幕引き
地上へ出ると、ルイーゼの私兵部隊の隊員たちが疲れ気味の表情で俺たちを出迎えた。どうやら戦闘が行われたらしく、家の中は、前に拘束した構成員とは別の死体がいくつか横たわっており、窓はほとんど銃撃で割れていた。
窓越しに外を覗くと、警察の車が六台待機しており、激しく点滅する赤と青のランプが周囲の家を照らしている。きっと誰かが騒ぎを聞きつけて通報したのだろう。ドア越しに銃を構えた警察官たちの表情は険しかった。
「復讐に燃えているとき、ふと我に返ることがあった――」
玄関へ向かおうとした際、ルーカスは言った。
「この国で平和を享受している連中に、目のもの見せてやろうと死に物狂いで生きていたが、過ちに気づいたときには、もう遅かった。組織として一度走り出したら、止めることは非常に難しい。復讐のために生きていたと思ったら、いつのまにか復讐に生かされていた」
それが本音なのか、あるいは捕まった後に自分が情状酌量の余地を得るための布石なのか、それはわからなかった。だが、自身の思いを吐露したルーカスの静かさをたたえた瞳は、いまではなく過去を見ているかのようで、どこか悲しげだった。
「あの巨大な施設、いったいどうやって作った?」
俺は彼から情報を聞き出そうとした。
「あれは、かなり昔にすでに掘られていた。私たちがそれを発見し、アジトとして整備した後、活用させてもらった」
「あの報告書の送り主とは関係しているのか?」
ルーカスの私室で見た、例の報告書のことだ。
「……」
彼はそれっきり口をつぐんだ。
ドアを開けると、事態の進展を察知した警察が詰めかけてきた。ルイーゼやフィリップ、ブルーノたちが彼らに説明して理解を得ると、ルーカスを連れて行くよう、警察が護送車の手配を始める。俺はルーカスをルイーゼに預け、人だかりから十メートルほど離れた路地で休憩をとることにした。縁石に腰をかけ、再び息を吸えることに感謝していると、アドレナリンの分泌が徐々に収まり、背中の痛みが増してくる。背中に当てた左手を正面に持ってくると、血がべっとりとついていた。この出血量だと、そのうち気絶するだろう。早めに治療を受けなくては。
「ロイさん」
咄嗟に呼ばれて、血のついた手を隠しながら左を振り向くと、そこにはセレーヌが立っていた。
俺を見つめながら立つ彼女は、いつも通り優しそうな表情をしているが、目は虚ろで、顔には生気があまり見られない。施設での戦闘が彼女の精神に影響を及ぼしているのは明らかだった。俺は彼女に隣に座るよう促すと、無言でうなずき、右まで歩いてきて縁石に腰かける。
「どうした?」
「私、人を殺しました……たくさん」
それは、セレーヌ・アデライードという女性が、この作戦において本当の意味で“当事者”になったことを示していた。一線を超えたいま、彼女はようやく俺たちと同じ立場に立ったのだ。
「……怖いんです」
彼女が、正当防衛による殺人を、罪として起訴されるのではないかと怯えているのだろう。俺は、少しでも心の負担を軽減させるため、セレーヌをフォローしようとした。
「大丈夫。君の行動は正しかったんだ。いざというときは、俺たちが証人となる」
「――そうじゃないんです!」
彼女の目からは涙があふれていた。
「人を殺めたことに“大きな恐怖を感じられない自分が怖いんです”。……人殺しは、平時なら立派な罪。いままで訓練だけの戦争をしていた私が、敵を殺したとき、罪悪感に押しつぶされないか、立ち直れるかどうか本当に不安でした」
声を震わせながら話す彼女は、天敵を前にした小動物のように怯えていた。小さな嗚咽を交えながら、必死で俺に心情を伝えようとするセレーヌを、俺はじっと見つめる。
「でも、彼らを殺して、こうして無事に帰ってきても、私の心には大した罪悪感がない。初めて人を殺しておきながら、普通でいられるのは……私が狂っているからなのでしょうか?」
俺は彼女の肩を優しく抱いて引き寄せた。それに応えるように、セレーヌは俺のコートの袖を強く握る。彼女は、人殺しを正面から受け止めるという生き方を選んだ。国のため、家族のため、何かのためと言って、心に言い訳をしている俺たち一般的な軍人とは違う価値観を持っているのだ。
彼女は、自身の罪の意識の軽さに泣いている。
ナイフは、その刃を自身の力で振るわなければ対象を殺すことは不可能だ。咽頭や四肢を引き裂き、心臓や動脈を貫く感触を肌で感じなくてはならない。
その一方で、銃は、その引き金を引くことで発射された弾丸が、敵を“自動で殺してくれる”。自分ではなく“弾が敵を殺す”。銃という武器の登場は、人を殺めることに対する罪悪感をも捻じ曲げた。彼女は、銃が生み出した罪と戦っている。本来ならもろ手を挙げて歓迎すべきメリットは、セレーヌにとって重荷なのだ。
