師弟
銃創からの出血が止まったことを確認し、ルイーゼを担いで玄関へ出ると、エリィが扉の側に立っていた。俺を見る目には、主人を殺されたことに対する憎しみも、失ったことに対する悲しみも感じられない。
「ご安心を。人払いは済ませてあります」
目の前の主の遺体を見ても、彼女はいつも通りの和やかな物腰で
「ルイーゼ様は、ロイ様のつぎの標的である、ヴィクス――ヴィンセント様の情報をまとめていました。お部屋にレポートを置いておきましたので、出立される前にご確認をお願いします」
「……わかった。彼女の遺体は、こちらで手厚く葬りたい。いいかな?」
彼女は一瞬思考を巡らせると、
「はい。きっと、ルイーゼ様もそれを望んでおられます」
「ありがとう。……君は俺が従事している作戦を訊かされていたはずだが――なぜ止めなかった?」
密偵にも、今回の作戦の話はいっているはずだった。ラインハルトを探っていたオスカーと違い、エリィは寝返っている。俺の行動を邪魔しようと思えば、いつでもできたはずだ。
「私が割って入ったところで、ロイ様を止められるなど微塵も思っていませんでした。なにより、ルイーゼ様ご自身から手を出すなと厳命されていたのです」
俺が反政府勢力側に入ること。それが、ルイーゼが国家に反旗を翻したいちばんの動機だった。それが達成されなかった彼女は、俺に殺されることを望み、ほんの数日間の共同生活と引き換えに命を差し出した。彼女にとって、ロイ・トルステンという存在は、命よりも重かった――。
エリィは一息つくと、再び話し出した。
「ルイーゼ様は、ラインハルト様、ヴィンセント様と協力し、反政府勢力の支援にあたられていました。ラインハルト様は志願者の訓練を、ヴィンセント様は戦闘における作戦の立て方や、軍人に必要な教養の伝授を、ルイーゼ様は資金の提供を」
思ってもみなかった有益な情報だ。ラインハルトが変装して反政府勢力の連中を訓練していたと言っていたが、役割分担だったとは。ヴィンセントは俺より実戦経験が豊富だし、教鞭に立つのも納得できる。ルイーゼは貴族だし、資金を工面していたのもわかる。アンゼルムたちが装甲車を持っていたのは彼女のおかげなのだろう。
「デイビットの役目は?」
デイビット――デイヴは、内向的な性格で、戦闘能力よりも情報の解読や分析に秀でていた。アグレッシブなラインハルトとはそりが合わず、よく衝突していたものだったが。
「それが、デイビット様の詳細はわかりません。最初の連絡以降、どうやら音信不通のようで」
独自に反政府勢力を支援していたのだろうか。いまは推測のしようもないが、いずれ本人から聞き出せばいい。
俺は礼を述べ、自身の部屋に向かう。ルイ―ゼの遺体をベッドに寝かせ、机に置いてった報告書に目を通す。そこには、エリィの言う通りヴィンセントにまつわる最近の情報がまとめられていた。ヴィンセント・グラッツェルの年齢や、経歴などが載っていたが、中でも目を引いたのは短くまとめられた報告書の最後に書かれている内容だった。
『……孤児院の経営は順調の模様。自宅はフスレ州セロナの北、瓦で作られたオレンジ色の屋根が目印。毎週金曜日には、自宅に友人や関係者を招待して晩餐会を執り行っている。晩餐会を行う部屋は二階。窓が多く、見晴らしがいい……』
俺は一通り読み終え、永遠の眠りについたルイ―ゼを見た。彼女が俺に提供してくれた情報は、無駄にはしない。手に入れたメリットを生かすためにも、これらの情報から作戦を練ろう。
俺のつぎの標的がヴィンセントだということを知っていたのは想定の範囲内だった。今回の作戦は、情報がだだ漏れだ。敵の待ち伏せ、こちらの行動の先読み。もはや正常な作戦として機能していない。報告とともに、博士にもう一度、裏切り者探しに進展があったかも訊いておこう。
エリィにルイーゼの遺体を任せた後、俺はひとりで軍施設へ向かった。セレーヌも連れて行こうと思ったが、あえて話もせずに置いてきた。初めて殺人を経験したのだから、ひとりになる時間が必要だろう。
