表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春過ぎて  作者: 菊郎
22/75

忠義 前編

「ロイさん、おはようございます」

 次の日、俺たちは十一時にロビーで待ち合わせをした。軍隊時代の影響で六時起床がクセになっている俺は、部屋で備え付けの雑誌やラジオでなんとか五時間という膨大な時間を潰した後、大きめのアタッシュケースを持って、十分前の十時五十分にロビーへ向かったのだが、セレーヌはすでに近くの席に座って待っていた。早めに来るとは、殊勝な性格だ。

「よし、じゃあ行くか」

 セレーヌとともにホテルを出る。目の前には、タクシーやバスが出入りするためのロータリーが広がっており、日が昇って時間が経っているのと、日曜日ということもあってか、辺りには人が多かった。ラーヴィが言っていた教会は、ホテルから北へ三キロメートルほど進んださきにある、小高い丘の上に建っているらしい。車に乗って向かってもいいが、“運動前”のウォーミングアップは欠かせない。

「車に乗って楽をしたいところだが」

「そうですね、では……」

「――歩いていこう」

「え?」

 彼女が目を丸くして俺を見てきた。小高い丘にあるということは、当然、到着するまでには上り坂を上がらなければならないということだ。それなら断然、車で移動したほうがいい。イーリス上層部からの支援がある以上は資金面に不安がないため、車のガソリン代を渋るという、今の俺の決断を理解できないのだろう。

「若い者は運動をしなくてはならん。目的地を目指して歩こう」

「せっかく車があるんですから、乗ったほうがいいですよ」

 文句のつけようなどない、真っ当な意見だ。

「セレーヌ、周りに市民たちが見えるだろう? 彼らが日ごろ享受している平和は、俺たちが陰で支えているから存在できているんだ。安寧を守るため、犯罪を犯そうとする不埒な輩に対して、つねに目を光らせていなくてはならない。車に乗ってしまえば、車体やスピードのせいで、周囲を確認しにくくなってしまう。だが、歩きさえすれば、自由にペースを変えられるし、小さな異常だって発見できるものだ」

 彼女のような真面目な性格の人間を丸め込むには、こちらの行動の正当性を、相手にも適用できるように変えて話せばいい。そこに立派な意味があれば、お堅い人間ほどあっさりうなずくものだ。

「……わかりました、そういうことでしたら……。なんだかいいようにあしらわれた気がしますけど」

 




 北へ向かって歩き出すこと数分、だいたい一キロメートルほど歩いただろうか。近くにあった公園で、並木の前で黒いスーツに、白のシルクハットを被った、大道芸人らしき男性が見世物をやっていた。背丈は大人の男性相応で、顔はかなり若々しく、わし鼻が目についた。おそらく二十代前半といったところだろう。

「さあさあ、皆さんお立合い! 今よりお見せしますは、人の言葉をそっくりそのまま返すオウムです。おや? あまり歓声が聞こえないですね……、まあ、それもそのはず。オウムがそのような習性を持っているのは、みなさんすでにご存じでしょう。でも、うちのオウムは一味違う! 単語なんてお手の物、どんな長文でも、スラスラと復唱できてしまうのです! ――ああ、そこの坊や、このオウムは気性が荒くてね、あまり近寄られるとすぐ人を威嚇しちゃうんだ。だから、そこの箱から前には出ないでおくれ」

 四メートルほど離れた場所から見ている老若男女の観客からは度々歓声があがっており、どうやらかなり面白いものらしい。よく見てみると、籠の中に入っているオウムが確認できた。

「あれは……オウムですね」

「ああ。どうやら、観客が言った言葉をオウムが繰り返すという出し物のようだ」

 オウムは周囲の生物の声を真似する鳥類で、人の声を聞かせていれば、それを真似することもできるという。拍手喝采を浴びているオウムは緑色の体をしていて、隠して運ぶために使っていたのであろう風呂敷が、後ろの機材か何かに大きく被さっていた。時折陽の光の影響で中身が一瞬透け、丸く均等間隔に空けられた穴のようなものが見える。こうしているあいだにも、あのオウムは、客が発したやたらと長い文章を寸分も違わずに、さっきから“完ぺき”に繰り返していた。声の高低も抑揚も、まるでそのままだ。

「あのオウム、すごいですね! 生き物を使った芸って、私あまり見たことないんです」

「そうだな」

 オウムに対して言葉を発しているのは、大道芸人の男から指名された人だけだった。見世物なら、親子連れを指名したほうが盛り上がりやすいものだが、彼はさきほどから成人した男や女しか選んでいない。