「君は、自身が選んだ生き方を全うできているよ」
「……どうしてですか?」
ハンカチで涙を拭いながら、彼女は俺に問いかけた。セレーヌは自覚していないだろうが、自分自身が思っている以上に、彼女は強い。
「そう思えることが証拠だ。もし殺人をなんとも思っていなかったら疑問自体抱かない。だから、君は人を殺めるという罪と間違いなく向き合っている」
セレーヌは黙って俺の言葉に耳を傾けていた。
「クルスのホテルで、君は殺した相手をただの敵だと割り切らない、と言った。ブルクで敵を弔っている姿を思い出して確信したよ。君は、すでに自分の決めた生き方を実践できている」
セレーヌは驚いた。
「ただ、我慢できなくなったら、こうして相談することだ。君はひとりじゃない。俺もいるし、フィリップにブルーノさんもいる。なんならジェラルド博士でもいい。研究馬鹿のあのじいさんには、的確なアドバイスができるなんて思ってないがな」
俺は彼女の気が少しでも紛れるよう軽口を叩いた。地位的にも上から数えたほうが早い人間を馬鹿呼ばわりした無礼な振る舞いのおかげか、セレーヌの口元が少し緩んだ。
「博士に失礼ですよ?」
「大丈夫。あいつは研究以外のことはだいたいどうでもいいと思ってるから、誹謗中傷のひとつやふたつ、意にも介さない」
彼女の表情は、晴れ晴れしているとは言いにくかったが、少し前よりはいくばくかよくなっていた。
「部下がこんな頼りなくて、申し訳ない限りです……」
「まだ新米なんだから、先輩に頼って当然だ」
セレーヌは、人間としては二十三歳だが、軍人としては数えるほどの歳でしかない、いわば赤ん坊だ。赤ん坊が家で両親によって育まれ、小学校などの教育機関で教養を身に着けていくように、ひとつの業界に入るのは、ある意味、人生をリセットすることに近い。だからこそ、誰かに頼ることは、恥ずべきことではない。
俺は右手を彼女の肩から離し、懐からリボルバーを取り出した。初陣で命を救ってくれた、エドガー大尉の形見。銀色で必要最低限の造形が施されたシンプルな銃身は、深夜の月光を反射して美しく光っている。
「前に俺の初陣のことを話したと思うが、この銃は、その初陣で囮役を買って出た部隊の隊長の形見なんだ」
「大切な物だったのですね」
「遺留品といっしょに遺族へ渡そうとしたら、これだけは使ってほしいと言われてな。それ以来、実戦ではつねにともにあった。今日まで生き残れたのは、もしかするとこいつのおかげなのかもしれない」
どれだけ実力があろうと、戦場に身を置いている以上、兵士は死ぬときはあっさりと死ぬ。突き立てられたナイフで、高速で飛んでくる弾丸で、着弾した砲弾の衝撃で。兵士は数ある死因の中から、ひとつを勝手に押し付けられる。それは<五つ子>においても例外ではなく、ほかの兵士よりも死ぬ確率が低いだけに過ぎない。
「リボルバー式拳銃の撃ち方は分かるか?」
「教科書に書いてあったのを読んだことがあります。ただ、実技で習ったのは自動拳銃だけでした。リボルバー式は、なんと言いますか……その」
「骨董品だからな」
装弾数に優れ、引き金を引くだけで弾倉内にある弾が薬室へと装填され、自動で発射されるオートマチックに比べれば、装弾数は少ない、リロードは面倒なリボルバー式の拳銃を使う者なんてほとんどいない。
「だが、構造的にはシンプルで耐久性に優れている。排莢はシリンダーをずらして行うから、弾詰まりの心配もない。口径さえ合えば、散弾を始め複数種類の弾丸を使い分けることもできる」
“生徒”は、熱心にリボルバーについて語る“教師”に耳を傾けていた。俺はリボルバーのシリンダーに弾がないことを確認し、セレーヌにグリップ部分を向けて撃鉄を見せる。
「撃ち方は――知っていると思うが――撃鉄を指で倒してからトリガーを引く、シングルアクションが主流だ。ただ、暴発する可能性が高いから、慣れないうちは撃鉄を倒さずにトリガーを引く、ダブルアクションのほうが――」
話を続けようとした矢先、俺はリボルバーを手から落としてしまった。視界が歪み、暗くなってくる。時間は午前四時を指しているが、視界が暗いのは時間帯のせいではない。出血多量によって脳が機能不良を起こしつつあるのだ。体勢を崩すと、血に染まった左手が月光に照らされた。
「……! その左手の血、背中の傷のですよね? 無理しないで、すぐルイーゼさんの屋敷に戻りましょう」
「そんな心配しなくても大丈夫だ」
言葉を言い終えると、俺は地面に突っ伏した。夜の気温によって冷えた石畳の感触が頬に伝わり、なんとも心地いい。焦った様子で俺の名前を呼びかけるセレーヌを薄ら目で見ながら、そのまま眠るように目を閉じた。




