無為の道行と銀座の残香
蔵前の大通りから少し外れた裏道を歩んでいた。周囲には新築の高層マンションと、古びた雑居ビルが雑然と並んでおり、その合間に洒落たカフェが顔をのぞかせていた。前方には、背中を深く折り曲げて歩く八十歳ほどの男性が、しばらくの間ゆらゆらと進んでいく。その姿が、一見豪奢に見える新築マンションの中へと吸い込まれていくさまを、私はぼんやりと見届けた。
私は、つい最近まで連れ添っていた幼なじみのガールフレンドと別れたばかりだった。道行く若い男女が、私に対して侮蔑の目を向けた。その二人は、やがて嘲笑いを残して私の前を横切っていった。歩いても歩いても、景色は変わらなかった。新築の馬鹿げた高層マンションと愚鈍で滑稽な男女の姿が、執拗に私の視界に幾度も繰り返された。
私はどこへ向かっているのか?
私はただ足を運び続けた。赤と黄色の背景に黒色のテキストで彩られた騒がしい看板を掲げたインドカレー屋、あるいは「ホ」という字のみが書かれた、無意味なくせにあたかも何かを意味しているかのような看板を立てた、愚鈍で無価値な自己満足に浸る若者たちに媚びへつらう焼肉店。その一つひとつが、私を苛立たせるように通り過ぎた。
なぜ、こんなことになったのだろうか?
道行く人々すべてが醜く見えた。彼らは皆、生きる意味も見出せぬまま、ただ惰性で生き続けているだけだ。結婚という社会の欺瞞にすがりつき、そのシステムに身を投じさえすれば、永遠の幸福が得られるという幻想に囚われているのだ。私はその幻想を吐き捨てるように思い描いたが、その一方で、彼らと同じ空気を吸い込むことが、私にとって唯一の劣等感を忘れる方法であったことを、私は知っていた。
やがて浅草橋駅の地下鉄に乗ると、そこには私の愛する「無様な人間」たちが溢れていた。優越感が一気に私の中を満たし、私はその感覚に浸るべく、三島由紀夫の『仮面の告白』を開いた。この吐露される感情は、果たして仮面の裏なのか、それとも表なのか。私には分からない。隣や前の席に並ぶほとんどの人間は、スマートフォンの画面に目を落とし、その中でしか生きられぬインターネットの檻に閉じ込められた、哀れで滑稽な奴隷たちだった。その目は虚ろで、生気を失った顔つきがまるで生きながら屍となった者のように見えた。社会の中で何が起きているかにも気づかぬまま、ただ終点へ――いや、無為な終焉へとひたすらに突き進んでいたのだ。
何のために生きているのだろう?
そのとき私は、生きる意味を考えるという、二十代にはあまりにも遅すぎる趣味で時間を潰そうとした。その時に私の結論はこうだ。生きる意味とは何か、そんな問い自体が馬鹿げている。愚かな人間は、無いものを有ると錯覚し、自ら劣等感に苛まれているに過ぎない。醜い下劣な宗教じみたものを求めたり、勝手に悩みくさりするものだ。人間には特別な生きる意味が与えられ、それを大事にしなければいけないという詐欺まがいの強迫観念に囚われているのだと気づくと、私の生きる意味は風船のように破裂し、欺瞞が私の口内を満たした。
東銀座に着くと、夕暮れの銀座の街並みは重厚な昭和の香りを纏い、淫靡で古臭いネオンがあたかも過去の幻影のようにきらめいていた。そのネオンの光の中、幾重にも積み重なった歴史の錆が漂う、どこか物悲しいスーパーマーケットが見える。その横には赤色のポルシェが停まり、ピンク色のシャツを身にまとった髭を生やした老人がいた。その不釣り合いチグハグな光景に私は妙に心が惹かれた。この街のバランスには、何かしら不可解でありながらも愛おしいものがあった。そこには四ヶ月前にガールフレンドと訪れて旅行の計画を練った小さなカフェがあった。一瞬、胸に失恋の痛みが鋭く走った。それはあたかも鋭利な刃物で胸を抉られるような感覚であり、若い男子に特有の、失恋の後のあの無力感と絶望感が甦り、生きている実感をかすかに感じることができた。銀座の空気には所々に悪臭が立ち込めていて、飲食店から放たれる腐臭、腐ったゴミの強烈な異臭、そうした汚穢の中にこそ私は生の実感を見出すことができた。私はむしろ汚穢や腐臭、痛みに生の実感を見出し愛した。そして少し歩いて、銀座の中心地から離れると、改めて生きる意味の無さを確認するのだった。
私は目的地であるマンションに辿り着くと、手際よく靴を脱いで窓から身を乗り出した。
遠くには銀座特有の、まるで異国の地を歩いているかのように響く、様々な外国の言語が混じり合った喧騒が渦巻いていた。その騒がしさの中に、秋の夕暮れ特有の静けさがまるで薄いベールのように重なり合い、どこか不思議な静かな大合唱となって耳に突き刺さった。昭和の時代の遺物とも言えるネオンの光、古びた街灯のほのかな光、それらが秋の澄んだ空気の中で微かに香り立ちが、私の心に不思議な充足感をもたらした。私は世界との結びつきを強く感じることができた。
次の瞬間、頭部が地面に叩きつけられた痛みを感じることなく、私の意識は無へと途絶えた。