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春過ぎて  作者: 菊郎
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思わぬ邂逅 後編



 俺は目の前で起こっていることが理解できなかった。自分たちを捕まえに来たのだろうと思っていた警察官が、今この瞬間、周囲の男たちに銃口を向けられているのだから。きっと彼らは反政府勢力の人間が変装した者ではなく、正真正銘の警察官なのだ。警察官二名に対し、銃口を向けている男の数は、およそ十人。もちろん、彼らとは知り合いでもないし、援軍を呼んだ覚えもない。

「くそ……! 嗅ぎつけられていることはお見通しってことか……」

 セレーヌをチェックするはずだった、初老の警察官が声を震わせながら話す。彼の言葉を聞いて、警察官の目の前の席に座っていた男が顔をあげた。帽子のせいで見えなかった顔には多くの皺が刻まれ、彫りは深く、眼光は鋭いうえ、顎と口に、きれいに整えられた髭を蓄えられている。まさに、どこかのボスといった容姿だ――どこかで見た事がある。

「私たちの情報網を侮るなよ。その気になれば、君たち警察の一日のスケジュール、警察官ひとりひとりのプロフィールや住所に家族構成、明日お前が履くつもりのパンツの種類まで調べ上げられる」

 彼の言葉に反応し、銃を持った男たちが笑い声をあげた。威厳のある男は立ち上がりつつ帽子を脱ぎ、店内に響くような大きな声で周囲に語りかける。

「この場に居合わせてしまったみなさん、権力の犬が“無礼”を働き、大変申し訳ない。私たちは、ここでただ楽しくおしゃべりをしながら料理や酒を堪能したかっただけなんだ。だが、興が削がれてしまった。この辺で帰らせていただくよ」

 突然の出来事に、店内の人間のほとんどが凍り付いたように呆然としていた。彼らが帰り支度をしている様を、ただ見つめている。

「それにしても、カスラの警察は本当に優秀だな……しばらくは安泰か」

 男は余裕の態度を崩さない。

「ルーカス・リー……、そうやっていい気になっていられるのも今のうちだ……!」

 若い方の警察官が、リーダーと思しき人物に銃を向けつつ叫んだ。ルーカスと呼ばれた男は、出口へ向かおうとした足先を彼へと向け、彼の目と鼻の先まで近づく。ルーカスは、挑発された怒りも、相手を哀れむような表情もせず、ただ無表情のまま口を開いた。

「撃てるのか、君に? もし私を撃とうものなら、その何倍、何十倍もの鉛玉が、間髪入れずに君の体を貫くぞ。それだけではない、君と関係のある人間は、私の仲間たちが片っ端から捕まえて、生きていることを後悔するような目にあわせるだろう」

「そんな脅しには屈しない!」

 その言葉を受けた途端、ルーカスは彼の銃を握り、自らの心臓に押し当てた。

「なら撃ってみろ、坊や」

「……っ!」

 若い警察官の腕は、少しだが震えていた。ルーカスの鬼気迫る剣幕を受け、息も荒くなっている。両者は十数秒ほど睨みあったが、けっきょく、警察官が“折れた”。

「懸命な判断だよ、命はひとつしかないんだから、大切にせんとな」

 ルーカスは俺の方を一瞥した後、仲間を引き連れ、飲食店の出口を進んだ。このような状況で落ち着いている人間は、逆に注意を引いてしまう。きっとそのせいだろう。彼は受け付けのところまで行くと、店員に札束を三つ渡した。明らかに飲み食いしただけで払うような量ではない。

「こ、こんなには受け取れません」

 店員は慌てた様子で話す。

「料理だけではない。今回の一件が知れ渡ることで受ける、風評被害なども勘定に入れている」

 そう言い放ち、ルーカス一行は店を出た。彼らがいなくなって数分すると、店長の呼びかけにより、ようやく店内はさきほどまでの活気を取り戻した。店にいた客たちが逃げなかったのが意外だが、逃げられなかったというのが正しい見解だろう。






「おい、そこの若い警察官。名前は?」

 俺の不意の声掛けを受け、驚いた様子で彼はこちらへ振り返った。検査された時はよくわからなかったが、髪は茶色で、前髪は目のあたりまでかかるかそうでないかくらいの長さだった。

