対話
電球が等間隔につるされた廊下を歩く。周囲は不気味な雰囲気を醸し出していたが、明かりは十分であり、暗く感じるようなことはなかった。曲がり角を曲がると、そのさきに二名の屈強な守衛が鉄格子でできた扉の前に立っていた。手を後ろに組み、くるかもしれない侵入者を迎え撃つため、精悍な顔つきで前を見つめている。俺は彼らへ近づいていった。
「ロイ・トルステン少佐だ。セレーヌ・アデライードと面会がしたい」
俺がそう言うと、右の守衛が口を開いた。
「看守長をお呼びします。この場にてお待ちください」
一糸乱れぬ動きで、男は鉄格子の内側へと入っていく。その場に残ったもう一方は、俺という存在など、まるで最初からいないかのように、ただ真っすぐを見続けていた。気まずい空気が流れる中、一分ほどすると、さきほど中に入っていった守衛が初老の男性を連れて戻って来た。彼が看守長なのだろう。初老の男性は、俺を見て敬礼した。俺もすかさず返す。
「セレーヌ・アデライードとの面会でしたな、少佐。いま連れてきますので、面会室でお待ちいただければと思います」
俺はさきほどの守衛に案内され、入口の右にあった面会室へと通された。中は白一色で、中央にはしきりのための窓、両側には椅子が置かれている。あまりに殺風景な光景は、まるで別世界に迷い込んだかのようで、まったく落ち着かなかった。いっそ、犯罪者を放り込む場所らしく薄汚いほうがましだ。窓の中央をよく見ると、規則的に穴が空けられており、両側からの会話が可能となっていた。数分ほど経つと、窓の向こう側の扉がきしみながら静かに開いた。守衛に連れられて歩いてきたセレーヌの表情は暗い。灰色の質素な服に身を包んだ彼女は椅子に座ると、俺を見ていつもの笑顔を向けた。だが、それが愛想笑いなのは明白だった。彼女なりの気遣いなのはわかるが、かえって俺の胸を抉ってくる。
「すまないが、席を外してくれないか。機密に関わる話をする」
両側にいた守衛は、黙って外へ出た。扉が閉まる音をしっかり訊いてから、俺は口を開く。
「一日ぶりだな。セレーヌ」
彼女はまだ犯人と決まったわけではないため、荒っぽいやり方はいっさいしないよう厳命してあった。窮屈な生活に変わりはないが、ほかの犯罪者と比べれば扱いは雲泥の差だ。
「はい。ロイさんも、ご無事なようでなによりです」
昨日の戦闘のことだろう。それが彼女が招いた事態なら、とんだ皮肉だが。
「単刀直入に言うが、ラスト・コート作戦での度重なる情報漏洩は、君が起こしたのか?」
「違います! そんな裏切り行為、考えたこともありません……」
「だが、やろうと思えば、チャンスはいくらでもあった。現に、俺からフスレへの移動方法を訊いた君は、買い出しをしに行くと言ってルイーゼの屋敷から一時外出した。その次の日に、フリジア高原に反政府勢力が出現。ほかに有力な証拠がない以上、このような結果になったら、誰だって君を疑う」
セレーヌは悲痛な表情でうつむいた。心が締め付けられるような思いだが、私情を挟むことは許されない。
「どうしたら、私の身の潔白を信じていただけるのですか……?」
顔を上げたセレーヌは俺の目をじっと見つめる。
「ほかの誰かによる仕業だと推測されるような、出来事、あるいは証拠がでればだな」
こればかりは、まだ判断のしようがなかった。なにか動きがあるとすれば、ヴィンセントかデイビッドを殺すときだろう。仮に無実だったとしても、今日明日での釈放は無理だ。
「この後、博士と君の父に、今回の件と今後について報告する。……なにかメッセージがあるなら訊こう」
「父が参加しているのですか?」
セレーヌは意外そうな表情で言った。そういえば、エルキュール大将が作戦に参加していることを、彼女にはまだ伝えていなかった。
「ああ。かく言う俺は、カスラ州を出る前に知ったんだがな。まさか元陸軍総司令官を使うとは思ってもみなかった」
「実家はアンテナのおかげで通信には不自由していませんし、父が部下に指示を出している様が目に浮かびます……。父は、私のことについて何か言っていましたか?」
――家を守るため。そういって、あの男は自身の過ちを隠し、セレーヌという存在を闇に葬り去ることを決めた。ただでさえ気分が沈んでいるセレーヌに、ありのままを伝えるようなことは避けたい。
「君を送り出したことを、少し後悔している節があった。それと、君の学校での成績が良かったことを誇りに思っていたよ」
彼女の顔に、本来の笑顔がいくばくが戻った。
「……では、父にお伝えください」
セレーヌは静かに、大きく息を吸い込むと、丁寧にはき出す。
「自分の出生を知ったとき、私はあなたのことを心の底から呪いました。けれど、今は違う。愛情をもって育ててくれたことを、大変うれしく思います。あなたのことを、愛してします。と」
懐の広い人間が数多く見てきたが、大変な境遇で育ち、残酷な仕打ちを受けてなお、人を愛せるその精神を、俺は心から尊敬していた。初めて出会ったとき、彼女の周りに博士の部下が集まっていったのをよく覚えている。セレーヌは、自身が持つ慈愛の心と、大将が持っているカリスマを兼ね備えているのだ。生まれついてのリーダー。貴族が背負うべき義務を、無意識化で実践している。
