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春過ぎて  作者: 菊郎
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思わぬ邂逅 前編

 俺とセレーヌは休養を取った後、カスラ州に向かうべく、ホテルに戻って準備を進めていた。とは言っても、そんなに持っていく荷物は多くない。大きめのアタッシュケースには、俺が使うすべての武器が収められている。セレーヌの個人的な持ち物は、バックパックひとつだ。ほかには、携行食品や日用品が入ったショルダーバッグがひとつ。荷物の確認を終えた後、ホテルを出て、俺たちはもう一度軍の施設へ向かった。

「オスカー、短い間だったが、世話になった」

「いえ、情報提供くらいしかできませんでしたが、お役に立てたのなら何よりです」

 ラーヴィが死んだ今、もはやオスカーを必要としている者はいなかった。密偵の任を解かれた彼の転属先の斡旋を博士に頼み、俺たちは次の目的地を目指して車を走らせる。革命戦争が終わった直後のイーリスの交通事情は、それはもう惨めなものだった。石畳の床、豊かな土壌や芝生で覆われた道路は、砲弾や銃弾によって徹底的に破壊し尽くされ、戦車のキャタピラでもないと通れない箇所で溢れていた。今走っている道路は、舗装されてからかなり経っているのか、けっこう揺れる。だが、昔に比べれば快適だった。

「カスラ州へは、あとどれほどでしょうか?」

 運転し始めること一時間。セレーヌがふと話しかけてきた。それまでは、バックパックに入れてきたと言う新聞や雑誌を読んでいたが、もうあらかた読み終えたようだ。

「あと二時間ほどだな」

「それでは、到着は夜になってしまいますね」

 本来なら十五時くらいには出発し、陽が沈みきったころにはカスラ州へ到着するはずだったが、緊急会議を行ったという博士の連絡を聞いてから議論を交わしていて、いざ車に乗り込んだときには、もう夕方になっていた。利便性だけを考慮して作られたらしい、この専用の道路の周囲には、家や店などは今のところまったく確認できていない。その分見通しがよく、街灯もたまに立っているが、昼間と比べれば、それでも夜の視界はすこぶる悪い。ブルクの時のような待ち伏せがあった場合が心配だ。仮に反政府勢力との交戦になった場合、夜は銃撃による発火炎で自らの位置を知られやすい。発火炎を抑えられる消音器も持ってきてはいるが、身軽さを重視しているのでその数は少なく、さらに消耗品であるため長期戦は不向きだ。

「あそこに建物がありますよ? 宿屋でしょうか?」

 セレーヌが北東を指差し、俺も同じ方向を見ると、確かに建物があった。駐車場のような広場があることから、少なくとも何かしらの営業を行っているのがわかる。近くには飲食店も併設されており、セレーヌの予想は当たってそうだ。

「もし宿屋なら、部屋が空いていないか聞いてみよう。満員なら、車中泊だ」

「……空いてることを祈りましょう」

 俺たちは車を駐車場に止め、宿屋と思しき建物に近づく。瓦で覆われた屋根は、その建築に歴史があることを示していた。暗いのでよくわからないが、木造建築のようで、全体的に茶色をしていた。中に入ると、目の前には受付があった。真横には通路が奥に向かって伸びており、おそらく部屋があるのだろう。左右にはちょっとした談話スペースがあり、何人かの宿泊客が椅子に座って談笑していた。

「こんな時間で悪いんだが、部屋は空いてるかな?」

「空いてることは空いているのですが……、一部屋だけです」

 受付に立っている従業員は、セレーヌを見てばつが悪そうに言った。軍人である以上、俺は“そこのところ”は問題ないが、セレーヌがもし嫌だと言うのなら、強制するつもりはない。彼女は宿で、俺が車で寝てもいい。

「どうする?」

「では、その一部屋でお願いします」

 その言葉を聞いて、受け付けは彼女に番号が刻まれた円形の札がついた鍵を渡した。

「じゃあ、俺は車で寝るよ。男と同じ部屋は嫌だろう?」

「私だって軍人ですから、心構えはあります。それくらいどうってことないですよ」




 今回の“家”は、これまでの中でもっとも質素な造りになっていた。室内には、テーブルと椅子、ベッドなど、必要最低限の家具しかなく、飾りなどないし、殺風景なことこの上ない。おまけに、歩くと床が軋む音が聞こえてくる。まあ、スウィートルームに泊まることになったとしても、豪華すぎて逆に落ち着かないだろうが。

