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約束

「わしは播磨国(はりまのくに)の出でな。かつては小坂部(おさかべ)という家の跡取りであったわ」

 満月の下、新右衛門は堂前に出した朽ちかけた縁台に座っている。

 月見の(さかな)はあけびである。

 ……ふたりの“ねぐら”である惣堂におたきを立ち入らせたことで、こがねの機嫌はなかなか直らなかった。舌打ちしながらもそれをなだめる言葉を連ねた結果、こがねは新右衛門に要求してきたのである。

『じゃあ、あんちゃの昔のこと教えて』と、ややためらいながらも。

 こがねは、以前からかれの身の上話を聞きたがっていた。

「小坂部の家は、十日(とうか)家という領主に仕えていた、御狩先手(おかりさきて)をつとめる下級武家であった。主君が鷹狩りを行うときに先行して狩場の獲物を追い立てる、勢子(せこ)のごとき役職じゃ」

 半ば猟師のごとき低い身分であったにもかかわらず、代々、主筋の十日家には珍重されていたようである。なぜかというに小坂部家の者が御先手をつとめる狩りにおいては、獲物がつねよりわずかに多いと言われたためであった。

「ひとつ奇妙な家訓が小坂部家にはあった」

 それは播磨の手柄山一帯に存在していた奇妙な言い伝えと同じものでもある。

 すなわち、

“狐のみは獲ってはならぬ”

「言い伝えの由来は、鎌倉に幕府があった昔にさかのぼるそうじゃ。

 わしの先祖が山で通力のある狐と出会ったのよ。その霊狐の言うことには“わが眷属に手を出さぬならば、狩りを加護してやる”と」

「ふうん……」

 白帷子を着たこがねは、となりに腰かけている。薬草を採りにいかぬ夜、新右衛門といるときにはたいてい彼女は少女の姿である。わらじをつっかけた足をぶらぶらさせ、生真面目な顔で聞いていたが、このとき合点したようにうなずいた。

「白辰狐のおじいみたいな、狐をまとめる狐がよそにもいるんだ」

「まあ、そのようじゃな」

 ――実をいうとおまえと出会うまで、わしはあまりこの伝説を信じておらなんだが。

 八割がた作り話であろうと冷ややかに考えていたのだ。そして、作り話の化け狐との約束を守り、そのためにすべてを失った父親を、愚か者じゃと哀しく見ていた。

「……あの家訓が意味あるものだったのなら、親父もほんの少しは救われるかな」

「え?」

「いや……わしの親父どのが追放されたのは、家訓を愚直に守って主君に逆らったためじゃ」

 そのきっかけは、ある日の狩りであった。

 主君が兎を見つけて鷹を放ったのち、騒ぎが起きた。

 鷹が兎を仕留めかけた瞬間、飢えた狐が横からとびだしてきてそれを奪いとったのである。新右衛門の父親が駆けつけたときには狐は兎をくわえて逃げ去り、それだけならまだしも、鷹は翼を咬み折られて飛べなくなっていた。

 愛鳥を不具にされた主君の激怒はひとかたならぬものであった。

『畜生ばらが、迷信とはいえ昔話をかんがみてこれまでは捨ておいてやったものを。

 なにが神狐か、業腹な四ツ足め。民をたぶらかす迷信の一掃をかねて、増えすぎた狐を残らず駆除してくれる』

 その狩りの帰り、一行は仔狐たちが巣穴まわりで遊んでいる光景に出会った。

 二百年も狩られることがなかった手柄山の狐は、人の姿を見てもあまり動じなくなっていた。だがこの日、主君は矢をつがえ、仔狐を射た。巣穴に逃げこんだ残りの仔狐たちまでを、執拗にわざわざ穴を掘り返させて殺した。

