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春過ぎて  作者: 菊郎
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贖罪 前編


 お前がもっとも嫌う人間は誰かと問われたら、まず目の前で椅子に座っている者の名をあげるだろう。この男は、人間と呼ぶにはあまりに倫理観に欠けている。なぜこの男と週末に会わなくてはいけないのか。久しぶりに、レアールたちと遠出でもしたかったというのに。


「最後にお前と会ったのは……八年前だったかな?」


「五年前だ。大好きな戦争がなくなって呆けたか? 博士」


「なら“正常”だな。人といつ会ったかをいちいち記憶するほど、私の脳に余裕はない。“ここ”に詰まっているのは、技術と知識、そして好奇心だけだ」


 ジェラルド博士――イーリス軍事研究部部門総括。色素が抜け白くなった短い髪と、骨ばった身体からは衰えを隠せていないものの、背筋はしっかりと伸びている目の前の男は、我が国きっての科学者であり、軍事技術研究チームの第一人者だ。彼と彼のチームの研究によって軍事技術に多大な進歩が見られ、その結果ガリムに打ち勝ったと言っても過言ではない。


「このタイミングで呼び出されたということは――」


「ああ。“家族会議”を行おうと思ってな」


 昔の戦争で両親を亡くした俺は、博士に引き取られた。ほかにも多くの子供たちがおり、彼の家はまるで小さな保育園のようだったのをよく覚えている。その中でも当時の俺は最年長で、周りの子からすれば兄のような存在。博士は子供の世話の大半を部下にやらせていたが――暇があれば子供を抱いたり、みんなの前で絵本を読んだり――自身も積極的だった。


「“父親”と“長男”しかいないが?」


「ふたり揃えば十分だ」


 博士は構わず続ける。


「知っての通り、昨今我が国を賑わせている一連の騒動には、家内の者が関わっている。ラーヴィの件はもう知っているな?」


「もちろん。あれだけ目立てばな」


 人々の先頭に立ち、テレビに堂々を映っていた男・ラーヴィ。以前から自己顕示欲と上昇志向がやたらと強い奴だった。メディアに出演できてさぞかしご満悦だろう。


「まさかあんなに目立とうとするとは……自分の立場をわかっていないようだな」


「親父の教育が悪かったに違いない」


「痛いところを突いてくる」


 博士は苦笑いをしつつ答える。


「お陰で関係者から今回の件の対応や見通しについて質問攻めだよ。これでは研究もままならない。」


 博士は公私混同をしない。招かれた彼の家には研究に関わる書物や機材は一切置かれておらず、必要最低限の家具があるだけ。今座っている椅子のほかには、テーブルや椅子に食器棚、それに古今東西の書籍が納められた本棚が目に付く。一言で言うなら、普通だ。

 彼にとって家はただの休憩所に過ぎず、必要な分だけ休息をとるとすぐに国の研究施設に向かう。過去には、体調を崩しても体を這うようにして研究に打ち込む姿がよく見られた。なにかに憑かれたように研究を行う彼を見ていると、人間が持つ三大欲求の存在を忘れそうになる。


「まあ、暴れてくれないと、それはそれで困るんだがね」


 彼に鋭い目線を向けられ、思わず俺はしかめっ面になる。


「お前たちは、戦争にこそ存在意義を見出すように造られているんだ。この十年にまったく戦いがなかったのだから、この情勢に嫌気が差して、今度は自分から争いの火種を求めるなんて暴挙は、十分想定できた」


「なぜ、早期に対策をとらなかった? 革命戦争が終わった時点で彼らを帰郷させず、警察にでも配属させればよかっただろう」


強い口調で博士に問う。


「私は研究者だ。故に、つねに新鮮な出来事を求めているんだよ。だから、兵器であるお前たちが、大多数の人間にとって当たり前の日常に溶け込むことで、いったいどのような反応を起こすのか。それが知りたかった。お前は例外だったが、ほかの者は密偵を使って監視し、データを取らせてもらった」