屋敷を出てニ十分ほど歩くと、柵と有刺鉄線に囲まれた施設が見えてくる。俺はバッジを外から見える位置に調整してから入口に近づくと、両端にいた兵士が敬礼して俺を出迎えた。俺も敬礼を返しつつ、無線機がある場所を訊き、中へ入る。二階へ向かい、無線機のある部屋に入ると、席に座り、ヘッドセットを掛けて周波数を調整する。
『博士、聞こえるか?』
数秒ほどの間隔をおいて、しわがれた声が返ってきた。
『聞こえている。カスラに入って二回目の連絡だな。ということは……』
『ああ。対象を殺害した』
『そうか……。ご苦労だった』
それ以上の言及は、俺も博士もするつもりはなかった。
『裏切り者はわかったか?』
『さっぱりだ。ウェントを始め、アルバーン中将に、エルディー大佐、メルクロフを秘密裏に調査したが、必要以上の無線のやり取りはしていないし、不審な行動もなし。上層部にはいないのかもしれない』
そうなると、怪しい人物は限られてくる。
『あんたはどうだ? ジェラルド博士』
ほんの一瞬だが沈黙が流れた。図星だったのか、単純に驚いているのか。
『作戦行動中の私は、一日の活動記録を提出するようウェントに求められている。彼だけでなく、分析官も目を通すのだ。少しでも行動に不審な点があれば、間違いなく呼び出されているだろう』
俺が確認できない以上、いくらでも嘘をつく余地はある。それに、この作戦の情報をもっとも速く、正確に受け取れるのは、今回のメンバーの中で博士だけだ。それに、前に言っていた、スパイを始末したという話も気になる。博士が裏切り者だと考えたウェントか誰かが、人に彼を探らせようとして、それに気づいた博士が殺したという可能性もあり得る。
『消去法ならあんたしかいない。それに、活動記録を感づかれないように細工することだって、やろうと思えば可能なはずだ』
『それはないな』
いきなり渋い声が割り込んできて、俺は思わず視線をヘッドセットへ向ける。芯のある、どこまでも届きそうな声には、聞き覚えがあった。
『……大将ですか?』
『元だよ。ロイ・トルステン少佐』
エルキュール・アデライード元イーリス陸軍大将。革命戦争を主導し、勝利に導いた男。慎重さと大胆さを兼ね備えた戦略家であり、≪五つ子≫の実質の上司でもあった。当時は、よくカニアの自宅に招かれて食事をいっしょに取ったり、軍事にまつわる知識を教えてもらったりしたものだ。革命戦争以降は一線から身を退き、後進の育成に力を入れていた。
『今回の作戦を補助してほしいと博士に個人的に言われてな。少し前から君たちの報告も訊きつつ、極秘裏に上層部の監視も行っている』
元とはいえ、もう六十八歳になる大将をこき使う博士に俺は驚いた。彼には大将も二等兵も同じように見えるに違いない。
『私も監視の対象でね。調査のスケジュールなどは伏せてもらっている。お前の言うように、改ざんのタイミングなどを安易に作らせないためにな』
大将が側にいるなら安心だが、彼に言わなければならないことがあった。俺は博士に、大将と個人的な話をするので席を外してほしいと頼んだ。博士がいなくなったと大将から訊くと、俺は口を開く。
『なぜ、セレーヌを作戦に参加させたのです?』
そう問いかけると、大将は流れるように返してきた。
『英雄の側で戦うことは、なににも勝る訓練だ』
『死んでしまえば意味もないでしょう』
それなりの経歴を持っているならともかく、新人を――ましてや娘を――このような過酷な任務に就かせるなど普通ではない。俺の知っている限り、大将はそのような決断はしない男だ。
『セレーヌは、よくも悪くも優秀だ。あいつが出世して多くの人の目に晒されるようになれば、間違いなく“仮面が剥がれる”。一度素顔を見せれば、もはや仮面は意味を成さない』
『自分の娘の命より、家の名誉を取るのですか?』
大将は黙り込んだ。ヘッドセットを通して、かすかな息遣いが訊こえる。
