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春過ぎて  作者: 菊郎
31/75

休息 



 市民の避難誘導を終えた、セレーヌと、ジョッシュ、トーマスが帰って来る頃には、俺たちは、アンゼルムと、彼の部下だった者たちを一箇所に集め終え、駆けつけた救護隊や警察に、ことの成り行きを説明していた。装甲車が裏返った件は、話すと事態が複雑になることを配慮し、横転したということにした。車体下部から持ち上げてひっくり返したなどと供述しても、誰からも信頼されないだろう。

「詳しくは、共闘した私が後日説明するわ。彼は怪我をしているから、今は休ませてあげて」

 ご協力、感謝しますと話し、俺とルイーゼの前にいた警官は仲間のもとへ戻っていった。それを確認した後、俺たちは、駐車場の縁石に腰を掛けて、今後のことについて話し合う。ルーカスと、彼の率いる組織の捜査のことだ。

「装甲車をひっくり返すなんて、指揮官だった男にしては、ずいぶんと荒い作戦だわ」

「戦争中の戦いなら、まず考えなかった」

 素人と、プロを相手にするのでは、戦い方は異なる。訓練を施され、戦うための装備が与えられ、指揮官の下で動く隊員は、戦争を熟知している。だからこそ、型破りな方法に打って出ることはまずない。良くも悪くも、その道のプロの考えというのはわかりやすいものだ。逆に、プロが素人と戦うときほど、用心しなくてはならない状況はない。彼らには、法則がないのだ。突発的で、かつ変幻自在な戦法を、固まった知識で理解しようとすればするほど、戦況は不利になってしまう。そういうときは、こちらも、型を捨ててしまえばいい。蛇の道は蛇だ。後は、純粋な戦闘力がものを言う。だからこそ、アンゼルムを確実に仕留められるよう、即席の火炎瓶や、手榴弾を用いて、なるべく広範囲を攻撃した。軍人という精神的支柱を無力化してしまえば、民兵たちは、一瞬にして烏合の衆となり果てる。

「……それで、ルーカスの捜査は、どれほど進んでる?」

「構成員の活動パターンを考慮した結果、カスラ最大の街・ロントのどこかに、彼らの拠点があることまでは掴んだ。でも、そこからさらに具体的な場所までは、依然として不明のまま。あなたたちには、そこを突き止めるための捜査に協力してほしいの」

「足で稼いで得た証言、証拠をもとに、推理でもしろと? 俺たちは刑事でも探偵でもないぞ」

「なら、構成員を捕まえて、情報を吐かせるしかないわね」

 そっちの方が、シンプルでいい。俺たちに残された時間は少ない。あの手この手を講じて、じっくり進めるよりは、多少の無理は承知のうえで、強硬手段に打って出るほうが現実的だ。

「それでいこう。構成員が出入りしているような施設はないのか? ……酒場とか」

「部下を張らせて、人の出入りが激しそうな施設の聞き込みや監視をさせているけど、目立って怪しい動きはないわね。もしかすると、私たちが、拠点の所在に近づきつつあることを、ルーカス自身が感づいているのかも」

 ロントの街は、カスラの北に位置する巨大な街。北東にある山脈が、カスラに入り込む冷気を防いでいるため、一年を通して気候は比較的温暖だ。面積的に考えれば、それほど大きな場所でもないのだが、とにかく店が多い。それが、巨大な街と言われる所以(ゆえん)だ。酒場ともなれば、いったいどれほどの数になるのか……。

「とにかく、その腕を治すまでは、私の家で安静にしていて。二日もすれば治るでしょう?」

「ああ」

 俺たちの会話がひと段落したのを察したのか、ブルーノやフィリップと話していたセレーヌが近づいていた。

「ロイさん。私たちの車ですが、大破していました」

 彼女は俺にそう告げ、自身の背後に指を向ける。その方向には、無残な姿になった、軍用車の姿があった。タイヤはパンクし、車体はところどころ引き裂かれ、そのうえ焼き焦げている。さきほどの戦闘の影響であることは明らかだった。ここからカスラまでは、五キロメートルほど離れている。セレーヌはまだしも、戦闘を終えたこの身体を引きずって道路を歩くのは避けたい。

「……私の車に乗りなさい。すぐに着くわ」

 もう夜も遅い。俺は、応急処置として骨折した部分の骨の位置を救急隊員に元に戻してもらい、もらったL字のギプスを左腕にはめ、宿屋で一晩を過ごす。ルイーゼの提案により、彼女の家で、念のため検査を受けることとなった。





 明け方。宿屋や飲食店の店員たちから、命を救われたことに対する感謝の言葉を背に受けながら、俺たちは荷物をまとめ、ルイーゼの車に乗り込む。ありがたがられるのは悪いことではないが、その原因が俺にあることを思うと、素直に受け止めるのは難しかった。

 三十分ほどすると、無事にカスラ州ロントへ到着した。警察署に向かうブルーノたちとは途中で別れ、少し中を進むと、街には軽武装した警備員がちらほら歩いている。

「ルーカスの拠点の所在が判明して以来、議会に掛け合って、ロント全域の警備を強化したの。ただ、急激に警備に変化があると気取られしまう可能性があるから、そこまで多くの人員は投入していないけど」