彼女は言葉を言い終えると、とたんに真剣な表情になった。口は堅く結ばれ、視線をこちらに向け続けている。しばしの沈黙がふたりを包み込む。さきに口を開いたのは、セレーヌだった。
「……私は死ぬべきなのでしょうか?」
彼女の目は冗談ではないということを物語っていた。
「馬鹿なことを言うな」
「私、ロイさんに必要とされて、本当にうれしかったんです。いままで、アデライード家の人から必要とされることなんてありませんでしたから。だから、自分を求めてくれる人をつくるために、軍隊の門を叩きました。けれど、その軍からも見捨てられようとしている。もう、どうしたらいいのか……」
フスレに向かう列車で捕えられたときと違い、セレーヌは泣いていない。その悲しみと辛さを、表情が代弁していた。
「状況証拠など、後でいくらでもひっくり返る。あきらめるには早いぞ」
「……ロイさんは、私のことを信じてくれるのですか?」
セレーヌに問われ、俺は言葉に詰まった。信じるべきか、疑うべきか。さまざまな人と出会いながら三十年を生きてきた男と、つねに心を平静に保ち、軍人として生きた男。ふたつの生き様から生まれた意志が、自分の心の中を回っていた。その沈黙の意味を、彼女も悟ったようだった。
「……わかっています。わずかでも可能性があるなら、疑うべきです。今回の作戦は、国の未来がかかっているのですから」
「すまない。だが、必ず真実を明らかにする」
俺は口から言葉を絞り出した。セレーヌを完全に信じるわけでも、疑うわけでもない。情けない、中庸な言葉だった。
「私はロイさんを信じます。また、あなたとともに戦えるときを待ってますから」
彼女に別れを告げると、俺は守衛に連れられ、営倉の入口まで戻る。博士たちと連絡を取るため、そのまま通信機のある部屋へと足を向けた。機械が立ち並ぶ中へ入ると、俺は席に座ってヘッドセットを手に取り、周波数をいつも使っている数字に調整する。
『博士、訊こえるか?』
『ああ』
『大将もいるのか?』
『いや、彼はいま自宅だ。昨日お前と通信をした後、すぐに戻った。ウェントの要請で一時的に軍に復帰し、各地の駐屯軍に作戦の考案や助言を行っているのだ。裏切り者探しがひと段落したこともあって、手が空いているからな』
首相自らのご指名か。確かに、きな臭いときほどベテランの手は欲しくなる。必要なときだけ呼び出されるなど、あまりいい印象は受けないが。
『まだセレーヌで確定したわけじゃないがな』
俺は博士にくぎを刺した。
『ああ。まだ様子見が必要だ。大将にも、いざというときは手伝ってもらうように言ってある』
そもそも、彼女をスパイと断定するには、ひとつ腑に落ちない点があった。
『じつは、セレーヌが犯人と考えるには、釈然としない部分がある。今までに起こった待ち伏せをセレーヌがすべて手引きしたのなら、最初の襲撃はどうやったんだ? セレーヌは作戦を訊いてからブルクを通るまで、ずっと俺の側か、同じ施設内にいたんだぞ』
ヘッドセット越しにうなるような声が訊こえてきた。少しすると、博士が話し始める。
『確かにな。ブルクを通ると彼女に伝えたのはいつだ?』
『作戦決行前夜、カニアの基地内で彼女と話していたときだ』
そこから、彼女は基地の外に出ることなく、互いに食事をとり、就寝した。基地内の無線はすべて記録されているため、不審な内容と判明すれば、すぐに兵士が飛んでくる。
『犯人がセレーヌを含めた複数人であるという線もあるな』
その可能性は低かった。いつでも敵と戦えるよう、いかなる場所でも警戒は怠らなかったし、鏡や窓といった背後が反射して見えるものの近くを通りかかったら、尾行者がいないが確認もしていた。
『尾行者の警戒くらいしてる。複数人という可能性は低いぞ』
『そうか……。こちらでも、念のため引き続き調査してみよう。大将の協力を得られないのが面倒だが』
『助かる。……それと、フスレの営倉にいるセレーヌと話してきた。彼女から、大将への伝言を預かっていてな』
『タイミングが悪かったな。私が伝えておこうか?』
『いや、直接伝える。今週末までフスレの基地内で寝泊まりするつもりだから、大将と会ったら連絡してほしいと言っておいてくれ』
『わかった』
つぎは、作戦についてだ。フリッツと決めた内容を俺が話そうとすると、やや食い気味に博士は話題を切り替えた。
『では本題に入ろう。ヴィンセントをどういった方法で仕留める?』
『奴の家の南にある丘から狙い、射殺する。晩餐会が行われるという金曜日の夜に決行だ。失敗した場合は、日を置いて奴の経営する孤児院で待ち伏せする。それでもダメだった場合は、部隊を編成し、家を襲撃する』
博士は少し間を置くと
『奇襲がメイン、接近戦は奥の手か』
『ラインハルトとのときのような接近戦は、本来ならいちばん避けるべき方法だ。だが、狙撃戦はヴィンセントの十八番だ。だったら、気づかれる前に殺すしかない』
『了解した』
『観測手としてフリッツを付かせる。構わないか?』
『もちろんだ。大将には、さきほどの話と合わせて、今回の作戦を伝えておく』
通信を切り、俺はまだ正午を過ぎたばかりのフスレの街並みを窓越しに見た。雪の結晶が太陽の日差しを煌びやかに反射する様は、まるで星空のように思える。クルスやカスラ州のようにしないためにも、迅速に決着を付けなくてはならない。俺は固い決意の下、右手の力いっぱい握りしめた。