『……それが、家を守る者としての責務だ』
本当なら彼の不貞を糾弾してやりたかったが、この場で話すにはあまりにナンセンスだった。過去に起こったことは、どうあがいても覆すことはできない。コップから水をこぼした人をいくら責めたところで、水はもとに戻らないのだから。ならば、布巾で床を拭くなり、水を注ぎ直すなり対策を施すほうがよほど有意義だ。
『大将。博士が違うならば、現状スパイの可能性が高いのはセレーヌです。場合によっては、逮捕する可能性もあります』
セレーヌは、ここまでよくやってくれている。明るい性格も、俺は置かれている状況からすれば非常にありがたかった。そして、敵を殺すことも経験し、軍人として少しずつ成長している。だが、作戦に対する姿勢や本人の性格は、スパイの嫌疑とは関係ない。ホテルはほとんど別の部屋だったし、別行動の時間も多くとっていた。疑い出したらキリがないが、情報を流そうと思えば、機会はいくらでもあった。
『口には出さなかったが、セレーヌは、家にいることを嫌っているようだった。アデライード家の一員であることも。考えたくはないが……』
俺は思考を巡らせ、ひとつの提案をする。
『彼女がスパイかどうか、確かめる手段があります』
翌日。青い空を流れる白い雲を眺めながら、俺はブルーノと、ロントにある警察署の屋上にいた。ルイーゼが“ルーカスの率いていた組織の残党によって暗殺された”という報せを受け、参考人として招致されたからだ。ラインハルトと違い、ルイーゼは平時でも影響力のある人間だったため、今回は上層部による情報工作が念入りに行われている。彼女の私室を荒らし、輸血用の血を撒いて、強盗殺人の現場を作り上げた。遺体は人身売買のために持ち去られたと、俺もエリィも口裏を合わせている。ほかの使用人たちには、偽の真実を掴ませた。仮に証言しても、大した情報を得られないだろう。
エリィは、関係者のみで行われる葬儀の準備があると言って、一足さきに屋敷へ戻り、セレーヌも付いていった。俺は取調室でブルーノからたっぷりと事情聴取を受けた後、彼に誘われてここにいる。朝に感じた寒気はほとんど感じず、西日の暖かさが身体を包んでいた。
「ルイーゼさんは残念だったな。まだ若いし能力もあった。生きる道も、たくさんあっただろうに……」
そうだな、と俺は答える。彼は思いもよらないだろう。彼女を殺した犯人が、目の前で話している相手だとは。
「俺たち軍人がすぐ近くにいながらこんなことになるのは、屈辱の極みだ」
ブルーノはタバコを吸っていた。口から息とともに出てきた煙が、ゆっくり空へと消えていく。
「あの施設での戦闘を見て思ったんだが、お前も、ルイーゼさんも、いったい何者なんだ?」
俺もルイーゼも、あそこでは≪五つ子≫として戦ったのだ。それを目の当たりにしたのだから、いつか訊かれるとは思っていた。誰かから訊いた情報ではなく、本人が見訊きしたこと。それは紛れもない真実であり、言い訳はできない。
「少し体をいじられた、言わば強化人間とも言える存在だな」
柵に上半身を預けながら、俺は言った。
「強化人間?」
「人間の筋肉に人工の筋肉を編み込むんだ。生身の筋肉の発する熱に反応して人工筋肉が連動し、高い運動能力を発揮できる。被験者の能力にもよるが、最大で成人男性五十人分くらいだろうだ」
俺はコートを半分脱ぎ、服をずらして背中を見せた。
「肩甲骨付近に、わずかだが切れ目が見えるだろう? 切開して人工筋肉を入れ込むときについた施術跡だ。神経伝達速度もいじられていて、高速で動く物体も肉眼で見抜ける」
コートを着直し、ブルーノのほうを見やると、彼は口を半開きにさせたまま俺を見ていた。右の人差し指と中指に挟まれたままのタバコの煙が、風向きにあわせてくゆっている。少しずつ指に迫る火に気づくと、彼は慌てて持つ箇所をずらした。
「……ルイーゼさんも、お前のようになっていたのか?」
