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春過ぎて  作者: 菊郎
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クルスにて 

「お待ちしておりました」

 翌日の昼、博士の計らいで用意してもらった車に乗り、俺たちはクルス州へ。州軍の施設で博士に定期連絡を済ませると、そのまま中でラーヴィの監視をしていた密偵の男に出会った。オスカーと名乗った彼は、肌は白っぽく、背丈は俺よりも少し低い。短髪の髪とメガネが特徴的だ。極力怪しまれないということを意識しているのか、服はいたって普通。だが、顔つきはまさしく軍人のそれで、顔を合わせると自然とこちらの気持ちも引き締まる。

「ここ最近のクルス州の状況を教えてくれ」

 クルス州は、革命戦争当時の志願兵の多さがトップだった州だ。かつてここでは多くの諸侯が覇を競い合っていたという歴史があり、現地の大半の人が戦士の熱い血を継いでいる。そのせいか、一連の動乱のニュースでは、クルス州の内情がよく取り上げられていた。

「治安状況は、あまり好ましいとは言えません。最近、反政府勢力と州軍による衝突が激増しています。直近ですと、一昨日ですね。唯一救いなのは、彼らは広場などを選んで活動をしていることくらいでしょうか。なので、無関係の人々に大きな被害は出ていません」

「直近の衝突が起こったとき、“あいつ”はいたか?」

 無論、ラーヴィのことだ。

「いえ。最初に旗揚げをしたとき以来、いざこざにはいっさい介入していません。おそらく、彼に従う部下か誰かが、あまり世間の注目を集めるべきではないと助言したのでしょう」

 ≪五つ子≫は、イーリスにとっての最高機密だ。当然、俺たちのことを知っている一般人はまずいない。もし知られれば、今頃大問題になっているはず。今のイーリスの状況が、俺たちの情報が漏れていないことの証明のようなものだ。

「ラーヴィを始め、ほかの≪五つ子≫たちは、自分たちの素性を漏らすようなことはしていないようです。クルス州でも、そのような話はいっさい聞きません。おそらく、退役軍人として、ガリムとの開戦に好意的な、一部の右派の人たちを説得してまとめているのでしょう」

 ただ伝えていないだけなのか、それとも、≪五つ子≫の情報が公になれば、イーリスが窮地に立たされることを見越して黙っているのかはわからない。オスカーの意見も一理あるが、動乱が始まったのはここ一ヵ月ほどのこと。この短期間で、ひとりの退役軍人が、連日ニュースで大々的に取り上げられるほどの大規模な反政府デモを起こせるようになるとは考えにくかった。

「ひとつ質問してもいいでしょうか?」

 俺たちの横で話を聞いていたセレーヌが口を開く。




「どうした?」

「ロイさんたち≪五つ子≫は戦場の第一線で活躍されたと聞いています。でしたら、当時同じ場所にいた兵士たちが、あなた方の顔を覚えていたりするのではないでしょうか?」

 もっともな疑問だ。

「ジェラルド博士の意向で、俺たちが戦場に立つときは、必ずフルフェイスマスクを付けろと言われていたんだ。イーリス軍でも、特殊な作戦に従事する部隊の隊員は付けることが多い。まあ、機密を守るためにしてはシンプルで心もとないが、目だけ見ても顔全体の把握は到底できないしな」

 俺はそう言いつつ、バックパックの中からフルフェイスマスクを取り出してセレーヌに見せる。

「≪五つ子≫は、素性はわからないが、イーリス軍の味方で、めっぽう強い。一般の人に話しても、情報が不足しているから信じてもらえず、兵士たちのあいだで伝説のような扱いをされているな」

「俺が≪五つ子≫になってからは、軍人、ロイ・トルステン少佐と≪五つ子≫のふたつを行き来することになって、いろいろ面倒だった。俺がいないときに≪五つ子≫のリーダーが戦場で活躍するというのは、周囲から素性を疑われそうなもんだが、そこは上層部の連中がうまく調整してくれた」

「そういえば、ブルクの戦闘ではそのフルフェイスマスクは被っていませんでしたよね?」

「国を挙げて情報統制してくれるんだからな。とくに素性がバレるということは懸念していない。これは念のため持ってきたっていうだけだ。――それと、今回はないが、本当はテンガロンハットも被っていた」

