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春過ぎて  作者: 菊郎
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暗躍



「降ってきたな」

 日が暮れ、街灯に照らされた雪が薄く光るフスレを見渡しながら、俺とフリッツは、人払いが済まされた公園の丘で待機していた。十六時から一時間周期で交代し監視を続け、時刻は二十時を指している。オレンジ色の瓦屋根をした、ヴィンセントの家の晩餐会が行われる部屋をスコープ越しに確認するが、長方形のテーブルに料理を並べにきた人がせっせと行き来しているだけで、未だに本人は姿を現していない。さきほどから雪が降り出していることもあって、この寒さで屋外に長時間いるのは堪えるものがあった。分厚いコートに身を包んではいるものの、厳しい冷気が顔に突き刺さる。

 金曜日までの日々は、短いようで長かった。真っ白なフスレの街並みや公園を息抜きで見て回ったが、作戦のことを思うと、自然と足は基地へと向かっていった。作戦中にひとりで関係のないことをしていると、どうにも罪悪感を感じてしまう。

「晩餐会、始まりませんね」

 フリッツは三脚に支えられた双眼鏡を構え、俺の右で監視を続けていた。長距離狙撃用に調整した対戦車ライフルから手を離して右を向くと、巨人と見紛うほどの身体となった彼が座っている。フスレの寒さに耐えるため、俺と同様に厚手のコートを着ているうえ、防寒ニット、手袋までしているものだから、彼のただでさえ大きな身体が余計に強調されている。雪に溶け込むために白で統一しており、まさに白熊といった感じだ。俺はつり上がっている口角が彼にバレないよう、すぐ前へ向き直る。

「ヴィンセントの反撃もありうる。絶対に油断するな」

「もちろんです。可能性が低くとも、その事態に備えなくては」

 バイポットで固定した銃身に顔を預け、もう一度スコープを覗く。俺は緊張感を鎮めるため深呼吸し、フスレの冷たい空気をいっぱいに吸い込んだ。基地に敷設されている長距離射撃場で八百メートルでのゼロイングを行ったが、降雪時の狙撃はやった試しがない。風速を測るための旗もないし、指標となる草木は射撃地点にしか生えておらず、夜間のせいで陽炎も視認できない。ヴィンセントに弾丸を叩きこむまでのあいだに、どれほどの風が吹いているのか、判別のしようもなかった。

 監視を続けると、五分ほどして正装した人々が続々と部屋へ入ってきた。どうやら始まるようだ。

「始まりそうだ」

「ええ」

 ヴィンセントの身長は、約百八十センチメートルだ。俺は、彼と背丈の近い壮年の男性に照準を合わせ、スコープの目盛りを読み、距離を測る。距離は八百十メートルほど。これなら銃身自体を上下左右に調整するくらいでいいだろう。フリッツの情報は正確だったようだ。

「まだ標的は確認できませんね」

 壁の要所にはめ込まれた窓から中を窺っているものの、晩餐会が開かれても、いまだに本人は登場していなかった。すでに室内は男女で溢れかえっており、みな、グラスに注がれたワインや皿に盛った料理に手を付けながら、話に花を咲かせてているようだった。

 ニ十分経っても、ヴィンセントは一向に姿を見せなかった。やはり、情報を耳にし、自身が入場するタイミングをずらしているんだろうか。それとも、このまま出てこないつもりか。隣のフリッツが大きく息を吐く。

 そう思った矢先、奥の扉が開け放たれた。中へと足を踏み入れたのは、白髪が混じった黒い頭髪を後ろへなびかせている、屈強な男。鍛え抜かれた筋肉は、黒色のスーツ越しでも容易に確認できた。目尻は垂れ、一見して温厚な風に見えるが、その眼光は決して笑っていない。いかなるときも冷静で、動じない、<五つ子(俺たち)>の中でもっとも戦士としての生き方をまっとうしていた男。味方には天使のように優しく、敵には悪魔のように残酷な一面を覗かせる。その姿形は、ほとんど十年前と変わっていない。