 街中は非常に活気があった。大通りには露店が並び、老若男女を問わず、多くの人々が歩いている。そして、一角では、現政権に対する不満をため込んでいると思しき人々が、集会を行っていた。木で作られた簡易的な舞台に立つひとりの男が、拡声器を持って、しきりに政権の批判を行っている。こういった集会を開くには、事前に州の行政機関に開催の通達を行うのが決まりだ。その証拠に、集会の周りでは、警備員が多めに巡回している。

 人気のない道に逸れて五分ほど進むと、建物よりも自然のほうが多く目に映るようになった。やがて、大きな屋敷が近づいてくる。昔、何回か行ったことがある――ルイーゼの家だ。

「大きいですね! 私の家以上かもしれません」

 セレーヌの言う通り、本当に大きな家だ。正門から二十メートルほど奥に位置する屋敷は、さきほどの街の喧噪など微塵も感じさせず、荘厳な雰囲気を醸し出していた。玄関に至るまでの道中には、整えられた植物たちが植えられ、ひとつの美しい庭園を演出している。

「おかえりなさいませ」

 正門に立っていた、付き人と思しき女性は、ルイーゼが車から降りた後、一礼するとともに、主へ挨拶した。

「ただいま。少しのあいだ、友人をふたり泊める」

「かしこまりました。お部屋はどうなさいますか?」

「二階にある、国賓用の部屋にして」

 少なくとも、ふかふかのベッドと、温かいシャワーは期待できそうだ。

「承知しました。荷物はこちらでお部屋に運びますので、そのまま屋敷へお入りください」

 ルイーゼに先導されて中に入ると、眼前には広間が飛び込んできた。中央に伸びている、二階へ向かう大きな階段は、途中で左右にわかれている。一階の左右には、複数のドアが連なっており、ここで働く者や、訪れる来客の多さを実感する。外にあった庭園とは、また違った雰囲気。息をすることすらためらいかねないような静けさは、ラインハルトと雌雄を決した、あの教会を彷彿とさせた。

「ロイは、私が医療施設に案内するわ。セレーヌは、ここで待っててくれる? もう少ししたら、案内の者が来るから」

「わかりました。ロイさん、しっかり療養してくださいね」

「もちろん。健康体で戻って来る」




 健気な笑顔で送り出す彼女を広間に残し、俺とルイーゼは治療室へ向かう。過去に来たときは、来客用の接待室とか、彼女の自室で過ごすことが多かった。なので、あまりこの屋敷の構造は把握していない。ルイーゼに連れられて廊下をしばらく進むと、右斜め前方に、白色で統一された施設が見えてきた。おそらく、あそこが医療施設だろう。

「まさか、怪我の治療が可能な施設まで自前で用意しているなんてな」

「革命戦争前に、開戦を危惧した父が、傷ついた兵士や一般人を収容可能な医療施設をつくるように命じたの――予想通り、大繁盛だったわ」

 革命戦争中は、そこかしこの医療施設が怪我人で溢れていた。彼女の生家であるバラドュール家は、民あっての貴族、という言葉を昔から大事にしていたが、そのような功績を残していたとは。カスラにおける、一般人の貴族に対する信頼が厚いのは、バラドュール家の努力の賜物だろう。

「あそこが医療施設よ。手術室とか、待合室とか、病院にある設備は、だいたい揃ってる」

 中からは、かすかにだが声が聞こえる。人がいるようだ。

「誰かいるのか?」

「革命戦争が終わってしばらくしてから、医療関係の施設は一般人でも利用できるように変えたの。ほかの病院よりも治療費や薬代は安くしているから、営業日はよく人が来るわ」

 そう言いつつ、彼女は扉を開けると、中のロビーには数人の患者と看護婦がいた。彼らと、こんにちは、と挨拶を交わし、奥の診察室へと向かう。

「それで、俺の担当医は誰なんだ?」

「私よ」

 その言葉に、俺は驚愕した。

「……医療施設もある以上、主である私が医療に関する知識を持ち合わせていないなんて、バラドュール家の面目が立たないでしょう? 戦後に、ちょっと勉強したのよ」

 自分で言って照れたのか、彼女は少し表情を緩めていた。敵の命を奪うことに意味がある≪五つ子≫が、命を救う技術を覚えるなど、自身への皮肉みたいなものだ。だが、存在意義を否定するようなことでも、自らの誇りのために動けるのは、≪五つ子≫は、兵器でありながらも人間であるということの証明でもある。

「頑張ったんだな」

「……それはもう、かなりね」

 そう言って、彼女は俺の右腕から確認し始めた。時にはさするように、時にはマッサージのように揉みながら、痛みの有無を俺に問いかけてくる。結果、ルイーゼが言うには、関節部分にヒビが入っているらしい。それくらいなら、強化された自然治癒力で、どうにでもなる。

