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教授の恩師であるナカムラ博士が急性の心不全で逝去した。70代後半というのだから男子の平均寿命には僅かに足りないが、さりとて短命という訳でもなく、その報せを聞いた彼は驚いたものの、狼狽えたり、悲嘆に暮れるということはなかった。
ナカムラ博士は充実した学者人生を送り、その研究は多くの後進に確かな道を示した。無論、教授もその一人だ。だから彼は博士の死に対して、悲しみよりも感謝の念をより強く抱いた。
ナカムラ博士は大学の名誉教授でもあったので、学内からも弔意を送り、葬儀には教授を始めとして何人かの職員が出席することになった。
横浜郊外に居を構えていた博士の葬儀は、付近にある斎場で行われ、多くの学者や関係者達が参列した。案内係の中には博士の身内もおり、孫娘のエリコが入り口で教授を迎えた。
エリコのことは以前から知っていた。教授が駆け出しの研究者だった頃にナカムラ博士の自宅へ数回遊びに行った時、小学校に上がる前の彼女は博士夫妻と同居していた。一緒にテレビゲームをしたことがある。
その後、同じ大学の文学部に入った彼女は教授の研究室へ挨拶に訪れた。結構な美少女に成長したエリコに教授は目を見張ったが、彼とは違う学部だったのでそれっきりとなった。
あれから2年。美少女から美女になりかけているエリコの表情は暗く、卵形の白い顔には陰が差している。親族を亡くしたのだから当然だが、自分がいつ遊びに行っても、彼女が博士夫妻にべったりだったことを教授は思い出した。
一方でエリコの両親の顔は見たことがない。夫婦共働きで、娘の面倒を博士達に見てもらっていたのだろう。
エリコとは交わす言葉も少なく、短い弔意を述べただけで教授は中に入った。最前列の席には喪主である博士夫人が座っている。挨拶をしようと夫人の元に行くと、その憔悴ぶりに彼は驚くしかなかった。
最期に夫人と会ったのは大分前のことで、はつらつとした印象しかない。その彼女が見る陰もなくやつれ果てている。
ナカムラ博士と夫人は若い頃の熱烈な恋愛の末に、駆け落ち同然で結婚した。そんな話を博士自身から自慢気に何度か聞かされた。
急性の心不全だから夫人には何の心構えもなかっただろう。これから先も人生を共にしていくものと思っていた筈だ。教授は居たたまれない気持ちになる。エリコの時と同様に、短い言葉を夫人と交わすと、足早に自分の席に着いた。
数時間後、葬儀は何事もなく終わり、教授は斎場を出て東京に戻った。
それから3日後、昼下がりの研究室で缶コーヒーを啜っている教授の元にエリコとアミが猛烈な勢いで駆け込んできた。その様に何事かと怯む教授へ血相を変えたアミが叫ぶ。
「先生、大変です!」
エリコがそれに続いた。
「お婆ちゃんが行方不明なんです!」