 第三の標的、ヴィンセント・グラッツェルは、これから自身に迫る死を知っているのか、あるいは知らないのか、それはわからない。その顔は、招待客たちに向けて不敵に笑っていた。





「射撃地点の風はありません。四百メートル地点でも、無風状態のようです」

 なぜわかったのだろうかと思い、スコープで辺りを見回す。すると、前方の家の煙突から煙が上がっていた。ゆらゆらとほぼ直線のまま空へ上っていく。どこかの誰かが夕食の支度でも始めたのだろうが、何気ないその行動に、俺は心から感謝した。だが、まだ懸念すべき項目がある。

「……雪が心配だな」

 高速で回転しながら突き進む弾丸は、必ず空気の抵抗を受ける。そこに、いくら柔らかいとはいえ、不特定多数の雪が接触という要素が加わった場合、どれほどの影響が出るのか。こればかりは賭けだった。俺はヴィンセントに照準を合わせ、弾道落下を計算に入れるため、ほんの少しだけレチクルを上にずらす。頭を狙おうとは思わない。得物の対戦車ライフルは、威力向上のため、フスレ基地でのメンテナンスでバレルを換装。十二・七ミリ、五十口径弾を発射可能になっている。銃自体のフレームも変え、軽量の素材になったことで携行性も増した。ストックも折りたためる。弾丸は、軽装甲車程度なら易々と貫通するようで、もはや“銃”ではなく“砲”に近い威力を備えていた。胴体にさえ当たれば、間違いなく致命傷になるはずだ。それに、弾丸が重ければ、その分弾道がまっすぐに飛びやすく、目標に命中させやすくなる。フリッツの話では、奴の家は防弾ガラスを張り巡らさせているようだが、五十口径のような弾丸は、そういった遮蔽物もものともしない。ヴィンセントには悪いが、この大口径の弾の実験台になってもらおう。

 俺はストックに当てている頬の位置を調整した。グリップをしっかりと握り直し、右手の人差し指でトリガーに軽く触れる。自然と自身の呼吸を同期させ、余計なことを考えないよう、スコープ越しに写っている光景を注視する。ヴィンセントは歩きながら何かをしきりに話しており、周囲の客はそれを笑顔で訊いていた。きっと明日にでも使えそうな雑学でも披露しているのだろう。

「目標が止まったときがチャンスですね」

 いつ訪れるかわからない機会を、ひたすら待ち続ける。それが狙撃手の姿だった。ひとりで何人もの敵を相手に狙撃していく華々しい姿など、空想上の産物に過ぎない。戦場にいつの間にか現れ、少数精鋭で戦い、そしていつの間にか消える。戦場の幽霊とでも言うべきか。

 ヴィンセントが動きを止めた。俺は息を止め、照準をゆっくりと彼の頭の部分を狙う。弾道が予想通りに落ちれば、胴体に当たるはずだ。

 すると、突然室内の照明がすべて落ちた。

「照明が消えました」

 フリッツの言葉を受け、俺は躊躇わず引き金を引いた。暗くて撃てませんでしたなど、そんな情けない言い訳は通用しない。消音器によって抑えられた、乾いた銃声が響くと同時に、人に必要以上の痛みを与える弾が、目標を最後に視認した場所へと吸い込まれていく。スコープで確認すると、ひびが入った窓は、確かにヴィンセントを最後に観測した場所だった。照明が落ちたせいで窓も見にくくなっていたが、弾は止まらず、しっかりと貫通しているのが見える。





「目標に命中したかはわからないが、ひとまず撤退だ。基地に戻るぞ」

 一分ほど経っても、照明は点かなかった。背中に積もった雪を落とすように、俺は伏せから中腰の状態になり、銃を担いで戻ろうとした。少し間をおいて、フリッツも双眼鏡から目を離し、立ち上がろうとする。

「了解です」

 ヴィンセントが死んだかどうか。まずはそれを調べなくてはならない。明日のフスレの新聞を見るのが手っ取り早いだろう。死んだにしろ、生きているにしろ、かならず取り上げられるはずだ。

