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春過ぎて  作者: 菊郎
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正気と狂気 後編




 全員が室内へ入ると、セレーヌは咄嗟に口をおさえた。高さ五メートルほどある両端の棚には、心臓、肺、胃など、人の臓器が、部位ごとに丁寧に並べられている。それぞれビニールの袋に密閉されていて、張られている小さな張り紙には、被害者の生年月日を思しき数字と“上”という文字が書かれていた。あまり考えたくはないが、上という文字は、牛肉などで用いられるランクなのかもしれない。中央には大きなテーブルが置かれていて、大量の血痕とともに、メスや吸引機、ガーゼなどが散乱しており、俺は、手術を行うための場所だと確信した。もちろん、このような場所で行われる手術は、人の命を救うためではない。死に至らしめ、かつ死者を冒涜するために行われるのだ。

「セレーヌ、君は外で待っていたほうがいい」

 アルノルトについてもらうよう頼み、ふたりは外に出た。残った三人で、部屋を捜索を行う。

「よくもこんな商売ができるな……」

 臓器の陳列棚は異常なまでに整っており、そのきれいな外見が、ここで行われている残虐非道な行為とのギャップを生み出し、より狂気の世界を醸し出していた。

「……写真に収めておこう。(ルーカス)を地獄に叩き落すための武器になる」

 俺が見ているのとは違う棚に近づいていたフィリップは怒りに体を震わせながら、バックパックから取り出した大きめのカメラで撮影を始めた。

「お前もよく平気だな。こういう凶悪犯罪には、あまり縁がなさそうだが」

「正直、今にも吐きたいくらいに気持ち悪いね。けど、だからこそ逃げるわけにはいかない……」

 フィリップの目には、あきらかな怒りが見え隠れしていた。

「俺が警察に入ったのは、こういうくそったれどもをひとり残らず檻にぶち込んでやるためなんだ」

 俺の疑問に答えるためなのか、彼は自身の経歴を説明し始める。

「父親がどうしようもないほど馬鹿な奴で、家庭にはほとんど給料を入れずに遊び呆けているような奴だった。子は親に似るというけど、俺はそんなことはなかったよ……父が憎くてしょうがなかった。その反動で、不正や犯罪を憎むようになって、警察の門を叩いたんだ。公務員になって、母さんに楽をさせたかった」

「飲食店でお前があそこまで怒り心頭だったのは、そういうことか」

 俺は、フィリップと初めて出会ったときのことを思い出した。ルーカスに向けて放った言葉、あの態度、すべては、彼の過去に起因していたと思うと合点がいく。なにも、ルーカスだけが特別というわけではない。フィリップにとっては、すべての犯罪者が、この世から一掃すべき憎悪の対象なのだ。人なら、誰もが一度はヒーローに憧れる。悪い奴らをやっつけて、困っている人たちを救い、歓声を受けながらも、決して驕らず、風と共に消えていく、そんな英雄に。フィリップは、社会の冷たい現実を知りながらも、そんな“甘い”ヒーロー像を追い続けている。不正や犯罪を純粋に憎むことで自分(アイデンティティ)を保っているのなら、清濁混ざり合った社会への迎合は、彼自身の否定にもなり兼ねない。

「警察に入ってまだ二年目だけど、それなりに事件解決にも携わってるんだ。今回も、ほかと変わらない、いつも通りだ」

 撮影を終えると、フィリップはクルトを一瞥する。

「俺たちの味方なんて酔狂なことしなけりゃ、お前もぶっ飛ばせたんだけどな」

「……それは悪かった」

 フィリップの挑発にも、クルトはほとんど反応を見せなかった。俺たちが、この狂気に満ちた世界を探検してる姿を、ただ見つめている。捜査を始めてニ十分ほど経過したが、整列している臓器以外に、めぼしいものはなかった。

「一度集合したほうがよさそうだな」

 そう言い放ち、部屋を出ようとした瞬間、外から大きな音が聞こえてきた。ひとりの人間の足音と、なにかを滑車つきの荷台で運ぶ音だ。俺たちはそれぞれ、入口に対して死角になる物陰に隠れると、間を置かずに勢いよくドアが開け放たれ、白衣の男が、顔を麻袋で覆われた男を運んできた。白衣の男は慣れた動きで彼を担ぎ上げると、テーブルの上に慎重に寝かせる。ドアは開いていたはずだが、とくに気にする様子もない。……これから行われようとしていることは、いちいち推測するまでもないだろう。

