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春過ぎて  作者: 菊郎
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断罪 後編



「ひとつ、聞き忘れたことがある」

 白衣の男の、警察官の健康状態という話が、どうにも引っかかっていたのだ。

「警察と手を組んでいるのか?」

 ルーカスは少しのあいだ考え込んだ後、口を開いた。

「机の右、いちばん下の棚を開けてみるといい」

 促されるがままに言われた場所の棚を開けると、積まれたファイルの上に一枚の書類が置かれていた。題名は“新年度職員配属計画について”――どう考えても犯罪組織が持っていい類のものではない。

「それが答えだ」

 俺は、その資料に目を通した。



 新年度職員配属計画について


 カスラ州警察は、ルーカス・リー率いる犯罪組織による、誘拐行為ならびに、人身・臓器売買の容疑がかかっていることを受け、一九四五年度に、ロントへ集中的に警察官を配備することを決定した。

 本拠地への入口がある七番街が住宅密集地ということもあり、警備の手は比較的薄い模様。とくに、正午から午後十五時までのあいだは、警察官の往来はほぼ皆無。大人数での移動を行う際は、この時間帯を推奨する――。

 

 

 本拠地の入口を知っていることからして、警察による報告書ではない。最後まで目を通しても、差出人は書いていなかった。

「警察ではなく、第三者とつながっているのか?」

「……」

 それっきり、ルーカスは黙った。

「ボス、申し訳ありません」

 クルトは意を決したような、通った声で会話に割り込んできた。親に悪戯がバレて、白状するときの子供のような表情をしている。

「……わかっているな?」

「はい。あなたの部下として、罪を清算します」

「おい、なにを言ってる?」

 つぎの瞬間、いつの間にか開いていた引き出しから拳銃を取り出したルーカスが、恐るべき早撃ちでクルトの頭を撃ち抜いた。眉間に正確に撃ち込まれた弾丸は、彼の脳の中を跳ね回り、後頭部へ抜け出す。破裂した後頭部から、脳漿や脳を飛び散らせながら、糸の切れた人形のように崩れ落ちるクルトを、俺は呆然と見つめた。

「ここの所在を掴んだということは、クルトが君に情報を流したのだろう。罪悪感に苛まれながらも、彼は逃げずに私の下へ来た。彼は、断罪を望んでいたということだ」

 拳銃を引き出しに戻して彼は立ち上がると、両手を後ろに交差させて後方を向いた。クルトが、尋問部屋で、情報を話した後に泣いていた理由、作戦に無理して参加し、清算するとなんども言ってここまで来た理由、すべてはこの瞬間のためだったのだ。内部の情報を漏らした裏切り者として、彼は自らの罪を清算するため、死への恐怖を押し殺しながら断頭台に首を置きに来た。その清々しいまでの純粋な忠誠心に、俺は身震いした。

「彼とは、戦場で、戦友として知り合いたかった」

 俺はルーカスに手錠をかけて外へ向かう。ドアに手をかけようとしたところで、クルトの亡骸をもう一度見た。魂が抜け、物と化した彼に向けて冥福を祈り、部屋を後にした。俺が彼にした仕打ちを忘れたわけではない、ほかにも、今までに多くの人を虐殺した。加えて、クルトは凶悪な犯罪に手を染めた屑でもある。しかし、懸命に生きた人を弔う気持ちは失いたくなかった。俺は兵器なのと同時に、人間でもあるのだから。




 臓器が置かれていた部屋の前まで戻ると、銃声は聞こえなくなっていた。ルーカスの腕を掴みながら、俺は入口へ向かって走る。道中に倒れている死体の中に仲間がいないことを確認するたび、俺の心は安心感を得ていった。

 降りてきた梯子まであと少しというところで、耳を貫く銃声とともに、激しい銃撃戦がくり広げられていた。遮蔽物がない場所だったため、ルイーゼが、どこから持ってきたのかもわからない鉄板を持って遮蔽物にしながら、少しずつ前進し、ほかの仲間が身を乗り出しては銃を撃ち続けている。俺とルーカスは中腰になり、彼らに近づいていった。