 ストックを折りたたもうとした直後、フリッツの双眼鏡が何かによって猛烈な勢いで吹き飛ばされた。俺は音に反応し、即座に伏せる。立ち上がろうとしていたフリッツは、凶器となった双眼鏡の破片を顔面に受け、顔を押さえながら地面に倒れた。すぐに駆け寄りたい気持ちを押さえ、俺は必死で思考を巡らせた。

 いまのは紛れもない狙撃だった。銃声がまったく訊こえないということは、相手の銃身にも消音器がついている可能性が高い。マズルフラッシュも銃声も確認できないとなると、敵の居場所を突き止めるのは困難だ。だが、ひとつだけわかったことがある。

 双眼鏡は、俺たちがいた場所から後ろに向かって吹き飛ばされていった。つまり、敵は俺たちの対角線上にいることになる。直線状において、これほどまでに迅速に、八百メートル以上離れた相手に反撃できる人物など、俺の知る限りではひとりしかいない。

 ――ヴィンセント・グラッツェルが、あの暗闇の中で俺の狙撃をなんらかの方法で回避し、反撃してきたということだ。

「……くそ!」

 俺は伏せた状態でフリッツのところまで這っていくと、彼のコートをつかんで後ろへと引きずっていく。側にあった木にもたれかけさせ、彼の顔を確認すると、あごや鼻先、頬に細かい傷がたくさんついていた。出血しているが、どれも比較的軽い。酷かったのは右目だった。双眼鏡の大きめの鏡の破片が刺さり、血がどくどくと溢れている。失明しているかもしれない。俺はバックパックから消毒液を取り出し、フリッツの右目のまぶたを消毒する。傷口にしみたのか、彼は苦悶の表情を浮かべた。

「悪いが、耐えてくれよ」

 俺は消毒をひとしきり終えると、彼に少しだけ右目を開けるよう促した。

「フリッツ、俺を見ろ。指は何本に見える?」

 親指、人差し指、中指を立てて見せた。

「……三本です」

「目は無事だ。応急処置の後、このまま撤退するぞ」

 ガーゼで彼の右目と頭を巻き付けた後、俺たちは公園を出て、待機していた車に乗り込む。

 照明が落ちたせいで、目標への着弾を確認できなかったのが痛かった。もしすぐにでも確認できていたら、第二射を撃つなり、撤退するなり、すぐに判断できたはずだ。ここで決められなかったのは残念だが、当初の予定通り、後日、奴が経営しているという孤児院に先回りし、その隙を突こう。いまの情勢なら、奴も先生という立場をないがしろにはできないはずだ。反政府勢力の連中は、正規軍(俺たち)と戦う術を模索しているのだから。

「少佐」

 フリッツが呼んだので、俺は彼の方を向いた。

「ヴィンセントは生きているのでしょうか?」

「撃たれた方向は、確かにあいつの家の方角だった。ミレイユが俺のことを伝えているなら、対策は練っていただろう。生きていても不思議ではない」

 あまりに迅速な反撃を受け、俺の全身からは冷や汗が出ていた。膝に置いていた手が震えている。あの狙いが俺だったとしたら――。明確な自身の死の可能性を目の当たりにしたのは久しぶりだった。<五つ子>は歩兵相手に後れは取らないし、なにより、十年ぶりの実戦だったからだろう。どんな危機に陥っても、自身が<五つ子>という事実と、積み重ねてきた経験が、俺の背中を後押ししていた。

 ルーカスの施設で榴弾砲を目の当たりにしたときでさえ、俺はそこまで危険を感じなかった。退路は確保していたし、榴弾砲が固定されるまでの猶予もわずかばかりだがあった。

 だが、俺がこうしてフスレの夜景を見ながら帰路につけるのは、紛れもない運だった。狙撃の能力で上回る男に反撃され、こうして生きているのだから。

 つぎはこんなことにはならない。いや、させてはいけない。
















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