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大仏参り  作者: 目262
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 京都大仏とそれを納めていた大仏殿があった場所は現在、大仏殿跡緑地公園になっており、教授とナカムラ夫人は公園内にある石組みのベンチに腰を下ろしていた。かつて大仏の台座がここにあり、ベンチの形はその1部をなぞって作られたという。

 やや離れた場所で待っているエリコと、その父親を一瞥して、ナカムラ夫人はふんと鼻を鳴らした。

「まったく。ちょっと留守にしただけであんなに狼狽えて。2人とも、もう大人なのに。息子も、孫も、育て方を間違えたかしらね」

「そんな言い方はないでしょう。ご家族は本当に心配して、鎌倉や奈良にまで行ったんですよ。現地のホテルや旅館、その殆ど全てに奥さんが泊まっているか問い合わせまでしてました……」

「その内戻る、心配するなと伝言に書いたのよ。それを信じないで勝手に大騒ぎして。警察に捜索願いまで出したなんて、とんだ大恥だわ」

「……あの状況では心配して大騒ぎしますよ。それが家族というものでしょう。奥さんのメッセージは言葉が足りなすぎました。具体的に京都に行くと記しておけば良かったのに。息子さんは京都と大阪の宿泊施設にも電話しています。何処に泊まっていたんですか?」

「何も残さずに出ていけば、それこそ心配するだろうし、かといって詳しく書けば、後から着いて来るかもしれない。そうなっても鬱陶しいから、敢えてぼんやりとした内容にしたのよ。それにホテルや旅館だと電話が来るかもしれないから、偶々この近くに住んでいる古い知り合いの家に泊まらせてもらっていたの。私がここまでしたというのに、エリコがあなたに泣きついていたのなら、無駄だったわね。一応、どうしてこの場所がわかったのか聞いておくわ。それに、只の付き添いで来たんじゃないわよね。私に聞きたいことがあるんでしょう?」

 夫人の言葉に教授は頷いた。もっとも、聞きたいことが出来たのは、新幹線に乗ってからのことだが。夕日はだいぶ傾いており、京都を囲む山々に隠れかけている。

「まず、この場所がわかった理由を説明します。私も学者の端くれですから、京都大仏のことは知っていました。でも、それを思い出した切っ掛けは、奥さんの言葉です」

「何のことかしら?」

「ナカムラ先生の戒名で、寺の人間から高額なお代を提示された時です。家族全員が怒っている中で、奥さんは坊さんのことをオッサン呼ばわりしていたと、エリコさんから聞きました」

「オッサン……?」

 夫人は虚をつかれたような顔になる。

「そう。オッサンです。いくら怒っていたとは言え、いつも丁寧な言葉づかいをしていた奥さんには余りにも似合わない。それが私には、どうしても腑に落ちなかった。だから、ふと思ったんです。もしかしたらこれは、悪口ではないのではと」

「……」

「これが逆に丁寧な言葉だとしたら、奥さんが言っても理に叶う。私はまず、オッサンという言葉を丁寧な言い方として使っている場所を思い出しました。それが京都です。京言葉では、和尚さんのことをオッサンと言います。我々が普段使っているオッサンとはイントネーションが違いますがね。そして私は、奥さんが京都出身であると気づきました。70代で京都の人間ならば、確実に京都大仏を知っている。だからここに来たんです」

「そう……。私、無意識にそんなことを口走ってしまったの……。夫を亡くした直後で、本当に気が動転していたのね。今までの苦労が台無しだわ」

 力なく項垂れて、地面を見つめる夫人へ教授は語りかけた。

「やはり、意図的に京都人であることを隠していたんですね。思えば奥さんは綺麗な標準語しか使っていなかった。ナカムラ先生も同じでした。新幹線の中で、大学のネットワークシステムにアクセスして先生の経歴を調べました。九州の出身で東京の大学卒となっていましたが、先生の言葉に九州の訛りは1片もなかった。2人とも、産まれを彷彿とさせる要素は余りにもなさすぎた。奥さんと先生、あなた方は共に京都の出身ですね?」

