第13話「異世界令嬢、高級カフェのオーナーに狙われます!?」
カフェ・ルミエールの朝は、いつもと変わらない穏やかな空気に包まれていた。だが、その平穏は長くは続かなかった。
「……メルフィーナさん、少しお話をよろしいですか?」
静かに響く低い声。店の扉の前に立っていたのは、整った顔立ちにシルクのスーツを纏った、一見して洗練された雰囲気を持つ男性だった。彼の手には、昨日の新聞が握られている。
「あなたは……?」
メルが不思議そうに見つめると、男は微笑みながら自己紹介をした。
「グラン・ベルのオーナー、アレク・フォルティスと申します」
その名を聞いた瞬間、カフェの中にいた老婦人の表情がわずかに曇る。
「……グラン・ベルって、あの高級カフェの?」
響が驚いたように問いかける。街でも屈指の格式を誇るカフェであり、選ばれた客しか足を踏み入れることのできない店として知られていた。
「お噂はかねがね。ですが、私に何の御用で?」
メルは微かに警戒しながらも、丁寧に対応する。アレクは穏やかに微笑み、手にした新聞を軽く掲げた。
「あなたの作るスイーツに、私の店も興味を持ちました。特に、この紅茶のミルフィーユ……素晴らしい発想です」
「……ありがとうございます」
「もしよろしければ、私の店で働いてみませんか? グラン・ベルのパティシエとして」
その言葉に、メルだけでなく、カフェ・ルミエールの空気が一瞬にして張り詰めた。
「えっ……?」
思わず言葉を失うメル。響は無意識に拳を握りしめていた。
「君の才能はもっと大きな舞台で輝くべきだ。うちの店なら、最高の食材、最高の環境、そして何より、君の技術を存分に活かせる場がある」
「……私の、才能……」
メルの表情が揺れる。確かに、貴族の感性を活かし、本格的なスイーツを作れる環境は魅力的だった。
だが、今の彼女にとって、カフェ・ルミエールはただの職場ではない。居場所だ。
「少し、お時間をいただけますか?」
メルがそう答えると、アレクは満足そうに微笑んだ。
「もちろん。良い返事をお待ちしていますよ」
そう言い残し、アレクは優雅な足取りで去っていった。
店内に静寂が戻る。
「……メルちゃん」
老婦人が心配そうに声をかけると、メルはゆっくりと息を吐いた。
「私のことを、そこまで評価してくださるのは光栄ですわ。でも……」
「でも?」
「……もし、私が向こうに行ったら、どうなるのかしら?」
その言葉に、響の胸がざわついた。
(……メルが、ここを辞める?)
そんなこと、考えたこともなかった。
「……別に、好きにすればいいだろ」
低く呟くように言う響。だが、どこか投げやりな響きがあった。
「響……?」
「お前が向こうの方がいいって思うなら、行けばいい。俺には関係ないし」
無意識に出た言葉だった。
それなのに、なぜか心の奥が妙にチクリと痛んだ。
(なんだよ……この感じ)
イラつくわけじゃないのに、気分がすっきりしない。
(メルがいなくなる……それだけなのに、なんでこんな気持ち悪いんだ)
響は曖昧な表情を浮かべたまま、静かに店の奥へと歩き去っていった。
だが、彼の拳は、気づかぬうちにギュッと握りしめられていた。
その後、メルはカウンターの隅に腰を下ろし、ぼんやりと考え込んでいた。
(ここで働き始めてから、まだ日は浅いけれど……こんなにもたくさんの人が、私を受け入れてくれている)
紅茶の香りがふわりと鼻をくすぐる。目を閉じれば、貴族の世界とは違う、温かい空気を感じる。
(私が本当に求めているものは……)
静かに目を開くと、メルはゆっくりと微笑んだ。
そのとき、店の扉が再び開き、常連の客が楽しげな声で入ってきた。
「おはよう、メルさん! 昨日の新聞見たよ! すごいね、君のスイーツ、話題になってるよ!」
「ええ、ありがとうございますわ」
メルは笑顔で応じながら、そっと胸元のペンダントを握りしめる。
(私の居場所は……やっぱり、ここですわね)
→ 次回 「異世界令嬢、運命の選択をいたしますわ!」
メルが出した答えとは!? 響のモヤモヤする気持ちは一体……!?