「さて、次は左腕」

 彼女は俺の左腕を触り、骨の状況を確認する。

「昨晩の救急隊員、いい仕事をしたわね。骨の位置は正確に元に戻ってる。これなら、そのままで問題ないわ」

 自分の活躍どころを奪われたからか、ルイーゼは少し納得のいかないような顔になっていた。

「ギプスは、うちのほうが素材がいいわね。重量も軽いし」

 彼女に、新たなL字のギプスを左腕につけてもらい、俺たちは施設を出る。後々殺さなくてはならない相手に、介抱してもらうとは、なんとも不思議なものだ。

「そう言えば、シオンさんは元気?」

 部屋へ向かうために廊下を歩いていると、ふとルイーゼが問いかけてきた。

「ああ。看護婦として、カニアの病院で懸命に働いているよ」






 同棲中のシオンとの出会いは、革命戦争中だった。≪五つ子≫となって身体能力が強化されているとはいえ、無敵になれたわけではない。弾が当たれば銃創ができるし、寝不足なら立ちくらみもする。≪五つ子≫として実戦に投入されてから間もない頃の俺は、変化した身体の感覚を中々掴めず、生傷が絶えなかった。それでも、出撃の度に戦果を挙げていたことに有頂天になり、そんなことは気にしていなかったのだ。ロイ・トルステンとして、第九〇一歩兵中隊を率いていた時、前線基地で、最近できた右腕の切り傷を眺めていると、衛生兵だったシオン(彼女)が話しかけてきた。

 右腕にできた傷と、首の付け根にあった火傷の跡と見るやいなや、丁寧に敬語を使いつつも、シオンは俺に上の服を脱ぐよう促した。出会って間もない相手に脱ぐように言われるなんて思いもよらず、俺はただ困惑していた。その表情を察したのか、シオンは、戦場では、不衛生な環境による病気の感染から、死亡に至るケースが多々見れられることを俺に告げた。圧倒的な治癒能力に胡坐(あぐら)をかいて、ほとんどまともな治療も受けてこなかったことを思い出し、俺は全身の血の気が引いていく感覚にとらわれたのをよく覚えている。そのような基本を忘れていたという失態も、衝撃をより大きなものとしていた。

 事の重大性をようやく認識し、俺は彼女の言う通り上半身の服を脱ぎ、検診をしてもらった。幸い、感染症の疑いはないとのことだったが、右腕の切り傷は感染の可能性を孕んでいたという。切り傷を消毒する際、綿に染み込ませた消毒液が傷口にしみる感覚が、とても嬉しかった。気付けば治っているという、不可思議な事実は、連日戦闘漬けであった俺にとって、ありがたいことであると同時に、恐ろしくもあったのだ。傷の消毒は、傷を負った人なら、誰しも一度は経験したことあるだろう。その一般的な感覚を、少しでも思い起こせたことが、≪五つ子≫である、ロイ・トルステンのささやかな喜びだったのだ。

 下半身の検診も終え、彼女は言った。

――あなたはまるで、私たちとは“異なる戦場”へ行っているように感じます。

 シオンとは、その日以来、よくともに出かけるようになり、終戦後、三年ほど経つと、俺たちは交際中の関係となった。彼女は、一時期のはずだったとはいえ、戦場から身を引き、記者という新たな道へ踏み出そうとする俺の数少ない理解者であり、そして、心から惹かれた相手でもあった。七年もともに暮らしながら結婚しなかったのは、機密保持の観点から遠慮するよう、上層部からの要請があったからだ。だから、彼女に同棲を進め、そして――理由はほかにもあるが――レアールを養子として引き取り、三人で、家族として暮らしていた。規則にがんじがらめだった男の、ちょっとした抵抗でもある。来たるべきときには、再びイーリスの戦士として立ち上がり、愛する者を、国家を守るために戦うと、心に決めていたが――現実は違った。

「それは良かった。シオンさんに、よろしく伝えておいて」

 仮に作戦を遂行しても、俺がどのタイミングで死を命じられるかわからない。四人を仕留めた連絡をした後に、暗殺されるという可能性もある。俺がシオンと再会できる可能性はゼロに等しいだろう。そもそも、ルイーゼが俺を殺す線だって、十分にあり得るのだ。

「そうだな……。伝えておく」

 彼女の言葉が、そのままの意味なのか、それとも、俺の死を見越した皮肉なのか。それはわからない。俺は、無難な答えを返し、引き続き部屋へと向かった。




 ルイーゼと別れた後、俺は部屋に戻ってベッドに横になり、そのまま天井を見上げながら思案に|耽≪ふけ≫った。ルーカスの所在を突き止める方法のことだ。ルイーゼに聞いた限りでは、ロントにおける酒場の数は、三十軒はくだらないらしい。いちいち聞き込みやら張り込みをして、情報を集めていては効率が悪い。捜査の見当がつかないのであれば、おびき寄せるのが得策だろう。得ようと思ったら、まず与えよ、だ。

 俺は心の中でそう思い、上体を起こして窓から見える庭園を見た。戦争など、最初からこの世に存在しなかったと思えるような、のどかな風景だ。窓越しからかすかに聞こえる小鳥のさえずりが、なんとも心地よかった。











 


















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