「え……フィリップだけど」

「フィリップ、あいつがルーカスというのは本当か?」

「本当だよ。久しぶりに情報が入ったから現地へ来てみれば、この有り様だ。手のひらで踊らされている気がして、無性にむかついてくる」

「あの、ルーカスという方は、いったいどのような人物なのですか?」

 セレーヌが訊いてたので、俺はあの男のことを話す。

「ルーカス・リーは、イーリス陸軍の中佐だった男だ。革命戦争以降の平和的な情勢に嫌気が差して、終戦から二年後に軍を退役、故郷のカスラ州に帰った。そこから数年は音沙汰がなかったんだが、二年ほど前から、犯罪組織の首領を務めていることが判明してな。あいつの組織はかなりの規模らしい。当時は髭を生やしていなかったから、名前を聞くまでわからなかった」

 軍を退役した後も、俺は博士や古くからの伝手を使って時折情報を集めていた。上層部の連中はとくに嫌な顔もしなかったが、きっと機密を知れば知るほど、その分俺を縛りやすいと考えていたのだろう。 ルーカスもまた、革命戦争を生き抜いた者であり、多くの修羅場をくぐって来ている。兵士として戦線から身を引いた後も修羅に生きる彼がフィリップに対して言った脅しは、間違いなくハッタリではない。物事を動かす権力や金の力は恐ろしいもので、あらゆる者をひれ伏させることが可能な、現代の魔法とも言える。警察官や検察官、弁護士たちが掲げる高潔な正義感は、力の前に歪められてしまうことが大半だ。

「フィリップ、そのけんか腰な口調はやめろといつも言っているだろう。もしかしたら、あの場で撃ち殺されていたかもしれないんだぞ」

 そう言って、初老の警察官が話に入ってきた。さきほどルーカスを検査していた人だ。

「……すいません。でも、あんな極悪非道な奴が野放しにされているなんて……絶対に許せない。ブルーノさんだって、そう思うでしょう?」

「お前の言い分がわかる。だがな、奴を殺せば、奴の率いる組織の摘発が難しくなる。それ以前に、警察官が独断で容疑者を射殺など、もってのほかだ。罪を償わせるためにも、必ず法の下で裁かなければならない」

 ブルーノと呼ばれた男がそう言うと、フィリップは黙り込み、店内を後にした。彼が外へ向かう様を見ているブルーノの目は、何かを懐かしむような、遠い目をしていた。

「うちの若輩者がすまないな」

「いや、気にしないでくれ。若気の至りってやつは誰にでもある」

「やけに落ち着いてるな。そう言うお前さんも、けっこう若そうに見えるが?」

「燃やせる分の情熱は、もうなくなったよ」

「馬鹿言うな。んなのは気持ちの持ちようで、いくらでも燃やせるもんだ」

 ブルーノは、白髪が混じった、黒髪をしていた。左手の薬指には指輪がはめられている。おそらく五十代前後だろうが、体はしっかりとしており、鍛錬に精を出していることがわかった。きれいに整えられた口ひげと、垂れた目じりは人の好さを醸し出しており、それでいて、その目はまるで狼のように鋭かった。

「君はルーカスについて詳しいようだが、ほかにも何か知っているなら教えてくれないか? 内容次第では、報奨金も支払われる」

 報奨金まで設けられているとは、ルーカスも随分と人気者になったものだ。俺と彼との交流はほとんどなく、お互い顔見知り程度だったが、人を惹きつけるカリスマ性に優れていたことは覚えている。革命戦争当時、ブリーフィング後に、上官が退室すると決まった行われた愚痴のオンパレードの最中でも、あの男はただ黙っていた。無口な性格だが、それでも、ルーカスを慕い、彼に付き添う者は多かった。

