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春過ぎて  作者: 菊郎
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 ルイーゼの屋敷へ戻ると、正門の周囲に人だかりができていた。老人から子供まで、幅広い年齢の人たちが屋敷を見つめている。

「どうかしたんですか?」

 近くにいた婦人に話しかけると、彼女は振り返り、悲しみに目元を歪ませた表情でこちらを見た。

「ルイーゼさんが殺されたんですって……。あの人は、私たち市民のために一生懸命生きていたのに! どうして……? どうして彼女が死なないといけないの!」

 話しているあいだにも、彼女の目尻からは大粒の涙が止めどなく流れている。俺は途端に罪悪感に駆られた。あくまでも人々のために貴族の責務を果たしてきた彼女を一方的に殺したという事実が、俺の心に重くのしかかってくる。だが、それもこれも、任務の、ひいては国のためなのだ。俺は必死で自らの正義感を掘り起こし、消極的な考えを振り払う。

 慰めの言葉を探していると、彼女は俺の上胸を見て表情を変えた。きっとバッジに目がいったのだろう。

「あなた軍人さんなのね。どうか、どうかセレーヌさんの敵を取って!」

 その言葉を合図に、周りの者が一斉に俺の方を向いた。悲しみに沈んだ表情に、少しばかりの安らぎが浮かんでいるように見えるが、俺はその願いを叶えることはできない。

「もちろんです。人々の平和を守るのが、我々の仕事ですから」

 我ながら見え透いた嘘だ。

「よかった……。どうか、お願いします」

「ええ。任せてください」

 約束は守れない。あなた方の悲しみきっかけを作ったのが、まさしく俺なのだから。

「すいません。仕事があるので失礼します」

 関係者であることを悟られないよう、俺はニ十分ほど辺りをふらついて遠回りをしながら、裏口を通して屋敷へ入った。

 中庭では、神父と喪服に身を包んだ関係者たちが参列していた。すでに日は沈むかけており、彼らの悲しみを表しているかのように、辺りは非常に薄暗い。皆、すでに屋敷へ入ろうとしており、葬儀はすでに終わったようだ。玄関で暇をつぶしているとエリィとセレーヌが近づいてきた。

「ロイさん、戻られていたんですね」

「ああ。ブルーノさんの事情聴取はかなり堪えた」

 セレーヌは相変わらずの優しい笑みで、俺の苦労を労う。彼女の温和な表情には、俺の想像もつかないほどの冷徹な一面が隠されているのだろうか。もし、それが真実なら――。

「ルイーゼ様のご遺体は、軍関係者が引き取りにきました。ジェラルド博士の研究所内にある遺体安置所へ送られると」

 エリィの言葉に、俺は手筈通りだと思いながらうなづいた。博士には、≪五つ子≫の遺体に触るなと口を酸っぱくして言ってある。あの男が、人の感情をまったく理解できない機械でもない限り、死んだ後の被検体がどうなっているのかという研究は始めないはずだ。

「セレーヌ。明日は車でフリジア高原を通り、フスレ州へ向かう。今日中に支度をしておけよ」

 セレーヌに今後の予定を告げると、彼女は意外そうに眉をひそめた。

「鉄道ではないんですね」

 ベストレ山脈がカスラ州とフスレ州を分断していて、踏破しようとする輩は登山家くらいだ。大抵は、南西に広がるフリジア高原を抜けるか、山脈付近に整備されたイーリス国営の鉄道を使うのが主流となっている。鉄道は、道中で通る各駅への停車、石炭補給のための立ち寄りなどが面倒だが、移動距離が圧倒的に短かった。国営ということもあって運賃も安い。一方、フリジア高原は、地形が滑らかで、道も舗装されている。移動する分には問題ないものの、山脈から離れた場所を遠回りすることになるため時間がかかる。急いでいる身なら、大抵の場合前者を選ぶだろう。

「軍が新型の軍用車が試作したようで、俺たちに試乗して欲しいらしい。博士からの頼みでな。移動のついでだし、とくに問題ないだろう」

「わかりました。ロイさんは、これからどうされるんですか?」

「取り調べで疲れたし、夕食の時間まで部屋にいるよ。入り用なら呼んでくれ」

 セレーヌが外へ買い出しに行くというので、俺は、彼女に正門は人が多いから裏口から行けと告げてから自室へと戻る。ベッドを見ると、エリィの言った通り、ルイーゼの遺体はなくなっていた。

