胎動
――魔法にでもかけられた気分だ。
郊外から都心部へ入っていくにつれて、建物や人、車が増え、活気が溢れてくる。十年前に総力戦を行った国とは思えないほどの回復ぶりだと、しみじみ思う。あの頃は誰もが、眼前に広がる焼けただれた大地、そして来る過酷な未来に絶望していた。そんな中、階級や人種、立場に出生を乗り越えて互いに手を取り合い、残酷な現実に立ち向かっていた人々の勇ましい姿は、今でもつい昨日のことかのように鮮明に覚えている。とくに俺が住んでいるカニアは、戦争の傷跡が深く残っていた。
復興作業に追われる日々を振り返ってみれば、十年の歳月は長いようであっという間だった。人々が団結して生きていたあのときと違い、今はそれぞれがそれぞれの生活を忙しなく送っている。コンクリートや木造の建築が立派に立ち並ぶ、かつてのカニアの街並み。それは、みなが一日も早く望んだ光景だった。しかし、復興の喜びを祝う一方で、その街並みからは、安心感と、一抹の寂しさを感じた。
店が立ち並ぶ大通りを右に曲がり、いつもの職場へ向かう。新聞社“国の耳”。何度見ても大仰な社名だ。そんな名前とは裏腹に、会社の規模は各社と比べて下から数えたほうが早い。だが、意外にも売り上げは安定して好調だ。中立を掲げ、国の方針や社会の抱える問題に客観的な意見を述べるコラムなどが、その人気の核となっていた。地元から熱烈に支持されているのも大きい。お上からはあまりいい顔をされないが。
「おはようございます」
職場に入ったら、まずは挨拶。昔の訓練のおかげで、肺活量には自信がある。低い声に多くの人が振り
返り、返事をしてくれた。
「編集長。おはようございます」
「おはよう。ロイ」
心の底から信頼できる人は誰かと聞かれれば、間違いなく国の耳編集長・カイの名を挙げる。編集長は、戦争が終わり、途方に暮れていた俺を温かく迎えてくれた。そんなお人好しは今日日そんなにいるもんじゃない。
社内を軽く見まわすと、社員が忙しそうに働いている。社内には上流階級やスラムを始め、さまざまな出身・経歴の人が集い、記事の制作に励んでいる。偏見に囚われず、分け隔てなく相手と接することを心がけている我が社は、世界が追い求める理想の姿なのかもしれない。
「平和条約の締結はめでたいが、国内があまりにきなくさいな」
開口一番に振る話題にしては重いと思う。しかし、俺が政治部担当である以上は、カイさんにこういった内容を問われるのはしかたない。
「はい。このまま対策なしでは、世論はもちろん、平和条約締結にも深刻な影響を及ぼすのは確実です」
「君の見立てはどうだね?」
「首相はかなり頭のキレる人です。今回の騒動に対してお手上げ状態とは考えられません。今朝の会見で言及したということは、なにかの対策をすでに始めたという意味かと」
「会見を見た限りではまだ検討中とも思えそうだが」
「彼は信頼できる人物以外に手の内を明かしません。動乱に手を貸している人間が見ている可能性を考慮し、情報を隠しているのでしょう」
「ずいぶんと用心深いんだな。ありがとう、引き続き頼むよ」
「はい」
編集長と話をした後、持ち場に戻って席に着く。
「なあ、ウェントはどんな対策を練ってくると思う?」
仕事を始めようとした矢先、隣の席のリックからさっそく声をかけられた。リックは明るい性格で、や
たらと厄介ごとに首を突っ込みたがる。
「あいつとは赤の他人でもないんだから、多少の想像くらいはお前にもできてるんじゃないのか?」
「武力行使に出る可能性は高いな。ただ、各国が受ける印象を配慮すれば、大規模な鎮圧作戦には出にくいだろう」
リックは続ける。
「少数の部隊でも送らせて首謀者を暗殺するかもな。んでもって、暗殺を、動乱を治めようとして立ち上がった国民の反撃による戦死に偽装する。それとも、シンプルに事故死をでっちあげるか」
現地の人間の反撃に偽装するというのは現実味のある意見だった。現在起きている動乱には、意外にも現地の多くの人間が賛同しているらしい。
例えば、じつは賛同者が多いというのは間違いで、現地の人たちは反感の意志を募らせており、耐えかねた挙句決起する。その結果、見事首謀者を討つことに成功した。ということにすれば、国民や国への印象の悪化を抑えるどころか、英雄的な行動として逆に胸を張って世界に喧伝できる。
「考えたくないが、ありえるな」
友の政策を邪推するのは気が引けるが、可能性としては排除できない。
「事故死がか?」
リックがからかうような口調で放つ。
「暗殺のほうだよ」
俺はすかさず否定する。
「そんときは、俺たち政治部の出番だ。ウェインのことを探るのは気が引けるがしょうがない。これが仕事だからな」
苦々しい口調でリックが話す。真実を探し求めることが俺たちの仕事だ。そこに私情は挟めない。
「――あいつ、鉄仮面でも被ってるのかっつーぐらい表情が変わんねえよな。昔はもっと明るい奴だったのに」
確かに。軍にいるときのウェインはムードメーカーのような存在だった。
「やっぱさ、一定の地位とか莫大な富とか、大きな力を得ると、人って変わるのかねえ」
「……」
思わず言い淀んでしまった。
「あっ……悪い」
「いや、いいんだ。結局、使う側の考え方次第ってところだろうな」
さきほどの発言以降、リックは昼まで話しかけてこなかった。彼なりの気遣いなのだろうが、彼の性格から考えれば、むしろあからさまに話題を変えて話し続けてくれたほうがありがたかった。
◆◆
「おい!」
昼飯を食べ終え、ウトウトとしていた時。不意にリックに大きな声で話しかけられ、俺は思わず肩が上がった。
「どうした?」
「いいから早く来い!」
リックに先導され、俺は編集部内のテレビが置かれた広い休憩スペースにやってきた。
「俺はそんなに疲れてないぞ?」
「そうじゃねえって。テレビだよ。テレビ」
そう言われてテレビを見ると――
「この映像に映ってる奴って、お前んとこの部隊にいた隊員だよな?」
心臓が早鐘を打つ。
『政府は先ほど、国内で深刻になっている反政府デモについての続報を発表。現在デモが発生している州の中で、とくに深刻なのは四つで、そのいずれにも軍属の人間が関与しているとのことです――』
たくさんの人々の先頭に立っている長髪の男は、俺が決して忘れるはずもない相手だった。記憶の奥底に眠っていた血と鉄の光景が引っ張り出されてくる。悪夢の光景が次々と頭の中に浮かんでは消え、子供がおもちゃを欲しがるように、必死で手を伸ばして助けを求める者たちの怨嗟が頭を駆け巡る。俺は悪夢の当事者。事実は、未来永劫消えることはない。この両手は、今も十年前の血に塗れているのだ。
「おい、大丈夫かよ?」
リックが心底心配そうな顔で訪ねてくる。
「問題ない。ちょっと昔のことを思い出してただけ――」
「ロイ! お前さん宛に伝言だ」
カイさんが小走りでこちらに近づいてきながら話す。嫌な予感がする。
「伝言? 誰からですか?」
「ジェラルドという男からだ。緊急の要件で、日曜日に家に来てほしいと」