一九三五年
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装甲車の後部ハッチが開くと、そこには言い伝えや書物でしか存在しないはずの地獄が顕現していた。
銃声、砲撃音、黒煙、硝煙。人間を死に至らしめる存在が、この場を支配している。死体がまるで道端の石ころにように、あちこちに倒れていた。
イーリス陸軍総司令官である、エルキュール・アデライード大将が考案した作戦は、シンプルかつ大胆不敵なものだった。イーリス陣営の戦闘地域南端に、戦車に必要パーツを運び、戦闘音を隠れ蓑にしつつ現地で密かに組み立て。結果、突如としてその場に戦車が出現し、ガリムに向かって攻勢を仕掛ける。
ここミディレルは、かつて美しい森林が生い茂っていたが、もはや荒地と呼ぶにふさわしい姿になり果てていた。最初の大規模衝突の後、膠着状態が続き、銃弾や砲弾の雨が散発的に降り注がれていくにつれて、いつの間にか黒々とした大地が広がっていた。もはや、かつてのミディレルの姿は思い出だけの存在だ。障害物が消えることは、敵戦車の活動範囲を広げることにつながり、地形と砲撃を活かしてガリムの進軍を食い止めていたイーリスにとっては致命的。いずれガリム軍がこの戦いを制することは、誰にとっても明白だった。
俺は四人を連れて外へ出た。後ろを振り返ると、俺たちの搭乗していた装甲車が反転して走り去っていく。なにか一声かけてくれてもいいのではないかと思ったが、塹壕の上に仮設された橋を渡ってきので、安全面を考慮するなら急ぐのも仕方がない。前を向くと、予定通り、味方が投げた煙幕手榴弾スモークグレネードから噴き出た煙が辺りに立ち込めていた。作戦自体が必要最低限しか知らされていないため、この煙になんの意味があるのか、彼らは知る由もなかっただろう。
突然の煙幕にガリム軍が狼狽えているのを逃さず、俺は煙の中を突っ切って、三十メートルほど前方にいた敵兵を対戦車ライフルで撃ち殺す。右と左の銃口から放たれた弾丸のうち片方は、ひとりの命を奪い取っても飽き足らず、そのまま後ろにいる兵士の心臓を抉った。反撃に出た敵の射撃をかわし、ときに弾きながら、俺は後方に鎮座していた戦車の操縦席に向かって発砲する。覗き穴へ吸い込まれた弾は、操縦手に当たり、血が穴からこぼれてきた。俺は手榴弾を隙間に押し込み、全速力でその場を離れる。爆発が内部の弾薬庫に引火し、戦車の砲塔を天高く吹き飛ばした。
ときを同じくして、後方から戦車による一斉砲撃が始まる。迷彩や草木、塗りたくった泥で隠し、実戦のときを待っていた戦車が動き出したのだ。戦車だ、と後方の味方たちが口々に話す。イーリス国産の戦車。その登場は、ガリムによる戦場の支配の終焉を表していた。
右に目をやると、ラーヴィが――敵戦車から拝借したのであろう――残骸となった戦車に隠れながら砲弾を撃ち出していた。車内からではない。弾の発射の起爆剤となる雷管を、銃剣の先で思い切り突いているのだ。砲身はないため、空中から放たれた砲弾は予測不能な軌道を描いて敵陣に着弾している。まるで巨大な散弾だ。
四人が戦っていることを確認し、俺は味方陣営の最前線にまで走って行った。塹壕に目をやると、イーリス兵の誰もが、黒色のマスクに覆われ、テンガロンハットを被っているという荒唐無稽な姿をした俺を見つめる。その表情は犯罪者や不審者を見るときのそれと酷似していたが、少しすると、兵士たちの表情から困惑が消えた。俺の戦闘服の胸にあるイーリス国旗の刺繍が施されたワッペンに気づいたのだろう。
俺は背中に持っていた、国旗を括り付けた鉄棒を取り出し、天高くかざした。兵士たちは雄弁家に鼓舞される民衆のごとく、突如現れた謎の援軍に歓声を上げる。味方の戦車の駆動音が響き、準備が整ったことを知った俺は、国旗を背中に戻すと、煙の中へと身を投じた。
――防戦一方だったイーリスが本格的な反撃に転じる。祖国が蹂躙される様を、なんども背を向けて見続けてきた兵士たちは、ずっと抱き続けてきた勝利への渇望に促されるがまま、ガリム軍と再び交戦を始めた。
