未来の貴方へ
ラーヴィとの戦闘後、俺はセレーヌが手配した車で軍の医療施設へ向かった。抉れた肩、銃創ができた下腹部の縫合や、案の定折れていたあばら骨の固定など、大がかりな治療が施されたが、それもすべて二、三日もすれば元に戻るだろう。こればかりは、博士に感謝しなくてはならない。治療から一夜明けた次の日、俺は相変わらず、病室のベッドで惰眠を貪っていたが、クルスでの一件を片付けるまでにかかった期間は、一週間ほど。このペースなら、期間である一ヵ月半後には余裕で間に合うだろう。
不意に病室のドアをノックされ、俺は音のした方を振り向く。
「ロイさん、セレーヌです。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
そう言うとドアが開き、彼女が入ってきた。右手には――色褪せていて、一度握りつぶされたかのようにしわくちゃな――手紙のようなもの、左手には、リンゴが入ったバスケットが握られている。俺の寝ているベッドまで近づくと、付近にある椅子に腰かけた。反対側には、バッジがついたトレンチコートや、戦闘で着用した戦闘服などが入った籠が置いてある。
「あなたが死んでしまうのではないかと、ずっと不安で……。ご無事なようでなによりです」
「君が車を手配してくれたおかげだ。さすがに歩いていくだけの気力はなかったからな」
正直に言うと、あの状態の俺が死ぬはずはなかった。≪五つ子≫が絶命するのは、頭部か心臓を、大口径の弾などで撃ち抜かれ、即死するときだけだ。出血が著しい場合、生命機能を維持するため、自動的に気を失い、損傷箇所の回復に努めるように俺たちの身体はいじられている。ラーヴィとの戦闘後、そのまま放置されていたとしても、傷の治り具合は別として、今と同じように目覚めていただろう。だが、教会内で気を失って、目覚めるまで無事でいられるとも限らないし、セレーヌに自分が死んだと誤解されると説明が面倒だった。いずれにせよ軍施設で博士への報告も行わないといけないのだから、医療施設に運ばれてよかったのだ。
「お役に立てたようで、よかったです……。それと、果物を持ってきたのですが、ロイさんは、リンゴは食べられますか?」
「リンゴアレルギーではないな」
セレーヌは慣れた手つきで包丁を使い、皮をむいていく。酒に強かったり、勇敢だったりと、長所の多い女性だ。数分もすると、きれいに身だけを残したリンゴが出来上がり、彼女は等間隔に切り分けていく。
「はい、どうぞ」
セレーヌは俺の口にフォークで刺したリンゴを持ってくる。
「左手は問題なく動く。自分で食べるよ」
「ケガ人は大人しくしていているものです。はい、口を開けて」
三十にもなって、しかも年下から、そんなことされてたまるか――と、俺は彼女を軽く睨む。しかし、セレーヌはまったく動じる気配がない。
「……わかったよ。君、段々強引になってきてないか?」
「それだけ心配しているということです」
リンゴを全部食べ終えると、俺たちは作戦の話をした。ひとまず、あと二日は休み、三日後には、第二の標的・ルヴィアが住んでいるカスラ州へと向かう。カスラは、クルスとは打って変わって発達した都市などが特徴的な州だ。彼女の家、バラドュール家は貴族で、州議会が行政を行っている現在では権力などは無いに等しいが、州に住む人々からは広く親しまれている。歴史と革命がうまく融合した例だ。イーリスには似たような州が、ほかにいくつもある。ルヴィア本人は孤児だったが、革命戦争終結後、養子として迎え入れられた。
「それと、この手紙がラーヴィさんの自室から見つかったらしいです」
そう言って、セレーヌは俺に、さきほど左手に持っていた手紙を渡した。ラーヴィと戦った後、事情を知る人間に、教会を調べてもらうよう、オスカーに頼んであったのだ。ナターシャからの反発が予想されたが、どうやら承諾してくれたようだ。そして、受け取った手紙の宛先は――俺の家だった。
「……席を外しますね。また少ししたら、見に来ますから」
彼女の計らいに感謝しつつ、俺は手紙を開いた。
親愛なる友 ロイ・トルステンへ
よう。記者として、つかの間の一般人生活を謳歌しているみたいだな?
