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春過ぎて  作者: 菊郎
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エスコート




 雲ひとつない青空の下、俺たちはカスラの大通りを歩いていく。ブリーフィングを受けに来たわけでもなければ、作戦行動中でもない。戦士に許された、休息の時。休暇だ。カスラはガリム軍が補給場所として重宝しており、被害が比較的小さかった。それでも、銃撃や砲撃で家を破壊された人は多く、大半は教会などの避難所で暮らしていた。その一方で、店を持つ人々は木造の簡素な屋台をつくり、屋外で連日商品を売り出していた。大通りには露店が立ち並び、週末のフリーマーケットのようだ。行き交う人々は、両端に直線状に並び立つ店に興奮し、うれしそうな表情で品を眺めたり、手に取ったりしている。

「すごい人。ほんの少し前までここが戦場だったなんて思えない」

 俺は隣で並んで歩いているルヴィアを見た。白いワンピースに身を包んでいる彼女は、いつにも増して美しく見えた。風になびきながら、太陽の光を反射した金色の長髪が煌びやかに光っている。

「だな。活気があるのはいいことだ」

「みんな元気そうでよかった。今日は一日楽しめそうね」

 ルヴィアはそう言いながら

「――誰かさんがもう少し衣服に気を配ってくれれば、完ぺきだったんだけど」

 彼女の物静かな追及に、思わず目を逸らした。

 休暇を利用してカスラへ行くので同行してほしいと言われたのが昨日。着ていく普段着を探して基地内を奔走していたところを、ヴィクスに呼び止められた。彼に事情を話すと、自身の以前着ていた一張羅があるというので、俺はありがたく受け取った。だが――

「まさかこんなに厳かな服だとは思わなかったんだって」

 黒く滑らかな質感のジャケットとデニム、真紅のネクタイに灰色のベストを着こんだ俺は、どう見ても浮いていた。これでは、どこかのパーティーに参加する貴族だ。こちらを見つめる人がちらほらいて落ち着かない。街に出かけるだけだと言ったのに、なぜヴィクス(あいつ)はこんな場違いな服を寄こしたのか。

 自分で用意するのが普通だが、戦いに明け暮れていた兵士に、服を選別する余裕などなかった。つね日ごろから服装にはあまり気を使っていないせいか、宿舎の俺の部屋に積まれていた服は、いずれもシンプルでなんの見栄えもないものばかりだった。

「自分で用意したんじゃないの?」

「いや、俺の服は、なんというか、“こういう状況”には似つかわしくないものばかりでな。誰か貸してくれないか基地内を奔走していた俺に、ヴィクスが貸してくれたんだ。あいつが二十代のときに着ていた服らしいが……」

「まあ、Tシャツ短パンで来られるよりはマシね」

 彼女は俺の側に寄った。

「エスコートをお願いしますわ。トルステン“卿”」

 そう言って彼女が左手を差し出す。恥ずかしさで顔から火が出そうだったが、ここで言い合いにでもなって民衆の注目を浴び、面倒ごとに発展されると最悪だ。俺は咳払いして自身を落ち着かせる。

「……承知しました。バラドュール殿」

 周囲の人々の屈託のない笑みを背に、俺たちは店を見て回り始めた。





 屋外のテラスで椅子に座り、俺はカップに注がれた熱いコーヒーに口をつけていた。一口飲むたびに、熱い感触が喉を介して腹部にまで伝わっていく。陽射しの影響で今日は暑かったが、真ん中にあるパラソルによってできた日陰の下は涼しく、陽気が心地よかった。椅子の左右に置いた紙袋が、ときおり風に当たって乾いた音を立てている。

 店内で買ってきた新聞を開き、太い文体で印字された“国境奪還”の見出しとともに大きく載せられた、一枚の写真を見た。エルキュール大将が記者たちの前で会見を開いている場面だ。相変わらず年を感じさせない体つきをしている。鋭い眼光と目が合うと、ただの写真でも一瞬心臓が高鳴ってしまう。

「ここって紅茶があまりないみたい。おかげで選ぶのに手間取っちゃった」

 店内から歩いてきたルヴィアが反対側の席に座った。小さな皿の上には、紅茶が入ったカップが乗っている。

「紅茶に違いってあるのか?」

 コーヒーは寝覚めをよくしてくれるので、昔から朝に必ず一杯飲む習慣があった。一方で、紅茶はほとんど飲んだことがない。

「茶葉の栽培された土地によって味の深さが変わるの。コーヒーだって、採れた山の標高によって豆の味が違うでしょう?」

「なるほどな。紅茶、今度飲んでみるか」

 そう言いつつ、俺は新聞をテーブルの隅に置き、コーヒーを一口飲んだ。

「その新聞に写ってるのって、エルキュール大将?」

「ああ。この前の作戦に勝利して、戦線を国境まで押し上げたという旨を伝えるために開いた記者会見のときのだな」

 彼女は俺から渡された新聞を一瞥すると

「この前私たちの前で飲んだくれていたときとはまるで別人ね」

 ミディレルの戦いの勝利を祝って招かれた晩餐会のことだろう。あのときの大将のワインを飲むペースは生半可なものではなかった。彼女の言葉を訊くと、大将の、いつものと綻んだときの表情の差が頭の中に鮮明に浮かぶ。思わず笑ってしまった。

「イーリスのナンバーツーを笑うなんて、とんだ怖いもの知らずね」

「そういうお前だって笑ってるじゃないか」

 新聞で隠れた彼女の顔の下半分が微妙につり上がっていた。

「笑ったあなたを見て笑ったの」

 子供の屁理屈か、と俺は心の中で思ったが、それだけに留めた。

「この後はどうする?」

「もう少しお店を見て回りたいかな。ついでに服屋にも行って、あなたにぴったりの服を選んであげる」

 新聞を置いた彼女は自信気に答えた。

「そりゃあいい。俺の漆黒のクローゼットに色を与えてくれ」

「もう、本当に無頓着なんだから」

 ルヴィアは今日で二度目のため息をついた。だが、その顔に不快感はなく、どこか嬉しさを秘めているようだった。























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