運命の悪戯 前編
ルイーゼと俺が知り合いだと知ったブルーノは、椅子を持ってきて、四人で座れるように計らってくれた。こうして向き合うのは、なんとも懐かしく、そして不思議な感覚だ。ラインハルトと飲み交わした時と似ている。最初は、≪五つ子≫としてつけられた名前で呼んだり考えることで、家族同然の彼らを殺すという所業を少しでも軽くしようとしていた。だが、ナターシャに教会でたしなめられ、彼女と病院で話すうち、俺も彼らの本来の名前で呼ぶべきだと、そう心に決めた。
その上で、殺す。
「おふたりは知り合いで?」
ブルーノがルイーゼに問う。
「ええ。彼はロイ・トルステン。軍属時代の同期よ。革命戦争を契機に、同じタイミングで退役したの。……ただ、そちらのお嬢さんは知らないわね。あなたの……娘?」
「名前はセレーヌ・ラシュレー、勤務先の後輩さ。俺と同じく旅が趣味だと知って、たまに休みを取っていっしょにイーリスの名所を旅してる」
「へえ」
ルイーゼは明らかに俺を疑っていた。ラインハルトが俺たちのことを知っていたのだから、彼女もそうである可能性が高い。だが、あくまで可能性である以上、こちらから真実を話すわけにはいかないし、ブルーノに訊かれるわけにもいかなかった。
「旅か、良い趣味だな。自分と馴染みのない場所に訪れるのは刺激になるし、何より思い出になる」
ブルーノの反応は狙い通りだ。この調子で、うまく話題を逸らしたい。
「ロイは、今新聞記者なのでしょう? 各地へは、よく出張してそうだけど」
「仕事とプライベートでは、同じ景色でも受ける印象がまったく違う。私的な旅は、気楽でいい」
咄嗟にごまかしたが、その気持ちは本当だった、記者となって、いろいろな場所に行くことはよくあったが、仕事である以上、心の底から楽しむことは難しい。
「それもそうね……セレーヌは、いったいどうして新聞記者になろうと?」
セレーヌに話を振られた瞬間、俺の心臓が高鳴る。ごまかせるかどうかは――彼女次第だ。セレーヌはルイーゼの方を向き、口を開いた。
「ええと……私、今まで戦争というものを、外から見ていた気がするんです。どれだけ思考を重ねても、戦場に実際にいる人たちになりきることはできませんから……。平和な世界が築かれてきた裏側で、血を流した者がいるという事実を、後世まで残していきたい。だから、新聞記者の門を叩きました」
「立派な志だ」
ブルーノは彼女の思想を称賛した。
「戦争の傍観者にはなりたくない、か。そんなにすらすらと言えるなら“その場限りの嘘”ではないようね。……ブルーノさんの言う通り、立派な考えだわ」
ルイーゼは少し驚いている様子だったが、それは俺も同じだった。彼女の口ぶりは、言い訳のためというよりは、あらかじめ考えていたことを、うまく新聞記者志望の理由に交えて話したように思えた。
「セレーヌは、まだ研修中の身でな。今時、戦争に関連する記事を担当したいと言う奴なんて少ないから、彼女はすぐにうちの編集長の目に留まった」
研修中の身と言っておけば、セレーヌへの、新聞記者としての専門的な話の言及は回避できるはずだ。今度は、こちらから話を振ろう。
「ブルーノさんは、カスラ州の警察官のようだが、お前も警察の人間になったのか?」
「そういうわけではないわ。実権はなくとも、貴族として、自分の故郷を荒らしている不届き者を見過ごすことはできない。だから、極悪人のルーカス・リーを逮捕、彼の組織を壊滅させるまで、一時的にカスラ州の警察と共同戦線を張ることになったの。お金もあるし、私兵部隊だっているんだから」
彼女は、昔から正義感の強い性格だった。一度決めたことは最後までやり通す強い意志も持っており、革命戦争当時は、俺の指示をいちばん熱心に聞き、忠実に実行してくれていた。確か、あの時は18歳だったから、今は28歳のはずだ。凛とした顔は、それなりの経験を積み重ねてきた大人の雰囲気を醸し出している。
「二年前に彼のことが分かって以来、捜査を進めてきたけれど、情報を掴んでも、さっきのように軽くあしらわれてしまうの。きっと、カスラ州内や周辺に、仲間を紛れ込ませているんでしょうね」
淡々と内情を話すルイーゼ。警察との捜査に関わる内容なら、本来機密情報のはずだ。
「そんなことを俺たちにペラペラと話していいのか?」
その言葉に反応し、セレーヌはこちらを見た。
「これくらいは、地元で時事を追っている人ならわかるし、問題ないわ。……ブルーノさん、悪いんだけど、私の車の中の無線機を使ってカスラの警察署に今回のことを報告しておいてくれる? その後は車内で待機。私もすぐに行くから」