アデライード大将からは、≪五つ子≫の今回の戦いに関する具体的な指示を受けなかった。ただ、死なないように、死に物狂いで戦うだけ。そして、ガリム軍の士気が下がるよう、その力を見せつけること。戦車と≪五つ子≫の初陣となるこの戦いを、可能な限り敵へ強烈に印象付ける。
俺たちは岩や木々を盾にしつつ、態勢を立て直し始めるガリム軍を攻め立てる。敵を撃ち、銃剣で突き刺し、投げ飛ばす。戦車やトーチカから放たれた砲弾を回避し、ときに真っ二つに斬る。向かってくる戦車は正面から受け止め、全身に力を込めて横転させる。非現実的な光景を目にした敵兵は無力感に襲われ、死んでいく味方の断末魔を訊くたびに身震いする。一方で、強力な援軍を得たイーリスの兵士たちは、その活躍を見てさらに奮起する。ミディレルの大地は、徐々に黒から赤色に染められていった。
自分の動いた跡を敵の死体がなぞり、戦闘服が血に塗れてきたころ。ふと周囲の塹壕を見ると、イーリスの兵士たちがほかのガリム兵と戦いをくり広げていた。高まった士気のおかげか、死をも恐れぬような敢闘ぶりが目立つ。冷静さを欠いた者もいて、突出して死ぬ者も少なからずいた。ガリムが徐々に戦線を後退させていったのを見て、俺は味方に止まるよう指示した後、味方の本部に向かった。
「君たちはいったい何者なのだ?」
本部にいたのは、指揮官のアルバーン大佐だった。アデライード大将の話では、彼が前線の指揮を務めているらしい。俺はテンガロンハットを取り返事をする。
「味方です。今はそれだけしか言えません」
マスク越しに話しているため、声が若干こもっているが、大佐は気に掛ける様子もなかった。
「……わかった。戦況を伝えに来たのか?」
「はい。ガリム軍は、戦車と我々による同時攻撃を受け、後退を始めています」
後退の言葉を受け、大佐は無線機の前に向かった。
「では、砲撃支援を再開する。味方と敵の位置を教えてくれ」
俺はミディレルの戦場が俯瞰視点で描かれた軍用地図を取り出し、座標を示した。
「こちら、アルバーン大佐。砲兵部隊に支援を要請する。座標は、8-3から8-7まで。横軸6より南には味方がいる。同士撃ちに注意しろ」
『了解。砲撃支援を開始します』
通信相手からの返事が聞こえると、数秒後に北から轟音が響き渡った。外を見ると、土煙が入道雲のように空へ上っている。
『こちら観測手。砲撃は命中、くり返す、砲撃は命中。味方損害無し』
観測手からの報告が入る。俺は自身の作戦に戻るべく、本部から出ようとした。
「協力、感謝する」
声を訊いて振り返ると、大佐は敬礼をしていた。俺もすかさず敬礼をして返す。
「私は作戦に戻ります」
そう言って、俺は帽子を被り直し再び前線へ向かった。
さきほどいた場所まで戻ってくると、ガリム軍が後退していたところには砲撃によるクレーターがいくつもできていた。戦車の残骸や、吹き飛んだ敵兵の肉片が散乱していて、見るに堪えない光景が広がっている。
「隊長!」
ルヴィアが息を切らしながら近寄ってきた。
「どうした?」
「ラーヴィが敵陣に突撃したわ。それもかなり深く」
ラーヴィは昔から手柄に固執する奴だった。≪五つ子≫として高い身体能力を手にしても、絶対に驕らず冷静にと、作戦前に口を酸っぱくして言ったというのに。
「俺が連れ戻してくる。そのあいだの指揮はルヴィアが取れ。ヴィクスとデイヴとともに戦い続けろ。残敵を掃討したら、本部のアルバーン中将に、アデライード大将直々の進言だといって進軍の中止を要請してくれ」
彼女はうなづく。俺は彼女に国旗を渡すと、ラーヴィの無事を祈りつつ、敵が後退していく方角へ向けて走り出した。
ミディレルから離れるにつれて――ガリム軍が進軍した跡を除けば――徐々に緑が増えてきた。背の高い木や、苔の生えた岩が辺りを埋め尽くしつつある。それだけこちらが見つかる可能性も低くなるものだ、と俺は思った。V字状の窪地に入って数分ほど走った後、数十メートルさきに、後退を続けるガリム兵たちが見えたため、発見されないよう身をかがめながら、俺はバックパックに帽子を無理やり詰め込んだ。敵兵たちは戦車一輌を中心に陣形を組み、しきりに周囲を警戒しながら北上を続けている。見る限り七名は確認できた。歩きながらなにか話しているようだが、顔の表情が明るくならないあたり、少なくとも冗談ではないだろう。