「ベッドはひとつか……」

 真っ白なベッドは、シーツには所々折り目がついており、先端は綻び、さらに枕は少し黒ずんでいるなど、従業員を呼んで取り替えてほしいとお願いしたい有様だった。夜に到着したおかげで、この部屋にいるのもあと十数時間という短さが、せめてもの慰めだ。

「君はベッドで寝ていい。俺は床で寝るとしよう」

「ありがとうございます。でも、床では疲れが……」

「服を何枚か重ねて下に敷けば、幾分か楽になるだろう。それに、ベッド以外で眠る訓練くらい受けてるしな」

 昔の訓練により、とりあえず横になれば確実に寝れる。革命戦争中は、上着や土、草の上に寝るような日も多かった。もちろん、ベッドで寝られればそれが最高だが、部下の女性を差し置いて使うわけにはいかない。

「まだ寝るには早い。近くにあった飲食店に飯でも食いに行こう」

 俺たちは宿屋を出て、飲食店へ向かった。掘っ立て小屋とまでは言わないが、あの古びた宿とはあまりに見た目が違う。レンガやコンクリートで覆われた外見はとても頑丈そうで、窓や扉の作りもしっかりしている。扉を開けると、何人かがこちらを一瞬だけ見て、すぐにまた料理の方を向く。夕飯を食べに来たのか、中にはそれなりの数の客がいた。

「色々なメニューがあるんですね」

 店の奥の方の席に俺たちは座った。テーブルに置いてあるメニューの一覧を見て、セレーヌはやたらと嬉しそうに話している。貴族としての教育を受けてきた彼女は、こういった庶民的な場所で飯を食ったことがあるのだろうか? 俺は疑問に思い、彼女に尋ねる。

「セレーヌは、こういった飲食店に来たことはあるのか?」

「……一回だけですね。学校の友人たちと行ったのですが、後日、それを知った父に『なにより質を優先しろ』と怒られてしまいまして……。それ以来、高級店以外のお店には行けたことがありません」

 大将も人柄は変わっているようだ。彼女の境遇を考慮して、なるべく情報流出の可能性を抑えようとしているのかもしれないが、真意ははかりようもない。

「なら、せめてこのひとときを楽しめ。作戦を遂行さえすれば、何をしたって大丈夫なんだからな。それに、金についても心配いらないから、好きな料理を好きなだけ頼むといい」

 大体三十分ほどだろうか。俺たちはテーブルに運ばれてくる、スパゲッティやサラダなど、さまざまな料理を堪能した。職場の後輩に飯でも奢ってるような、ごく普通の時間だ。

「おいしかったですね。もうお腹いっぱいです」

「よく食うな。大したもんだ」

 事実、俺と同じか、少し多いくらいの量をセレーヌは食べきった。明日は元気満タンで働いてくれるだろう。

「んじゃ、少し休憩したら宿屋に戻ろう――」

 だが、そんな考えは、数秒後に頭から吹き飛んだ。

 外から“招かれざる客”がやって来ようとしている。





「セレーヌ、見ろ」

 そう言って、俺は店内の窓の方を指差す。彼女が言う通りに外を見ると、表情が固くなった。駐車場に、上部に赤いランプが付けられた車が二台止まっている。そこから、男が四名出てきた。

「あれは……警察でしょうか?」

 イーリスには、カニアの警察統合省を頂点に、各州に警察部署が存在する。制服は国で統一されており、柄や特徴を知ってさえ入れば、一目で判断可能だ。制服は全体的に群青色で、所々に白色が入っている。国内の事件や事故は警察が対処するのが基本で、彼らの手に余ると判断された場合は、軍が出動するという仕組みだ。だが、警察は、銃を始め装備が充実しており、犯人との戦闘状態に陥った場合を含めて多くのシチュエーションを考慮した訓練を行っている。イーリスにおいて準軍事組織のような役割も担っており、エリート集団と言っても過言ではない。

