正気と狂気 前編
俺たちはクルトから得た情報通り、ロントの七番街・ロス通りにある赤い屋根の民家の付近で待機していた。時刻は午前一時を指しており、均等に置かれた街灯が光っている程度で、周囲の家々の明かりはまったく付いていない。大通りなら時間を問わず人でごった返しているが、七番街は住宅密集地であり、理想的なライフサイクルが形成されていた。
「やっぱり、あなたに協力を仰いで正解だった」
作戦開始十五分前、各員が、互いに装備の確認をしている最中、ルイ―ゼは俺に話しかけてきた。
「囮捜査なんて、やろうと思えばできただろうに」
「それもそうなんだけど、上は部下が“危険に晒される”ことをよしとしなかった。より踏み込んだ捜査を持ち掛けてみても、ほかの案件の対処が忙しいだの、検討してみるだの、その場しのぎの言い訳がほとんど。だから、面倒くさい法に縛られない、外部の人間が必要だったの」
公的機関にまで組織が根を張っているというのは、間違いではないのだろう。犯罪組織の壊滅・摘発ができれば、警察にとっては大金星であり、喉から手が出るほど欲しい手柄のはずだ。それを足踏みするなら、必然的に理由は絞られてくる。上の連中が曖昧な返事しかしなかったというのもうなづける。癒着か、あるいは弱みを握られ、脅迫されているのかもしれない。
「作戦開始まで、あと少しですね」
そう話すセレーヌは、俺のすぐ右に座っていた。今回の作戦は、犯罪組織のリーダーである、ルーカス
・リーの逮捕。そして、目標達成を妨害する勢力の排除。本拠地に入れば激しい戦闘になる可能性が非常に高い。彼女は、もはや傍観者ではいられないのだ。
「敵に銃を向けたら、ためらわずに撃つんだ。ほんの一瞬の隙が命取りになる」
はい、と答えると、セレーヌはそのまま黙った。クルトへの“尋問”が終わった次の日、彼女には、作戦への参加は強制ではないことを告げたが、今こうして現場にいる。
俺はふと、自分の初陣の日を思い出した。有無を言わせぬような戦場に落とされ、必死で思考を巡らせて戦った日のことを。烈火の如く燃え盛る復讐の炎に身を任せ、眼前の敵を殺し続けた日のことを。――<五つ子>としてあの場に立っていれば、ベテランの隊長が率いていたあの部隊を救うことができただろうか。脇のホルスターに収められたリボルバーは、彼の遺品だ。遺族に遺品を届けに行ったとき、勲章やドックタグ、衣類などの基本的な遺留品は受け取っていたが、この銃だけは、俺に使ってほしいと頼まれた。あのときは、どうしてなのか理解できなかったが、今ならわかる。遺族は、あの隊長の意志を尊重していたのだ。最後まで彼とともに戦場にあったこのリボルバーは、同じ場所にあってこそ輝き続ける。彼の武器を戦場に持っていくだけで“兵士として戦い続けてきた”隊長への弔いになる。そして“人間として生きた”彼は、家族の下で永遠の安息を得る――。
遺族とはあまり話さなかったし、彼を知る者は、あの戦いで死んでしまった。ゆえに、彼のことはよく知らない。しかし、アンゼルムと同じく、彼は同じ戦場という空間で戦った戦友だ。それ以上は望まない。
自己中心的な人間がいる一方で、自らの命を投げ打って使命を果たそうとする者たちもいる。人の高潔な意志を、彼――エドガー・ホイス大尉――から学んだ。
物思いに耽っていると、作戦は三分前にまで迫っていた。俺はあらためて装備を確認する。とは言っても、リボルバーが一丁に、長方形の黒いアタッシュケースがひとつ、腰につけた手榴弾が三つと、大した武装はしていない。アタッシュケースは、機密保持の関係上――周囲の人間に説明するのが面倒というのもあるが――戦闘中に空ける予定だ。今回の作戦に集まった人員は二十一名。俺、セレーヌ、ルイ―ゼのほかに、ルイーゼの招集に応じた私兵が十三名。警察側は、フィリップとブルーノに、ジョッシュ、トーマスの四名。そして――“眼帯を付けた”クルト。指揮者は、ルイーゼの提案で俺になった。
「念のため、作戦のおさらいをする。まず、俺とルイーゼが、クルトを前にして、ドアまで移動。クルトが中の者に声をかけて、ドアを開けさせたところで中に突入する。家の安全を確保した後、地下へつながる入口を探し出す。見つかり次第、ルイーゼがいったん外に出て、ほかの者に報告。それを訊いたら残りも突入だ。目的は、犯罪組織のリーダー、ルーカス・リーの逮捕および人身・臓器売買ビジネスに関連する書類の回収だ。怪しいと思った書類は片っ端から集めろ」
俺の言葉に、一同はうなづく。