「ロイ! 生きてたか!」

 汗まみれの顔をしたブルーノがこちらに気づいて大声を上げると、みながこちらを向いた。

「なんとかな。だが、クルトは死んだ」

 彼の訃報を受け、一瞬一同の顔が強張る。短いあいだだったとはいえ、クルトも、俺たちと行動をともにした仲間だった。

「悲しむのは後! さきに奴らを片付けるわよ!」

 ルイーゼは叫び、奮起を促した。俺はセレーヌのことが心配になり、ふと彼女を見ると、銃を持って勇ましく敵を撃っていた。今回の作戦では“避けられない”と思っていたが、撃たざるを得ないという状況は、彼女の心に少しばかりの理由を与えてくれるかもしれない――人殺しをせざるを得なかった理由を。

「ルーカス、攻撃を止めるよう、奴らに呼び掛けてくれ」

 こちらは彼らのリーダーを捕まえている。本人が説得すれば、これ以上の戦闘を避けられるかもしれない。

「それはできない相談だ。勘違いしないでほしいが、現状助かる手段がないから、私はお前たちの要求に従っているだけなのであって、投降したわけではない。今も彼らが私を助けてくれると信じているからな」

「この野郎!」

 フィリップが弾倉を交換しながら怒鳴る。その声に続いて、俺はルーカスの右の頬に振りかぶった拳をお見舞いした。仲間がいつ死んでもおかしくないこの状況で、いたずらに戦闘を長引かせようとするルーカスの言動に、俺の忍耐は限界に達しつつあった。

「そうこなくっちゃ」

 フィリップはさわやかな表情で俺に一声かけると、再び敵へ銃撃を加え始めた。俺も背中の得物を取り出し、角に隠れている敵に向けて連続で攻撃する。初弾が角を削ると、二発目の弾が背後にいた敵の胴体に当たり、鮮血が飛び散った。火力の高い銃火器に気づいたのか、敵は少しずつ後退を始める。敵のいた場所を右曲がり、さらにもう一度、そこから直線に伸びている通路のT字を右に曲がれば、梯子のある部屋に出れる。俺は敵を怯ませるべく、持っていた手榴弾を角に向かって投げた。

「このまま押し切るぞ!」

 俺は叫び、仲間を誘導する。角を曲がると、再び隠れていた敵との銃撃戦になった。だが、さきほどと比べると敵からの銃撃の頻度が低い。押し返すというには勢いが弱く、俺は怪訝な顔をする。

 そう思っていると、鋼鉄製の兵器が発する、部位同士の擦れるような音が通路の奥から聞こえてきた。それと同時に、敵からの銃撃がぱたりと止む。冷や汗が噴き出す中、音のする前方を見つめていると、俺は角から姿を現したものを視認した――前面に装甲を施された榴弾砲だ。 

「全員、さきほどいた通路に戻れ!」

 全員が脱兎のごとく迅速に動こうとする。だが、ルイーゼだけは、鉄板を置くのと、持ってきたアタッシュケースの持ち運びで一瞬だけ動くタイミングが遅れてしまった。

「撃て!」

「……くそ!」

 敵の攻撃合図を耳にし、ルイーゼがこのままでは砲弾に直撃すると考えた俺は、彼女の下へ駆け寄って抱きかかえ、通路まで捨て身で跳躍した。直後、砲弾が通路の壁に着弾し、轟音とともに巨大な弾痕を残す。砲弾からルイーゼを守るように背を向けていたため、爆風と衝撃で飛んできた数多の破片が容赦なく俺の背中に突き刺さった。セレーヌたちはかなり距離を取っていたおかげか、砲弾の影響はなかった。

 ルイーゼは、俺の手から離れると、駆け寄ってきたセレーヌとともに横へ移動し、背中の傷を確認し始める。痛みはほとんどないが、かなり多くの破片が当たったようで、背中に広がる違和感から察するに、重傷なのは間違いない。脇から背後を見ると、血がしたたり落ちていた。

「骨や臓器には当たっていないわ。ただ、激しい動きは控えて。傷が広がったら致命的だわ」

 ルイーゼは心底安心したような表情をしながら、はっきりと俺に告げた。彼女は俺の殺害すべき標的だ。客観的に見れば、さきほどの状況でルイーゼを見殺しにすれば、本来の任務を達成できただろう。ルーカスに銃でも突きつけて出ていけば、取り返そうとする敵の攻撃を強引に止めることができたかもしれない。

