# 第52話:三対三の決着と、玉座の間
純白の雄鹿が、宙を滑るようにシェイルへと迫っていた。
これが、フィリアが目覚めた新たなスキル
――『言霊』の力だ。
古代魔法に意思の指令を送ることができる。魔法そのものに「声」を届け、動かす。
「右……! 追いなさい!!」
フィリアが叫ぶと同時に、雄鹿がシェイルの回避先へと鋭く向きを変えた。シェイルが跳ぶ。「上!!」雄鹿が軌道を変える。シェイルが壁を蹴って高所へ逃げる。
「そのまま……っ!!」
普通の魔法は一度放てば軌道を変えられない。だから読まれ、躱される。しかし言霊で繋がった魔法には、フィリアの「声」が届く。シェイルの動きに合わせてリアルタイムで指示を出せる限り、この雄鹿は止まらない。
シェイルが速度を上げた。フィリアの指示が追いつかなくなる。
(速すぎる……! 一体では指示が間に合わない……!)
しかし、その瞬間フィリアの脳裏に閃くものがあった。
(待って……広範囲に展開した魔法に、それぞれ言霊で指示を出したら……!? 翼ばたきと言霊を……組み合わせれば……!!)
フィリアは杖を両手で掲げた。言霊の感覚が、白銀の魔力の奥に広がっていく。
「――純白の集団鼠!!」
中庭が白く染まった。
数百の、いや千を超えるかもしれない純白の鼠が、一斉に生まれた。フィリアの言霊が一斉に飛ぶ。
「囲んで……! 全方位から……!!」
シェイルが動いた。鼠を躱す。しかし別の方向からも来ている。跳ぶ。上にも迫っている。前に突破しようとすれば、群れが路を塞ぐ。
(どこに逃げても、私の指示が届く…!広範囲に展開した全ての鼠に、言霊で同時に命令できる!!)
シェイルの動きが、初めて止まった。
純白の鼠が、静かに取り囲んだ。
シェイルが膝をついた。包囲を突破する方法が、物理的に存在しないと判断したのだ。
「シェイルさん…」
フィリアが静かに言った。
「もう、いいです。休んでください」
◇
グラムとドルグの応酬は、まだ続いていた。
グラムの両腕は血まみれだった。石剣を素手で受け続けた代償だ。しかし男は下がらない。受けるたびに一歩、また一歩、ドルグへと距離を詰めていた。
「……そろそろか、ドルグ」
ドルグの剣が止まっていた。振り上げた状態で、微動だにしない。虚ろな瞳からは涙が流れていた。
「俺の声が聞こえているんだろう。お前はずっと、聞こえていたんだろう」
グラムが最後の一歩を踏んだ。そしてドルグの巨体を、そのまま両腕で抱きしめた。
「……帰って来い」
石剣が、音を立てて地面に落ちた。
ドルグが、グラムの肩に額をつけた。
膝から崩れ落ちる巨体を、グラムが支えた。
◇
エルダとラグナの決着は、すでについていた。
縛り上げたラグナに、エルダは静かに近づいた。
「聖陰の渾沌たる癒し《カオス・ヒーリング》」
ラグナの全身を覆う腐りの瘴気が浄化されていく。完全ではない。しかし、目の光が戻るには十分だった。
ラグナの目が、エルダを映した。
「……誰だ、お前は」
「地上から来た者ですわ」
エルダが微笑んだ。
「細かい話は後で。今は眠っていなさいな」
魔力の糸が優しく収縮し、ラグナの意識を穏やかに閉じさせた。
◇
中庭に、静寂が戻った。
三人が、それぞれの戦いを終えて立っていた。
グラムは崩れ落ちたドルグをその腕の中に受け止めたまま、動かなかった。何も言わなかった。ただ、目を閉じていた。
フィリアは杖を持ったまま膝をついていた。全力で言霊を使い続けた消耗が、じわりと全身に来ていた。
「フィリア」
エルダが歩み寄り、そっと肩に手を置いた。
「よくやりましたわ」
「……エルダさん、私、本当に怖かったです」
「私もですわよ。でも」
エルダが微笑んだ。
「怖くても動けるのが、貴方の強さでしょう」
フィリアがゆっくり立ち上がった。
エルダが振り返り、グラムを見た。
「グラムさん」
グラムが目を開けた。
「……ああ」
「アルト様の後を追いますわよ。立てますわよね」
グラムはドルグをゆっくりと横たえ、静かに立ち上がった。
「遅れるな」
三人は、アルトたちが消えた廊下へと走り出した。
◇
城の奥深くへと走り続けていた。廊下の壁に刻まれた地脈の紋様が、腐りで黒く変色している。かつてこの美しい文様に込められていた祈りの重さが、逆に胸に刺さった。
「アルト様」
シアが走りながら言った。
「玉座の間に、誰かいますか」
「ああ。地王だ」
シアが一瞬だけ、テラを見た。テラは前を向いたまま走っていた。
「分かってる」
テラが答えた。
「父上を、取り戻しに行く」
しかし、玉座の間の扉の前に着いた時、テラの足が一瞬だけ止まった。
扉の前から、腐りの波動が脈打っている。
「テラ」
「……ああ」
俺たちは歩みを止めた。
その先にあるものを見た俺たちは、一瞬だけ言葉を失った。
(第52話 終)