「これは非公式の作戦だ。表向きは“反政府勢力の襲撃の情報をつかんだ警察による偶然の発見・逮捕”となる。今回の戦いによって得られる、名誉はおろか報酬は一銭もない。それでも、君たちは戦うことを決めた。その事実を知るのは、ここにいるものだけ。しかし、これから訪れる未来の礎が、俺たちの戦いがあった事実の証明となる」
その場にいる誰もが、俺の目を見つめていた。作戦前の士気の鼓舞は基本だ。だが、そのような事務的な考え以外にも、このような、利益にならない戦いに身を投じてくれた人たちに対する、純粋な敬意と感謝の念があった。
ロントの街を一変させる大きな出来事が、七番街の小さな民家で起ころうとしていた。
クルトを先頭に、俺とルイーゼは赤い屋根の民家へと近づく。家には明かりこそついていないが、見張りはいるはずだ。道中、俺は、クルトがいつ反撃してくるかと神経をとがらせていた。本当なら、この男は病室で療養しているはずなのに、作戦決行の日に突然同行を申し出てきたのだ。本人曰く、一度裏切ったのだから、二度も三度も変わらないとのことだが、昨日の“尋問”であれほどこちらの要求を拒んでいた男が、果たしてそのような破綻した結論に至るのだろうか。疑問は尽きないが、組織の仲間を囮にすれば、怪しまれずに内部へ侵入しやすいという理由で、俺もルイーゼも了承した。外の待機場所へ来るまで、クルトの右腕には点滴が付けられたままであり、今でも左手にはギプスがはめられている。今朝になってわかったことだが、右手はヒビが入る程度だったらしい。
「妙な真似はするなよ」
俺はクルトがこちらを裏切らないようくぎを刺す。
「……」
今日はずっとこの調子だった。自分からは話すわりに、こちらの言葉には耳を傾けない。まるで意固地になっている子供のようだ。――まあ、自分を痛めつけた張本人が目の前にいて、いい気分になる人もいないと思うが。
一分ほどで、目的の家の玄関へ到着した。俺とルイーゼは、左右の壁に張り付き、突入の時を待つ。ドアを指差してクルトに合図すると、彼は深呼吸し、ドアをノックした。
「ロットナーさん。定期購買されている薬の配達にきました。遅くなってしまい、申し訳ありません」
殺伐とした雰囲気からは考えられないような、ふつうの言葉が飛び出す。クルトから聞いた話では、薬の配達というくだりは合言葉らしい。
数秒すると、小さな音を立ててドアが開く。中から出てきたのは、普段着に身を包んだ成人の男だった。夜なので見にくいが、目元まで伸びた髪を両側にわけている。
「よう、クルト。なんだ? その眼帯――」
言葉を話し終えるより早く、俺は持っていたアタッシュケースで彼の顔面を思い切り殴る。不意を打たれた男は後ろへ数歩後退し、そのまま仰向けで倒れた。家へ侵入し、彼が気絶しているのを確認すると、上体を起こし、逃げられないよう持ってきたロープで思い切り縛り上げた。
一仕事終えて前を向くと、真っ直ぐ廊下が伸びていた。右には二階へと続く階段があり、左斜め前方と、いちばん奥にドアが付いている。ハンドサインを出してルイーゼに二階を調べるよう促し、俺はクルトを連れて一階の部屋を見て回りに向かう。
左の部屋のドアノブを回そうとした瞬間、中から誰かを呼びかける声が聞こえた。おそらく、さきほどの長髪の男が戻ってこないのを心配しているのだろう。俺はドアの手前でしゃがみ、廊下に出てきた男の腹を思い切り殴る。脱力しているのを確認し、ルイーゼからもらった手錠で腕を施錠。玄関まで運び、そのままクリアリングの作業に戻る。さきほど出てきた男の部屋には、目立って怪しいものはなかった。テーブルには、ワインが一本に、グラスがふたつずつ。ゲームの途中だったのであろうトランプが両端に置いてある。廊下に戻り、洗面所やトイレをチェックして回る。最後に奥のドアを開けると、クルトの情報通り台所があった。手前にはテーブルと椅子が置かれている。テーブルの下には、銀色で縁取られた四角い蓋のようなものがあった。
「ここだ」
クルトはぼそっとつぶやく。そう言われて、取っ手をつかんで蓋を持ち上げると、ハシゴが下に向かって伸びていた。だいたい十メートルほどだろうか。
「お前の言う通りだったみたいだ。まあ、まだルーカス本人の姿を見ていないが、奴を捕まえられたら君は釈放される。このまま外に出て、警察車両の中で大人しくしてろ」
「いや、連れて行ってくれ。必要なら俺も戦う」
思わぬ言葉に、俺は眉をひそめた。こいつが言っているのは、つまリ味方を殺すということだ。
「“尋問”でおかしくなったか? 自分の身内と戦うなんて、正気とは思えないが」
「お前に反撃しようとは思ってない。頼む、信じてくれ。俺は、清算しなくてはならないんだ」
