夜風に吹かれて
バッカスから帰った後、俺たちはホテルに直行した。正直に言うと、俺は酔っぱらっていたのだ。セレーヌは意外にも酒に強いらしく、ウィリアムとの飲みにもまったく後れを取っていなかった。湯船に浸かるのが日課の俺だが、酔いがさらに回ってしまうことを恐れ、今回はシャワーで我慢。クルスで選んだホテルは、宿代こそ安かったが、部屋にある家具や装飾品は、目立った塗装もなく質素なものばかりだった。ブルクのときと違い、テレビはない。代わりにベランダがあったので、俺は外に出て夜風に当たっていた。火照った体を優しく冷やしてくれる夜の風は、この上ないほどの心地よさを届けてくれる。
「ロイさん、お風呂上りにベランダに長いあいだいると、風邪を引いてしまいますよ?」
隣の部屋で泊まっているセレーヌがベランダに立っていた。彼女も夜風に当たりに来たようだ。
「心配は無用だ。髪が濡れたままの子供じゃあるまいし」
俺はただひたすらに明日のことを考えていた。覚悟はしている。そのために作戦に参加したのだから。しかし、俺の意に反して、心臓の鼓動は早まっていた。それは紛れもなく、戦友を手にかけることを心の底から怖れているからだ。暗殺が上手くいっていれば、このように悩むことはなかっただろう。リックや博士、セレーヌに大層な言葉を放っておきながら、いざその時が目前に迫ると怖気づいてしまう。本当に、俺は小心者だ。
「ラーヴィさんからの提案は、どうされるんですか?」
セレーヌには、ラーヴィと酒場で話した内容をかいつまんで伝えてある。情報漏洩のことを聞いてかなり困惑していたが、無理もない。
「拒否するさ。そもそも、あいつを殺すために来たんだからな」
「……殺すしか、方法はないのでしょうか……」
殺害以外の手段は、俺だって考えた。だが、国の諜報機関というのは、その気になれば機密以外の情報はたいていは簡単に調べ上げてくるものだ。仮にラーヴィを他国へ亡命させても、一週間ほどもすればわかってしまうだろう。もしガリムに捕まれば、奴らは≪五つ子≫の技術を盗むため、ラーヴィを人体実験漬けにするに違いない。そうなれば、死ぬよりもはるかに恐ろしい目に合わされることになる。殺すことは、むしろあいつへの慈悲でもあるのだ。
「機密を保持している者は、すべからく責任を負う。ましてや、≪五つ子≫は自身が機密の塊。用済みとなっては、生かしておくことに利点なんてない。むしろ、他国にいつ渡るかという恐怖しかないんだ」
「私は、ラーヴィさんと面識はありません。ですので、戦友の間柄であるあなたがたに口出しをする権利なんてないのはわかっています。けど……そんな簡単に割り切れるものなのでしょうか? あまりに……残酷です」
「一連の騒ぎがどう転ぼうが、≪五つ子≫は平和な世界の脅威であることに違いはない以上、避けることはできない。――俺たちが生き残るには、再びパークス大陸を戦争の時代に逆戻りさせなければならないし、たった五人の命で数千万人の安全を保障できるなら、安いものだろ? それに、祖国の未来のための正義を貫くことは、王家の意志を体現することにもなる」
セレーヌの顔は夜のせいであまりよく見えないが、不満気な様に見える。
「王家の考えだって、時代に合っていないかもしれません! ……二百年も前の話なんですよ?」
「人のために尽くすという思いが錆びることはない。一般人なら感情論でもいいかもしれないが、セレーヌ、俺たちは軍人なんだ。必要とあれば自身の命を賭ける。ロイ・トルステンという男が、兵器にされてしまった悲劇の男性だとか、時代に捨てられた哀れな駒だとか、そんなことはどうでもいい。命令されれば、この国を、人々を、ただ守る」
反論する材料がなくなってしまったのか、彼女は俺の方ではなく、ベランダから見える家々や広場を見ている。
「……そこまで言うのでしたら、もう引き止めません。あなたの部下として、最後まで見届けさせてもらいます。ロイさん、私が付いていますから、どうか、ひとりで悩まないでくださいね」
ブルクでの戦闘以来、彼女はひと際頼もしくなっていた。この調子なら、きっといい兵士になれるだろう。まだ“最大の試練”が残っているが。
「明日は正午に待ち合わせしてるんだ。もう寝たほうがいい」
「はい。ロイさん、おやすみなさい」
「おやすみ」
俺はセレーヌが部屋に戻ったのを確認し、自分も中に入る。ベッドに横になりながら、作戦開始から肌身離さず身に付けていたバッジを掴んで上に掲げ、俺はしばらく鷹の紋章を見つめていた。