「テンガロンハットを? なぜですか?」

「フルフェイスマスクを被ると顔が黒一色になるから、なにかアクセントになるものが欲しいと。部隊の部隊章のような、敵や味方に印象付けるものが必要だと、≪五つ子≫のひとりからの提案でな」

 戦闘服も黒で統一されていたため、全身黒づくめで、テンガロンハットを被るというそのアンバランスぶりが、実際に敵に恐怖を与えた。俺の前で話を聞いているオスカーの顔は少しにやけているが、テレビや本に登場するようなキャラクターの仮面をつけた人間が、血まみれで包丁片手に走ってきたら、誰だって驚いて腰を抜かすだろう。

「今更ですが……変わってますね」

「否定はしない」





「そうだ、“風来坊”どもが関わっている可能性は?」

 セレーヌの疑問に答えた後、オスカーに詳細を聞くため、本題に戻る。

「いまのところ低いかと思われます。鷲の部隊章を付けた兵士を見たという証言は聞いておりません」

「あの……恐縮ですが、風来坊ってなんでしょう?」

 連続で質問することに申し訳なさそうな表情をしながら、セレーヌが質問をしてくる。俺でもあまり知らない情報なのだから、新米の彼女が疑問に思うのも無理はない。ひとまず、俺が知っている範囲のことを教えよう。

「風来坊は、パークス大陸で活動している傭兵団の俗称だ。正式な名前がわからないから、戦いを求められればどこへでも行き、そして去るという、根無し草のような動きから、風来坊って名が付いた。革命戦争以前から活動していた集団で、戦闘終結後はすぐ他国に活動拠点を移していったんだが」

「可能性としては考えておいたほうがいいでしょう。あいつら、戦時中はガリム側についていましたからね。さんざんやられたことに対する報復の意味も込めて、今回の動乱に手を貸しているかもしれませんし」

 オスカーの言う通り、革命戦争当時、風来坊はガリム側に立って参戦した。だが、機械化部隊と≪五つ子≫の投入によって、周知の通りイーリスが勝利し、その過程で風来坊も多大な損害を出した。その報復で今回の件に絡んでいるというのは、想像に難くない。

「最後にラーヴィを見たのはどこだ?」

「先週の日曜日、クルタ市にある酒場“バッカス”にいました。どうやら、毎週土日の夕方には来ているようです。今日は水曜日なので、三日後の土曜日に向かうのが確実かと。コルタ市の女性の像がある広場を目印に、そこから西へ一キロメートルほど進んださきです。ライトアップされた赤い看板が置かれているので、すぐにわかると思います」

「あと、あいつの家はどこかわかるか?」

「街はずれの教会です。前の家は持っていない人に譲ったらしく、4年ほど前に引っ越しました。教会は、コルタ市をずっと北に行けば着きますよ」

「わかった。情報提供ありがとう。引き続き頼む」

 オスカーに手間賃としていくらかのお金を渡し、俺たちは州軍の施設を出る。すると、俺の心臓は激しく鼓動し、手に薄っすらと汗が滲んできた。俺は恐れていた。背中を預け、戦場を共に生きた者を殺すことを。だが、オスカーの報告によって状況は進展した。イーリスの輝かしい未来が一歩近づく。そして戦友の死が一歩近づいた。

 俺に、友を殺すことができるだろうか?




 酒場に向かう前日の夜、セレーヌは、ホテルの俺の自室を訪れていた。どうやら、俺の実戦に関する考えを聞きたいようだ。彼女は、死体を見て、触れはしたが、殺しはしていない。この差は非常に大きかった。セレーヌは、未だこの作戦における傍観者なのだ。