 捕まえて情報を吐かせようと思った矢先、フィリップはすでに行動に移していた。

「くそったれのサイコ野郎……。ルーカスはどこにいる? 言わねえとあの棚にお前の臓器が並ぶことになるぞ」

 彼は銃口を、振り返った白衣の男の顔に向けている。

「ボスの居場所……? 知らない。私のような下っ端が、知るはずも――」

 答えを聞き終わるのを待たずして、フィリップの拳が彼の右の頬に振り下ろされた。殴られた衝撃で男は倒れ込む。まったく同情するような素振りも見せずに、フィリップはそのまま彼のこめかみに銃口を思い切り押し込んだ。

「話してもらうぞ。お前たちのボスの居場所を……!」

 直後、拳で、銃床で、フィリップは白衣の男を殴り続けた。

「白状しろ! 悪党め!」

 男はなにか話そうとしても、痛みに耐えるので精いっぱいのようだった。このままでは死にかねないと判断し、俺は走ってフィリップに近づき、彼を羽交い締めにして白衣の男から距離を取る。

「ロイさん! なんで邪魔するんだ! こいつはどう見ても、被害者の身体の解体を担当していた奴だ! そんな野郎に、人権なんてありゃしねえんだ!」

「無抵抗の人間をあのまま殴り殺してたら、お前も犯罪者だぞ」

 犯罪者という言葉を訊いた瞬間、彼はふと我に返ったかのように抵抗を止めた。

「お前がこの男を憎いのはわかる。だが、ここで大きな騒ぎを起こせば、周りに察知される可能性もある。作戦を棒に振るような行為は、隊長として看過できない」

「……わかった」

 感情論で話していては、逆に、正義感の強いフィリップを逆上させてしまうかもしれない。俺は論理的な思考に基づいた結論で彼を諭す。フィリップは息を整えると、身体から力を抜いた。

「なんとか生きてる。ただ、安静にしないとダメだ」

 白衣の男の容態を確認していたクルトが立ち上がった。

「そうか」

 俺はフィリップを解放し、男に近づいた。

「具体的な場所までは聞かない。ただ、どの方向にあるのか、目安になるような情報はないのか?」

 フィリップが一心不乱に相手を殴る続ける様は、クルトに対して俺が行ったことを同じのような気がして、見るに堪えなかった。まるで、どこかの誰かが、俺の所業を悔い改めるように働きかけているようにも思える。だが、俺が罪を清算するのは、まださきだ。

「少し前に、仕事の売り上げの話をするために、ここを出て左に進んださきの角で彼と話したんだ。だが、話が終わって一分くらいしたら、伝え忘れたことを思い出して、急いで戻った……」

 “仕事”の単語を訊いたフィリップが、男を凄まじい形相で睨みつけた。

「……話し合ったさきはL字だから、迷うこともなかったんだが、ボスの姿はなかった。側に部屋があるんだが、ただの物置で、滅多なことでは立ち寄らない。手前の通路を曲がると指令室があるから、そこに戻ったのかと思って、そっちにも探しにいったが、結局見つけられなかった」

 物置という単語が、俺の頭の中に引っかかった。そもそも、ここの構造が地下一階だけという確証はなく、ルーカスの部屋だけが地下二階にある可能性もあるはずだ。外へ出ようと俺はふたりを促すが、フィリップはまだ納得がいかないようだった。