「すまないが、さっき言ったこと以上はわからないんだ」

「……そうか。まあ、一般人に訊くのも野暮ってもんだな」

 “仲間”をかばいたかったわけではない。本当に、彼の最近の動向はわからなかった。

「本当は、あなたもルーカスをぶっ飛ばしたいんじゃないのか?」

「……まあな。だが、私は世の中を知りすぎた、そして、“入り込みすぎてしまった”。子供から大人になるということは、ある種の麻薬のようなものだと私は思ってる。若い頃は、腐った権力を打倒し、正しいものが称賛を浴び、悪しきものはそれにふさわしい罰を受ける、そんな世の中にしたいと、溢れる情熱を燃やしていたよ。だが、警察という組織に入り、社会を知り、政治的な駆け引きを覚えたことで、その考えも、もう忘却の彼方となってしまった。――私は、成熟という麻薬に侵されてしまったんだ。痛みを伴う一時の変革を怖れ、気付いたら、憎くて憎くてしょうがなかった、腐っている現実から目を背け、悠久の安寧を望む穢れた大人どもの仲間になっていた」

 ブルーノは続ける。

「警察を抜け、そういったしがらみから解放されることで、もう一度、純粋な心を取り戻せるとも思った。だが、自身の経験が、理想の実現を邪魔する。一度ベッドの寝心地を覚えてしまったら、もう床で寝ることなどできない――だから、フィリップがうらやましいと思ってる」

「無知、そして若さゆえの力があるからか」

「だが、あいつもゆくゆくは、私やその他大勢の大人の同類になってしまうと思うと、悲しくなるな」

 理想と現実は、どこかで自分で折り合いをつけなければならない。現実に迎合することで、簡単に金や名誉を手にできるとするなら、誰だってそうするだろう。生物が死という宿命から逃れられない以上、定められた時の中で効率の良い生き方を選ぶというのは、別段おかしいことではない。そのような安易な道を捨て、自らの理想や信念を貫くような者たちは、歴史に名を残す者――教科書に載るような人たちだ。だが、そのような存在が残念ながら少ないことは、その教科書が証明している。

「知識を蓄えるということが、必ずしも良い影響を及ぼすとは限らないのでしょうか?」

 セレーヌがぽつりと呟いた。貴族の人間として、彼女はこれまで勉学に励んできたことだろう。それを否定されかねないようなことを聞かされては、問いかけたくなる気持ちもわかる。

「そういうことじゃないんだ、お嬢さん。無知というのも、時には自分の行動への大きな力となるが、それが自分に災いとなって振りかかることもある。無知では、その事柄の危険性を認識できないからね。大切なのは、真実を知って、自分がどう思い、どう行動するかだ――私は怖気づいてしまったが」






 ブルーノはどうやらここで待機を命じられているらしく、ルーカスたちが出て行ったことで空いた席に座り、休憩を取っていた。十数分ほどすると、ひとりの女性が店内に入って来た。太陽の光のような金色の髪を肩ほどまで伸ばしている。姿勢を伸ばしてきっちりと歩いており、黒を基調としたスーツは、彼女のまとう雰囲気をより一層厳かなものとしていた。ブルーノに用があるようで、彼女は彼を見ながら近づいてくる。窓の外を見ると、警察の車とは違う、軽装甲車が止まっていた。きっと彼女が乗って来たのだろう。ブルーノは金髪の女性を視認すると、即座に席から立ち、彼女を出迎えた。

「ルイーゼさん、お疲れ様です」

 ブルーノの言葉を聞いて、俺の鼓動はひと際大きくなった。

「ブルーノさん。ここに来る途中、ルーカスと彼の仲間を見たけど、奴らに脅迫でもされたの?」

 凛々しい、張りのある声が、俺の頭の中から、記憶を引っ張りだしてくる。

「お察しの通りです。どうやら、私たちがここに来ることをわかっていたようでして……。まったく情けない限り――」

「久しぶりだな」

 俺はふたりの会話に割って入る。いきなりの声に反応し、彼女はこちらを向いた。俺の顔を見た彼女は、数秒の間を置いて、目を見開かせる。

「……! また会えるなんて……嬉しいわ。ロイ」

「俺もだ」

 予想よりも早くこの時は来てしまったことを、俺は心の底で密かに悲しんだ。目の前に立つ女は、≪五つ子≫唯一の女性である、ルイーゼ・バラドュールに他ならないのだから。











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