「相変わらず大した情熱だ。執念と言うべきか」


 この男は好奇心に体を乗っ取られている。だが、博士にとってはどうでもいいことなのだろう。ただ、自分の欲求を満たせさえすれば。


「報告によれば、中には死にかけていた子もいた。我が子が死の危機に瀕していると知ったときは、なにもできずにただ見守ることしかできなかったせいか、心配で夜も眠れなかったよ。介入してしまえば、研究の意味がなくなってしまうからな」


 椅子から立ち上がって周りを歩きながら、まるで演説をするかのように抑揚のある、かつ張りのある声で彼は語る。


 戦場は、俺たちにとっての日常だった。戦いに明け暮れた者たちがいきなり一般人の日常になじめるわけがない。水と油は交わらないのだ。彼らの苦労が目に浮かぶ。


「今はまだ実用段階ではないんだが、離れた場所の情報を瞬時にやり取り可能な技術も研究中だ。無線やテレビでは到底不可能だった膨大な量のデータでもすぐさま知ることができる。密偵はお役御免になるだろうな。私が生きているうちになんとしてでも完成させてみせる」


 段々と眉間に力が集まっている。おそらく険しい形相なのだろう。博士の目には恐怖の色こそ見えないが、辺りを歩きつつ話しているあいだも、しきりにこちらを見てくる。けんか腰になるのは避けたかったが、戦友の扱いを聞いて、涼しい顔をしていられるわけがない。

 ましてや、この男は、俺たちを生み出すため、犯罪や軍規違反を犯した者たちを秘密裏に回収し、計画実用化のための実験台にしていた。その数は四二二人にのぼっている。


「しかし、お前たちは自らの意志とはいえ、人道的とは口が裂けても言えないような計画の実験台になってくれた」


 彼の口からは同情を誘うような言葉が出る。それがただの分析なのか謝罪なのか。


「あいつらは不安なんだ。このまま平和条約が締結されれば、行き場を完全に失うんじゃないかと。だから、今回の一件は、自らを安心させるためというのが一番の理由だと考えられる」

テーブルに座り直すと今度は顔を俯かせ、彼は言葉を紡ぐ。


「もう十分役目を果たしてくれたよ」


 どこまでも自己中心的な男だ。


「遠回しな言い草はやめろ」


 俺はさらに強い口調で彼を問い質す。


「俺に後始末をさせたいんだろう?」


 その言葉を聞くと、博士はさっとこちらに向き直る。


「……もう生かしておく必要はないんだ。データは十分取れたからな。そうそう、実は、お前たちのデータをもとに改良方法を研究中なんだ。成功すれば間違いなく、人類の有史以来、最高の戦力を生み出せる。人であるが故に無限大の汎用性を持つ兵器の強化版だ。狭い路地ひとつに手間取り、近づかれれば役立たずの戦車など目ではない」


 数々の軍事的な貢献の影響で博士はイーリスにとって重要な存在だった。だが、戦争のない今の世界では、それも過去の話。


「お古は用なしってわけか」


「大人は子供用の服を着ないだろう? それと同じことだ。人が成長に見合った物を買うように、時代ももまた、その時に合った物を欲している」


それは博士にも言えることだった。俺も、ラーヴィたちも、博士も、普通の人たちとは決して相いれない、戦いに生き甲斐を見出す人種だ。光が強く照り付けるほど、狭くなった影でその身を縮こませる。みなが笑えば泣き、喜べば悔しがり、そして悲しめば喜ぶ。


「戦車はもう飽きたのか?」


「いまの技術では、性能を上げるために車体の巨大化をするのは日常茶飯事。大きければ大きいほど強いなどという、動物でも思いつくような単純な理論は退屈なんだよ。一方、お前たちは至高の兵器であり芸術品……。東の国に伝わる刀の刀身や波紋のように美しく、それでいて鋭く、かつ危険――」


 ラーヴィたちは戦争の加害者であり被害者だ。何としてでも助けたい。だが、この男に助けは必要ない。


「物騒だな」


俺は、護身用として所持しているリボルバー式の拳銃をホルスターから静かに引き抜いた。


「あんたの気分ひとつで、仲間を危険に晒すわけにはいかない」



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