「僕もやりたい!」

 母親に連れられて来たのか、彼女と手をつないでいた、帽子を被った幼い少年が大道芸人の男に頼んでいた。

「ごめんね。うちのオウムは、自身が気に入った相手の言葉じゃないと覚えてくれないんだ。こいつがどの相手を気に入るかどうかは、その日の気分次第だから、また来てくれるとうれしいな!」

「そっかあ……わかった!」

 そう言うと、彼の母親は彼に一言お礼を述べ、目の前の箱に硬貨を一枚入れると、子供を連れて帰っていった。

「分かりにくいが、後ろにある風呂敷がオウムのしゃべるタイミングに合わせて揺れている……。あの風呂敷の後ろにあるのは、おそらくスピーカーだ」

「え? 風で揺れているわけじゃないんですか?」

「それにしては、さっきからオウムのしゃべるタイミングと、布が揺れるタイミングが合いすぎてるだろ? 風呂敷の裏が透けて、スピーカーの穴のようなものも見えたしな。おそらく、選ばれた観客は仕込みで、あらかじめ用意された台詞を朗読。そのタイミングに合わせて、後ろのスピーカーから声を再生して、合わせているんだろう」

 俺はカニアを出る際に持ってきた双眼鏡をセレーヌに渡し、オウムの後ろを見るように言った。

「あ……私にも見えました!」

 風呂敷をかぶせているのは、きっとスピーカーが大きいせいだ。並木が背後にあれば、後ろまでいって風呂敷の裏を確認しようとする人はそうそういない。おそらく声を再生する録音機もあるのだろう。

「録音機はだいたい小さいんだが、スピーカーはまだ依然として大きい。大きめの風呂敷がないと、隠すには不安だろうな」

「スピーカーの音の出ている方向をわからせないためということでしたら、観客を少し遠ざけているのも頷けます……。それにしても、言葉をわざわざ録音して流すなんて、手間をかけるんですね」

「田舎者相手に小銭稼ぎでもしに来たんだろう。クルスは、カニアやほかの州とくらべるとあまり発展していないし、テレビも普及していない。スピーカーや録音機はこの国で産声をあげたばかりということもあって、まだまだ高級品だ。ここ(クルス)の人は、そういった機材のことをあまり知らないだろう。ちなみに、イーリスで流通している録音機は、強力な電波に近づくと、中身が引っ張られて、電波の方向へ飛んでいってしまうという厄介な代物でな……。例えば、都会のテレビ局なんかに近づき過ぎた場合、中身が勝手に飛ばされて、その途中で消えてしまうことが多い」

「プライバシーも何もあったものじゃないですね」

「まあ、それを受信するための強力なアンテナでもなければ、中身を知ることはできないが。……それにしても、あの子供がかわいそうに思えてくるな」

「彼は詐欺師ですよ! 捕まえてやりましょう!」

「そうしてやりたいが、観客が多いから手荒い真似はできない。それに、手がかりがあったというだけで、証拠があるわけじゃないから、とりあえず警察に話をしておくだけでいいだろう。俺の勘違いの可能性もあり得る。人気者の大道芸人をその場で逮捕なんていう、子供たちの夢を壊すようなやり方は得策じゃないしな」

 知らなくてもいい真実もある。俺たちの作戦のように。




 あの後、三十分ほど経ってから、俺たちはラーヴィの指定した教会へたどり着いた。本当なら二十分ほどで到着し、周囲に罠や隠れた敵がいないかじっくり調べておくはずだったのだが、セレーヌが詐欺師のと思しき男の似顔絵を紙に模写していたため、時間を食った。時計は十一時四十五分を指していた。ちなみに、道中で書いた絵を見せてもらったが、中々にうまい。

「ここから先は、ひとりで行く。君はここで待っていてくれ。もしほかに敵のような者が近づいてきたら、教会内の部屋に隠れろ。銃は持ってるな?」

 俺の真面目な声を訊いて、セレーヌはかすかに体を強張らせた。

「はい。……“最悪の事態”を想定されているんですよね?」

「君に死んでほしくない」

 俺は羽織っていたトレンチコートをその場で脱いで、アタッシュケースから得物(対戦車ライフル)を取り出し、組み立て始める。拳銃は、ホルスターに装備済みだ。持ってきたほかの装備は、閃光手榴弾、煙幕手榴弾がひとつずつで、予備弾倉の数は、対戦車ライフルが、それぞれ四つずつ。拳銃の弾は三十発分用意してある。持ってきたふたつの銃は装弾数が少なく、対戦車ライフルは十一発で、拳銃の方はリボルバー式なので六発。ラーヴィが現役時代に使っていた銃は、百発ほどの弾を装備して使う重機関銃を元にしている。もし奴がまだ持っていたとしたら、装弾数では遠く及ばないため戦いが長引くほど不利になってしまうため、とにかく早めに決着をつけなければならなかった。

