第1話 婚約破棄と異世界転移
煌びやかなシャンデリアが天井から柔らかな光を放ち、広間全体を照らす。
壁には金糸で紋章が刺繍されたタペストリーが飾られ、足元には緋色の絨毯が広がる。
貴族たちは華やかなドレスや礼服をまとい、ワインを片手に談笑しながら舞踏の調べに身をゆだねていた。
宮廷楽士が奏でる優雅な旋律が、広間に心地よく響く。
今宵は、王太子エドワード・ルクセンブルクと侯爵令嬢メルフィーナ・ランビエールの婚約を正式に発表する舞踏会——そのはずだった。
しかし。
「メルフィーナ・ランビエール。お前との婚約は、今この場で破棄する!」
王太子エドワードの声が広間に響いた。
一瞬の静寂の後、広間はざわめきに包まれた。
驚きに息をのむ者、興味深そうに微笑む者、困惑して隣の人とひそひそと囁き合う者——それぞれの反応が交錯する。
「なんと……婚約破棄だと?」
「まさか、この場で……」
「まったく、なんという無礼な!」
誰もがメルフィーナへと視線を向ける。
その中には、彼女の動揺を期待する好奇の目もあれば、王太子の突然の発言に眉をひそめる者もいた。
メルフィーナは、豪奢なドレスの裾を優雅に持ち上げ、ゆっくりと視線を上げる。
青みがかった銀髪が月光を受けて輝き、琥珀色の瞳が静かにエドワードを見据えた。
「……そうですか」
メルフィーナはゆっくりとまばたきをした。
(私がどれほど王太子妃としての務めを果たしてきたか、考えたこともないのでしょうね)
ほんのわずかに胸が痛む。しかし、それを顔に出すつもりはなかった。
エドワードは不満げに眉をひそめる。
「お前は王太子妃に相応しくない。お前の高慢で冷たい態度は、王族の者として許されるものではない!」
「高慢、ですか?」
メルは涼やかに微笑む。
「王太子殿下、あなたの仰る“高慢”とは——王族に相応しい教養を持ち、国を支えるために努めてきたことを指すのでしょうか?」
「な……!」
エドワードの表情が歪む。
「確かに、私は感情をむやみに表に出すことはいたしませんでした。しかし、それは王族の未来の王太子妃として、相応しい振る舞いをするためではなかったのですか?」
貴族たちの間に再びざわめきが走る。
それは驚愕と困惑、そして好奇の入り混じったざわめきだった。
「王太子殿下が、論破されている……?」
「だが、確かに彼女の言うことはもっともだ……」
「しかし、婚約破棄をされた令嬢があんなに冷静でいられるものか?」
誰もがメルフィーナの態度に違和感を覚えながらも、彼女の毅然とした姿に目を奪われていた。
そんな彼らのささやきは、まるで劇の結末を見届けようとする観客のようだった。
「お前は何もわかっていない!」
エドワードは苛立ちを隠せない様子で言った。
「僕が本当に愛するのは、聖女フローラだけだ!」
そう言って、彼はそばに立つ金髪の少女の手を取る。
フローラ・エヴェレット。最近現れた“聖女”として、国中の人々から崇められている存在。
フローラは申し訳なさそうに目を伏せながらも、どこか余裕のある笑みを浮かべていた。
「殿下、どうかご無理なさらないで……」
まるで、自分が婚約破棄の原因ではないとアピールするかのように。
しかし、メルはまるで意に介さないように微笑んだ。
「いいえ、もう結構ですわ。どのみち、あなたのようなお方と添い遂げる気はございませんでしたし」
広間がざわめく。
「では、ごきげんよう。どうか、“聖女様”と末永くお幸せに」
メルフィーナはドレスの裾を翻し、優雅に一礼した。
貴族たちが驚きの表情を浮かべる。
泣き崩れるどころか、怒りをぶつけるわけでもない。ただ、静かに、優雅に、婚約破棄を受け入れるメルに、誰もが息をのんだ。
その時。
――ズズズ……
足元が青白い光に包まれる。
「……っ!?」
魔法陣——!?
突如、広間の中央に複雑な魔法陣が浮かび上がり、光がメルを中心に渦を巻き始めた。
「な、なんだ!?」
「こんな魔法陣、見たことがないぞ!」
貴族たちの悲鳴が広間に響く。
メルは冷静に床に浮かび上がった魔法陣を見つめた。
(これは……私を転移させるもの?)
実は、メルは密かに魔法の勉強をしていた。
王太子妃としての務めを果たすため、学院では最低限の魔法しか許されなかったが、彼女は影で研究を続け、膨大な知識を得ていた。
(間違いない、これは……強制転移の魔法陣)
「メルフィーナ!!」
悲鳴のような叫び声。
王太子の護衛騎士、ルイス・エヴァンストン。
彼だけが異常事態をいち早く察知し、メルの元へ駆け寄ろうとした。
幼い頃から、王宮の剣術場で幾度も剣の稽古をつけてくれたルイス。
いつも寡黙だったが、必要なときにはそっと支えてくれる、数少ない理解者だった。
それなのに——今は、彼の手が届かない。
光が完全にメルを包み込み——
「っ……!」
次の瞬間、メルの姿は、舞踏会の広間から完全に消えた。
──転移魔法陣が発動したのだ。
→次回:異世界転移!降り立った先はまさかの……!?
煌びやかな舞踏会の場から、一瞬にして未知の世界へと投げ出されたメルフィーナ。
目を開けると、そこには見たこともない巨大な建物や、奇妙な乗り物が行き交う光景が広がっていた。
「ここは……一体どこなの?」
異世界転移を果たした令嬢の運命は?
そして、彼女が最初に出会う人物とはーー!?