「ロイさんが、初めて実戦を経験して、そこで人を初めて手にかけたとき、どう思いましたか? 知っておきたいのです。いつかその時が来るのだから」

 セレーヌがブルクでの戦闘後に投げかけてきた内容に似た質問をぶつけてくる。

「前とほとんど同じ回答になるが、何も感じなかった」

 俺の言葉を聞いて、セレーヌの顔が険しくなる。

「――あくまで手にかけた瞬間の話だぞ?」

「え?」

「ちょっと長くなるが、三十路の長話に付き合ってくれ」

「……ええ、もちろんです。ロイさんのこと、もっと知りたいですから」





「俺が初めて実戦に出たとき、担当場所は、イーリス国内でも激戦区だった。司令部の判断により、該当する区は戦車や装甲車がいないということで、機動性を重視し、俺たちは対歩兵用の武装を中心に装備して出撃したんだが、いざ現地に着くと、ガリムの戦車一輌と歩兵十数名が、こちらにやって来る姿が見えたんだ。大体六百メートルくらい先だったな。機関銃や主砲、歩兵の銃撃で道中にいた仲間がドミノのように倒れていく光景を見て、頭が真っ白になった。ただただ、戦場という場所に圧倒されて、怯えることしかできなかった。何より、どれだけ鍛錬を積んでも、いざ実戦を迎えれば何もできない、貧弱な自分が悔しかったな。だが、友人や同僚に励まされて、何とか理性を保てるようになって、必死に作戦を練ったんだ。」

「ロイさんでも、混乱することがあったのですね」

「当然だ。当時の俺は、君と同じ新米だったからな。……そして、対戦車装備を持たない俺たちが敢行することとなった作戦は、橋を崩落させて戦車を落とし、無力化するというものだった。担当場所では、すでに五年以上実戦を経験しているというベテランの部隊が戦闘中で、そこと共闘する形になったんだ。あの部隊の隊長は、すぐ目の前に命の危機が迫って来ているというのに、まったく動じなかった。それどころか、俺の目を見てこう言ったんだ『俺が付いてるんだから、心配ない。お前は自分のすべきことを粛々と遂行しろ』ってな。根拠は滅茶苦茶だが、それでも、あの励ましの言葉はとても嬉しかった。俺たちは撤退しつつ、手持ちの爆弾で崩落させられる橋へと敵を誘導した。ガリムの奴らはきっと、自分たちに戦車がついていることで油断していたんだろう。こちらの意図などまったく気にしない様子でどんどん進軍していた。そして、別動隊が爆破を行う橋にたどり着いて、爆薬をセットし終えると、今度は問題がひとつ出てきた」

「それはいったい?

「どうやって橋を渡らせるか、だ。逃げていたはずの敵が見えず、待ち伏せを警戒されて引き返されてしまわないよう、誰かが囮をやらなければならない。それも、相手を煽れるよう、命からがら逃げてつつ反撃をしている体を装うんだ。橋の両端周囲は開けていることが多いから、身を隠せる場所はほぼない。つまり、囮役を引き受けるということは、ほとんど死を意味していた。誰もが口をつぐんだよ。みんな死にたくないし、ましてや逃げ腰のように動かないといけないのだから。散り様としてこれほど惨めなものはない。だが、中止することはできなかった。これ以上退けば、避難が済んでいない地区まで戦闘が及んでしまうことがわかっていからな。沈黙の時間は、ほんの三十秒ほどだったが、まるで一時間にも、二時間くらいにも感じられた。その沈黙を破ったのが、もう片方の部隊の隊長だ。隊長が引き受けると聞いて、彼の部下は半ば呆れた様子を見せながらも、苦笑しつつ了承した。あれにはさすがに驚いた、誰も反対の声を出さないんだ。俺はほかの手があるはずだと、彼に猛烈に抗議したが、まるで聞く耳を持たなかった。ただ一言『俺たちがやる』と言っていたのをよく覚えている。それが、俺の聞いた彼の最期の言葉だったよ。そして、ガリムの戦車が橋の手前で止まっているのを確認すると、反対側に隠れていた囮部隊が逃げるように飛び出した」

