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「父や母は吹っ掛けているとか、自分達が何も知らないと思って足元を見ているとか憤慨していました。お婆ちゃんも険しい顔をして、しょうがないオッサンねと言いました。私は、普段上品な話し方をするお婆ちゃんがそんな言葉づかいをするのを初めて見たので、余程怒っているんだなと思いました。何時間か話し合った後、結局戒名のお代は……」
そこで教授はエリコの話を手を上げて制止した。そこから先はさすがに聞けないし、その必要もなかった。
「お坊さんのことをオッサンだなんて、確かにきつい言い方ね」
アミが少し驚いた表情で同意する。教授もナカムラ夫人が常に品の良い物言いをしていたのを憶えているので、軽い違和感を持った。とは言え、その気持ちもわかる。仮に自分が同じ立場だとしても、悪態の1つや2つは吐くだろう。しかし……。
オッサン……。
教授は椅子から立ち上がるとゆっくりと窓辺に近寄り、外の景色を暫く眺めていた。1分以上無言になる。その姿にアミが、おずおずと声をかけた。
「あの、……先生?」
「京都だ」
室内へ振り向いた教授の口が発した言葉に、エリコは思わずおうむ返しをした。
「京都……ですか?」
アミが怪訝な顔で後を継ぐ。
「え、どういうことですか?京都に大仏なんてありませんよね?」
「そうだ、今はない。だが、かつて京都にも大仏はあった。それも何百年も昔のことじゃない。僅か50年程前まで大仏が存在していたんだ」
エリコとアミは顔を見合わせた。
「京都に大仏?そんなこと知りません」
2人の言葉に教授は頷く。
「無理もない。俺も今まですっかり忘れていたんだからな。だが、京都には本当に大仏があったんだ。元々は豊臣秀吉が当時近畿地方に発生した大地震を鎮めるため、方広寺に作ったものだが、その後何度も火災による焼失と再建を繰り返して、江戸時代に作られた4代目の大仏が戦後まで残っていた。もっとも、この大仏は上半身しかなかったが。たぶん、全身を作るだけのカネがなかったんだろう。その大仏も結局、50年前に焼失してしまい、5代目が再建されることはなかった。しかし、その当時を生きていた人にとって有名な大仏と言えば奈良、鎌倉に加えて、この京都大仏があったのはほぼ間違いない。そして、ナカムラ先生ご夫妻は当時20代だ。この京都大仏を知っている可能性は充分に高い」
「そ、それでは……」
エリコの言葉に教授は頷く。
「今までに大仏参りをしていなかったナカムラ先生の奥さんが、敢えてそれをするならば、残っているのは失われた京都大仏しかない。既になくなっている大仏をお参りする理由まではわからないが、行くなら京都、方広寺だ」
それを聞いたエリコは自分のスマホで奈良にいる父親、続いて鎌倉にいる母親と話をし始めた。アミもスマホを取り出して、素早く経路を調べた。
「今から行きましょう!新幹線なら余裕で今日中には京都に着きます!」
「え、君も行くのか?」
エリコに対する何らかのハラスメントを帳消しにするには、自分も京都に同行する必要があると教授は考えていた。幸い、今日と明日は自分の講義はない。だが、アミも一緒に行くとまでは思わなかった。彼が不意を突かれたような口調でそう言うと、アミはじっとりとした横目で教授を見返した。
「当たり前です。それに先生、往復の新幹線や京都に泊まる場合のホテル代とか持ってるんですか?」
なかった。
固まったように動かない教授に向かって、アミは意地の悪い笑顔を浮かべる。
「私が貸してあげます。余裕ができたら返してくださいね」
「……ありがとう……」
こうして、言いようのない敗北感を抱いたまま、教授は2人と共に新幹線に乗った。エリコの電話によって、京都駅で彼女の父親も合流することになる。
西に向かう車中、教授は可能な限り優しい口調でエリコに言った。
「俺は数ある可能性の内で、その1つを予想したに過ぎない。だから君のお婆さんは全く別の場所に居るかもしれない。もしも現地に行って、それでもあの人が見つからなかったら、大人しく家で帰りを待つんだ。あるいは警察に任せなさい。そうでなければ、君達家族の身がもたない。端から見てても痛々しい程なんだから。わかったかね?」
彼女は黙って頷いた。
その後はエリコは不安のため、アミは彼女を慮って、そして教授は自分の考えを補強整理するためにスマホをいじり、誰も一言も話さなかった。そんな静かな雰囲気の中で、あろうことか彼は、うっかり居眠りをしてしまった。