彼らを尾行して敵陣まで案内してもらおうと考えた矢先、先頭を歩く兵士が歩みを止めた。不審に思い、彼を注視していると、さらに前から兵士が走って来る。肩を大きく動かして息をしながら、兵士は必死の形相でなにかを伝えていた。その言葉を訊いた先頭の男の顔が急変し、後ろにいる戦車と随伴歩兵たちに指示を出すと、行軍ペースが一気に上がる。
ラーヴィが暴れているのだ。俺は確信し、彼らを追い続けた。
一キロほど歩いたあたりで、尾行していた部隊は基地と思しき場所へ着いた。入口の両端にふたりの兵士が立っており、奥には車輌を停めるのに十分なスペースの広場がある。その後ろには寄宿舎のような建物が建っていた。周囲の状況を注意深く観察していると、東から銃撃と砲撃音が突然耳に入った。さきほど帰還した部隊が音のした方角へ走っていくので、俺は木でできた壁を登って内部へ侵入し、彼らの跡を追う。
「やれるもんなら殺やってみろ!」
敵の骸が多数倒れている円形の小さな窪地の中で、ラーヴィは追い詰められていた。得物の重機関銃を生身で振り回しているせいか、周囲にいる十三名の兵士は自分たちが有利に立っているのにも関らず、恐怖に感化されているようで、銃を構えるだけで攻撃をするような雰囲気はなかった。
「――――――――! ――――――――――――――」
敵兵のひとりがなにか叫んでいるのはわかるが、相変わらず内容は訊き取れない。すると、寄宿舎のほうからひとりの兵士が走ってきて、ラーヴィがいる窪地の淵で止まった。兵士という割には細身の彼は、さきほどしゃべっていた男に耳打ちされ、数秒後に口を開いた。
「大人しく投降しろ! 抵抗しなければ危害は加えない」
どうやらあの男はイーリスの言葉を理解しているようだ。投降勧告を受けたラーヴィは、従う素振りなど露ほども見せず、むしろ呆れた表情を向けて彼を侮辱していた。
「俺の帰る家はガリムにはねえよ。間抜け!」
通訳者がラーヴィの言葉を翻訳する。となりにいた男は彼から耳打ちされると途端に激怒し、銃を向けた。
「上等だ!」
敵が撃つよりも早くラーヴィの銃口から弾が発射された。銃を向けていた敵の頭が花火のように破裂し、隣にいた通訳者の顔を真っ赤に染める。俺は得物を取り出して全速力でラーヴィの元へ向かった。俺は小回りの利くリボルバーを引き抜き、左手でしっかりとグリップを握り、右の手のひらで撃鉄を起こして引き金を引く動作を六回くり返す。一秒足らずで放たれた六発のマグナム弾が、六人の敵を穿つ。残りの敵がこちらに気づき反撃してきたところで、俺は付近の物陰に隠れた。
シリンダーの弾を交換し、攻撃のタイミングを計っていると、遠くからの銃声とともに、左腕に痛みが走る。視線を向けると、二の腕を銃弾が貫いていた。痛みはそれほどないが、血がどくどくと溢れてくる。目の前の遮蔽物にはきれいな弾痕が残っており、隠れながら覗いた瞬間、さきでなにかが光った。狙撃銃のスコープだ。隠れた俺を見て、遮蔽物越しに撃ってきたのだ。下手に動いて姿を見せれば、銃弾が当たったと悟られてしまう。
俺が左肩を止血帯で縛っているあいだ、ラーヴィは残りの敵を片付けていた。俺は狙撃手に撃たれないよう腰を屈めながら周囲を見渡すが、すでに敵は全員魂の抜け殻となっている。どうやら、さきほど味方の血を顔面に浴びた通訳者の死体はないようだ。
銃撃戦になったのを聞きつけたのか、さきほどの戦車が猛烈な動物の鳴き声のようなエンジンを立てて走って来た。俺は再装填したリボルバーを狙撃手がいた場所に向けて発砲し、けん制しながらラーヴィの下へ飛ぶ。
「ラーヴィ!」
思わぬ救援を得たラーヴィは、安堵よりも意外そうな顔をして俺を見た。
「なんで来たんだ? ここは俺だけで十分だ」
「驕るなと言っただろうが! 大馬鹿野郎!」
怒鳴られて驚くラーヴィの腕を無理やり掴み、俺はその場から離れる。俺たちを視認した戦車は、窪地の手前で停止すると砲塔をこちらに向けてきた。俺は背中の対戦車ライフルを右手に持ち、窪地から戦車に向かって突っ込む。いくら砲弾が強力でも、射角がとれなければ当たるはずもない。俺はすれ違いざまに戦車の履帯を撃ち、続けて空いた穴に向かって銃剣を振るい完全に破壊する。腰に残っていたスモークグレネードを戦車の後方に投げて目くらましをし、ラーヴィを肩に担いでミディレルまで走った。
