甲車といった陸上兵器に、イーリスは歩兵の戦闘能力向上に関する研究に没頭することができた。
イーリスの研究の果てに生まれた<五つ子>。兵士の運動能力を飛躍的に向上させる計画は、“二ムロデの子供たち”と呼ばれた。二ムロデというのは、とある書物に書かれている、神に挑戦しようとした人間の名前を冠しているらしい。熱量によって自在に変形・収縮する炭素繊維の人工筋肉を、生身の筋肉に織り込み、筋力や速力を上げ、さらに電気信号に干渉し、神経伝達速度をいじることで、高速で動く物体の対処も容易にするという、SFじみたこの計画は、革命戦争中にようやく一応の成功を収めた。ただ、計画のひとりの兵士あたりにかかるコストは莫大で、俺たち五人を生み出して以来、博士は上層部からの厳命で、コスト削減を目標とした研究を継続して行っている。国内では、陸上兵器で先を行くガリムに後れを取るという周囲からの批判が多く見られたようだが、当時の博士が一蹴したとのことだ。現に、その成果で革命戦争を勝利で飾ったのだから、周りからすれば文句のつけようもないだろう。
「なら、なぜそのような提案をする?」
「さっき話した通り、ガリムの上層部どもはお前たちの存在を知っている。もし<五つ子>の抹殺ができないなら、奴らはこちらに部隊を送り込むそうだ。お前たちの力なら、歩兵戦程度ならどうにかなるだろう。だが、戦闘で倒すのが困難と判断したら、敵はほかに何を狙うと思う?」
兵器として生きることを決めた俺が、戦闘で死ぬ分にはいい。だが、シオンやレアールが銃弾に倒れる姿など、絶対に見たくはない。
「それに、強硬手段に出た場合は、暗殺作戦にイーリスも極秘裏に参加しろと言われている。条約の締結を控えている状況で、さらに<五つ子>の情報を握られているとなっては断ることもできない。お前、下手すれば二国の軍隊を敵に回すことになるぞ」
自分の身体のことは、自分がいちばんよく知っている。だが、あくまでも俺は人。どこからともなく炎を出したり、雷を発生させることなどできない。歩兵数千人と真正面からぶつかって生き残れる可能性など、ゼロに等しいだろう。
「お前たちほどではないが、軍の中でも選りすぐりの精鋭を護衛に付ける。任務遂行中でも、ガリムが約束を守るとは限らないからな」
「……もし断ったら?」
「<五つ子>とその周囲の人間は、ガリム-イーリス連合軍によって皆殺し。イーリスは人体実験の情報を公開された挙句に大幅な譲歩を迫られ、相当不利な約束を交わされるだろう。大陸の情勢がガリムに傾く。仮初の平等が子々孫々に渡ってこの大地に根を下ろすのだ」
「ガリムは軍拡をくり返しているんだろう? だったら、脅威に対抗するべく、奴らとの直接対決は考えなかったのか?」
「こっちの世論が黙っていない。十年前はガリムが絶対悪として存在していたから、右派も左派も手を組んで立ち向かえたんだ。今とは状況が違う」
博士は続ける。
「今回の件は、決して表に出ない戦いだ。それに、ガリムは“ただ軍備を整えている”だけ。あちらと戦争をすることになれば、イーリスが平和条約締結を破棄して宣戦布告をしたように取られてしまう。最悪の場合、ガリムが周辺国に呼び掛けて、イーリスを包囲する可能性もある。敗戦国とはいえ、ガリムの力は強大だ。今度は我が国が、革命戦争のときの奴らと同じ立場になるわけだな」
戦いの中でこそ、俺たちは輝くことができた。戦争を生きた英雄たちが、会見を行う為政者よりも多くのスポットライトを浴び、演奏を終えた楽団よりも万雷の拍手を送られた時代も今は昔。俺なりに一般的な生活を営んできたつもりだったが、やはり過去は消せない。死神が、大きな鎌でこの首を切り落とさんと近づいてくる気がした。
こういう時は、因果応報という言葉がふさわしいのだろう。いつか、罪を清算しなくてはならない日が来るとは思っていた。
「答えは明日まで待ってくれないか?」
「わかった。明日の十八時、街の中央公園で会おう。そこで返答を聞く。帰っていいぞ」
まだだ。俺は聞かなければならないことがある。
「博士――」
「そうそう」
玄関を開けながら博士が続けて話す。
「わかっているとは思うが、始末の対象は“全員”だ」