俺はうなづいた。人工筋肉を身体に馴染ませるまでのリハビリは大変だったが、峠を越えると、世界が違って見えた。今までできなかったことができるようになるという快感は、なにも代えがたいものだった。数百キロはあるものを軽々と持ち上げ、高速で迫る銃弾や砲弾を避け、対物兵器を個人で使いこなす。
しかし、この身体もいいことだらけではない。薬や注射といった治療を受けると、一時間ほどは身体能力が不安定になる。限界を超えて動けることもあれば、一般人と同等か、それ以下の力しかでないこともあった。博士に理由を訊いても、目下調査中の一点張りだった。彼の推測では、治療を受けることによって、脳が普通の人間だったことを思い出して混乱するから、らしい。技術を追及してきた男の哲学的な発言は、自身の技術力の限界も示していた。だが、<五つ子>の治癒能力は、就寝時に起こる体組織の修復活動を促進させるという仕組みだ。大抵の場合は治療と休息がセットであり、そこまで苦労はしていない。
「革命戦争当時、とんでもない身体能力を持った味方がいると新聞で読んだことがあった。あれは――」
ブルーノは俺の顔を見ると、瞬時に口をつぐんだ。顔を曇らせると、柵の方へ向き直る。携帯していた灰皿に吸殻を入れると、懐から新しいのを取り出してライターで火をつけた。
「ルイーゼさんの一件、想像以上に複雑そうだな」
俺が話しているのは、国家機密レベルの内容だ。ラスト・コート作戦と同様、一般人が知ってはいけない情報。警察に長年勤め、さまざまな事件を追ってきたブルーノが、話の内容から危険を察知しないはずがなかった。
俺も柵の方を向き、眼前に広がる、夕日によって美しいオレンジ色に染め上げられたロントの街並みを見た。大通りが近いせいか、前方から人々の話し声や、催し物の音が聞こえる。人がひとり死んだところで、なにも変わらない、頼もしくもあり、残酷でもある世界。
下から突然名前を呼ばれたので顔を向けると、手を振っている男がいた。フィリップだ。車へ向かっているのを見る限り、パトロールにでも行くのだろうか。
「犯罪者がいなければ、警察もいない、か」
同じくフィリップを見ていたブルーノがつぶやいた。警察とルーカスの組織による“目に見えぬ癒着”は、あの施設で書類探しを担当していたチームと、警察上層部のみが知っている。フィリップは、正義と悪の密約によって生み出されたまがい物の手柄が自身に混ざっていることを、まだ知らないのだ。純粋な彼のことだ。自分がすでに“汚されている”ことを知ってしまえば、ショックを受けて、警察を辞めてしまうかもしれない。ならば、せめて経験をもっと積んでから彼に話すというのが、ブルーノの提案だった。
今回の事実は、完全に闇に葬られる。暴かれた情報は、ときに安定した秩序のため隠さなければならない。ロントを始め、カスラ州、イーリス、そして、フィリップのために。カスラやロントの警察は、大幅に成績を落とすだろうが、俺が関知すべきことではない。ブルーノやフィリップたちの問題だ。
「お前は、これからどうするんだ?」
ブルーノは顔をこちらに向けた。
「フスレ州に向かう。鉄道に乗らないといけないから、明日には発つ予定だ」
戦争当時ヴィクスと呼んでいた男――ヴィンセント・グラッツェル。彼を殺しに行くために。
「ベストレ山脈越えか。山脈から北の夜は寒いから、凍傷には気を付けろよ。……フィリップには、あんたのことをずば抜けて運動神経の良い軍人だったとでも伝えておく」
「頼んだ」
笑顔を向けてくるブルーノと握手を交わし、屋上から出ると、俺は警察署の階段を降りる。作戦開始から三週間ほどが経過していた。このペースで行けば間に合いそうだが、余裕を持つに越したことはない。そう思っていると、自然と降りるスピードも速くなってきていた。だが、俺を駆り立てているのは作戦の期限だけではない。
“彼女”の白黒もはっきりつけないといけないのだから。