戦車を破壊するという手もあったが、少なくとも通訳者と狙撃手は生きていた。あのまま戦っていては、増援を呼ばれていたかもしれない。未知の戦力に飛び込むのは危険だ。そのことを理解していたのか、肩に担がれたラーヴィは、敵を背にしてもなにも言わなかった。
ミディレルに戻ったころには、雌雄は完全に決していた。塹壕から出たイーリス兵たちは、周囲を警戒こそしているが、殺気立った雰囲気はなく、リラックスしている。捕らわれたガリム兵たちは、監視の下、武装を解除されて一箇所に固まっていた。
「無事でよかったわ」
ルヴィアがこちらに歩いてきながら言った。
「このやんちゃなガキのせいでえらい目にあった」
俺は右肩に担いでいたラーヴィを下ろす。
「部隊は連携してこそ力を発揮する。だからこそ、単独行動は厳禁だ。やるにしても、必ず事前に知らせろ」
「……了解。お前が正しかったよ」
ラーヴィは言った。
「国旗をあの丘に立ててこよう」
俺が提案すると、ルヴィアもラーヴィも賛同した。赤黒い大地を踏みしめながら、道中でヴィクスとデイヴと合流し、俺たちはミディレルの東にある小高い丘を目指す。
イーリスとガリムによる過去最大規模の戦闘は、戦車と≪五つ子≫の投入によって一応の勝利を収めた。ガリム軍が撤退したのを確認した後、イーリスの国旗が括り付けられた鉄棒を勢いよく地面に打ち立てると、下から大地を揺らさんばかりの歓声が上がった。
眼下を望むと、兵士たちは、ヒーローに憧れる子供のように目を輝かせていた。
「鮮烈なデビュー戦だったな、隊長」
背後にいたラーヴィが声をかけてきた。
「どこかの誰かのせいでな。……これは始まりに過ぎない。まずは、なんとしても戦線を国境まで戻さないと」
「ひとまず、休息をとるべきだな」
ヴィクスが息を吐きながら言う。
「それは名案だ。俺も疲れたし」
ラーヴィが言った。
「お前たちと違い、私は老体だ。どれだけ身体が強くなっても、年の瀬にはかなわん」
「お疲れのところ悪いが、念のため索敵をしてくれ」
ヴィクスは大きな狙撃銃を取り出して、スコープを覗いてあたりを見渡し始めた。少しすると、異常なし、と言いながら彼は銃を下ろし、スリングベルトで吊るした。丘から見る荒れ果てたミディレルと、奥に見える自然の違いをしげしげと眺めていると、戦争のすさまじさを痛感する。今回の戦いは、イーリス陣営対ガリムで勃発した戦争の一環に過ぎない。しかし、その一環で、どれほどの人間が死んだのだろうか――。
「迎えが来たぞ」
ヴィクスの言葉を訊いて一同が振り向くと、遠くから俺たちが乗って来た装甲車が走って来るのが見える。
「つぎの作戦は決まってるのかい?」
水筒の水を飲み終えたデイヴが訊いてきた。
「いや、大将が言うにはまだらしい。それまで英気を養っておけだと」
「じゃあ、本でも読むかな」
「お前、そればっかだな」
「君の筋肉でできた脳にとって、活字は難しいだろうね」
読書好きのデイヴと、アウトドアを好むラーヴィの掛け合いは、もう何度訊いたかわからない。大した面白みもないはずもだったが、俺たちは笑った。殺し合いという異常事態から抜け出した後は、どんな軽口も面白く聞こえてくる。空間を流れる空気を、太陽の日差しを、鳥たちのさえずりを感じられるだけでも、俺は嬉しかった。
「この帽子……テンガロンハットだったっけ? 日差しが強い日でも、これを被れば外で安心して読書ができるのはありがたいな」
「そうでしょう。やっと良さがわかったみたいね」
俺はふたりの会話に割って入った。
「デイヴ」
彼は振り返った。
「援護、ご苦労だった」
「どういたしまして。そうだ、隊長に合う本を見つけてきたんだ。あとで渡すよ」
そういえば、新たな趣味として本を読み始めたのだ。
「この前渡されたのは難しかったからな……」
「大丈夫。今回のは娯楽小説だよ。ロイでもきっと読める」
無駄口を叩きながら、俺たちは装甲車のほうへ歩いていく。
戦場ではいつ、誰が命を落とすかわからない。このときが少しでも長く続くことを、俺は心の底から願っている。




