第5楽章 潮のアダージョ
江の島の橋を渡ると、潮の匂いが一層濃くなった。
風は柔らかく、空は少しずつ夕方の色を帯び始めていた。
波の音が、遠くから静かに届いてくる。4人は自転車を押しながら、島の入り口に立った。
「ここまで来たか…」
陽翔がつぶやく。顔には汗と、少しの達成感。
「科学部の夏旅、最終ステージだな」
湊斗がスマホを掲げながら言う。
「江の島でのテーマは月の引力。潮のリズムを聴いてみよう」
「急にスケールでかくなったな」
「旅の終わりは、壮大でいいんだよ」
結菜が笑う。
「今日も元気で何より。科学部らしいね」
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岩屋洞窟へ向かう道は、潮の満ち引きによって通れる時間が限られている。
結菜が案内板を見ながら言った。
「今は干潮だから、行けるみたい。でも、あと1時間で満ちてくるって」
「それが潮汐ってやつか」
陽翔がうなずく。
「月の引力が、地球の海を引っ張ってる。地球が自転してるから、1日に2回、満ち引きが起きる」
「つまり、月が海を動かしてるってこと?」
「そう。見えない力で、世界が動いてる」
湊斗がスマホで潮汐表を見せた。
「この表、ちゃんと月の位置と連動してる。科学って、予測できるのがすごいよな」
「でも、予測できないこともあるよね。人の気持ちとか」
結菜がぽつりと言った。
陽翔が彼女を見た。
「結菜って、昔から科学好きだった?」
「ううん。むしろ苦手だった。公式とか、数字とか、意味わかんないって思ってた」
「じゃあ、なんで科学部に?」
「3人が楽しそうだったから。一緒に見てるうちに、世界がちょっと面白く見えてきた。科学って、誰かと一緒に見ると、好きになれるんだよ」
湊斗がうなずいた。
「それ、Quatuor Scientifiqueだな」
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洞窟の中は、ひんやりとしていた。波の音が、奥から響いてくる。
空気は静かで、音だけが空間を満たしていた。
4人は言葉を交わさず、ただその音を聴いていた。
「この音、月が作ってるって思うと、ちょっとロマンあるな」
大翔がつぶやく。
「月が引っ張って、海が動いて、波が生まれて、音になる」
「それを今、俺らが聴いてる」
「科学部カルテット、宇宙の音を聴く」
湊斗が笑った。
「それ、ちょっとかっこいい」
結菜が微笑んだ。
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洞窟を出ると、空は少しずつ夕焼けに染まり始めていた。
風が髪を揺らす。4人は並んでベンチに座った。
湊斗がスマホを構える。
「投稿、いくぞ。『月が引く海の音を聴く。科学部、江の島にて』」
「タグは?」
「#カマカガク #潮汐 #月と海 #科学の四重奏」
「それ、ちょっとエモすぎない?」
「旅の終わりは、エモくていいんだよ」
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投稿された写真には、洞窟の入り口で並ぶ4人の後ろ姿が写っていた。
コメント欄には、「科学部、いいね」「青春って感じ」「月と海、ロマンある」といった言葉が並ぶ。
陽翔が空を見上げた。
「月はまだ見えない。でも、そこにある」
「見えないけど、確かにある。風も、引力も、友情も」
結菜がうなずいた。
「科学って、誰かと一緒に見て、感じて、伝えることで、もっと面白くなる」
湊斗がスマホを閉じた。
「Quatuor Scientifique、今日の音は、静かな余韻だったね」