 ルイーゼは死に、ルーカスは逮捕され、大団円だ。

 彼女を救ったのは、理屈ではない、本能だった。彼女が死ぬことは、俺にとってなによりの苦痛である――そう“俺”が判断したのだ。きっと、相手がラインハルトでも同じ行動をとっただろう。

 感情的になって情けを見せたことに、俺は喜びつつも――悔しかった。

「時間はあまり残されていない。あの榴弾砲の対処法を考えるべきだ。見た感じでは、装甲は薄いだろう……ロイの銃ならいけるんじゃないのか?」

 ブルーノが言った。

「確かに俺のなら抜けるかもしれないが、一発では無理だ。同じ場所に連続で撃ち込もうとすれば、一瞬だが時間がかかるし、そのあいだに撃たれたらひとたまりもない。第一、貫通させた先にいるのが、装填手なのか、射撃手なのかはわからない以上、こっちが圧倒的に不利だ」

 さきほどの砲撃以降、攻撃は完全に止んでいた。おそらく、ここが入口とわかっているからこそ、脱出しようとして出てくるのを待っているのだろう。

「炸裂弾の出番ね。私の銃で炸裂弾を抜けた穴へ撃ち込めば、背後の連中を一気に殺せるはず」

 ルイーゼが言っているのは、俺が対戦車ライフルで同じ場所を連続で撃ち、穴を空けた後、そこに炸裂弾を撃って、背後にいる敵を一網打尽にするというものだった。

「……わかった。それでいこう」

 俺の返事を訊くと、ルイーゼは自身のアタッシュケースを開けて“二丁”のショットガンを取り出した。

「ルイーゼさん、予備も使うんですか?」

 フィリップが眉をひそめて意外そうな声を上げる。最初の戦闘では、ルイーゼはショットガンを一丁しか使っていなかったのを思い出した。

「ええ。同時にね」

 そういって、彼女は弾を弾倉へ装填していく。二丁のショットガンを持ち、悠然と佇むその姿は、十年前のままだった。





 ルイーゼと背中を血に染めた俺は、通路の角に待機していた。ほかの者は後ろで俺たちの作戦を見守っている。

「用意はいい?」

「もちろんだ……しくるんじゃないぞ」

 ルイーゼは意を決して通路へ飛び出した。俺もそれに続く。撃て、という大声とともに、思惑通り砲弾が発射され、ルイーゼ目掛けて猛烈なスピードで飛んできた。彼女は左手に持ったショットガンの先についた銃剣を下から上に向かって斬り払い、砲弾を斬るのと同時に、銃身を捻ってふたつにわかれた弾丸を左右へ弾道をずらす。砲弾のかけらは俺とルイーゼから逸れて、斜め後ろの右と左に着弾した。

 俺は砲弾を気にせず、二丁の得物でそれぞれ違う箇所を連続で撃ち続けた。装甲に弾が当たる甲高い音が響き、弾かれた際に散る火花が眩く光る。マガジンを撃ち切ったころには、榴弾砲の砲身上部にふたつの大きな穴が空いていた。仕留められなかったことに驚いていたのか、榴弾砲の背後にいた敵は一瞬沈黙した。

「装填急げ!」

「ルイーゼ、頼むぞ!」

 ルイーゼはショットガンを構えなおし、ふたつの穴目掛けて炸裂弾を連続で撃ち込む。吸い込まれるように穴を通過した弾は、小規模な爆発音とともに、あたりに小さな弾丸と弾頭の破片を容赦なくばら撒いた。天井や床、壁に見える装甲の隙間が敵の血で染まり、赤い円を作り出していた。俺たちは一度退却して敵の反撃に備えたが、砲撃はおろか、敵の声も聞こえてこなかった。

 俺は安堵の息をつき、彼女を労おうと近づいた瞬間、ルイーゼは榴弾砲に向かって走り出した。一瞬でたどり着くと、彼女は半身の状態から身体を捻らせ、重心を乗せた右足で蹴りを放つ。榴弾砲の砲撃音と聞き間違えかねないような轟音とともに、装甲に大きな窪みができていた。

「すっきりしたわ」

 俺は待機していた連中を呼び、ルーカスがいることを確認すると、周囲を警戒しつつ梯子を上がり、組織の根城を後にした。俺が梯子を登るよう促すまで、ルーカスは、戦闘で死んだ自身の仲間たちをじっと見つめていた。組織の頂点に立つ者にふさわしい、心底落ち着いた表情で。 


 

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