 することがなかったので、俺は紅茶を入れようと、近くの棚に入っていたセットを取り出した。エリィを呼んでぬるま湯を持ってくるよう頼むと、代わりに入れると申し出たので、紅茶入れに慣れていない俺は了承した。少しするとエリィが部屋に戻ってきて、慣れた手つきで紅茶を入れていく。俺はカップを口へ運ぶと、湯気とともに上っていく茶葉の透き通った優しい香りが鼻腔をくすぐった。喉を通る香ばしい紅茶の味も相まって、途端に気分が落ち着く。

「いい紅茶だ」

 話によれば、ルイーゼは後任にエリィを選んでいたらしい。ルイーゼを尊敬していた彼女にとっては、嬉しいことでもあり、同時に重みでもあるだろうが、無事やり遂げるだろう。器量と人格は、血統にも尊い。

「はい。ルイーゼ様も愛飲されておりました」

 俺たちは部屋の窓から、外の庭園を見る。つい数日前に見たはずの美しくのどかな景色が、とても殺風景に見えた。正門では、さきほどまでと同様に、多くの人々が屋敷に注目している。

「ロイ様」

 エリィに呼ばれ、俺は彼女を見た。目を細めた、和やかな表情からは、優しさと、哀しさが混ざり合っているようにも思える。彼女がルイーゼの死に対して、何も思わないはずはない。きっと、俺を罵りたいだろう。目の前にあるポットで、俺の後頭部を殴りつけたいだろう。いますぐにでも、テレビ局や新聞社に行って、俺の素性や作戦の内容を暴露したいだろう。

 俺の手の甲に、エリィはそっと手を置いた。さきほどまでポットを持っていたからか、温かい指の感触が伝わってくる。

「ルイーゼ様の分まで、少しでも長く、有意義な時間をお過ごしください」






 汽笛が鳴ると、響き渡る甲高い音とともに、汽車がゆっくりと動き始めた。見晴らしのいい駅を車窓から見ると、背後の山脈には雪が積もっている。トレンチコートは、元々耐寒性に優れるため、俺は着用する下着を変える程度で済んだが、セレーヌは、俺が用意した防寒具に身を包んでいる。茶色のシンプルなコートで、若い女性が着るには淡泊だが、彼女は喜んでいたし、問題ないだろう。

「フリジア高原を通ると訊いていたので、驚きましたよ」

「昨日の夕食の後、軍施設から連絡があってな。試作した新型車両に重大な欠陥が見つかったとかで、急きょ試乗をキャンセルしたいと伝えてきた」

 汽車が徐々に速度を上げると、車窓の外に見える景色も比例してあっという間に過ぎ去っていく。上層部の計らいで、俺たちは上等、中等、下等のうち上等の席に並んで座っていた。背もたれと下にクッションが敷かれているおかげで、身体にかかる負担がかなり軽減されている。座るスペースも広く、ゆったりとしていて、誰かの家に招待されているような気分だ。

 周りに座っている客も俺たちと同様に防寒具に身を包んでいたが、動物の毛皮など、上質な素材でてきているものがほとんどだった。なにより、上等区画全体に漂う雰囲気が違う。まるでセレーヌがいつも醸し出す上品な空気が、全体に行き渡っているようだ。俺のような中流階級以下の人間には、少し息苦しい。

「ロイさん、どうぞ」

 セレーヌは俺に昨日の買い出しで買ってきたというチョコレートを手渡した。寒い場所では消費するカロリーも増えるからありがたい。彼女は、俺の右、車窓側に座っていて、流れていく景色を楽しんでいた。旅行はあまり経験がなかったようで、雪化粧をした自然に興味津々だった。

「どっちに座ろうか迷ったんだが、これで正解だったみたいだな」

 俺が笑いながら言うと、セレーヌはたちまち顔を俯かせた。

「私だって大人ですよ? そんな、いちいち景色で喜んだりしません」

「代わろうか?」

 いえ、と彼女は断ると、手にした菓子を食べながら再び景色を見だした。

「まあ、立ち直れたようでなによりだ」

 ロントでの作戦を終えた彼女は、初めて敵を射殺してことに対する“罪悪感の軽さ”に悩んでいたが、この明るさを見る限り、どうにか乗り越えてくれたみたいだ。

「ロイさんのおかげです。私は、私のままでいいと、気づかせてくれたんですから」

 セレーヌの眩しい笑顔を見て、俺も顔をほころばせた。






 一時間ほど経つと、疲れからか、俺もセレーヌも話す頻度が減っていった。俺は腕を組んで天井を見ながら、フスレ州の軍事施設に着いてからのことを考える。“このまま”辿り着けば、今日の昼には到着するだろう。ヴィンセントを調査しているフリッツは、ヴィンセントの元部下でもあり、優秀な男だ。ルイーゼが遺してくれた報告書と、彼の情報があれば、ヴィンセントを手にかけるのはそこまで難しくない。

