石ころ
天啓。まさにそれとしか考えられない事も、長い人生には起こる事もあるのか?…
車を運転中に、突然ひらめいた!
あそこに落ちてる石を蹴って、無事家までたどり着けたら願いが
叶うって!
どうしてそう思ったのか、彼にもわからない。しかし、それがい
わゆる、天啓ではないのか。今の彼にはそうとしか思えないのだ。
彼は早速、車を近くのコインパーキングにとめて、石を蹴ろうと
する。その石は楕円形の、単なる石ころだ。舗装道路に落ちていた
石。彼の為に用意されていた石。色はねずみ色。大きさは横四セン
チ、縦三センチといった処。
まずは蹴ってみる。それっ! 石は生命が宿ったかのように動き
始める。
ころころころ。真っ直ぐには転がらず、横にそれてまた元に戻る。
「おっ、これはけっこう難しいぞ」
口に出して彼は言う。
それっ! 今度はどうだ。ころころころ。やっぱり石は真っ直ぐ
には転がらず、歩道脇の側溝に落ちそうになる。
うわっ! あぶねー! 今心臓が止まるかと思ったわ!
ドキドキしながら、彼は石を慎重にもう一度蹴る。今度は比較的
真っ直ぐに転がったようだ。自然と笑顔になる。
そう言えば、はるか昔。自分が小学生の頃に同じような事をやっ
たっけな。ランドセルを背負って野球帽をかぶった自分。今の自分
からしたら眩しい存在に思えてならない。
「よーし!」
誰に言うともなくそんな言葉を口にした彼は、また一心不乱に石
を蹴り始める。石には彼の想いが乗り移ったかのように、順調に進
んでいく。
それからどれ位の時間が経ったのだろう。どんな旅でも同じ様に、
順調なばかりの旅ではなかった。時には側溝の中に実際に落として
しまい、思案にくれた事もあった。彼のあまりの心配そうな顔に、
周りの人たちが集まり、『一体どうしたんだ』と、騒ぎになりそう
にもなった。またある時には、小学生達に囲まれ、『おじさん、何
してるの?』と突っ込まれ、石を強奪されそうにもなった。その度
に彼は機転を利かしてそのピンチを乗り切っていった。
石は今では見るだけで愛しい存在のように思える。今の彼は独身
であるのだが、まるで愛するパートナー、そんな感じと言っては言
い過ぎになるだろうか。
転がっては止まった石をまた蹴り、転がった石の行方を見守る。
そしてまた自分が進みたい方向を目指して石を蹴るのだ。これはま
さにもうひとつの人生ではないのか? と、彼は思ったりもした。
そうして、ある大きな交差点にさしかかった。そこを渡ればすぐ
に彼の家が見えるはず。彼は考える。信号が青の間に無事この交差
点を渡り切れるだろうか?
上手くやれば何とかなるかもしれない。でも、いい大人が石を蹴
りながら大きな交差点を渡ろうとしている。これって明らかに異常
な行為ではないのか?
いやいや、彼は考える。天啓なのだ、と。荒野をさまよった宗教
家一行もこんな思いをしたに違いない、彼の考えは確信へと変わる。
信号が青になった瞬間を見計らい、彼は石を思い切り蹴った!
石は真っ直ぐに転がるかと思いきや、横断歩道を反れてトラックの
下に!
うわぁ! これはヤバいぞ! 彼は一瞬躊躇したが、トラックの
下に潜り込むようにして石を見つけ、身体を捻りながら何とか石を
蹴り出そうとした。
しかし、後ちょっとだけ足が届かない。う~ん、今度は、ど、ど
うだ。思い切り伸ばした彼のつま先に石が当たった感触が。そのま
ま願いと力を込めて、つま先に神経を集中させる。と、石が手前に
少し転がった。同時にトラックのエンジン音が腹に響く。運転手が
エンジンをふかしたのだ。このままだと轢かれる! 一瞬彼は焦っ
たが、エンジン音に混じり、横断時間を知らせる【とおりゃんせ】
のメロディが引き続き聞こえている。まだ大丈夫。慌てるな自分!
そう言い聞かせて、トラックの下で体勢を立て直してから石を蹴り
出し、自分も這い出して、石を、今度はコントロール重視で横断歩
道を目印に、慎重に蹴る!
と、石は彼の信念が宿ったかの如く、交差点を真っ直ぐに進み、
渡りきったところで止まった。
「やった! うまくいった。これであと少しで俺の家だ」
そう思った彼は石をより慎重に、これまで以上に繊細にコントロ
ールする。
と、彼の家が見えた。ゴールも間近だ。
どんな困難な旅にも終わりが必ず訪れるように、彼の旅も終わろ
うとしていた。そう、その時は来た。やっと、その愛すべき石は、
彼の家の庭に蹴りこまれたのだ。
「ゴーーーーール!」
よし、これでやっと俺の願いは叶うのだ。石にも感謝の意味を込
めて、大切に保存しなければ。
彼は安堵感と共に、庭に蹴りこまれたその石を拾おうとした。が、
その石は庭に敷かれた小石に混じって、どんなに探しても見分けが
つかないのだ。
「えええええええええええええええええええええええ?」
今彼は悩んでいる。願いをどれにしようかと。
最初の望みは、一緒に人生を歩んでゆける素敵なパートナーがあ
らわれます様に、だったはずだ。しかし、今では仮初めではあった
にせよ、この旅のパートナーであったあの石を庭石の中から取り出
したい、に傾きかけているのだ。
どちらにせよ、彼の願いは叶ったのだと…