きみの血を
深い闇の中、安物のランプが放つ淡い光が、ベッドに横たわるアルトラの輪郭を幽霊のように浮かび上がらせていた。
かつて死線を潜り抜け、理不尽な暴力を叩き潰してきたあの力強い肉体は、今や見る影もない。包帯の間からは、彼の命そのものである鮮血が、止めどなく溢れ出し続けていた。
「……ボクのせいだ。全部、ボクが足手まといだったからだ」
アキリはベッドの傍らに膝をつき、絞り出すような声で呟いた。
銀色の長い髪がさらりと流れ、床についた彼の小柄で細い体を包むように広がる。13歳ほどの、中性的でどこか儚げな少年。
アキリは、サングファージとしての特異な体質として『不死に近い体』を持ってはいるが、敵をなぎ倒す力など微塵もなかった。己の正体について誰にも話せずにいるアキリは、周囲からは無力な子供だと思われている。
アルトラは、自分を慕う『弟分』を死なせないために、自らの命を削り、その身を盾にした。
アキリにとって、彼の示す道だけがこの世界で唯一の光だった。その光が、今まさに消えようとしている。
「……ボクを、置いていかないで」
アキリは震える手で、アルトラの額に滲んだ、血と脂の混じった汗を拭う。
指先に残った熱い雫。アキリはそれを、吸い寄せられるように、――ぺろりと、その熱を掬い取るように舐めた。
あゝ。
その途端、アキリの内で眠っていた「サングファージ」としての本能が爆発した。
今のアキリは捕食者だった。血管の奥底で、かつてないほど強烈な飢餓感が猛獣のように暴れ出し、視界がどろりと赤く染まっていく。
(だめだ。血を混ぜすぎたら、アルトラはもう……)
一歩間違えば、アルトラは自我を持たない肉人形と化す。それは『死』よりも、恐ろしい悲劇だった。
衝動はあまりに猛烈で、戦う術を持たないはずのアキリの体を、残酷な「捕食者」へと駆り立てていく。
怪我に喘ぐアルトラ以上に、激しい苦悶の表情を浮かべるアキリ。長い銀髪がアルトラの傷ついた胸元を覆い隠し、二人の境界を曖昧にする。
アキリは自身の内側から溢れ出す、制御不能なエネルギーに振り回されながら、アルトラの首元へとゆっくり顔を寄せた。
カパリ、と。震える唇の間から、鋭利な二本の牙がのぞいた。
それは、獲物を殺すための武器ではなく、命を分かち合うための、呪われた接合器だった。
「……っ」
アキリはむせ返るようなアルトラの香りに、半ば朦朧としながら、その首筋に深く牙を立てた。
ビクン、とアルトラの体が大きく痙攣する。
アキリの細い喉が、ごくり、ごくり、と二度鳴った。
アルトラの弱りきった生命がアキリの中に流れ込み、代わりにアキリの持つ「サングファージ」としての呪われた血が、アルトラの血管へと逆流していく。
アキリは、自らの内に渦巻く巨大な力に抗うすべを知らない。ただ、アルトラという存在を失いたくないという一心で、自身の血を注ぎ込み続けた。
精神的な主従関係とは裏腹に、生命の階位が無理やり書き換えられ、二人の存在が「血」によって不可逆的に接合されていく。
さらに二度、アキリの喉が鳴った。
「――っ!!」
理性の最後の一片を振り絞り、自らを弾き飛ばすようにして、アルトラのベッドから離れたアキリ。肩で激しく息をしながら、銀髪を振り乱して自身の唇を拭う。
アキリには戦闘力などない。だが、この「血の共有」という行為そのものが、彼にとっての最大にして唯一の暴力だった。
床に座り込んだまま、アキリは縋るような思いでベッドを見上げる。
変化は劇的だった。
アルトラの体中にあった悲惨な傷が、微かな蒸気を上げながら、生き物のようにうごめき始める。肉が盛り上がり、傷口が内側から縫い合わされるようにして塞がっていく。
アキリが分け与えたサングファージの再生能力が、アルトラという「器」を得て、爆発的な生命力へと変換されていた。
ただ生き延びる為だけだったアキリの血が、アルトラの肉体と混ざり合い、新たなる「怪物」を生み出しつつあった。
アキリは満足そうに微笑んだ。真紅の瞳には、安堵と罪悪感の入り混じった涙が光っていた。
「……おやすみ、アルトラ。次に目覚める時は、ボクと一緒に」
アキリは、全ての力を使い果たしたかのように、アルトラの傍らでくたりと倒れ込んだ。
静まり返った闇の中で。新生したアルトラの鼓動が、トクン、トクンと力強く、不吉なリズムを刻み始めていた。