「ロイさん、どうかご無事で……」

 装備を戦闘服に付け終え、対戦車ライフルを背中に交差させる形で留めた後、俺はトレンチコートを再び羽織り、教会内へ足を踏み入れる。密偵のオスカーからの情報によれば、この教会は長く使われていないらしい。大きな木造のドアを開くと、そこには広々とした空間が存在していた。といっても横幅はそれほどない縦長の作りで、本堂へ向かう廊下なのが見て取れる。ほこりをかぶっていてもなお美しい装飾が施された扉に至るまでの道には、大きな円柱の柱がいくつも連なっていた。街の喧噪からは隔離された、この荘厳かつ神聖な場所にくると、まるで別世界にでも迷い込んだかのような気分になってしまう。ブーツの音を響かせながら、一歩、また一歩と、俺は本堂の扉に近づく。奴の提案を断れば、戦闘になるのは間違いない。今まで≪五つ子≫同士で訓練などはやってきたが、もちろん実戦経験は皆無。無傷で帰ることなど到底不可能だろう。

 ほかの敵の待ち伏せの可能性を配慮し、設置されているかもしれない罠に気を配りながら、俺は本堂へ向かう途中にある部屋をすべて見て回った。誰もいないことを確認すると、俺は改めて奥へ向かい、そして本堂の扉の前に立つ。正午まで、あと一分だ。

 難しく考えることはない。この先にいる“敵”を倒す。ただそれだけだ。俺は息を整え、目の前の扉を開けた。




 本堂は廊下と同じく、全体的にほこりっぽかった。しかし、随所にはめ込まれたステンドグラスを通して注ぐ色鮮やかな光が、室内の神々しい雰囲気を助長しており、加えて中はかなり広い。二階部分にも空間が作られていて、おそらくさきほどの廊下とつながっていて、一階に入りきらない人間を収容するためだろう。気になったのは、こういう場所にはたいてい置いてある像が見られなかったことだ。本堂の最奥にあるのは、何かの瓦礫のみ。そして、両側には長椅子が何列にも並べられ、その最前列に“敵”(ラーヴィ)はいた。

 ラーヴィは開いた扉の音を聞いて立ち上がり、俺の方を向く。彼は動物の革でできた黒いジャケットを着ていて、そして顔の表情は複雑と言う言葉がふさわしかった。希望に満ちているのか、将来を悲観しているのか、まるでわからない。

「来たか、時間通りだ」

「軍隊で遅刻は最悪だからな」

「……お互い、クセは中々抜けないな」

 彼はそのまま沈黙した。もう、わかっているのだ。俺の答えなど。その先に待つ展開を想定している。そして、どうにか回避できないか、必死で思考を巡らせている。沈黙していたのは、一分ほどの時間だった。それでも、もう永遠に続くのではないかと思った時間を終わらせた重い雰囲気を破ったのは、ラーヴィだった。

「昨日の提案に対する答えを訊こう。“ロヴァンス”」

 俺は“コートを脱いだ”。

「――そうか。……残念だ。本当に」

 その時のラーヴィの顔は、今にも泣きじゃくりそうな子供のそれだった。あんな表情は現役時代には一度も見た事がない。だが、体は一切震えていなかった。彼が上着を脱ぐと、俺と同様に≪五つ子≫専用の戦闘服に身を包んでいることが一目でわかった。ラーヴィは、自分が座っていた長椅子の少し左側へ歩いていく。そこから、自身の得物を取り出し、俺に銃口を向けた。

「ロヴァンス隊長。お前の意志は、俺が継ぐ。方法は違えど、祖国を思う心は同じだ。お前を殺し、兄妹たちに事のあらましを伝えた後、立派な墓を作ってやる」

 俺も背中の二丁の対戦車ライフルを手に取る。

「申し訳ないが、先約がある」

 兄弟よ、ここで死ね。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