 その場で主君は、青くなっている新右衛門の父親に向けて命じた。

『これらの獣を杭で串刺しにして、目立つところに立ててこい。

 近いうちにも領内で狐狩りを行うぞ。武辺の者どもに追物射(おいものい)をさせる。

 いまのように狐の穴を掘り崩し、犬を使って追いたてる役が要る。御先手の貴様がこれを差配せよ。もって領民の迷妄を醒ます』

「……大丈夫か、こがね」

 新右衛門は過去の話を途中で切って少女を気づかった。口元をおさえたこがねは夜目にもわかるほど血の気が引いている。

 ――しまった。こやつの家族が死んだときを思い出させるような話じゃ、せぬほうがよかったかな。

 が、こがねは気丈に首を振って続きをうながした。

 新右衛門は狩りについての顛末は簡潔に畳む。

「で、その下知を親父どのは断った。その場で十日の殿にお手討ちにされかけ、手を切り飛ばされたが、周囲の諫止でかろうじて命だけは助かった。

 そのかわり一家ごと追放されたというわけじゃ」

「そのあとは?」

 おそるおそる訊いてきたこがねに、新右衛門は呆れた目を向けた。

「手柄山の狐たちがそのあとどうなったかは知らぬ。おまえ、気分が悪くなるような話を無理に聞こうとするな」

「……それじゃなくて。あんちゃたちはどうしたの」

 新右衛門は口をつぐんだ。顔がこわばっていたのであろう。こがねがおびえる表情になり、「ごめん。聞かない」と身をすくませた。

「いや……よいわ。どうせ短くすむ話だ。ただ少し、な」

 いましがたの話は父親から聞いたことであった。伝聞であり、実感をともなってはいない。

 だがこの先は、新右衛門自身の記憶に刻まれた傷なのだ。

 こめかみに指を当ててほぐす。胸を衝く傷ましさをともなって浮かんでくる光景がある。

 京の薄暗い借家。腐りかけた板壁に背をもたせかけ、日がな一日酒を入れた桶をかかえこんで、一合(ます)をあおる父親。どろんと濁った瞳や震える手を新右衛門は覚えている。たまに家族に向けて「烏丸通りで酒を買ってこい」と無気力に催促するだけの男。もう銭も食べ物もないと何度言っても聞き分けず、飲み代を作るためなら、家の中で質屋に出せるものはなんでも出そうとした。

「……京に流れたはいいものの、親父は荒れるばかりでな。片手を失ってまともな働き口もなく、しだいしだいに酒に溺れるようになっていった。

 お袋がよそに男を作り、親父に見切りをつけたのは、京に来て一年も経たぬころであった。

 京じゅうが臭い、飢饉の春だった」

 食をもとめ洛中になだれこんだあげく結局餓死した流民のしかばねが、鴨河原(かものかわら)に万余を超して重なり、その臭いがただよっていたのである。

 すさまじい死臭のなかで、ある日、母は新右衛門と弟を連れて家を出た。

 戸の外には、冷たい目をした若い男――そいつが母の情夫だと新右衛門は知っていた――がいて、子供たちには一瞥もくれず『さっさと行くぞ』とうながした。

 背後からは『外に出るなら桶を持っていけ、酒を買ってこい、聞いておるのか……』と、父の声がいつまでも力なく響いていた。

「もう親父のところに帰ることはないだろうと薄々感じたが、わしはそのときまだわかっていなかった。その日お袋に捨てられるのはわしらも同じだったのだと。

 わしらを買った主人……太った坊主が、何人もの護衛を連れて七条の橋で待っていた。

 お袋の情夫がそいつと話をしているあいだ、わしらは小さな握り飯をひとつ与えられた。弟と分けあって食べていると、お袋が目の前にしゃがみこんできてわしらに言い聞かせた」

 このおじさんと一緒に行きなさい。逆らったらだめよ。

 おなかいっぱい食べさせてもらえるからね。

 母上はおまえたちとはすこおし離れるけれど、いつか迎えにいってあげるからね。

「笑っておったのう、あの女。にやにやと」

 吐き出した声には、自分ですらぞっとするような黒い感情がこもっていた。

 隣のこがねは石のように固まっている。しばらく、どちらも何も言わなかった。

 ――ああそうか、昨夜あの笑いを見たからじゃ。こんな話をする気になったのは。

 おたきの笑みだ。邪魔な腹の子を流す薬が欲しいとすりよってきた女の。

 母とよく似た笑顔だった。

 ……ぐすっと鼻をすする音が、暗々とした回想をそこで断ち切った。

 こがねがひざを抱えこんで涙を目尻に光らせていた。

「やめろ。深刻になるでないわ」

 かれのための涙を見た瞬間、新右衛門の胸に急に気恥ずかしさがこみあげた。

 ――小娘しかも狐に憐れまれてどうする。

「前にも言ったろう。わしはそのうち必ず福をつかんで、お袋や世の中を見返してやる。甘ったるい憐憫にひたっておれるか」

「福……あんちゃの福って」

おまえの名(黄金)じゃ。覚えておけ、人の世の福は富と地位じゃ。地位は富があればおのずとついてくる。それらを得るためには、なんといってもまず元手の銭が要る。何年かかるかわからぬが薬草を売って貯めてやる。こがね、いましばらくおまえには役立ってもらうぞ」

 全面的に頼っておいてなにを偉そうに言っているのかと自分でも呆れないではない。

 しかし、

「うん。わかった」

 目をごしごしぬぐったこがねは、手を伸ばして新右衛門の袖をきゅっととらえてきた。

「あたし、あんちゃが幸せになるよう助ける。富裕之仁(おかねもち)にする」

「あ、ああ」

 泣く寸前だったこがねの瞳が、濡れ濡れとして黒水晶の鏡さながらに美しい。どこまでも生真面目にひたむきに、彼女は見つめてきていた。

 かれはゆっくりと顔をそむけた。

 ――落ち着かなくなってどうする、村の若衆を笑えぬわ。

 あるいはこれが雌狐が人の男をたぶらかすときに使うという狐媚(こび)の妖気だろうか。こがねがそんなものをわざわざ自分に使うとは思わないが、雌狐の(しょう)として無意識に使っていることはありうる。

 そうとでも思わねば、新右衛門は見つめられて動揺したことが納得できない。



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