「ヴィンセントさんは、どんな方なのですか?」

 セレーヌが俺に問いかけた。

「俺たち≪五つ子≫の中でもっとも実戦経験が豊富だ。革命戦争以前の戦争や紛争に狙撃兵として参加し、数多くの実績を積み上げきている。公式記録によれば、まだ試作段階だった狙撃銃を使って、一キロ以上離れた場所にいた敵指揮官の頭を撃ち抜いたこともあるらしい」

 セレーヌの表情は、どこか納得のいかない様子だった。俺は、カニアの武器庫で彼女が≪五つ子≫のことについて語っていたのを思い出した。

「≪五つ子≫の方はみな、ロイさんと同年代だと訊いていましたが?」

「そうなるはずだったんだが、本来の被検体――つまり当初選ばれていたうちのひとりを、親族の人間が探し出して連絡を取ってきたんだ。彼を家に帰すべきかで、俺たちと博士は猛烈な口論になった。結局、俺たちの熱意に負けて、博士は彼が実家に帰るのを認めたんだ」

 計画が実際に動き出すまでのあいだだったため、機密情報のほとんどは知らされていなかった。それも博士の妥協を後押ししたのだろう。

「代わりに選出しようにも、孤児院出身で、かつ優秀な人材を探すにはもう手遅れ。そこで、すでに高い能力を有していた軍人を、博士が選抜して引っ張ってきた」

 それが、ヴィンセント・グラッツェルだった。計画の内容はある程度知らされていたはずなので、本人もあらかじめ了承していたのだろう。当時の年齢は確か三十九歳だったので、いまではヴィンセントは四十九歳。いい歳だ。

 だが、強化された肉体は、加齢の制約も易々と跳ねのける。正面切って戦うことになったとしても、絶対に油断はできない。

「紳士的な奴だが、戦闘が好きで、しかも頭のキレる男だ。気を引き締めていかないとな」

「私も、もう足手まといにはなりません」

 頼もしいな、と俺は返す。

 景色を見ようと顔を右に向けた瞬間、汽車が突然金切り声を上げながら減速を始めた。さきほど駅に止まったばかりで、つぎの停車まで時間があるはず。不自然な動作に、周囲の乗客の顔からは困惑が見て取れた。

「故障ですかね?」

「そうだといいが」

 汽車はやがて動きを完全に停めた。周囲のざわめきを切り裂くように、しっかりとした足取りで車掌の男が歩いてくる。俺は彼にバッジを見せながら問いかけた。

「すいません。なにがあったんですか?」

 俺が軍人であることを確認すると、車掌は安堵したような顔つきで耳打ちした。

「ここから西へ二キロメートルほど行った場所にあるフリジア高原で、イーリス正規軍と警察が、反政府勢力と交戦しているようです。鉄道各社からの無線通信によれば、激しい銃撃と砲撃音が断続的に聞こえてきていると」

 怖れていた事態が現実になった。

「わかった。情報ありがとう」

 肩を叩いて激励すると、車掌は俺に一言礼を述べた。彼はすぐに側を通り抜け、しばらく停車を続けるという旨を叫びながら後部車両へと姿を消す。

「ロイさん。私も行きます!」

 セレーヌの申し出は嬉しい。だが“君がこの戦いに参加する資格はない”。

「いや、君はここで待機していてくれ。前と同じように、市民の安全確保を頼む」

 彼女はぎこちない仕草でうなづいた。その動作は、俺の知る君が行っているのか。あるいは、もうひとりの君なのか。

 俺は先頭の運転室へ向かった。運転手や関係者に自身の身分を明かし、無線機の使用許可を得ると、機密保持という理由で、一時退室を求める。ひとりになったことを確認した後、俺はヘッドセットを被ってダイヤルのつまみを調整し、周波数を博士とのやり取りに使っている番号に合わせた。




『博士、大将、聞こえるか?』

 間髪入れずに返答がくる。

『ふたりとも聞こえている……網にかかったか』

 大将の声だった。フリジア高原で起きている戦闘のことはすでに知っていたようだ。

 俺は一瞬話すのをためらったが、一分一秒が惜しい。こうしているあいだにも、兵士や警察官の命が、テロリストどもに奪われているかもしれないのだ。俺は深く息を吸い、自分を落ち着かせてから口を開いた。

『その通りです。現在、フリジア高原で、軍と警察が反政府勢力と戦っている。つまり――セレーヌはクロです。車両内にいる部下に、彼女を拘束させます。拘束を確認した後、俺は交戦中の味方の救援に向かうつもりです』








 
















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