そのまま動く気配を見せなかったので、俺は仕方なく同行を許した。
清算というのが、自分の犯した罪であることを祈りながら。
二階から悠々と戻ってきたルイーゼは、肩に成人男性をひとり抱えていた。仏頂面だったクルトも驚愕していたが、<五つ子>ならば大したことはない。あと七、八人は積み重なっても問題ないだろう。家の制圧を完了した旨を伝えると、彼女は男を下ろして状況を伝えに外へ向かった。
一分ほど経つと、ルイーゼは、ほかのメンバーを連れて戻ってきた。みな、地下へとつながる部屋に集合しており、ややスペースが狭く感じる。
「おいおい、そいつは俺たちの敵だろう。ロイさん。そんな奴を味方にするのかい?」
異論を挟んできたのはフィリップだった。
「俺は、清算しなくちゃいけない。頼む、戦わせてくれ」
俺より早く口を開いたクルトは、さきほど俺に言ったのとほとんど同じことを話した。時間が惜しかったこと、そして彼の表情があまりに真剣だったせいか、フィリップを始め、ほかの者も、それ以上の追及をすることはなかった。
降りた場所の安全を確保するため、まずは俺が先行することになった。アタッシュケースをロープで胴体に縛り付け、慎重にハシゴを降りる。足をかける乾いた音がだけが耳に響いていて、周囲はあまりに静かだ。そのまま下へ降りると、周囲が壁に囲まれた広場のような場所に出た。壁には照明が埋め込まれており、周囲を照らしている。俺は安全であることを伝えるため、ハシゴが伸びている穴の上に向かってフラッシュライトを点滅させた。合図を確認した上の面々が、続々と下りてくる。最後のひとりが下りたことを確認した後、俺は正面に設置された両開きの扉に向かって歩いてき、ドアに手をかける。
外へ出ると、左右に伸びる廊下が目に入ってきた。壁には、さきほどの部屋と同じように等間隔で照明が配置されており、少々薄暗くはあるものの、周囲の確認には十分な明るさだった。まるで建築物の柱のように、鉄製の扉とコンクリートで作られた部屋が、廊下を挟んで作られている。想像以上の広さだったため、まず人身・臓器売買に関する証拠を見つけるチームと、ルーカスを見つけるチームを編成することとなった。四人一組のチームを五つ編成し、俺、セレーヌ、フィリップ、私兵部隊員のアルノルト、クルトのチームは、ルーカス捜索を行い、ほかの四チームは証拠を探す。一時間後に、現在地で落ち合うよう約束し、俺たちはほかのチームと別れて北に向かった。
「だいたい五分くらい歩いたか。どれだけ広いんだ、この施設は」
フィリップが悪態をつくが、それには同感だった。いくら規模が大きいとはいえ、ここまでの施設を独力で作り上げられたとは思えない。
進みにつれてわかったことは、どうやら北部は構成員の寄宿区画であるということだった。最初の部屋をドアについた窓越しに確認すると、二段ベッドがふたつ配置されていて、構成員がひとりずつ、計四人がぐっすりと眠っていた。深夜帯だからか、最初に限らず、部屋にいた者のほとんど寝ていたが、始めに見つけた空室を境に、以降は誰も部屋にいなかった。区画ごとで、ローテーションなどを組んでいるのだろう。警備で巡回している者もいたが、みなひとりで行動しており、無力化させるのは容易だった。
本当ならクルトに案内させたかったが、スカウトを担当している彼は本拠地への立ち入りを基本的に禁止されており、ルーカスの具体的な居場所はおろか、施設の構図も深くは知らないという。彼が仲間から聞いた情報では、ルーカスが本拠地に戻って来ると、必ず北へ向かうらしいということだけだ。
さらに進むと、俺は左前方にある部屋を見て足を止めた。木製で作られたドアはかなり年季が入っており、ここだけほかの部屋とはあからさまに雰囲気が違う。とくに根拠はないが、なにか重要なものが、ここにある――。
「隊長、私が先行します」
アルノルトが名乗りをあげる。部下に先導させるのは不本意だが、隊長が倒れるほうがまずい。
「気を付けてくださいね」
セレーヌの言葉に、はい、とアルノルトが返事をし、武器をアサルトライフルから拳銃へと持ち替えて、片手でピッキングを始めた。簡単な錠だったようで、数十秒で鍵が開く音が響いた。アルノルトは拳銃を両手で構えながら、慎重に室内へ入っていく。全員が固唾をのんで見守る中、彼から安全確保の声があがると、俺も続いた。中に入ろうとした瞬間、アルノルトがこちらに近づいてきて耳打ちする。
「とんでもない部屋です。こんな……こんなのは、見たことがない」
その言葉に緊張感を覚えながら、左手に握ったリボルバーを固く握りしめながら室内へ入る。
そこは“人の博物館”だった。