「……」

「安心してください。このことは息子さんとエリコさんには話していません。彼らは単純に、私が偶々京都大仏の存在を思い出したと信じています。でも、私が知りたいのはそこです。言葉を封印して、出身地を誤魔化してまで、京都人であることを隠していた訳です。家族にすら頑なに教えなかった、その理由とは一体何ですか?」

「……あなたには大方の見当はついているんじゃなくて?」

 夕日は既に山々の向こう側に落ち、最後の残り火が僅かに輝く程度になり、公園は急速に暗さを増していく。逆に夫人から問われた教授は意を決して話し出した。

「あなた達は京都出身で、ここで何かをやってしまい、やむを得ずこの地から去った。駆け落ちで京都を出たのではなく、取り返しのつかない何かをやってしまったから駆け落ちしたのでは?そうでなければ、親類縁者全員と完全な断絶状態にまではならない筈です。4代目の京都大仏は、深夜の火事により焼失しました。当初は不審火の疑いもありましたが、結局は単なる失火だと判明しました。しかし、京都府の財政事情で新しい大仏は作られなかった。豊臣秀吉以来、焼失と再建が続いていた京都大仏は、これで最後になってしまった。当時の京都人達がどれだけ落胆したか、私には想像もつかない。失火を起こした関係者も同じだった筈です。たとえ故意ではなかったとしても、京都や、そこに生きる人達に、顔向け出来ないことをしてしまった。そう感じても不思議じゃない。先生と奥さんは若い頃、この件に関わりがあったんじゃないんですか?直接的ではないにしろ、京都大仏の焼失に何らかの関わりがあったのでは?だからこそ、ご家族へ残したあのメッセージには具体的な行き先を書かなかった。いや、書けなかったんです。そんなことをすれば、ご家族は奥さんと京都大仏との関係性を否が応でも考えてしまう。それを防ぐために……」

「あんさんは、ほんまに偉いお人やねえ。うちの主人の見立て通りや」

 それまでうつ向いていたナカムラ夫人は思い切り顔を上げて、教授の言葉を遮るかのように、そう言い放った。その瞬間、日は完全に落ちきって周囲は暗黒に包まれる。夫人の顔も真っ黒になり、目鼻が全く見えない。口とおぼしき楕円の穴だけが不気味に動いていた。

 教授の背筋に冷たい汗が滝のように流れ落ち、息が詰まる。彼はそれから何も言えなくなってしまった。

 公園内の街頭が辺りを白く照らす。元通りの見た目に戻ったナカムラ夫人は前方に顔を動かすと、何かをぼんやりと眺めるような仕草をしながら教授へ語りかけた。

「あの頃の私達は何者でもなく、何も持っていなかった。ナカムラはしがない若手研究者で、私の方も安月給のために朝から晩まで働き通し。オイルショックのせいで経済成長が止まった日本で、先の見えない毎日を送っていたわ。そんな2人が人目を憚らずに逢えるのは、真夜中のこの場所だけだったのよ」

「……」

「でも今は、ささやかながら守るものがある。それを見つめ直すために、ここに来たの。お願いだから、私達の意地をこのまま通させて」

「……」

「実を言うとね、ナカムラは亡くなる前日に、あなたのことを思い出していたの。馬鹿な落ちこぼれだが、しかしそれでも目の付け所が人とは違うから、学者には向いているって。もしかしたら、あの人があなたをここに連れてきたのかもしれないわね」

 夫人はベンチから立ち上がると、彼女の家族の元にひょこひょこと歩き出した。その途中で教授へ振り返る。

「エリコとは仲良くしてあげてね。でも、私があなたに会うのは、これが最後よ。じゃあね」

 夫人が合流したナカムラ家の3人は、そのまま公園を出て、夜の闇に消えた。教授は身じろぎもせずにそれを見送るだけしか出来なかった。その様子に、アミが彼の元に駆け寄る。

「どうしたの、先生?」

 彼女に声をかけられて、漸く教授は荒い息を吐きながら立ち上がることが出来た。

 逢魔が刻。

 今のような時間帯をそのように呼ぶことを、彼は心底思い知った。

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