「わかりました。それでは」
ブルーノは指示を受けるとすぐに席を立ち、俺たちに軽く会釈した後、店内を後にした。それを確認したルイーゼは、俺の方へ再び振り向く。
「……私を殺しに来たのでしょう?」
「そうだと言ったら……どうする?」
否定しない俺に対し、彼女は少しだけ残念そうな顔をした。衝撃を受けた様子がほとんど見られないのは、カマをかけているのではなく、ラインハルトのように、事前に情報を入手しているからなのだろう。
「申し訳ないけど、まだ死ぬわけにはいかないわ。私にはやらなければならないことが残ってる」
「この国を戦争に導くまでは、か?」
「……それもあるわ。でも、いちばんの理由はルーカス・リーの逮捕ね。あいつの所業は、絶対に許すわけにはいかない」
そう言えば、ルーカスがどのような犯罪を犯しているのか、詳しくは知らなかった。
「ルーカスは、いったいどんなことに手を染めているんだ?」
俺の疑問を受け、ルイーゼは一瞬息を整えた。セレーヌの方に一度目を向け、そして俺の方へ向きなおす。息を吸い込んだ後、再び口を開いた彼女は、周囲の客に極力聞かれないような、小さな声で話し始めた。
「人身売買、および臓器売買よ」
その言葉を聞いて、左に座っているセレーヌの表情は凍り付く。ルイーゼは構わず続ける。
「革命戦争で出たイーリス側の犠牲者は、約三百万人。そのうちの三十万人ほどが、一般市民ね。戦禍の影響で行き場を失くした人々は、今も多く残っている。ルーカスは、そんな人々に聞こえの良い仕事を提供して騙し、本人を現場まで誘導した後、誘拐するの。噂では、公的機関とも根を張っているとか」
「誘拐した人たちは、被害者自身か、あるいは中身をどこかへ売り払われるというわけか」
「戦争の影響を受けた人々は氷山の一角。最近では、戦争とは無縁の、カスラ州の一般市民まで被害に合ってる。老若男女、年齢も性別も関係ない。おまけに、その影響か、強盗や殺人に詐欺を行う輩が増加傾向にある……奴らの影響でね」
「……」
ルーカスの捜査を行っているのは素晴らしい。だが、タイミングが悪かったとしか言いようがなかった。本来なら、捜査が終わるまで待ってやりたいところだが、逮捕までの目途が付いていない捜査を、ただ座して待っていられるほどの猶予はない。
「お願い、ルーカス逮捕まで手を貸して」
ルイーゼは真剣な口調で話す。
「それで俺たちに何の得がある? 察しの通り、俺たちの目的はお前の殺害だ。この場で射殺することだってできるんだぞ」
とは言ったものの、ほとんど満員に近いこの飲食店内で発砲することは、周囲に自分の存在を誇示するに等しい。上層部の情報統制があっても、人の口を完全に塞ぐことなどできない。作戦自体が秘匿に行われている以上、なるべく武力行使の際は人目を避けるべきだ。ブルクでの戦闘も、ラインハルトとの一騎打ちも、近辺に人がいないのが救いだった。強硬手段は、最後に取っておきたい。
「お忍びでやってるのにそんなことするほど、あなたは馬鹿じゃないわ」
やはり見透かされていたようだ。
「捜査に協力してくれるあいだは、私の屋敷内で寝泊まりして構わない。つまり、反政府勢力などから身を守ってあげる。私の下で動いているとなれば、敵から狙われる確率は大幅に下がるはずよ。逮捕までこぎつけたあかつきには……私の身を好きにしていいから」
「なぜだ? “お前たち”の目的は、イーリスの実権掌握と、ガリムとの開戦にあるはず。事件終結までに死んだら、自分の目でその瞬間を見ることは叶わないぞ」
「いろいろあるのよ……、あなたのようにね」
かつて戦友だった男が自分を殺そうとしているなど、ルイーゼからすれば信じられない話だろう。俺自身を引き合いに出されれば、反論することなどできない。
「俺たちの素性は、奴らにバレているのか?」
博士の話では『軍属のロイ・トルステンという人間が、反政府運動鎮圧のために投入された』というレベルに留まっているようだが、今はわからない。
「名前以外の個人情報は分かっていないわ。――私が話せば、すぐに広がるでしょうけど」
ルイーゼの鋭い目つきが、俺の方を向く。
「なぜ話さない?」
俺は間髪入れずに質問する。
「≪五つ子≫を世間一般に知らしめれば、いずれ実験のこともバレるのは確実。そうなったら、ガリムは脅迫のネタを失って、強硬策に出るかもしれない。他国への印象も悪くなる。それはイーリスの国益に反するからよ。≪五つ子≫の情報は、それぞれがまだ胸の内に秘めているわ」
