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終話 風車

 きいから、きいから音を立てて、宿坊の窓辺で風車が回っている。

 闇の底で、男が炉端の火明(ほあかり)のまえに座りこんでいる。

 布にくるまれた狐が抱きかかえられている。

「治る。治るからな、こがね」

 蒼白な顔でぶつぶつつぶやきながら、新右衛門はこがねに膏薬を塗りつづけている。

 血は止まらず、布はすでにべっとりと赤く濡れている。

「この薬で治らぬわけがあるか。わしらで作った狐の金創薬で……」

 とうとう嗚咽がこぼれ、こがねの横顔に涙の大粒が落ちた。

 狐の閉じていた目が薄く開き〈アン……チャ〉と鳴いた。

「こがね!」

 この数刻で彼女がようやく見せた反応に、新右衛門の呼び声がうわずった。

「わしが悪かった。もうおまえを捨てようなどと考えるものか、だから元気になれ。おまえの玉はここにあるぞ」

 せわしなく懐中をまさぐり、彼は狐の宝玉をとりだした。震える手で玉をこがねに近づける。だが玉は浮き上がらず、こがねが人になることもなかった。

 彼女はただ両の前脚で玉を弱々しく抱き寄せたのみである。

「あんちゃ」

 それでも声だけは人のものとなって、かすかに彼を呼んだ。

「あんちゃ。播州に、行っちゃいやだ」

 もうすこしだけ、ここにいて。朦朧とした様子で彼女はそう頼んだ。

 何故「もう少しだけ」なのだ――恐怖にとらわれながら、新右衛門は激しくうなずいた。

「播州になど行くものか。ともに近江に戻ろう。こがね、わしらの出会ったあの里に帰ろうぞ」

「また、いっしょに……いて、くれるの」

「一緒だ。これからはずっと一緒だとも。わしはおまえと薬を売って暮らす。二度と裏切らぬ」

「ほんとう……?」

「本当だ。わしにはおまえがいればよい。だからおまえもどこにも行くな。死ぬな。死なんでくれ、後生だから……!」

「…………」

「これから……これから償う、今度はわしがおまえをだれより幸せにしてやる、だから死ぬな……!」

 血の臭いのなか、必死に言いつのるかれに、

「あんちゃ」

 こがねが鼻をすりよせてきた。ぼんやりとした、どこかあどけない声だった。

 狐の姿だったが、彼女が幸福そうに微笑んでいるのがわかった。

「あたし、いま、しあわせ……だれよりも」

 新右衛門は絶句する。ちがう。ちがうぞ、こがね。これがおまえのつかんだもっとも大きな幸せなどであってよいはずがない――詰まった声は喉奥でつぶれて言葉にならない。

 頬を濡らしながら彼は首を振る。

「もっと幸せになれるのだ、こがね、これからはもっとずっと……こがね?」

 また目を閉じて静かになったこがねを抱いたまま「こがね、こがね」と新右衛門は彼女の名を呼びつづける。手の指のあいだから彼女の血がなおもしたたっていく。

 炉の火がぱちぱち鳴っている。

 風車が寂しげに回っている。


 きいから、きいから、きい、きい、きい……










「今昔物語」「日本霊異記」「甲子夜話」等に記された狐伝承を基とする

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― 新着の感想 ―
[良い点] 会社の昼休憩に泣くとは思いませんでした。 本当に素晴らしい話でした。ありがとうございました。 [一言] こがねがこの後どうなったのかは、明確に書かれていません。これが作者さんの意図してなの…
[良い点] とても素晴らしかったです。悲劇のお話はあまり好きではないのですがとても面白かったですし心に刺さりました。ありがとうございます。
[一言] こがね……
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