うわさのたこ焼き屋
私の地元には昔、一軒のたこ焼き屋があった。
店の名前はもう忘れてしまったが、とある神社のすぐ隣にあり、木が生い茂る森を背負った小汚い店構えの店だ。
誰が描いたのか分からないが、鉢巻をしたタコがたこ焼きを焼いている姿の看板が目印だった(とにかく下手くそなタッチで描かれたその看板が記憶に残っている)。
その店は、以前は甘太郎焼(大判焼とか今川焼とも言うらしいが)の店だったが、ある時を境にたこ焼き屋に変貌していた。
やる気が無かったのか、告知のチラシが配られていた様子も無く、新装開店を祝う花輪が飾られていた記憶がない。
薄暗い店の中は暗い電灯に照らされ、古臭いテーブルと丸椅子が数セット置かれていた。
あと、何故か昔のインベーダーゲームのテーブルが二台。
稼働はしていたが、ファミコンなどが出回っていた当時、無論誰も見向きもしない。
他には年代もののウォーターサーバーがあるだけで、雑巾みたいに汚い台拭きが無造作に干されていた。
店主は不愛想なおじさんが一人だけ。
甘太郎焼を売っていたの頃にはいなかった人物だ。
地元の顔見知りの人間じゃないのは確かで、素性が分からない人だった。
ほかに店員は見当たらないし、見たこともない。
暖簾の奥にある調理スペースに至っては、覗く気も起きないほど怪しげだった。
お客は入っている気配はないが、それでも店の前を通るとたこ焼きを焼くにおいとソースの香りはしていたので、どうやらちゃんと商売はしていたようだ。
で、肝心のたこ焼きなのだが…これも印象的だった。
当時は今あるようなネギ盛やポン酢味など、バリエーション豊かなラインナップはメニューに無かった。
出されるのはオーソドックスな「たこ焼き」だけである。
それも、かつお節に申し訳程度の青のりがかかっているだけ。
そこにソースをかけ、マヨネーズなどなかったが、何故か和辛子が添えられてた。
焼きたてで出てくるのだが、何故かぶよぶよしているし、生焼けの時もあった(今なら苦情ものだろう)。
他にはオレンジジュースとコーラが飲み物で注文でき、夏場のみかき氷が販売されてはいた。
さて、その面白味も彩りも無いただのたこ焼きだが、それでも子供たちにとっては格別のおやつだった。
何せ当時、私の地元ではたこ焼きは夏祭りの屋台でしか買えず、専門店が進出してくるような都会でもない。
なので、この店の存在はとても貴重だった。
おまけに値段も安かった(確か、一皿5個で100円くらいだったと思う)。
まあ、この値段なので、味や入っているタコの量は推して知るべしだが、それでも私や他の子供たちにとって、この店は大きな存在だった。
そんなたこ焼き屋だったが、妙なうわさがあった。
通常、この店はお昼頃から夕飯を過ぎた夜8時頃には閉店する。
店主が自宅に帰ると、店は無人で真っ暗だ。
だが、深夜に店が開いているというのである。
そのうわさの出所は、その店の近所に住む子供だった。
何でも、夜中にトイレに立つ際に店の明かりが点いているのを目撃したらしい。
店は県道沿いにあるものの、深夜になると通る車は皆無である。
なので、車のライトを誤認したということはまずない。
しかも、その子の家は県道を挟んだ店の真向かいにある。
遠い距離で見間違えたということもなさそうだ。
普通に考えれば、店主が仕込みを行っているか、忘れ物でも取りに帰って来ただけだろう。
しかし、どうもほぼ毎晩深夜に店に明かりが点いているという。
そのうえ、店自体が休業となる日曜日にも深夜は明かりが点いているらしい。
大人に聞いても、そもそも地元とのつながりがない人間がやっている店である。
みんな「何かやってんだろ」と関心を抱くこともなかった。
盛り上がっているのは子供たちだけで、
「実は夜もたこ焼きを売ってる」とか、
「幽霊が店に棲みついていて、明かりは人魂だ」とか、
「実はたこ焼き屋は見せかけで、悪い奴らの秘密のアジトなのだ」とか、
様々なうわさが入り乱れていた。
そうした中、度胸のある上級生たちがついにアクションを起こした。
夏休みのある日の夜、家を抜け出した何人かで連れ立って、うわさのたこ焼き屋に行ってみたらしい。
さて、ここからはその上級生たちによる話である。
実際に私自身が目にしたわけではないし、子供特有の「盛った内容」だってあると思う。
故にその真偽は定かではないので、ご留意願いたい。
とにもく、その日の夜も果たして店には明かりが点いていた。
見た感じは、入り口のガラス戸こそ閉まっていたものの、明かりが点いていること以外は昼間の開店時と変わりはない。
また、この店には駐車場も無いので、客が来ているかは分からなかった。
そこで、上級生たちは店に隣接する森の方から店に近寄ることにした。
というのも、店に店主がいる時は、森と店の間にある小道に店主のカブ(小型オートバイ)が停まっているのが常だった。
だから、身を隠しつつ店に接近できる利点があるのもあったからだが、カブが確認できれば、うわさの真偽を確かめることができる。
そうして森の中を通り、店に近付いて行った上級生たち。
やがて、店にたどり着いて彼らは硬直した。
カブは停まっていなかった。
つまり、店に店主はいない。
そうなると、諸々のうわさが真実味を帯びてくる。
そして、いま、店の中には間違いなく何者かがいるのだ。
上級生たちはそこで迷った。
無人のはずの店にいるのは、得体の知れない相手である。
果たして、その正体を突き止めるべきなのか否か…そこで意見が割れたのだ。
何人かは「このまま帰ろう」と言ったそうが、そもそもうわさの正体を確かめるため、深夜に家を抜け出すような悪ガキたちである。
「こっそり店内を覗いてみるだけでもしよう」「もし泥棒だったら皆で捕まえよう」という声が上がり、最終的には「店を覗く」という意見で固まった。
で、リーダー格を先頭に、全員で店の正面に回って、ガラス戸越しにこっそり店内を覗いてみた。
そこで一同は硬直した。
店内には薄暗いながらも明かりが灯っていたので、中の様子は丸見えだ。
店の内部に異常はない。
で、無人か否かというと。
人はいた。
ただし、店主ではない。
髪が長くボサボサで、髭も伸び放題。
ボロボロだが、夏場にコートを着た男が一人、店の真ん中に突っ立っていた。
で「あー」「うー」と呆けたように唸っていたという。
これには上級生たちもビックリ仰天。
思わず声を上げてしまったらしい。
すると、男は彼らに気付き、くるりと顔を向けるとニンマリ笑いながら凄まじいスピードで彼らが覗いていたガラス戸に迫って来た。
そこが限界だった。
上級生たちは悲鳴を上げ、ほうほうの体で逃げ帰ったんだそうだ。
後日の話。
その夏の終わりに、うわさのたこ焼き屋はひっそりと閉店した。
理由は定かではないが、大人たちの話では、もともと経営は成り立っていなかったらしい。
それに、子供たちの間で正体不明の髭男の存在がうわさで広がり、足を運ぶ客が減ったのも一因だったのかも知れない。
私は「うわさだけで閉店に追い込まれるお店があるんだなぁ」と子供心に妙なインパクトを受けた。
それにしても、上級生たちの話が本当なら、その髭男は一体何だったのだろう。
あんな時間に、無人の店舗で何をしていたのか。
もう真実を確かめる術はないが、今年の夏、たこ焼きを食べた際に思い出したので、ここに記そうと思う。