「……そうか」
「それで、どうするの? おふたりさん」
ルイーゼは俺とセレーヌを交互に見る。保護と言うなら聞こえがいいが、結局はこちらの情報を武器に脅されているようなものだ。名前だけしかわかっていないなら、別にルイーゼの屋敷を借りる必要などない。だが、安全に越したことはないというのも事実であり、しかも、その気になれば、彼女は≪五つ子≫の情報を開示できる。国益に反するとは言っているが、情報の拡散を怖れるなら、ルイーゼの私兵部隊にだけ事の真相を伝え、俺を襲わせれば良い。複数人で闇討ちすれば、俺を殺せる可能性は十分にあるし、セレーヌを人質にとれば、思うように動けなくなる。ルイーゼ本人が、俺に命を狙われていると知っている以上、俺が有利になってしまうな状況を看過する可能性は著しく低い。仮に、提案を拒否してこの場を切り抜けられても、ルイーゼは間違いなく、スケジュールや、行動に対策を施す。そうなれば、彼女への再接近は困難を極めるだろう。ここで出会ったことは不運だが、共闘の誘いはチャンスでもあった。
「私は……ロイさんの判断に従います」
セレーヌは、俺の目を見て答えた。約束を破られた場合、明らかに不利になるのはこちらだが、ルイーゼに近づければ、その分、殺害が容易になる。一瞬で始末できるなら、それに越したことはない。正面から戦うことになれば、泥仕合になるだろう。そうなれば――俺もそうだが――ルイーゼは戦いで負うことになるであろう、大小さまざまな傷に苦しむこととなる。かつての仲間が苦しむ様など、できることなら見たくない。ラインハルトとの戦闘で、その辛さは十分に味わっているのだから。
「……わかった。では、ルイーゼ・バラデュールとの、事件解決までの協力を承諾しよう。その代わり、約束は守ってもらうぞ」
「もちろんよ。……本当は、カスラで話すつもりだったのだけれど、ここであなたと会えてよかった」
「俺としても、犯罪に手を染めた戦友は見過ごしがたいしな」
ルイーゼが差しだしてきた右腕を、掴んで握手を交わす。女性でありながら、男性顔負けの握力だ。女性でも活躍できるということを証明するため、彼女は鍛錬を怠らなかった。きっと、終戦後も精を出していたのだろう。世界の歴史がいつも通り進んでいれば、その力を存分に発揮するときも訪れたに違いない。
「まずは、私の屋敷へ向かいましょう。詳しい話はそこでするわ」
「それじゃあ、行くか。俺たちも車があるから、先導し――」
乾いた大きな音が一回鳴り、俺たちは店内の外を見た。
「……銃声でしょうか?」
セレーヌの推測通りだった。駐車場付近には、軽装甲車二輌を背景に、突撃銃を構えた十数人の人間が立っている。銃撃戦になっていないことを考えると、外にいたブルーノやフィリップたちは隠れているのだろう。
「言っておくけど、私は話していないわ。……きっとルーカスね」
そう言えば、ルーカスは店の外に出る前、座っている俺の方を一瞥していた。その時に、俺が敵だとわかったのだろうか。だが、俺が退役していたことは知っているはず。まさか、あいつも敵とつながっている?
「あなたのトレンチコートの襟の裏側に付けてるの、それイーリス軍のバッジでしょう? その位置だと、上からなら見えるわ。イーリスの軍人が正式な作戦でもなく、極秘裏に、しかもこの時期にカスラ州の近くを訪れている。あなたが敵対している人たちが知っているとされる情報と、ほぼ一致するわ」
見せびらかすと説明が面倒なので、いつもバッジは必要な時に見せられるよう、トレンチコートの襟の裏につけていた。まさかこれでバレるとは……。
「そのせいで奴らが来たということは、ルーカスとつながっているということだぞ。知らなかったのか?」
「あくまで噂レベルだったから、確かめようがなかったの。でも、これではっきりとしたわね」
そう言いつつ、ルイーゼは腰のホルスターから拳銃を引き抜く。
「お前にはまだ聞きたいことがあるが、今はこっちに集中しないとな。セレーヌ、お前は店内で客の避難誘導をしてくれ、店の入口の反対側に、避難用の出口がある」
「は、はい!」
「こちらからも警察官を二名、避難誘導に向かわせるわ」
俺とルイーゼは、困惑する客を尻目に、店の外へ向かう。ふたりだけだが、あの戦いの日々が蘇ってくるようで、少しだけ、ほんの少しだけ、俺は天の粋な計らいによろこんだ。