 とくにカスラ州の警察は、事件の解決や違法な店の摘発において、ほかの州の追随を許さないレベルの実績を上げており、その実力の高さをイーリス全土に轟かせていた。

「こっちに来ました」

 四人の警察官は二手に分かれ、一方は待機し、もう片方が飲食店にやって来た。――嫌な予感がする。

「近辺で、現在指名手配中の凶悪犯を目撃したとの情報が入っています! 申し訳ないのですが、ここにいる方々の顔を確認させていただきますので、どうかご容赦ください」

 そう言って、彼らは入口に近い客から順番にチェックし始めた。店内は照明が少し抑えられているため、薄暗く、ひとりが小さめのライトを薄く照らしている。もうひとりは右手に持ったファイルと対象者の顔を交互に確認しているため、おそらくあのファイルに犯人の似顔絵が描かれた紙があるのだろう。

「凶悪犯だなんて物騒ですね」

「“俺たち”かもしれないぞ?」

「俺たち……? でも、私たち何も悪いことは――」

 凶悪犯を目撃したという偽の情報を流して、警察に化けた反政府勢力の人間がロイ・トルステンを殺しにきたなら? この状況は、ブルクでの一件と酷似している。一応、手持ちの鞄に拳銃を入れてあるが、あの時と違って一般人が多い。下手に強硬手段に訴えれば、民間人に犠牲者が出るかもしれない。それだけは――それだけは避けなければならない! 俺たちは、国の守護者であり、国を守ることと、国民を守ることは同義なのだ。

「ど……どうしましょう? ロイさん」

 セレーヌが真面目な口調で指示を仰いでくる。

「大人しく検査を受けるしかないだろうな。もしあちらから攻撃してくるような動作を見せれば、即座に対応するぞ。こんな狭い場所だと俺は好きに動けない、君の出番もあるだろう。銃をいつでも使えるようにしておけ」

 その言葉を聞いて、セレーヌはさらに表情を強張せた。俺も鞄から拳銃を取り出し、懐に忍ばせる。

「わかりました……」

 そうこう話しているあいだにも、またひとり、またひとりと、検査を終えた警察官がこちらへ近づいてくる。それなりの数の客がいることを考慮したのか、途中から、ライトで照らす役だった方の警察官も顔のチェックをし出した。顔を確認する役だった方もライトを手にしている。

 彼らの腰にあるホルスターには、拳銃がしっかりと収められていた。警察の拳銃はかつて伝統的な6発装填のリボルバー式拳銃だったが、実用性に欠けるという理由で、マガジン式の拳銃に変わったと、前にラジオで聞いた。

「博士からの連絡では、まだ素性までは割れていないはずでは?」

「そう聞いていたが、確定じゃない。そもそも、スパイに関連する情報が不明瞭過ぎる。すでにバレている可能性もあり得るぞ」

 店の奥に座っていた俺たちの目の前に、ついに警察官が来た。俺の方に来た男は、帽子を深々と被っており、目元が少々暗くてよく見えなかったが、顔を見る限り二十代ほどだろう。

「お手数ですが、顔をご確認させてください」

 俺は素直に要求に応じ、彼の方を向くと、さっそく小さめのライトで俺の顔を照らしてきた。横目でセレーヌを見ると、彼女は緊張した顔で俺の方を見つめていた。それと同時に、セレーヌの奥に座っている男を、もう一方の警察官が調べているのが見えた。セレーヌはおそらくそのつぎだ。

 俺を調べていた警察官は、とくに表情も変えず淡々とチェックを終え、俺に礼を述べた後、つぎの客へと向かった。素性はバレていないのだろうと判断し、俺は深く息を吐いた。

「指名手配犯を確認。あなたには国家反逆罪を主とした多くの罪に問われている。事情聴取のため、カスラ州・ロントの警察署までご同行願えますか?」

「!」

 まさかセレーヌのほうだったとは……、と俺は心の中で驚きながら、彼女の声を聴いて即座に振り返る。そこには、動揺しているセレーヌと、奥の客を検査していた警察官へと銃を向ける、スーツ姿の男たちがいた。

 







 


















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