あれから五年の年月が経った。未だに戦いのひとつも起こらない情勢を見ていて、どんどん不安になる。お前はどうだ? 俺はよく兄妹とともに戦った日々を思い出す。あの毎日の一秒一秒が、輝いていた。一日でも早く、またお前たちと会いたい。俺たちはどこをどう見ても人間だが、皮を剥いでみれば、立派な化け物だ。やっぱり、周囲の環境には馴染めそうにない。前にも連絡したが、今俺は土木工事の仕事をやってる。力仕事は楽勝だから、周りからどんどん仕事を頼まれて困ってるよ。まあ、状況は違うが、他人から頼られるっていうのは、中々悪くない。現場の同僚や先輩も、俺によくしてくれてる。
もし俺たちが、ただの軍人として生きていたなら、普通の生き方もできたと思うか? 戦いだけでなく、普通の人間としての営みも、できただろうか? もしものことを考えてもしょうがないのがわかっているが、それでも、ふと外を見るとたまに目に映る家族を見ていると、そう思ってしまう。時折、彼らが羨ましいと考えたこともあった。けど、俺には、お前たちがいる。苦楽をともにし、互いに背を預け合った、家族が。血は繋がっていないが、そんなのは些細なことだ。皆、心の底から愛している。
ミディレルの戦いのとき、お前は、身を挺して俺を助けに来てくれた。あのまま救援がなかったら、今こうして手紙を書いていることもなかっただろう。孤児院の時といい、お前には助けられっぱなしで、情けないことこの上ない。いつか、恩返しをさせてくれ。酒か飯を奢ってもいいし、なんなら、上層部から支給されてる金を使って、車とか家を買ったっていい。
この手紙を書いていること自体、平和な世界があってこそなのかもしれないと思うと、何だか複雑な気分になる。それでも、俺たちがいるべき場所はただひとつ、戦場だ。この国を、外国の脅威から守るため、またともに戦場に立てる日を、心から待っている。お互い離れているが、いつでも心はひとつだ。
またな、兄貴。
追伸:現在交際中の女性がいる。今度紹介するよ。
一九四十年六月三日 ラインハルト
俺は看護婦に話し、寒さをしのぐためのコートを羽織って軍施設の無線機がある場所へ向かった。博士に連絡するためだ。
『博士、聞こえるか?』
『……良好だ』
『ラーヴィは始末した』
『そうか……。何か言っていたか?』
『最期は俺に感謝してきたよ。ともに戦えて光栄だったと』
『……ひとまず、ご苦労だった。で? 次の予定は決まっているのか?』
『ああ。三日後にカスラへ向かう。次は、ルヴィアだな』
『こんなことを言える立場ではないが……大丈夫か?』
『ラーヴィはすでに殺した。同じことを、あと三回くり返せばいいだけだ。思うところはもちろんあるがな。任務である以上は、甘んじて受け入れる』
それが、俺の精一杯の本音だった。これ以上弱音の言葉を吐けば、体が鈍くなってしまうと危惧していたからだ。気持ちの状態は、身体に大きな影響を及ぼすのだから。
『……わかった。それと、頼まれていたスパイ探しの件だが』
その言葉を聞いて、俺はハッとする。何か進展があったのかもしれない。
『貴族が関わっているかもしれん』
『というと?』
『スパイの前提として、この作戦を知っていること、そして、イーリス上層部とコネクションを持っているかもしれないこと、今回の作戦を邪魔して得をする、戦争をすると好ましいと思う存在が挙げられる。この時点で、だいたいの目星は付く――イーリスが共和政に移行することとなった革命が起こった際、市民と対立していた貴族勢力の子孫か何かだろう。軍に近しい貴族で規模が大きいのは、アデライード家、ブリジット家、グロート家くらいか。革命当時の資料が現在までほとんど見つかっていないから、これらの貴族が該当するかはまだ不透明だがな』
アデライード家がもし、今回の情報漏洩に一枚噛んでいるとしたら、セレーヌは――。
『セレーヌがスパイである可能性は、あると思うか?』
『あのお嬢さんが? まあ、ああいう雰囲気の人ほど周りから疑われにくいし、スパイの可能性はあるかもしれん。だが、今回彼女を推された時、私はセレーヌの身元を散々調べたし、とくに目に付いた内容はなかった。現時点では、候補から外してもいいだろう』
彼女が敵だったなど、考えたくもない。ひとまず、可能性のひとつとして留めておき、これまで通りセレーヌに接するべきだ。俺たちはふたり一組なのだから、チームワークが欠如することは許されない。
『ただ、完全に“シロ”とも言い切れない。ロイ、もし彼女が“クロ”だったとしたら、その時は――』
『……ああ、わかってる』
ブルクでの襲撃、ラーヴィが酒場で放った言葉、スパイがいることは確実だ。
「ロイさん! どこに行っていたんですか!」
病室に戻ると、そこにはセレーヌがいた。俺が知らぬ間にいなくなったことにご立腹のようで、いきなり叱責される。
「博士に報告していたんだよ。報告は俺の仕事のひとつだからな」
「そうだったんですか……。でも、あまりむやみに動き回らないでくださいね。傷に障りますし」
俺はコートを脱ぎ、そのままベッドに横になる。仰向けになると、そのままセレーヌを見つめる。
「どうしたんですか? 顔に何かついてますか?」
「いや……なんでもない。日も暮れているし、今日はもう休むよ」
「わかりました。ロイさん、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
ベッドに横たわってからしばらくすると、強烈な眠気が襲ってきた。色々なことがあったが、今は回復に努めるべきだ。そう思っていると、段々と瞼が重くなり、俺は眠りに落ちていった。