 俺は手前にあるグラスに入った水をぐっと飲み干す。少し息を整え、話を続ける。

「飛び出した囮部隊に反応して、ガリムの部隊が発砲しながら前進してきた。小さな悲鳴が聞こえてくるたびに俺は心を締め付けられる思いだったが、爆破のタイミングを逃すわけにはいかない。早まらないよう、必死で耐えたよ。そして、戦車が橋の中央に差し掛かったところで爆弾を爆破し、歩兵もろとも戦車を落下させた。そこから先のことは、じつはよく覚えていない。囮とはいえ、撤退していく部隊を虐殺するガリムの奴らに対する憤怒で、無我夢中だったんだ。彼らの無念を晴らすため、俺はただひたすらに混乱している敵を撃ち殺し、銃弾が尽きればナイフで急所を刺し殺し、ナイフが折れれば、自身の拳や落ちていた瓦礫で殴り殺した。ガリムの部隊を全滅させた後、囮となった部隊の生き残りを探したが、どこにもいなかった。みんな血の海に倒れていたよ。五年以上も実戦を生き延びてきた精鋭たちの最期が、逃げる最中で背中に銃弾を受けて死亡だなんて、俺は無念の気持ちでいっぱいだった! きっと長きにわたる戦いの中で、彼らなりの流儀やこだわりもあっただろう。でも、あの部隊の人たちはそれらをすべて捨ててまで、俺たちを救ってくれたんだ。初陣のあの功績は、俺のおかげじゃない。あの人たちの犠牲があったこそなんだ」

 自然と俺は興奮して声を荒げていた。セレーヌはただ俺の目を見つめ、真剣に聞いている。

「……殺人に対する意識が出てきたのは、戦闘が終わって、共闘した部隊員の遺体を回収しているときだった。陣地に戻る最中、俺たちが殺したガリム兵の死体を見たんだ。彼らのうちのひとりの首にロケットがぶら下がっていて、俺はふらりと近づいて、その中身を確認した。中に入っていたのは、彼と女性が映った写真だ。おそらく妻か、あるいは交際中の相手だったのだろう。俺はその時はっとさせられた。俺が味方を殺されていく時に感じたあの感情を、きっとこの写真に映っている人も味わうことになるのだろうと。結局、やっていることが憎きガリム兵と変わらないことを悟って、こみ上げてくる後悔や無力感に勝てず、仲間にバレないように声を押し殺しながら、俺はただひたすらに泣いた。おそらく、あんなに泣いたのは人生で初めてだろうな……。こんなところか。見苦しいところを見せて、なんだか恥ずかしいな」

 一方的なしゃべりを、まったく飽きる様子も見せずに聞いてくれたセレーヌに、心から感謝した。

「辛い話を聞かせてくれて、ありがとうございました……」

 セレーヌは涙ぐんでいた。きっと感情移入がしやすい性格なのだろう。いっしょになって悲しんでくれる人がいるというのは、とても嬉しかった。もう夜も遅い。最後に、彼女に言わなければならないことがある。

「……セレーヌ、君には、敵をスムーズに殺すコツを伝授しよう」

「人を殺すコツ……」

「さっき君は、いつか自分が殺人を行うことになると言った。まさにその通り。コックは毎日料理を作り、演奏家は弦楽器や鍵盤を日々奏でるように、実戦に向かう兵士は必要なら敵を殺す。そこに疑問ははさまないこと。そして、一番大事なのは……何も考えないことだ」

 セレーヌはきょとんとした顔で俺を見つめていた。

「殺そうとしている敵が、どんな性格だとか、どのような経緯で軍に入隊、あるいは敵対する組織に入ったんだとか、どのような思いで戦っているのかとか、なぜ戦っているのかとか、そんなことはいっさい考えるな。相手を思えば思うほど、殺した時の重圧は重くなって、お前の背中に降りかかり、足に絡みつく。他人と割り切るんだ」

「私は……、割り切りません。私は、自分が手にかけた人々の事を絶対に忘れません。立場は違えど、何かのために戦い、そして散って行った人たちの思いを胸に、私は進みます」

 俺は黙って彼女の答えを反芻していた。不幸な少女時代を生き抜いてなお、茨の道を行こうとする考えは大したものだ。俺も昔は彼女のように高い志を持っていたが、彼女はどうだろうか……。その純粋な思いを貫き通せる可能性は低いが、ゼロではない。

「現実は厳しいが、それもいいだろう。それと、相手を殺し、目標を成し遂げたことを誇れ。それが、敗者への手向けとなる」

「はい」

 セレーヌに就寝のあいさつを告げ、俺はベッドに潜り込む。作戦は至ってシンプルだ。早めに酒場へ向かい、やって来たラーヴィを待ち構え、店に入って来たところをすれ違いざまに撃ち殺す。それだけだ。



















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