「さっき伝え忘れたって言ってたよな? その伝え忘れたことはなんだ?」

「……」

「言え!」

「……カスラ州で働いている警察官の全体的な健康状態だ」





「なぜお前たちがそんなことをチェックしてるんだ!」

 フィリップは再び憤慨し、白衣の男の胸倉を掴み上げる。クルトが静止させようと近づくが、彼はお構いなしだった。

「必要だからだよ」

「必要? ああ、そうだな……お前たちが楽に人を(さら)えるようにな!」

「フィリップ! いい加減にしろ!」

 二度目ということもあって、あれは声を大にして彼を叱咤する。フィリップは渋々、胸倉を掴んでいた手を離した。

 俺たちは白衣の男を拘束した後、外に出てアルノルトとセレーヌに状況を説明した。集合時間が間近に迫っていることを話すと、どうやら、そのあいだにふたりで集合地点に一度向かっていたようで、報告によれば、ほかのチームは目当ての書類を入手したらしい。ルイーゼの判断で、書類をまとめた後、私兵部隊のうち二名に書類を持たせて、一足さきに彼女の館へ運び、さらに四名を、入口の警護に当たらせることになった。

 ふと腕時計に目を落とすと、時計の針は午前二時十分を指していた。まだ作戦に支障が出るような時間ではない。ルイーゼたちがここへ来るまでのあいだ、少し休息を取ることを提案すると、みな賛成した。肉体的な疲れはほとんどなかったが、この地獄を見たことでストレスを受けた精神を、少しでも癒しておきたかった。

「フィリップ。また怒りに我を忘れて行動するようなことがあれば、作戦終了までお前を地上に待機させるからな」

「……了解」

 フィリップは正義感に突き動かされて行動した。それ自体は褒められるべきものだが、すべてを許容することは難しい。力は、正しい手法で行使されなくては、周囲の賛同は得られないのだから。

 そう考えた瞬間、俺はこの思いが、強烈な皮肉だと感じた。非公式な作戦で、民間人を装い、人知れず特定の人間を殺す――ほかでもない俺自身に向けた、戒めの言葉でもある。英雄と呼ばれ讃えられようとも、俺は汚れた正義を執行し続けてきた、最低の人間なのだ。

「ロイさん。あまり気張らないでくださいね。私たちがいますから」

 俺の曇った表情を察したのか、棚の品が見えないように物陰で休んでいたセレーヌが声をかけてきた。こんな場所にいるだけで自身も間違いなく辛いというのに、つくづく利他的な性格をしている。

「……そうだな」

 俺はテーブルに寝かせられていた男の麻袋を脱がせた後、担ぎ上げて床へ座らせる。睡眠薬を飲まされているのか、肩をゆすっても起きる兆しはない。アルノルトの提案で、部屋にあった緩衝用のマットを引き、そこに彼を横たわらせた。




 ニ十分ほどして、ルイーゼたちが部屋に入ってきた。臓器の話しは訊いていたのだろうが、やはり実物を目にすると、一同の眉間は揃ってしわを寄せた。全員の無事を確認し、残った俺たちはルーカスの部屋を目指すべく、部屋を出る。

「ロイ、麻袋を被っていた男、起きたんじゃないのか?」

 ブルーノの言葉に、外へ出ようとした一同の視線が寝ている男に向けられた。なんどか寝返りを打っており、低いうめき声も聞こえる。彼に近寄って肩をゆすると、瞬きをくり返し、気の抜けた表情で天井を見つめた後、ゆっくりと俺の方を向いた。

 俺と目線が合った瞬間。男の表情は恐怖に染まった。この部屋にいること、そして俺が武装していること

が、誤解を生みだしているのは明白だ。

「落ち着いてくれ。俺たちは君に危害を加えるつもりはない。むしろ逆で、助けに来たんだ」

「――頼む、助けてくれ!」

 その言葉は、俺ではなく、ここではないどこかの誰かに向けたものだった。捕まっていた割には健康的な――新鮮で質の高い臓器を売るためだろう――をしており、彼はスムーズに立ち上がると、そのまま俺たちを意に介さず、ドアへ向かって駆け出した。

「まずい!」

 俺は武装をすべてその場において、彼に向かって走る。外へ出られてしまう直前でタックルをお見舞いすると、男はうめぎ声をあげて倒れた。

「力づくで申し訳ない。さっきも言ったが、俺は君たちを救いに来たんだ」

 そう言いながら、俺はコートの襟につけたバッジを見せる。

「……軍人……なのか?」

「その通り。だから、安心してくれ」

 誤解が解けたのか、もう男の表情には緊張や恐怖の色は見られなかった。

「俺は……助かるんだな?」

 彼に携帯食と水筒を渡し、落ち着くのを待った。














 

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